女は強し?
朝らしい。なんとも清々しい透明な気分の朝だ。
川の中洲なんで水の流れる音がしているのだけど、逆に言うとそれ以外の音は全くない。キャリバン号の中にいても気温はちょっと涼しげで、もし野宿してたら寒いだろうなと、ぼやけた頭で考える。
そのぼやけた頭の中に、ここ数日当たり前になっていた感触がないという言葉以前の思考がうごめく。
あれ、■■■■は?
「おはようパパ」
「……おはよう、アイリス」
探しているのに気づいたのか、逆にアイリスから声をかけられた。キャリバン号の外で掃除をしているらしく、声は外からだったが。
清々しさの理由は窓が開いているからだ。水辺の朝のしっとりとした空気が妙に心地よい。
「外に出ると気持ちいいよ?」
「おう」
そうだな。
パジャマを着ているわけじゃないから、そのままドアをあけ、外に出た。
「……おー」
心地よい空気と朝の気配に、思わず背伸びする。
「パパ、顔洗う?」
「ん、ありがとう」
アイリスが黄色い洗面器……むかし東急ハ○ズで買ったやつで、有名な銭湯のアレだ……を差し出してきたので、張られている水で顔を洗う。
おお、つめてえ。
歯ブラシと塩も渡されたので、しょこしょこと磨きにかかる。歯磨き粉?それは塩で代用だよ。
ちなみに、いわゆる歯磨き粉は江戸時代にもあった。だけど香りや贅を凝らした歯磨き粉より、庶民の使っていた塩の方が効果のさっぱり感もあったろうという話を聞いた事があるが、俺も同感だ。おかげさまで、家では歯磨き粉を使っていたが、キャリバン号でお出かけ中は塩を使っていたもんだ。
ちなみにアイリスいわく、この世界にも歯磨き・歯ブラシはあるらしい。魔法や錬金薬を駆使するファンタジー色豊かな代物らしいので、いつかは触ってみたいと思ってる。
え?
ちょっとまて、車中泊なのにどうして掃除するんだって?
あー、野宿とか駅泊旅した事ないとわからないか。うん、ちょっと説明しよう。
そもそもだ、元々は俺の習慣なんだよ。
駐車場とかに泊まると、翌朝、一宿一飯の恩義だって軽く車のまわりを掃き掃除していたんだよな。ほら、上下水は借りる事が多いわけだし、本来招かれざる客なわけだろう?せめてもの礼って事でね。
そんで、それを聞いたアイリスが、俺の起きる前に先回りしてやりだしたって感じかな。
以上、説明おわり。
良くも悪くもアイリスは、昨日までとあまり変わらなかった。
なぜか作業用のオーバーオールでなくメイド服を着ているのがいつもと違うけど、それ以外は全く変化がない。昨夜の今朝だってのに。
あと、確かに……なんていうか、エネルギーに満ちてる感じがするな。
うーむ。女は強いというけど……本当にそんな感じだなぁ。
女という以前に、そもそも人間でない、普通の生き物ですらないのだけど、俺の目線としてはやっぱり女の子なんだよな。他には見えん。
そのあたり、俺はある意味日本人的なのかもしれないなぁ。
え?どういう事だって?
昔読んだ本に「心があるのと、心があるように見えるのは同じ事だとおもう」ってセリフがあったんだ。宇宙ものの作品で、確か主人公は普通の人間。で、ヒロインがいわゆる合成人間の類だったのだけど。
昨夜も思ったけど、俺もそれが正しいと思う。
どんなものであれ、心があれば、それは人。
ただ注意しなくちゃならないのは、自分の常識を相手に押し付けちゃいけないって事だ。
変な話、もしアイリスが普通に生身の女の子だったら、昨夜のアレはNGだったろう。俺はアイリスに事情を聞き、それから考える事になったはずだ。
そうしなかったのはひとえに、アイリスが普通の女の子的事情でアレを求めたわけではなかったから。
「……」
そうはいっても、俺はやっぱり意識しちまうよな、うん。
こうしていても、目がアイリスを追いかけちまうのがわかる。
うーん……困ったもんだ。
「なに、パパ?」
「なぁ、アイリス。やっぱりパパは変わらないのか?」
「変わらないけど?」
「……」
今さらなぁにと言わんばかりのアイリスの笑顔に、俺は「いや、なんでもない」と首をふった。
ふうむ。
これは結構大変かもしれないな、俺的には。
え?何を言いたいのかって?
そりゃおまえ……久しく忘れちまってたドキドキっていうか、なんていうか……うん。
「パパ。朝ごはんどうするの?」
「!」
「……パパ?」
「いや、なんでもない」
思わずハハハとごまかした。
「そういや前にここで釣りした時、クロコ・クマロ釣ったっけ。結構大物だったなぁ」
「……ああ、トゲピーね」
クスクスと笑いながら妙な名前を言い出した。
「と、トゲピー?」
なんじゃそりゃ。
「うん。クロコ・クマロは旧帝国で生まれた呼び名なんだけど、このあたりの地方名ではトゲピーっていったんだよ。森の民の間では今もトゲピーの方が有名らしいよ」
「へー……」
トゲピーねえ。
なんというか、珍妙な名前だな。まさかと思うが、本当にトゲが生えてるからってんじゃないだろうな。
……いや、まさかな。
そもそもトゲは日本語だし、ありえないよな。うん。
「そうだな。保存食を使うより、せっかくの川だから何か獲りたいが……そういやランサはどこだ?」
ふと気づいたが、姿がない。
たまにキャリバン号の屋根にいる事もあるが、そっちにもいないようだ。
「あっちあっち。ホラ」
「お?……何やってんだあいつ?」
ランサは川の対岸にいた。何か川の中をじっと見ている。
「さっきから、何か見つけたっぽいの。たぶん食べるものだと思うけど」
「睨みつけたって魚はとれないだろうに……それとも魚じゃないのか?」
魔物が好物らしいからな。何か面白いものがいるのかもしれないな。
さて。
それじゃあ俺もまったりと釣りでもして……ってぇ!?
「な、なんだ?」
ランサが突然、何を思ったのか川ん中に飛び込んだんだけど。
「ちょ、何やってんだあいつ!」
川ん中がピカピカ光ったり、川面が盛大に波打ったりしてるんですが!?
「……何かと戦ってる」
「なに!?」
アイリスの言葉に、俺はギョッとした。
「大型動物……ライガーワニかな?でも、こんなとこにいるなんて」
「ワニ!?」
お、おいおいおい、大丈夫なのかよランサ。パックリ食われたりしないだろうな!?
「アイリス、何とかならないか?」
ドラゴンの眷属の言う事なら、きいてくれたりしなにいのか?
「すみません、ワニは仲間じゃないんです」
「だぁぁぁぁぁっ!」
いや、まぁそりゃそうか。
どう見てもドラゴンは翼がついて怪獣化した恐竜って感じだったもんな。
という事はだ。
この世界の竜族に近いのは爬虫類でなく、鳥のはずだ。たぶん。
そんな事を考えていると、
「パパ、あれ!」
「おお!」
いきなり、派手な爆音がしたかと思うと、水中から馬鹿でかいワニが、ぼーんと飛び出した。
そして、キャリバン号がいるのと同じ中州の端っこに、派手な音をたてて落ちた。
「……!……!」
ワニは、それでも力なく抵抗するかのようにうごめいていた。
しかし、どうやら既に急所をやられているらしい。明らかに生命力のようなものを失っていき。
そして二分とたたずに絶命してしまった。
「……ぉぃ」
「♪」
そして、そのデカいワニの後から岸に上がってきたのは、もちろん我らがチビ助大将。
「……あははは」
思わず、笑いがこぼれた。
「ま、なんつードヤ顔してんだおまえは。アハハハ……」
よしよしと3つの頭をなでてやると、く~んとか可愛らしく鳴きつつも俺に甘え出した。
「ああ、よくやったよくやった。しかし大丈夫か、怪我はないのか、ん?」
くすぐったそうにしながらも、大人しく診察されるランサ。
ふうむ。頭を打ったような感じもないな。
魔力が減っているようだが、こりゃあの戦闘だから当たり前だしと。
「ん、大丈夫そうだな、良かった良かった。だがランサ」
「わん?」
「あまり無理すんなよ?手がいると思ったら自分だけでなく俺たちを巻き込め。それと、やばいと思ったら即逃げろ。いいか?」
「わんっ!」
「返事だけは元気だなオイ」
まぁ、言語理解しているようなので、ちゃんと伝わりはしたろう。
ちょっとくすぐってやると、楽しそうにキャンキャン鳴きながら遊びだすランサ。
うむ。この、目の前の馬鹿でかいワニをたった今、ぶっ潰したヤツとは思えんくらい可愛いぞ。
さて。
そんな俺たちを呆れたように見つつ、さっそく検分をはじめたのは我らがアイリスだ。
「どうだアイリス?」
「パパ、これ大収穫だけど、手で解体してたら一日作業だよ、どうする?」
「おー、やっぱりそうなるか」
追手がどうなっているのかもわからない今、丸一日ここにいるわけにはいかないな。
でもなぁ。
「せっかくのランサの獲物だし、食い散らかすんじゃなくて、ちゃんと解体したいよな。いい案ないか?」
「そうねえ……」
ふむ、とアイリスは考え、そしてポンと手を叩いた。
「ふたつあるよ」
「ほう。どんなだ?」
「ひとつは、わたしとパパで『刃』の生活魔法で解体する事。二人がかりなら結構短時間ですむよ?」
「それは無理だろ。俺はこっちの魔法を使えないんだから」
「うん。だからそれは『刃』を実際に見せるよ。パパでも習得できると思うから」
「ほう。その根拠は?」
「蜘蛛脚のナイフ。パパの世界にもああいう刃物があるんでしょう?」
「そりゃああるが……まてよ?」
あー……もしかして、そういう事か。
「つまり、ナイフ自体は俺の世界にもあるものだから、魔力で再現するって概念だけ理解できれば、俺の魔法でも表現できるって事か?」
「うん、仮定だけどね」
うふふとアイリスは笑った。
「わたしの服だって、全部思い出から再現してるわけじゃないでしょ?特に大人サイズのはアレンジ入ってるよね?」
「……まぁ、たしかにな」
特にオーバーオールなんて、子供服の記憶から引き伸ばしてるからな。それは確かにそうだ。
「だったら、その上級編って事で、たぶん可能だと思うよ?」
そうか……だったらいいかもな。
「ちなみにアイリス」
「なあに?」
「もうひとつの案ってなんだ?」
「ここから約120kmくらいかな。砂漠の中にバラサってオアシスの町があるの。そこの村で頼めば早いと思う」
「そうなのか?」
「うん。バラサの特産は、水を求めてやってくる大型爬虫類とか獣だから。解体のプロがいるんだよ」
「へぇ」
それはちょっと見てみたいな。
「アイリス、じゃあこうしよう。
今から30分かけて、俺がその『刃』とやらを習得できるかやってみよう。
で、ダメならとりあえず今回はプロに任せようぜ」
「ん、わかった」
俺の提案にアイリスは、にこやかに頷いた。




