最終話『未来へ』[1]
「これは、また」
俺はそれを見て、しみじみとためいきをついた。
地球での時間とこの世界の時間は同期していないし、出現場所も同様だという事。早い話、ふたつのものが全く同時に転移したとしても、同じ時、同じ位置関係の場所に着く保証すらないって事。
俺はそれを知っているはずだった。
はずだったんだけど……。
どうやら俺はそれを、頭でわかっているだけのつもりだったらしい。
「このコンビニ、覚えがあると思ったら……マジかよ」
あの日、俺がここに来る前に入り、弁当温めてもらったあのコンビニにすげえ似てるんだが?
え、勘違いじゃないかって?
確かに、コンビニなんてどの店も似たようなもんだし店舗は文字通り無数にある。
だけどこの店の残骸には、なぁ……。
いや、それがね。
このコンビニって、入口のガラス戸に支店名が入ってるんだけどさ……割れてたけど破片が一部残っててね。
部分的にだけど……これは。
いや、いやいやまだ確定じゃないよな。
同じ名前の支店ってのもあるらしいしな。まだ結論には早いぞ。
中に入ってみた。
入口のガラス戸で想像ついてたけど、中身も一緒だった。驚くべき事に商品も……いやま、一部派手に荒らされてるけどさ。でも、それでも一緒だってわかる。
おいおい、おにぎりやアイスまであるぞ。
「なんで全然腐ってないんだ?電気すらきてないのに?」
「魔法陣の効果だねえ。中の全てのものの時が止められているのさ」
おいおい、なんだそりゃ。
「それって解除はどうすんだ?」
「陣の外に出せば、半日もあれば時間停止は解けるねえ」
「なんというか……呆れたな。どんだけすごい技術なんだよ」
コンビニ一軒、まるごと時間停止って。
しかも、その状態にもかかわらず、俺やオルガは普通に入れるってどうなんだ?
「ちなみに私たちが中に入れるのは、研究者のコードを使っているからなのだねえ。そもそも、時間停止してそのままでは中に入るどころかデータだってとれないだろう?」
そりゃそうか。完全に時間をフリーズさせちまったら、そもそも観測できるかどうかすら怪しいしな。
「まさにファンタジーだな。あるいは漫画のステキ科学か」
まったく、こりゃため息しか出ないよ。
「ためいきが出るほど凄いかねえ。暴走したらこの星が吹き飛ぶほどのエネルギー炉も見てきたんだろう?あれに比べたら、こんなのおもちゃじゃないか。違うかねえ?」
クリューゲル道のアレの事か。
いたずらっぽく笑うオルガに、思わず言い返した。
「あれは論外だろ。星ひとつ吹き飛ぶようなもん惑星上で運用するなっての」
「ふふ、確かにそうかもしれないねえ」
「それに、大規模なだけが技術じゃないぞ。俺にしてみれば、あくまで科学の産物であるあの化物炉より、こっちのほうがはるかにヤバいもんに見えるんだが?」
魔術で時間を制御するのみならず、特定の人物だけその影響から除外して普通に侵入させるとか……どこのご都合ファンタジーだよっての。
そんな事を思いつつレジの方に回る。
俺はコンビニでバイトした事ないから、この視点は新鮮だな。
ちなみに電気は通ってないから、全ての機器類は沈黙している。だけど誰かが触ったのか、ハンコや書類の一部が出したままになっていた。
「あ、これ支店名入ってるよな?」
公共料金の支払表とかに押すハンコだろこれ。誰のか知らないけど。
他にもいくつかの資料があって、それに目を通してみた。
「……うわ」
「何かねえハチ?」
「確定した」
「確定?」
「ああ、これ」
俺は書類の束をオルガに見せた。
「ここに住所が書いてあるんだが……間違いない、俺が最後にいたコンビニだよこれ」
「そうか……なるほど」
俺の困惑した顔を見てどう思ったのか、オルガは静かに微笑んだ。
驚愕が少し落ち着いて、俺たちは一度外に出た。
そして、改めて外からコンビニを見てみた。
「しかし……なんというか異様な光景だな」
洞窟の奥にあった、広大な空間。
どうも一種の研究所だったようで、多数の書類やデスク、そしてご本人らしい魔族の遺体があった。さらに空間の中央には巨大な魔法陣があった稼働中で、そこには、まるで日本のどこかのマンションの一部をざっくり切り取ったような馬鹿でかいコンクリートの塊があって。
そんで、それは懐かしすぎる、日本のコンビニだった。
要するにだ。
マンションの一階にコンビニが入っているところを想像してくれ。で、そのコンビニのある一角が見えない何かでスパッと切り取られ、そこだけが別の場所に転移しちゃった図を想像してくれ。
うん。で、その塊が、巨大な魔法陣の上に乗っかっていたら、あなたの想像は完璧だと思う。
しかし、なんでこんなところにあのコンビニがあるんだ?
俺と一緒に転移したのなら、なんで中央大陸に、俺のいたところに飛ばなかったんだ?
「君が転移した瞬間に、そばにあった建物なのかねえ。商品も中にそのまんまというのが実に興味深くはあるのだけども。
しかし、これはずいぶんと時間がたっているのではないかねえ?」
「そうなのかい?」
「この魔法陣の感じだと、たぶん百五十年は稼働しているんじゃないかと推測するねえ」
「そんなに?マジで?」
「マジだねえ」
なんとも、そりゃまた派手なズレっぷりだな。
「まぁ、わからないな。そもそも俺と同時に転移したかどうかもわからないし」
同時に転移したんなら、さすがにここまでバラバラはおかしいよな。
それとも、俺ひとりぶっ飛ばされて、コンビニは無事だったっていうのか?
それに、中にいた者たちはどうなった?男女あわせて何人かいたと思うんだが?
ついでにいうと、なんでこんな洞窟の中なんだろう?
そもそもここは魔族領の古いトンネルのひとつ。つまり、俺たちは単に、いつものようにトンネル探索をしてたんだよな。
廃棄された古いトンネルのいくつかは、別の用途に再利用している事があるんだよな。日本でも廃隧道を倉庫にしたり、何かを栽培したり地元消防団の車庫にしているものなど色々見た事がある。だから再利用自体は別に驚かなかったんだが。
それで。
トンネルの中央部に不自然な横穴があって、奥が隠し研究所みたいになってたってわけだ。
地下に掘られた広大な作業空間。そのど真ん中に大きな魔法陣があって、その中にこのコンビニは封印されていた。
オルガの話によると、研究用に対象物の時間を止めるものらしい。実際、電気を通して整理すれば即日、営業再開できそうなほどにそのままだったんだ。腐りやすいおにぎりや弁当までもそのままであり、あの日と同じ……そう、あの日にあったそのままに並んでいた。さすがに食べる気はしなかったけどな。
オルガはものすごく興味しんしんみたいだったが、やめとけと言っといた。
いや、これ冗談じゃないんだよ。
アイリスもそうだけど、こいつらの好奇心旺盛っぷりは普通じゃないんだ。食中毒起こしたらどうするなんて言い方しても、そのくらいのリスクで異世界のおいしいものが食べられるならって平然と言いそうでな……いやマジで。
俺としては、さすがにそれは勘弁してほしいんだが。
後で俺が何か思い出から出してやるって事で、その場を納めたのだけど。
しかし本当、どうなってるのかね?
俺が転移した後、同じ場所で再び転移が起きたとでもいうのか?
「その可能性は極めて低いねえ?」
「そうなのか?なんでだ?」
「さっきの君の話だと、君が転移したから少なくとも数時間以内に転移したんじゃないかって事だろう?」
「ああ」
おにぎりや弁当の日付が、あの時のそのまんまなんだ。ま、多少俺の勘違いがあったとしても、せいぜい数時間しかずれちゃいないと思う。
そういうと、オルガが苦笑した。
「そんな短時間で、しかも、ほぼ同じ場所で続けて何度も転移が起きる可能性は……ないとは言わないけど奇跡の部類だねえ。それよりも、起きた転移は一度きりで、ただ何らかの理由で途中で別れてしまったと考える方が自然だと思うねえ」
「そうなのか?」
オルガは大きくうなずいた。
「さらに可能性で言うなら、転移自体が人工的に行われた、つまり一種の召喚だった可能性が非常に高いと思うねえ。
ただその場合、君だけが遠く離れた中央大陸の荒野に放り出された件が問題なのだけど……ひとつだけ思い当たる可能性があるのだねえ?」
ほう?
オルガがそんな、奥歯にものの挟まったような言い方をするのは珍しいな。何があった?
試しにたずねてみると、オルガは少し迷った末に言った。
「以前紹介した、問題のある召喚法については覚えているかねえ?」
「ん?ああ、あれか」
オルガの友達がやられちゃった原因の、ちょっとやばい召喚の事だよな。
「力あるものを呼び寄せるって方法だよな?」
そういうと、オルガは「うむ」とうなずいた。
「あれと同じとは言わないが、似たようなロジックの召喚をしようとしたとして……確保した転移対象の空間が、転移の瞬間、あるいは前後に乱れた可能性があるねえ」
「空間が乱れた?」
どういう事だ?
「転移という技術を簡単にいえば、異なる場所にある二点をそれぞれ空間ごと同じ大きさに切り取り、これを交換すると思えばいいのだねえ。まぁ現実にはいろいろな要素が絡むので、それほど簡単ではないのだけれども」
「空間を交換?でもそれじゃあ?」
その空間が乱れちゃったら、どうなるんだ?
俺の顔色で察したと考えたのか、オルガはにっこりと笑った。
「その通り、今、まさに君が想像した通りなのだねえ。
入れ替えるはずの空間の片側が乱れたわけだから、当然、転移の結果は予想できないものになるねえ。双方の空間のバランスが崩れて思わぬものを呼びこんだり、一部だけが別の場所に吹き飛ばされる……つまり君が中央大陸にふっとばされたような事が起きるわけだねえ」
つまりそれは。
コンビニをこの場に『召喚』するのが主体で、俺は巻き込まれた側で、そして全くランダムに別の場所に飛ばされたって事か?
おいおい。
そんな条件でよくもまぁ、あんな砂漠の中とはいえ無事にいられるもんだな。空中とか海中だったらその時点でアウトじゃないのか?
そんな事を考えていたら、オルガがクスッと楽しげに笑った。
「なに?」
「おそらくだけど、よく普通に生きられる場所に転移できたなって思ってないかねえ?」
「あ、うん、ご名答。で?」
「それならば問題ないねえ。これは魔道研究者の常識なのだけど『転移で自殺はできない』っていうものがあってねえ」
「転移で自殺はできない?」
オルガは微笑んで頷いた。
「ハチ。中央大陸からここに魔族の領域に来るまでの間で、転移魔法を使っている者、あるいは転移魔法を使う施設のようなものをどれだけ見たかねえ?」
「転移魔法?あー、たぶんゼロだな」
そんな人も施設も見ていないと思う。少なくともオルガに出会うまではな。
そういったら、オルガは大きくうなずいた。
「転移魔法は魔法技術としては基本に属するのだけど、実際には魔法で転移する者はいないんだ。その理由も簡単でね、これが実に、本当に不安定でね、正直どこに吹き飛ばされるのかわからない。危なくってお話にならないからなんだねえ。唯一実用になっているのが引き寄せ、つまり召喚なのだけどね」
「へ、そうなのか?なんで?」
どういうことだ?
「詳しくは謎なんだがね、術者や周囲の者の精神状態が影響するといわれている。つまり、それほどまでに不安定なんだ」
ふむ。
「だからこそ、実際の運用では固定されたもの……すなわち転移門を作り、それを利用するわけなんだが。実はこの技術も現在は失われている」
「失われている?いや、でも」
それじゃあ、ウチの……もとい、オルガの家にある転移門は何なんだ?
「うちの転移門なら、あれは両親の研究成果だねえ。アマルティア時代の技術を応用して術者や人間の影響を排除し、純粋に機械的な転移を可能にしたものなのさ」
「なるほど……」
凄いものなんだな。
「ところがね。
そんな不安定な転移でも、なぜか即死するような非常に危険な場所には決して行けないのだねえ。無理やり行こうと思えば、それこそ転移門の行き先を書き換えるしかない。これを称して、転移で自殺はできないっていうのさ」
「そりゃまた……なんとも不自然だな」
「ああ」
「原因は何なんだ?」
「わからない。アマルティア時代の文献を見ても不明だとあったからねえ」
「へぇ……そんな壮大な謎なのか」
「おかしいかねえ?」
「いや。そうでもないな」
素人考えだと奇妙に映るのは事実だと思う。
でも世界の謎なんて、そういうもんだってのもまた事実だと思うんだよ。
だってそうだろう?
袋の中の猫がどうなっていようと、木から落ちたリンゴでどうなっていようと、ただの一般人には関係ない。将来的には関係するのかもしれないけど、少なくとも同じ時代の人間には意味を持たない。
いわゆる専門分野というのは、そういう事だと俺は思う。
「話を戻すけどねえ。
確かに、転移のタイミングで空間が揺らぐ可能性に比べたら、転移と同じ日に召喚が行われた可能性のほうがまだ高いかもしれないねえ。
でもそれは、小指の関節を並べて長さを競うようなもんだねえ。どっちとも結論はつけられないね」
日本語的にいえば、どんぐりの背くらべってとこだな。
「事実関係は不明ってことか」
「そうだねえ。現時点でそこに結論を出せる者というと……両方の世界を同時に俯瞰できた者だけだろうねえ」
「そりゃ神様の領分だろ」
「まったくだねえ」
オルガはクスクスと笑った。
そんなオルガの左手薬指には、俺のプレゼントした指環が光っていた。




