終章・異世界を旅しよう[1]
終わりが近くなってきました。
キャリバン号がマニュアル車だって話を覚えているだろうか?
最近じゃマニュアルの車のほうが珍しい、マニュアルは乗れないって人もいるらしいけど、そもそもキャリバン号は昔の車だ。当時の軽自動車というと、オートマもパワステもほとんど普及していなかった。かりにあったとしても当時のオートマチックではパワーロスが大きすぎて、へたに軽に採用すると、スタートダッシュでは原付スクーターにも置いて行かれたかもしれないけどな。
小さい事はいい事だ、的に軽四が大好きだった俺は、同じくらいにオートマ否定派でもあった。
いや、言っておくけどオートマの利便性はよく知ってる。いろんな理由で乗る機会があって、坂の多い町や渋滞での利便性はもうイヤというほど経験している。それは、よぅくわかってる。
それを差し置いた上で、それでも俺がマニュアルに固執する理由はひとつだけ。
つまり、軽四という小さな排気量を生かすためには、なるべくパワーロスの少ない駆動法がいいわけで。それにはマニュアルが一番良かったんだ。
ああ、あともうひとつ。
オートマって便利なんだけど壊れるもんなんだよな。マニュアルはしっかりオイル管理して大事に乗ればクラッチ板も相当長持ちするんだけど、オートマはそうはいかない。しかもマニュアルのようにクラッチが滑ってじわじわ来るのでなく、ある日いきなり走らなくなってしまう。
スクーターのドライブベルトが切れて立ち往生した事のある俺は、本当に強く思う。エンジンはぶんぶん回るのに動けない、あんな情けない経験はもうしたくないって。
そんな記憶がたぶん、俺をマニュアル指向にしているんじゃないかな。
だけど。
「誰でも乗れないってことは、交代もできないって事でもあるんだよな」
「パパ。それって重要?」
「……まぁ、この世界じゃあまり重要じゃないかもな」
とはいえ、昔は同乗者がそもそもいなかったんだから、それ以前の問題だが。
「おそらくだけど、ハチの世界では車の運転というのは神経をすり減らすものなのではないかねえ?疲労が激しいから交代しつつ運転するとか、そういう事が必要だったのかもしれないねえ」
「あ、そっか。ジュウタイっていうのがあったんだっけ?」
「……渋滞ネタが出るたびに、ここが異世界だってのを自覚するよなぁ」
「えー、今さら?」
「アイリス嬢、頭で認識するのと実感は違うものさ。感じ入るものがあるたび、改めて心にしみじみと響く。それが実感というものだからね」
「へぇ……」
「しかし、渋滞っていうのは車が混雑したり行列して思うように動けないって事なんだろう?
そんなもので実感するっていうのは……ふむ、記録で知ってはいるが、本当に異世界はクルマだらけの世界なんだねえ」
「まぁな。俺、帰省ラッシュの時とか、断続的に500kmくらいつながってる渋滞に悩まされたしな」
「500km……ねえ」
オルガが苦笑じみた声をもらした。
「クルマが500kmも連なった図なんて……この世界にある魔獣車全てかき集めても、おそらくその長さには届かないんじゃないかねえ。しかしまぁ、気負いもなく、さらっと500kmと言えるところが本当にすごいねえ」
「そりゃそうだろ。うんざりとはするけど、今さら驚くようなこっちゃねえし」
「それが凄いのさ、ふふふ。まぁ、問題の文明そのものの住人である君にはピンとこないだろうけどねえ」
クスクスとオルガが笑った。
ちなみに余談だが、アイリスはKm等の地球の距離単位がわかる。生まれた初日から俺のタブレットを日本語で扱っているせいだ。俺と日本語で話もできる。
だけどオルガはこの世界の人なわけで、会話は魔族語や各地方の言語だ。俺があちこちの土地で翻訳魔法をかけてもらっていた事でもわかると思うけど、この世界は多言語文化圏だからな。ファンタジーによくある共通言語なんつーものは、この世界には存在しない。
なのにオルガは地球の距離単位を使える。それどころかメートル法だけでなく、マイルやフィート、ヤードで言われてもわかるっぽい。
そういや前にも英語っぽいメッセージを扱っていたよな。まったく、どこまで天才なんだか。
しかし、それにしても。
たったひとり加わっただけなのに、ずいぶんと車内が賑やかになった気がする。
思えば、いつも俺と会話しているのはアイリスだけだったからな。他のメンツは人間の姿すらしてないって事もあるけど、必要な時しか話しかけてこない者が多い。まぁ、ランサはそもそも人語をしゃべらないけどな。
だから、こうやって常に会話していたのは二人だけ。それが三人になったわけだけど。
(……あれ?)
いや、人数が増えただけではない気がする。
思えばオルガだって、長いことササヒメ(♂)だけと暮らしてたんだろう?もしかしたら、ご両親がいなくなってから、ずっと。
ああ、うん、そうだよな。それは寂しいよな。
そうさ。
オルガだって、ずっと一人だったんだよな。それもたぶん、俺よりもずっと、ずっと長い時間。
まぁ、ケルベロスの寿命は犬とは比較できないほど長いらしいから、もしかして、ササヒメ(♂)は随分と長い間オルガを支えているのかな?
うん。
魔力が強い、つまり長生きの多い魔族がケルベロスをかわいがるのは、そういう理由もあるのかもしれないな。
ちなみに今、キャリバン号の中はこうなっている。
運転者は俺。そして助手席にはもちろんアイリスがついている。
俺たちの間では、ランサが子犬モードでうたたねをしている。3つの首が時々うごくさまが可愛い。
ルシアは必要ない限りは沈黙している。
マイはいつもの後方ポジションでまったりとしている。たまに冒涜的な触手みたいなのをヒラヒラと動かしているけど、あれは遊びみたいなものらしい。よくわからないが怖いから追及していない。
で、オルガとササヒメ(♂)はというと。
オルガは後部座席のどまんなかに座っていて、ササヒメはオルガの肩の上。そう、例の収納魔法の空間に入っていて、オルガの左肩のところから子犬の首が3つ生えている。たまにランサとやりとりをしているようだけど、ケルベロス語が理解できない俺には内容までは不明。
そしてまぁ、問題のオルガなのだけど。
「しかしまぁ、まさかの盲点なのだねえ」
ううむと唸るような顔で、紙の資料を見ている。
「なんだかな、どうして気づかないかね?そのほうが俺には不思議だね。ま、わからなくもないが」
「わからなくもない?」
え、だってそうじゃないか?
「興味が湧かない対象って、意識レベルでは無いのと同じ事だろ?同じ事象であっても、どう目を向けるかで全然違う。そうじゃないか?」
うん、少し説明しよう。
俺は今でこそトンネル野郎とかトンネルマニアとか言われているんだけど、若い頃は走って、走って、走りまくる事しか頭になかった。特にバイクの頃はそうで、立った三日で四千キロも走った事すらある。
この頃乗っていたバイクの最高記録は、通勤に使ってないのに一年で三万八千キロというものだった。
そんな「バイクに乗るために生活していた」ような時代の俺にとり、大昔の旧道や古いトンネルなんぞ興味の対象になるわけがない。旧道では移動に時間がかかるから、迷わず新道を使い、高速を使っていた。それでも下道を強いられた移動の記録なんて、鬱陶しかったという思いしかない。四国に高速ができる前の帰省の思い出とかな。
そういうものに関心をもつようになったのは色々あると思うが、決定的なものはアレだろうな、たぶん。
廃墟サイトなどの中に旧道や古い隧道の探検記のサイトがあり、それらを見ているうちに、ガキの頃に親父が教えてくれた事を思い出したんだよ。
『親父、アレ何?トンネルの上、なんとかの道って書いてるやつ』
『ん?あれか、あれは「ずいどう」と読むんだ』
『ずいどう?』
『そうだ。大昔には、トンネルの事をずいどうと呼んだんだ』
あれを思い出した俺は、とある明治隧道を見物にいった。千葉県にある、四町作第一隧道という、ちょっと変な名前の隧道で、明治三十五年に作られたという代物。
トンネルというより、ほとんど洞窟のような変な『穴』が、今も現役の国道トンネルで、しかも結構クルマが通っているのに新鮮な驚きを覚えて。
で、ここを見たあと、伊豆の踊子で有名な天城隧道を見に行って。
そして、それから俺のトンネル好きが始まったんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
さて、二時間ほど前にさかのぼる。
魔族の領域から外に出るのが現在、困難という事で、とりあえず仕事のないオルガ。俺が魔族領のトンネル見物をするにつき、興味をもってついてきた。
「しかしトンネルマニアの探索なんて、見て面白いか?」
「ハチの探索者ぶりはサイカ嬢にも聞いているけどねえ。ぜひみてみたくてねえ」
オルガが俺の見物についてきたのは、そういう理由からだった。
俺としても、現地人であるオルガがきてくれるのは嬉しいと思った。地元の、しかもどうでもいいようなトンネル見物なんて退屈だろうにと思ったけど、ありがたいのは事実なので歓迎した。
だけどすぐに、少しだけ勘違いというか、読み違いがあるのに気付いたけどな。
まずオルガだが、トンネルに関する知識や認識は皆無だった。ただの通路以上の認識はなかったというか。
「意外だね。こんな近くなのに知らないなんて」
「知らないというより興味がない、が正しいねえ。
ハチがムッとするかもだけど、特に魔術的な要素もないただの通路だからね。物心ついた頃からそのままだし、興味が湧いた事もなかったねえ」
「ああわかる。関心ない事象なんてそんなもんだもんな」
不思議そうな顔をするアイリスを尻目に、俺はうなずいた。
「アイリス、専門外なんてそんなもんなんだよ。特に天才って呼ばれるようなヤツにはこの傾向が強いんだ」
「ふうん」
「なるほど、さすがにハチはわかるのだねえ」
なぜか嬉しそうなオルガと、興味深そうに俺とオルガを見るアイリス。
なんとも言えないメンツをつれ、俺は魔族領域の道を走っていた。
まぁ、その、それが道というのならば。
「いやま、道は道なんだけどね」
はっきりいって、獣道レベルの印めいたものが、草原に続いているだけだった。
「長年通路として使われているから、ここだけは草があまり生えないわけだけど……確かに道じゃないと言われればそうかもだねえ」
「いや、違うぞオルガ。むしろ逆だ」
「逆?」
「ああ」
俺はこの獣道めいた道に、逆に戦慄するものを感じていた。
道というのは需要があってできるもの。たとえば、日本は西洋と比べて馬車道の時代がないに等しいので、馬車道規格が使われた時代はほんのちょっとしかない。歩道主体から、突然に自動車規格に進化した道も少なくない。
なのに。
魔獣車というれっきとした車が存在するこの世界で、歩道ベースのような道しかないっていうのは?
「なぁオルガ?」
「なにかね?」
「魔族の領域の主な移動手段って何だ?」
「魔獣車が多いかねえ。あとはケルベロスが育ってる場合、普段は自分のケルベロスに乗る者も多いねえ。それが?」
「このあたりでそれは使ってるか?今でもなく昔の話で」
「昔?」
オルガは首をかしげた。
「大昔にはソーザっていう乗り物が主体だったねえ。私の生まれた頃にもまだ少し使われていたが」
「ソーザ?」
「簡単にいうと、重力魔法で浮いてる丸い大きなテーブルだねえ。上に座席がついていて、乗って低空を飛翔する。地面との摩擦がないから滑らかで速いんだねえ」
なんだそりゃ、空とぶ絨毯の親戚かよ。
むう、さすが魔族の領域、予想はしちゃいたがヘンなものがさっそく出てきたな。
「で、そのソーザだか惣菜だかは、どうして使われなくなったんだ?」
「小さく畳めないのだねえ。しかも軽いものだから風にも弱くてねえ」
オルガは苦笑した。
「魔族領域の諸島群では季節によっては風が強くてね、ソーザがふっとばされてよそ様の家やテントに突っ込む、あるいは行方不明になる事件がよくあったらしくてね。代替えの移動手段が確立していくと、廃れていったんだねえ」
「あらら。空間魔法で収納は?」
「ハチ。私たちは確かに空間魔法を使えるが、空間魔法は誰もが使えるものではないんだよ」
「へぇ」
そりゃ確かに問題あるわな。
「空を飛べるのが前提の設備とかはなかったの?」
「ちょっと浮くだけなら自力の魔力でできるんだよ?わざわざ人工物を使うやつがいるかねえ?」
「なるほど、そりゃそうか」
そんな理由で飛行機械が廃れるのかよ。
うーむ、世界が違えば常識も変わるんだなぁ。
「今でも大きな島の輸送船舶の類はソーザと同じ方式だよ。チャンスがあれば見てみるといい。さて、そろそろかねえ?」
「そろそろだな。アイリス?」
「うん、もう少し。あの森の脇を回り込んだ奥だよ」
「あいよー」
目の前には小さな森があり、通路はそこで二つに分かれている。ひとつは森に入っていくコースで、もうひとつは迂回。
「これは、迂回するほうが本来の道っぽいな」
「そうなのかねえ?同じくらいの道に見えるけど?」
「道の規模はそうだろうな。でも、ここまでの経路での曲がり具合、走り具合からすると、まっすぐ入る方が不自然だと思う。
こういう場合、大抵はまっすぐ入る方が枝道だと思うよ」
「なるほど……」
なぜかオルガは興味深そうにうなずいた。
森自体は大きなものではないし、大きな障害物もない。キャリバン号はたちまちに道なりに森を迂回し、やがて向こうの景色が開けてきた。
よし、いよいよ魔族領で二番目に見るトンネルとのご対面だ。
一つ目は遠目に見ただけで壊しちゃったからな、今度こそゆっくりと検証したいよな。
「お、見えてきた……って、」
……え?
それが見えた瞬間、俺は首をかしげた。




