魔大陸[1]
それは、世界のどこか。
誰も見たことのない、少なくとも現状では誰も知らない場所。
そこで。
カチリと音がした。
それは、何かのスイッチの入ったような音のようでもあり、あるいは、小さな機械式のリレーが切り替わったような音でもあった。または、古いボリュームつまみをいじる時に発する耳障りなガリガリという異音のようでもあったし、遠くで何かが軋むような音にも聞こえた。うっかり取り落としたスマートフォンが、冷たいアスファルトの上を乾いた音をたてて滑っていく音を想像する者もいるかもしれない。
とにかく、その瞬間。
小さな何かが、しかし決定的なもの。
目立たないほど小さくて、だけど、どうしようもなく決定的にまずい何か。
とにかくその瞬間、何かが確実に切り替わったようだった。
ただし、現実にそれに気づいた者というと、実はほとんどいなかった。
かろうじて真竜族、あるいは樹精と呼ばれる者たち、あるいは、かつてこの世界を統べていた者たちの一部は、それのもたらす異変に気づいた。それがもたらすものにも気づけた。
即座に彼らは、調査用の眷属を次々に放った。
『はじまる、ついに』
『はじまる、あの時代が』
『オオ、マタか。今ハ遠キ民ト別レヲ告ゲタ、懐カシクも哀シキ季節ガ』
『探せ』
『探しなさい』
『組みかわりシ方程式ヲ探セ』
大空に。
森の奥に。
深海のしじまに。
そして……虚空の宇宙に。
この惑星にうごめく、巨大で古き者たちが動き出した。
同じ頃。
地殻の底数十キロメーター以下の超大深度地下に、不思議な声が次々に響き渡る。
『新たな時空振動を検出しました。規模は次第級』
『ただいまの時空振動により、時空連続体44369379238との最後の結節点が臨界点に達しました。同連続体との離合終了を確認。本来の推定より、本惑星時間で2390年と六ヶ月前倒しになりました』
『危険。危険。間隙負圧が増大、「精霊」濃度が急拡大します』
『これ以上のエブリオクタ増大は時期尚早、全球死滅の恐れあり。至急の対策を』
『対策案。新たな時空連続体との接合。近隣にある連続体44369379296の利用を提案』
『承認する』
『肯定する』
『代替動力炉4437が停止している。補助動力炉37号の作動を……』
『通常伝送路が作動しません』
『37号は第二期試験線への動力供給中なので、同試験線を経由して伝送可能かと』
『至急、伝送路試験を求める』
声は続いている。
クリューゲル道の脇道奥。
少し前、異世界人ハチたちが入り込み、暴走ぎみだった動力炉を停止させた巨大な空間。
今は巨大なムカデの化物たちが活力を失い、いつ終わるかもとれない冬眠状態に陥っている寒々とした場所。
『……』
そこに唐突に、赤い光がともった。
光は、停止している動力炉の制御盤のあたりにあった。おそらくは主電力が届いている事を意味するパイロットランプの類だが、他の機器が総て停止しているにもかかわらず、そこだけに灯りが戻ったのは、まるで不吉な何かを暗示するようだった。
『……』
もっとも、その光はしばらくたつと再び消えてしまい、空間は元の暗黒に戻ってしまった。
ただし消える直前、操作パネルの一部が息を吹き返し、ほんの数秒だがこの世界とは違う言語で何かのメッセージが流れていた。
いったい、なんのために点灯したのか。
メッセージが読める人がいたら、こう読んだろう。
『エネルギー炉切り替え完了。停止します』
と。
何かがどこかでゆっくりと……だが今、確実に変化した。
■ ■ ■ ■
結局、サイカ商会の依頼をいくつか吟味してみる事になった。
「しかし、あるもんだなぁ」
「?」
歴史的遺構、それもトンネル関係の依頼の山に、俺は正直あっけにとられていた。
基本的に南大陸と東大陸が多いが、中央大陸のものもある。
あと、魔族の領域とあるのは魔大陸のものか?
こっちは数こそ少ないけど、情報量のたりなさが不気味だ。ひとつの発見で複数ぼこぼこ見つかりそうっていうか。
ん、まてよ?
「これたぶん鉱山か何かだろ。トンネルじゃないのが混じってる」
「そうなのかい?どこでわかるのかねえ?」
「ここだよ、ほら」
誰かの一次調査らしい資料の一部を指差した。
「これだよ」
「む?」
それは写真っぽい写し絵みたいなのと、状況の解説があった。
「これのどこで、鉱山と推測できるのかねえ?」
あくまで推測って事もわかるのか。さすが。
「ほらここ。それから、ここの地形と道路図を見て。
仮にこれがトンネルだとして、どこに抜けるトンネルなんだ?先がないんじゃないか?」
「……なるほどだねえ」
ふむ、とオルガは頷いた。
「では、これらのポイントはその検証としようかねえ」
「検証?」
「かりに鉱山だった場合、今は廃坑という事になるけど……今は昔とニーズが違うから、何か使えるものが採れる可能性があるねえ」
「ああ、そういうことか」
なるほどね。確かにそれなら、坑道と判明したなら別途、そっちの専門家を派遣すりゃいいって事か。
「ならば、比較的ここに近いところから検証に行くのがいいかな。オルガ、君の予定はどう?」
今まで聞いた話だと、定期的に見回りやチェックしているものがあるみたいだからな。確認しておかないと。
「とりあえず再来月まではフリーだねえ。ただサイカ商会には連絡を絶やさない方がよさそうだけどね」
「へ、何かあったのか?」
「何かあるといえば、常に何かあるんだけどねえ……ちょっと気になる事があるのだね」
「……ほう?」
なんだろう。
オルガの言葉が俺はとても気になった。
その、なんというか。
すごくやばい予感というか、悪寒というか。
「オルガ、気になる事ってなんだ?」
「今のところは予感めいたものにすぎないんだが……気になるのかねえ?」
「ああ、とても気になる」
「思い込みにすぎないかもしれないよ?少なくとも今はまだ」
「それでも頼む。もしかしたら何か出てくるかもしれないだろ?」
「わかったねえ」
ふむふむとうなずくと、オルガはお茶のカップを手にとった。
「……ここ二年くらいなんだけどねえ、各地のエネルギー炉、特に空間に関する技術が使われたエネルギー炉が一斉に不調を訴えてるのだねえ。
ハチ。クリューゲル道の多次元相転移機関を停止したのは君たちだったよねえ?」
「ああ。すまん、なんか迷惑かけちまったか?」
「いや、逆だねえ。むしろお礼を言いたいね。
実は、あのシステムを何とか停止させたかったんだけどねえ。あのムカデだらけの空間にどうしても手が出せなくて困っていたんだねえ。しかも本体が異世界技術で動いているから対応法も不明だったし。
だから、それはいいのさ。
問題は、あのエネルギー炉に異変が起きたのも、ここ数年の間って事なのさね。
それまでは、少なくとも千年以上の間、まわりはともかくあの炉そのものは常に安定して動き続けていたんだが」
「そうか」
なんというか……それは確かに俺も気になるな。
「……なぁオルガ」
「ん?なにかねえ?」
「その、異変が起きている炉の位置を、一枚地図にまとめて見られるか?」
「見られるねえ。『投影』……これでいいかねえ?」
「お」
俺の脳裏に、唐突に地図らしき映像が結ばれた。
それは地球儀ならぬ世界儀……いや、なんていうんだ?要はね今いるこの惑星を地球儀のように球体にしたイメージだった。
「このオレンジの光点が炉か?」
「そうさね。黄色が正常なもので、明らかにおかしいものは赤、停止中のものは青になっているねえ」
「……普通それだと、止まってるのは灰色にならないか?」
「それだと白と区別がつかないねえ」
「白?」
「ああ、そういう事かねえ……稼働中は白で現しているんだねえ」
「ありゃ」
「ハチの世界じゃ、こういう時の色使いはどうなっているのかねえ?」
「青が正常、赤が異常で黄色は要警戒ってとこかな?白や灰色と停止中とか対象外って感じ?」
どうやら色使いのセンスが地球と違うみたいだな。
それを聞いたオルガは得たりは笑った。
「とりあえずハチのセンスにあわせようかねえ。ハチの意見を求めるんだから」
「すまん。頑張って慣れるわ」
「急がなくていいのだねえ」
そういうと、再度またデータが送られてきた。
「うわ……見事に各大陸に広がってるな」
全大陸に広がってるっぽいなぁ。
「西大陸方面は現在、別の意味で危険だから手を出してないのだけどね」
ふむふむ。
……ん?
「ん?何かあったのかねえ?」
「いや……あるといえば、あるんだけどさ」
地図を見ていて、俺は妙なことに気づいた。
中央大陸。
南大陸。
東大陸が、これだよな?
……なんかヘンじゃね?
「オルガ……魔大陸はどこにあるんだ?」
地図がおかしいのだ。
まず、ここを中心にした地図があるんだけど、なんていうか……縮尺が正しいのなら、ここは大陸じゃない。四国くらいの広さの『島』らしい。
それはいい。
かつて日本映画の大スターだったテキ屋の口上の『島の始まりが淡路島』じゃないけどさ。大陸のそばに大きな島があって、そこにその国に民族のルーツがあるとか、そういうのってよくある事だと思わないか?
だけどさ。
地図を見ている限り……大陸にあたるもんが全然見当たらないんだよね。
「ん?……あー、そういう事かねえ」
ぽん、とオルガは手を叩いた。
「ここは魔族の領域だし、今はハチも同族のようなものだ。話しても問題ないだろうねえ」
「?」
「ハチ。実はいわゆる『魔大陸』っていうのは存在しないのさ。私たちは『魔族の領域』と呼んでいるのだけどねえ」
「……は?」
な、なんじゃそりゃ?
「魔族の領域の正体は、いわば群島。大小無数の島々を古代から橋やトンネル、そして近年では転移門などで結んだもの。確認されているだけでも二百万を超える島。明らかにこの世界に属さない異界の諸島群『カリオ』を含めた推定総面積で、南大陸のそれに匹敵する混沌の空間。
これがつまり、我らが世界、人族の世界で魔大陸と呼ばれるものの正体なんだねえ」
「……マジすか」
「ああ、マジなんだねえこれが」
クスクスと楽しげにオルガは笑った。
「魔族が元々、大きな魔力と裏腹に肉体的には脆弱な種族なのは知っているだろう?
これは、人間族から進化する際、本来なら肉体の強化に用いられるようなリソースまで魔力の強化に割り振ったためだと言われているけどねえ。おかげさまで我々魔族のはじまりは悲惨なケースも少なくなかった。特に人間族には好き放題にされていたらしい。
そんな中、東に、東にと逃げ延びた大昔の魔族はこの島にたどり着いて……そこで、ある出会いを果たしたのさ」
「出会い?」
「記録によると、この地に残った、ただひとりのアマルティア人。それとドワーフの研究者だったといわれてるねえ。
彼らは辿り着いた魔族の話を聞いて憂慮し、そして、魔族の連れていた犬に着目したのさ」
「犬?当時の魔族は犬を連れていたのか?」
「おかしいかねえ?地球でも犬は、人間そっくりの殺人ロボットの化物と戦うために用いているんだろう?」
「それは映画の話だ」
「?」
とはいえまぁ、犬を使う方向性は間違ってないと思うけどな。
「すまん、話の腰を折った。それで?」
「その犬たちは魔族と共にあった影響で、その魔力の影響を受けて変質が進んでいた。わずかな世代のうちに変質し、魔犬に進化していたんだねえ。
だけど、中にはうまく順応できず、死にかけている犬も少しいた。
その犬をかわいがっている家族と彼らは相談の上、その死にかけた犬たちをベースに強化を行い、今のケルベロスにつながる最初の個体を作成したのだねえ」
「当時から頭3つだったのか?」
ランサの頭をなでながら、ふと思った事を聞いてみる。
「いや、最初の個体は単に超強化された犬だったらしい。3つ頭になったのは、その後の自己進化の結果らしいねえ」
「自己進化……」
いったい、どんな経緯で頭3つになるなんて進化をしたんだろ。
「ケルベロスはどんどん増えた。
彼らは知っての通り、幼体のうちから戦闘力は高い。しかも魔力の強い個体との親和性が高く、逆に人間族には絶対に懐かない。そうだろ?」
「それはつまり……魔族のために生み出され、人間族を仮想敵としていたから、という事か」
「そのとおりだねえ。
しかも、魔族と暮らす限り、どうしても大きな魔力にさらされる事になる。大人はともかく乳幼児ともなると、周囲への影響を思って魔力を抑えるなんて事はしないからねえ。そばにいられるのは自身も魔力の強い個体か、魔力に対抗する手段をもつ存在だけなのさ。
だから、生存戦略としてもそれは正しかったんだねえ」
「ふむ」
「話を戻すけど、そうやって魔族はこの地に住み着いたのだねえ。
だけど、防衛手段を得て種族として繁栄しはじめると、やはり島ひとつでは限界があるのだねえ」
「それで、あらゆる手段で周囲の島々にも広がって……ついでに交通の利便性でそれらを繋いでいった、と?」
「そのとおりだねえ」
にっこりとオルガは笑った。
「ただ問題として、どんどん新しい島が開拓され、また新しい通路が作られたり破棄されたりしている関係で、あまりにも全容が混沌としてしまっているんだねえ。
特に何万あるかも知れない古いトンネルや橋についての資料が更新されてなくて、まとめてくれる人が常に求められているのだけど……」
「いやまて、おい」
そったら期待に満ちた目で見られても。
ああ、しかし、うん。
何万っていう未知のトンネルや橋梁かぁ。
それは…………クソ、すげえ見てぇ!
ただの軽四だった昔のキャリバン号で隧道見物してた頃の血がうずくわ!!
と、その時だった。
いや、特になんというわけじゃないんだが。
ふと巡らせた視界に、アイリスの姿が目に止まったんだけど。
「……」
なんだろう。
アイリスが何か、見たこともないような深刻そうな顔をしてる。
「……」
声をかけようとして、一瞬なぜか声が出なかった。
たった今まで浮かれていたのに。
まるで心に冷水をぶっかけられたみたいだ。
いや、ままよ!
何かしらないが非常事態っぽいのは間違いないんだ!
俺は震えそうな声を必死に抑えつつ声をかけた。
「アイリス、どうした?」
「!」
その瞬間、アイリスはギョッとしたように俺の顔を見た。
今にも泣きそうな……そして、
「パパ……どうしよう」
「なに、どうした?」
「グランドマスターから……全眷属に緊急指令だって」




