人々の思惑
南大陸、コルテア首都ジーハン。
その下町の片隅にある、薄汚れた小さな飲み屋。
ここは見た目こそボロボロだが、いわゆる老舗のひとつだ。コルテアが今のような国になる前の旗揚げが行われた店でもあり、周囲にはこの国のSPの宿舎をはじめ、コルテアの治安関係がずらり。こじんまりとした見た目と裏腹に、ジーハンでも指折りの安全地帯である。
そんな飲み屋の片隅で、スーツ姿の山羊人の女と、野性味溢れる黒猫女が軽食をとっていた。
この店は確かに昼もやっている。しかし昼間のランチむけの安価な設定などないので、普通に食事をとるとバカ高くなってしまう。だから普通の客はその時点でまずよりつかない。もちろん二人もその意味で、明らかに普通の客ではなかった。
「すると、聖国を除く中央大陸の全ての国からハチを討伐、あるいは捕獲せよとの『命令』が来たニャ?」
「ええきたわ。なんでもシャリアーゼは亜人に最も近い国であり、人間族の『命令』に従うのは当たり前なんだそうよ?」
「なりふり構わなくなってきたニャあ。で、どうするニャ?」
「あら、そんなの決まってるでしょう?」
ふふっと山羊人、アリア・マフラーンは笑った。
「他国の命令を受ける謂れはないって門前払いしたわ。シャリアーゼ『支局』でなくコルテアの名で、しかも私の名でね」
「ついに動いたニャか……」
元々、シャリアーゼ側には人間族のニセ首長がいて、その者が窓口になっていた。まぁ実際は、たまたま見た目が人間族ぽいだけの新世代で、定年間近の役場職員なのだが。
その者を通さずアリア自身が、しかもコルテアの名で門前払い。
つまりそれは、全ての人間族国家への敵対表明に等しい。
「勝算のほどはあるかにゃ?」
「ウエストさんをご存じでしょ?
彼が随分と活躍してくれてね、各国にある獣人族のパルチザンや聖国の法王庁、あとケラナマーとも交渉ができたの。おかげさまで、南大陸・東大陸ネットワークにケラナマーと聖国を加える準備が急ピッチで進行中よ」
「なるほど、そういう事かニャ」
「え?」
「東大陸でキ民連が急に動き出したのを気にしていたニャ。中央大陸の情報がこのところ届きにくくニャってたが、そういう事かニャ」
「そういえば、ハチさんたちも東大陸よね?今はどちらに?」
「最後の連絡内容からすると、予定通りならもう魔族の領域ニャ」
「え、もう?ずいぶんと早くないかしら?」
「途中でキ民連が動き出したり政変騒ぎがあったニャ。で、それを避けるためにショートカットしたようだニャ」
「ショートカット?」
「旅人ならでわの抜け道を使ったようだニャ。詳細はこっちでも不明だニャ」
「???」
首をかしげるアリアに対し黒猫女、サイカ・スズキは、静かに微笑んだ。
どうやら驚愕情報については何も伝えるつもりがないらしい。
「話は戻るニャけど、使者はどうしたニャ?追い返したニャか?」
「私たちは何も、と言いたいところだけど北ジーハン側の各国大使が追い出したみたいね」
「ほほう」
「もちろん、彼らは正式に亡命を求めてきたわ」
「ニャんと」
ちょっと前までのシャリアーゼを知る者なら驚愕で顎が落ちかねない内容だが、もちろんサイカは驚かなかった。
「今いる各国大使は、本国かリャ左遷されてきた人たちだしニャあ」
「そうなのよね。ナムラの大使なんて、やっと正式に結婚できますって奥様とお礼にいらっしゃったし」
「ナムラの大使夫人というと、確かアリアの親戚じゃなかったかニャ?」
「いとこよ。さすがね、非公開情報なのに」
「個人的に面識があるだけニャ。アツアツなんでよく覚えているニャ」
「……あのバカ、貴女にまで見せびらかしてたの?」
「ウチの前で堂々と、後ろから角を掴むほどだったニャ」
「……勘弁してよもう」
アリアは頭を抱えた。
ちなみに山羊人や羊人族にとって、後ろから角を掴まれるのは特別な意味をもつ。
彼らのそれは大きな巻き角であり、後ろから掴まれると首から上を自由に動かせなくなる。だから、それを許すという事はつまり、あなたの好きにしてと公言するようなものだし、もし意図に反して強制すれば、強制わいせつ罪に問われる事すらある。
それを堂々とやっているというのはつまり、公然と抱き合うどころか押し倒しにかかっているに等しい。ひとつ間違えると痴女扱いである。
異種族であるサイカは、単にアツアツだと判断したようだが。
「ずっと内縁だったニャねえ。子供たちも公の場で、正式にお父ちゃんって呼べるニャね。
ケど、もう大使はできないニャ?何の仕事をしてもらう気ニャ?」
「正式にコルテア外務省に移ってもらうつもりよ」
「正式に?」
「元々彼は仕事柄、外務省にお友達が多いでしょう?最近は非公式ながら外務省でお仕事もしてもらっていたの。机も椅子もあるのよね」
「さすがだにゃあ」
「使える人は使う、それだけよ」
ふふふと笑いあう二人。
「他の大使はどうしてるニャ?本国に妻子を残してる人とか、問題ある人はいないニャ?」
「それがね、こっちに流された時点で離縁されたとか、事実上の離縁状態の人ばかりでね。帰っても娘さんにさえ蔑みの目で見られるとか、そんなありさまらしくてね」
「それは……なんともだニャあ」
中央大陸でシャリアーゼというと南の果てである。一番近い人間族の国からでも、地球でいえばサハラかモンゴルかという広大な沙漠を旅しなければならない。しかも、狭い海峡の向こうは亜人種の世界。
そんなところに送り込まれるという時点で出世の道はない。それどころか、貴族などの場合は一族の恥さらしであり、帰る場所もない者が少なくなかった。
もっとも。
継続して大使を務めている者はその全員が、コルテアが気に入ってすっかり住民化してしまっているのだけど。
「こっちで誰かと同棲はじめたとか、孤児院の院長さんになって子供たちに囲まれているとか、そんな方が多いのも事実なのよね。
あ、そういえば、売春宿から身請けしたって人もいたわね」
「売春宿?コルテアでかにゃ?」
「ええ」
確かに売春宿はコルテアにもある。
だが、コルテアの売春宿を仕切るのは兎人族だ。兎人族は男女共に性的に奔放な傾向があり、彼らが実益をかねて運営しているわけで、だから宿にいるのもほとんどが兎人族だと言っていい。たまにいる例外も経済的理由でなく、自分から売り込んできた者だけに限っている。
なのに身請けとは、どういう事なのかと。
「何年もかけて口説いたそうよ」
「あまりの熱意に彼女さんが絆されたかニャ。それはそれでドラマチックかもだニャ」
「いえ、男の子だから『彼』ね」
「む?ホスト?するとコルテア駐在中の大使に女がいたのかニャ?どこの国ニャ?」
「いいえ、ちょっと魔力帯びてきてるけど、とりあえず人間族のおじさまよ?頭がツルツルの」
「……そ、そうかニャ」
「ええ」
「……人生、色々だニャ」
「そうね。本当にそうだわ」
「マスター、一杯くれるかニャ?」
「へい」
どうやら聞かなかった事にしたらしい。
ふたりは、静かに食事を続けるのだった。
中央大陸の一角、聖国のとある都市。
国家首長による平等発言の前から、すでにこの都市では各種族が入り乱れていた。何より、この国の要とも言える聖堂教会でたくさんの異種族が、しかも奴隷でなく聖教者として働いているのだから当然であり、この町は何十年も前から混沌とした町だった。
ただし。
今までは昼間に人間族以外がうろちょろしていると、そこいらの店主に手招きされて物陰に誘導されていた。これは暴力を振るわれていたのではなく、他国からの訪問者に見られたら迫害されるからという理由であったのだけど、だから「この町の時間は日没後に始まる」というのが、一部のディープな旅人や商人たちの合言葉になっていた。
だけど、もうその必要はない。
実に百八十年ぶりの、真っ昼間からのお祭り。
太陽の高さなど知った事ではないと、町のあちこちで祝い酒が振る舞われ、いろんな種族が入り乱れて楽しんでいた。
「いやいやいや、いいねえ!やっぱさあ、酒はこうじゃないとぉ!」
「……昼間っから飲み過ぎだ」
「まぁまぁ」
そも、こんな時期に急きょ、お祭りになったのには理由もあった。
周辺国からの最後通牒。
いつ戦争になってもおかしくない、そんな空気が漂いはじめていたからだ。
『ここいらで、自分たちのスタンスをきちんと内外に示しましょう』
そういう意図の元、昼間っから聖都のメインストリートを閉鎖、楽しげなお祭りが始まったわけだ。
そんな中。
狼人族の精悍な青年が渋い顔をしつつ、ちまちまと昼食をつついている。
青年は神官服を着ていた。もっとも一般神官でなく神官兵、それも士官クラスのものだが。
「しかし、いいのかなこんなんで。戦争前だってのに」
「あら、戦争前だから、でしょう?」
「!?」
予想だにしない声に青年は目を剥き、声のする方を見た。
いつのまにか、そこにはシスターっぽい姿の美女がいる。こちらも昼食のようだ。
だが、彼女を見た青年は慌てた。
「ば、エミさ……いやエミッタ、何やってんだこんなとこで!」
「エミでいいわよ別に。いらないって言ったのに護衛ぞろぞろついてきちゃったから」
それはつまり、この店はもう安全確保したという意味であった。
だけど青年は首をふった。
「いやいやエミッタ、どこに耳があるかもわからないぞ。なので口調はそのままで」
「はいはい」
青年は肩をすくめた。
「で、どうなさったんで?法王様は?」
「おじいさまは会議の真っ最中よ。わたしも参加しようとしたのだけど、コルテアの使者がいらっしゃったところで追い出されちゃって」
「あー、そういうことか」
フムフムと青年とうなずいた。
「コルテアの使者って凄い優秀なんですけどね、ひどい女たらしって話なんですよ。そのせいじゃないですか?」
「えー、その程度の事で?」
「いやいや、あのウエストって人本当にやばいんですよ。
狼人族の可愛い女の子連れてるんですけど、その子、自分からウエスト氏の名前入れ首輪つけたって噂の子で」
「うわー情熱的。あ、それとも首輪使う何かのプレイ?」
「だぁぁ、やめてくださいよもう、いいお嬢さんが瞳キラキラさせてなんつー事いうんですか!」
「えー差別だー、聖女だって恋する乙女だしー」
「はいはい、つーか声がでかいっすよ聖女様、必要ないのに自分で身分言っちゃダメでしょ」
「カイルだって言ってるのに?」
「う……お、俺のは単にポカミスだからで!」
「えー、だったらわたしもポカミスだよぅ」
「いや、いち騎士と聖女様では重みが違いますんで、ええ」
「いやいや、差別でしょそれって?」
「いやいやいや、おのれの立場をわきまえやがれってやつで」
「いやいやいやいや、カイルこそ、もう少しわたしを敬ってほしいんだけど?」
「ドヤ顔のバカ聖女め」
「何よぅ、不良わんこ騎士」
「わんこいうな!」
「うっせー」
たちまち始まった口げんかだが、周囲は苦笑いしてみているだけ。
ちなみにこのカイルなる狼人族の騎士は、エミ・タカツカサ・シターヴァ嬢の幼なじみである。カイルの家はシターヴァ家で代々仕事していて、カイルも小さい頃から、守り手としてのイロハを交えつつもエミと一緒に育てられた。
まわりはそれを知っているので、気安いふたりの会話にもいちいち頓着しない。
ずいぶんと仲のよさそうな、わけのわからない言い合いは続いていた。




