ハチ式カレーと昔話
『ケンちゃん、豚汁とカレーの違いを知ってる?』
『え、何だろう?なんなのターさん?』
『それはねえ。味噌仕立てだと豚汁、カレールーだとカレーなんだよ』
『……たったそれだけなの?』
『作り方は色々あるから断言はしないよ?でも、一番簡単なのはそうだよ』
『へぇ……』
俺はもともと、キャンプしながら旅をする事を『安く上げる方法』だと思っていた。だから煮炊きも最低限で、時間のかかる煮込みを外でするなんて考えもしていなかった。
まぁそれを言うなら、母親と姉貴の影響もあるけどな。
彼女は昔の人間で、三つ上の姉貴には小さい時から料理を教えたのに、俺には絶対教えなかった。それでも俺が辛うじて炊飯器でごはんを炊けたのは、母にご飯づくりを任された当時小4の姉貴が、小1だった俺に手伝わせてごはんを作ったからだ。
加減の全然わからなかった俺は三十分も米を研ぎ続けたり、小1のガキには手の届かないところにあった、重い炊飯器をおっことして壊すわとさんざんだったが、まぁそれはいい。そんなわけで俺は炊飯というスキルを得て、後にもめしを炊く事にかけては色々やった。
だけど、おかずづくりはやった事がなかった。
結局、俺がはじめて自分で魚を解体したには二十二歳の夏。北海道は屈斜路湖にある某アイヌコタンで、アイヌのおばあちゃんに手ほどきをしてもらった。その技術はその後の旅で生きまくり、南の島ではカワハギやハリセンボン、ウミヘビまで解体するハメになった。
そう。
俺、健一式の簡単カレーの作り方も、そんな旅の日々の中に学んだ事だった。
夕刻。
カレーは十分で作るようなものではないので、少し早めに準備にとりかかる事にした。
場所は本宅前。一応、キャンプ用タープを一枚張ってその下で作業しようと思ったんだけど。
「これでいいかねえ?野外作業用の簡易シェードだけどねえ」
「充分。いいの持ってるなぁ」
なんとオルガは、学校行事で使われるような、あの布製のテントそっくりなのを持っていた。もちろん素材や骨組みは全然違って軽いけどな。
「以前、合同調査やった時に使ったものだねえ」
「なるほどな」
その下に即興でかまどをこしらえようと思ったんだけど、ちょっと考えを変えて面白いものを思い出から取り出してみた。
「なにこれ?」
「ロケットストーブっていうんだ」
煙突を組み合わせて作ったような、不思議な形。前にネットで見た、誰かの自作ロケットストーブだ。
ほほう、とオルガが目を細めた。
「また面白いものを出すねえ」
「もしかしてわかるのか?」
「似た発想がないわけじゃないからねえ。で、ここの上で煮炊きするのかねえ?」
「そうだ。ちなみに枯れ木はあるか?ああいや、いい」
どこかで見た廃材をいくらか召喚する。
「アイリス、マイを呼んできてくれ。あいつなら簡単に薪にしちまうだろ」
「わかった。ちょっと待ってね」
俺の野営時のカレーの作り方にはいくつかあるが、誰かと食べる用のレシピというと残念ながら二つしかない。
で、そのうちのひとつは何日もかかる長大なものなので、もうひとつの方。別に名づけているわけではないが、名付けて『炒めて煮るコース(仮)』をスタートする。
といっても大したものでなく、単に食材の表面、特に肉類や魚の表面を炒めてからまとめて煮る手法だけどな。
そんでもって、辛いルーでまとめて終わりにするという、料理の得意な人が聞いたら激怒しそうなレシピだ。
だから、このレシピを人前で使う際には絶対の条件がひとつある。
それはつまり、野営でしか披露すんなって事だな。
こんな乱暴な作り方のカレーを家で作って、おいしく食べられるわけがない。外で食べるからこそ食えるもんだ。
だから俺はオルガの自宅キッチンでなくて、外で始めたわけだしな。
さて。
そもそもこの手法は珍しいものではないけど、実のところ料理音痴だった俺がこれにたどり着いたのは偶然だったりする。要はカレールーがとろんと溶けていくまで肉や魚の風味を汁の中になるべく流出させないようにと思うと、先に炒めておくのが一番いいと思った。ただそれだけの話なんだよ。
ま、北国で煙突つきストーブの上でゆっくり作るならこの限りではないのだけどな。
それが正しいかどうかは知らない。
だけど、俺は常にそうして作ってきたかな。
まずは、火元の仕込みから開始する。
「薪、デキタ」
「お、ありがとよ。そこに一束ほどツッコんでくれ。……よしそれでいい」
薪の束の後から、乾いた松の葉っぱをちょっと押し込む。
で、ポケットから、例のお手製魔法陣チャッカマンを取り出して火を入れる。
松の葉に移った火は、面白いようにロケットストーブの中に吸い込まれ始める。
よしよし。うまく燃えだしたぞ。
このロケットストーブってのはよくできていて、自然にどんどん中に炎を吸い込み、中で燃やしていく。あまりにも激しく燃えるため、薪の追加が忙しいくらいには。本当によく燃えるんで、震災の時なんかも大活躍したらしいぞ。
燃焼台の上を確認するが、急速にこっちも熱くなりはじめているのでフライパンを乗せておく。
あ、ちなみにこのフライパンは鉄のやつだ。アルマイト加工をこういう直火にさらすとアレだからな。
発熱開始した事を確認すると、フライパンと、それからズンドウも水をはって乗せておく。んで、さらに薪をくべて火力をあげていく。
「たき火が元にしては放熱開始が速いねえ。これは特殊効果を狙った構造なのかねえ?」
「煙突効果ってのを利用しているんだと思う。
熱いものは上にいく、その仕組みを使って負圧を起こし、下から新鮮な空気を吸い込んでさらに高熱を発し、そのエネルギーでさらに負圧を高めるって感じかな。ほら」
「ふむ。いやはや、火器に関する異世界の技術は本当に面白いものだねえ」
興味深そうに見ているオルガの横で、俺は耐熱式のグローブを手にはめ、フライパンを手にもった。
材料の仕込みを始める。
今回はテストの意味もあるので、現地素材は使わない。全てを思い出の中から呼び出してみよう。
肉は牛肉をいくらかブロックで。
野菜はタマネギ、ニンジンが中心。ジャガイモは趣味の問題で少な目に。ゼロでもいいけど、少し欲しいよな。
タマネギは煮ると甘味が出るから少な目に。
それから、月桂樹の葉っぱを一枚。
え?そりゃ何だって?
巷ではローリエっていうんだと思うけど、うちの母は月桂樹の葉って言ってた。俺はこっちの言い方が好きなんだよ。
といっても適当だ。あまり大きくならない程度に野菜をぶったぎる。
手ごろなサイズに切りつつ、肉の面倒もみる。
「よし」
表面が炒められたのを確認するとフライパンをあけて、次に野菜を投入。
本当はタマネギから始めるのがいいと思うけど、俺は豪快に全部まとめてだ。
まぁ、こんなやりかたをするからおいしくないんだろうけどな。
ところで。
「ねえオルガ」
「何かねえ?」
「いや、何やってんの?」
「いやなに、ちょっと待ち時間に思いついた事を試そうと思ってねえ。……それ」
懐から何か金属のインゴットみたいなのを取り出したかと思うと、いきなり魔法で加工を始めちまった。
へえ。器用なもんだなぁ。
「それは?」
「そのストーブの原理を推測して模型を作ってみるのだねえ。急ごしらえだが一応は鉄だねえ」
「魔法で鉄の加工できるのか。便利だなそれ」
「工学魔法というものだねえ。もっとも実際によく使うのは鍛冶師が多いけどねえ」
そりゃそうだろうな。
そんな話をしているうちにも、オルガの手の中で小さな鉄製のロケットストーブができた。
へえ。見事なもんだ。
ふと思いついたので、思い出から白く四角いタブレットを取り出してオルガに渡してやる。
「これは何かねえ?」
「タブレット型の固形燃料さ。中身はただの固形化したアルコールなんだけど、小さいし試すのによくないか?」
「ああなるほど。いいのかい?」
「それのサイズに合うかなと思ったんでね。あ、そこのミニテーブルの上でやれよ、耐熱だから」
「わかった。では使わせてもらうねえ」
できあがった模型は小さなもので、キャリバン号に積んであったミニテーブルでちょうどよかった。オルガはその上に模型を乗せると、燃料置場にタブレットを突っ込んだ。
俺は水の魔法陣で軽く手を洗うと、さらに炒めものを続けていった。
「よし」
炒めあがる頃には、ズンドウの水の方も煮えてきた。
よし、ズンドウを真ん中にもってきて、そこに野菜をぶちこみ煮込みだす。
「肉をまだ入れないのは、精霊のしわぶきをとるためかねえ?」
「は?精霊のなんだって?」
「ほら、野菜を煮ると出てくる、うまくない部分の事さ」
「……俺の推測が間違ってないのなら、それは灰汁というんだ」
「悪?」
「……たぶん間違ってるぞソレ」
「ふむ?」
あとで訂正してやろう。
よく煮えてきたところで表層の変なものをすくって捨てる。
そして状況を見てメイン武器、もといカレールーを取り出した。
かつて俺が旅の中で最も愛用していた、ジャワカレー辛○の業務用大型パッケージ。
「それは何だい?」
「これはカレールーだ」
「カレールー?」
「カレー粉から直接作ると面倒だから、ある程度の材料やら何やらをペレット状にしてあるのさ。味噌のように溶いて使う」
「なるほど。強烈な匂いだねえ」
オルガはカレールーをじっと見て、それだけ言った。
質問は後回しらしい。
カレールーをお玉に入れると、ズンドウの中でお湯に溶き始める。
「……」
次第に広がっていくカレーの香りに、え、なにこれ、と皆が注目しはじめた。
「な、なにこれ、すごい匂い」
「ワゥ?」
あ、しまった、タマネギ入れちまったからケルベロスはやばいんじゃないか?
「なあ、この世界の犬って、タマネギは大丈夫なのか?」
「タマネギ?」
「これだこれ」
残っているタマネギだとよくわからないと思ったので、さらに一玉召喚して見せた。
ふむむと見たオルガが少し悩み、そして言った。
「見たところ、コラルドの類みたいだねえ。確かに毒になるかならないかっていうと毒になるけども」
そこで苦笑するようにオルガは言った。
「コラルド料理でケルベロスが倒せるなら、人間族は今ごろ魔族の領域で好き放題しているだろうねえ?」
「大丈夫なのか?」
「確かに毒だけど、ケルベロスの対毒力で分解してしまうから問題ないねえ。むしろこの料理の場合、刺激の強さの方が問題かもしれないねえ」
「なるほど。焼肉も同時進行しとくかな」
鉄板を一枚追加すると、カレーにぶちこんだのと同じ牛肉を数枚召喚した。
やがて、世間話などしつつコトコト煮込み……やがて完成となった。
ちなみに、異世界組のカレー初体験の感想はというと?
「辛いよ。辛い……パパ、おかわりー」
「汗だくだねえ。辛いねえ。ハチ、もう一皿」
「オ・カ・ワ・リ」
「どんだけ食う気だおまえら!?」
俺の食う分まで食い尽くされたあげく、二回戦まで作るハメになったのだった……。
ははは。




