男の娘(おとこのこ)
車庫にある扉をくぐると、そこは何というか、イベントホールの入口広場のような場所だった。
やたら広く、そして多角形になっていた。そして多角形のそれぞれの面には扉がひとつずつ着いていて、俺の知らない文字でその上に小さく説明がついている。魔大陸の文字か?
ホールの中央には、虎くらいの大きさの真っ黒なケルベロスがいた。初見ではあるのだけど、そいつの雰囲気には覚えがあった。
そう。
たぶん、オルガとはじめて会った時に連れていたケルベロスだろう。あのときは小さかったけどな。
「ササヒメ、■■■■」
「オンッ!」
オルガがケルベロスにやさしく語りかけ、それにケルベロスが答えた。
ササヒメね。やっぱり日本語かな?という事はメスなんだろうけど。
しかし、今オルガが言ったのが魔大陸語か?こっちもさっぱりわからんな。
振り返ってみると、俺たちの出てきた扉も同じだった。そして、その上にはやはり文字があって、やはり読めない。
ふむ。同じ文字なのは雰囲気でわかるんだが。
「さて、ここはメインホールだが……どうしたハチ?」
「あーいや、文字が読めないなと」
ああ、とオルガは手を叩いた。
「アイリス嬢、ハチの言語面サポートはどこまでやっているのかねえ?」
「今は、東大陸主体で深度四です。魔族語についてはお任せします」
「わかった。ではハチ」
え、と思った時には顔を両手で挟まれていた。
いやちょっと待てオイ、これじゃどっちがヒロインかわからんぞ。
逆らう間もなく唇を重ねられたが、そのうち変化が起きた。唇がこじあけられて、オルガの舌が俺の口の中に侵入してきたからだ。
こらまて、女からベロチューするのかおまえ!?
だけど、そう思ったのは一瞬だけだった。
次の瞬間には、オルガの口から魔力が流し込まれ、俺の体内深くに入り込みだしたからだ。
な、なななな何だこれ!?
『怯える必要はないねえ。言語理解用の中枢に直接、魔族語を書きこんでいるんだねえ。こうすれば翻訳術式がなくとも使えるようになるからね』
『!?』
頭の中にオルガの声が響き渡った。
一瞬とも永遠ともつかない時間が終わり、ふと気づくと俺はフワフワしたものに身体を預けていた。
「気分はどうかねえ?」
「あれ?俺」
ふと見ると、フワフワしたものは元のサイズに戻ったランサだった。
「おはようランサ」
「オン……」
ああ。
こいつ最近とうとう、大型犬サイズになりつつあったんだよな。いきなり元サイズでご対面は珍しいが。
「俺、いつのまに寝てた?」
そういうと、オルガは申し訳なさそうな顔をした。
「うむ。ハチの中にどっぷりと注いだのだけどね。はじめてとは知らなかったんだねえ、悪かったねえ」
「ちょっと待てオルガ」
「何かねえ?」
「他意はないのかもしれないが、言い方と目つきがエロい。状況説明時は普通に話せ」
「……わかったねえ」
クスクスと笑うと、オルガは説明してくれた。
「ハチ、君は自分以外の魔力を体内に、しかも強く送り込まれた事がないのだねえ」
そうなのか?でもアイリスは、
「アイリス嬢がハチの負担になるような事をするわけがないじゃないか。違うかい?」
「……違わないな」
なるほどと納得した。
ちなみに余談だけど、この場にいるのは俺の方がアイリスとランサで、アイリスの左手首にはルシアの蔓草が巻き付いている。マイは留守番するとの事でルシアの本体と共にキャリバン号に残っている。
で、オルガのツレはというと……。
「改めて紹介するよ、ササヒメだ。といっても一度会っているけどねえ」
「やっぱりあの時の子か」
ランサより一回り大きい。
それにランサに比べて荒々しい感じがする。凛々しい女の子なのかな?
と、そんな事を考えていたら、アイリスがなぜかランサを見、そしてササヒメを見ている。
ちなみにランサも黒いけど、厳密には黒というよりこげ茶に近い。それに狼犬のような精悍さの中にも女の子という事か、オリジナルサイズに戻ると何ともいえない優美さも伴っている。カッコ可愛いって感じか?
だけどササヒメは違う。本気で漆黒で、そして俺でも感じるほどに野性的だ。本当にメスなのか?
そんな俺の気持ちをまるで代弁するかのように、アイリスがオルガに質問していた。
「ねえオルガさん、ササヒメってもしかして……」
「うん?ああ、もちろんササヒメはオスだねえ。ランサ嬢と仲よくしてくれると嬉しいねえ」
「まてやオイ」
思わず俺は全力でツッコんだ。
「そのササヒメって名前、由来はなんだ?」
「異世界の手紙からとった名前だねえ。ササというのは何かの葉っぱらしいんだけど、見た目は綺麗だけどとても繊維が強くて子供が怪我をしたというものでねえ。男の子の名前に使うのはいいんじゃないかと思ったのだねえ。
あとは何となく響きがいいかもってねえ」
「確かに、いい響きだねえ。ちょっと優美な気もするけど」
「おや、アイリス嬢はさすがだねえ」
いや、全然さすがじゃねえから。色々間違ってるから。
「……盛り上がりに水をさすようで悪いんだが」
「なんだねえ?」
ぽりぽりと額をかきつつ、俺は言った。
「日本語でヒメっていうのは姫と書いて女の子の事だぞ。それも上流階級の」
「……ハイ?」
いや、ハイじゃないってばよ。
「ついでに言うと、日本語的には笹も女の子のイメージだな。
結論からいうと、ササヒメという名前を聞いて男の名前だと思う日本人はたぶん、少なくともここ二千年くらいじゃ皆無だと思うぞ」
「……」
「……」
オルガはともかく、アイリスまでフリーズしているのはなぜだろう?
それにしても、だ。
日本で近年、エリカだのアリスだの、外国名に漢字の音を適当にあてた名前がやたらと流行していた事があるけどさ、昔からああいう名前を使ってきた地域の人にはどう見えるかって事も考えるべきじゃないかと思うんだよな。ほら、たとえば『ハイジ』だって、現地じゃ男の子につけるような名前だったり、当時でも時代錯誤に古臭い名前だったというし。
勘違いそのものは仕方ない。だって見知らぬ外国の名前なんだから。
だけど、プロの小説家ですら女の子にポセイドンってつけちゃった人がいるそうだから、素人なら言わずもがなだろ。
うっかり恥ずかしい名前をつけてしまわないようにする最良の方法は、やっぱり太郎と花子みたいに、同郷人にわかりやすい、使い古された名前が一番って事なんだよな。
突然の男の娘事件やら何やらでハプニングがあったが、とりあえず一行は落ち着いた。
「ササヒメ、ランサに興味あるのはわかるけど無理はいけないねえ。まだこの子は子供すぎる」
「オン!」
わかってるよー、と言っているようだった。
どうやらランサもササヒメが気に入ったようで、二頭で尻尾ふりふり遊んでいるようだ。でもランサがまだちょっと子供すぎるせいか、単に三つ首のわんこが二頭じゃれあっている以上の光景ではない。
まぁ、虎サイズと大型犬サイズなんで、迫力が半端ないけどな。
ところで。
「この扉の一つ一つなんだけど、やっぱりそれぞれの施設に通じてるのか?」
「ああ、その通りだねえ」
文字が読めるようになったので早速読んでみると、行き先は大きく分けて四つに分かれているのがわかった。
「ただの扉になっているのは、今出てきた車庫からの扉と、右の『出口』という扉のみなのだねえ。他は転移門になっていて、四つの行先に飛べるようになっているんだね。
たとえば、そこの『南東大陸むけターミナル』というところを抜けるとそちらにも車庫があるんだけどね、そこを出ると三つの転移門が用意されていて、それぞれに南大陸のトロメの海近く、東大陸はエマーン近郊、そして東大陸東岸のジャンバ近くに行けるようになってるのさ」
「あ、もしかして前に逢ったあそこか?」
「ご名答。そこの通路を使ってクルマと組み合わせれば、二時間後にはトロメの湖畔に居られる事になるねえ」
へぇ、そりゃすごい。
「もしかして、それぞれの扉もいろんな所に行けるのか?」
「いや、違うねえ。ターミナルは基本的にこれと、あとは旧帝都マンカスむけのものしかないのだね。北大陸や西大陸には道を開いていないし」
「マンカス?」
「ケラーナ大陸の……そうか、ハチならば中央大陸といった方がよかったかねえ。中央大陸に昔あったマガリア帝国って国の首都さ。今は影も形もないが……一応、ハチに出会ったバラサの町あたりだって、当時はマンカスの郊外だったんだよねえ」
「へぇ……」
そういや前に現在位置を確認した時、マンカスの名を見た事があったっけ。
「西大陸や北大陸に道を開いてないのには理由があるんですか?」
「特に理由はないねえ。
もともとこの転移システムを用意したのは今はなき母様なんだけど、父様も含めた私たち三人そろって西大陸と北大陸にはあまり縁がないのだねえ。
まぁ西大陸はそれ以前に、以前は人間族が強すぎて色々とやりにくいっていうのもあったんだがねえ」
「……あった?過去形なのか?」
「人口減少が著しいのだねえ。百年後には、なかなか自由にやれるようになると思うのだねえ」
へえ。
そういや、そういうマクロレベルのいろんな話を俺は知らない。
まぁ実際、必要なかったからな。軽いトピックとしては色々聞いたし勉強もしたけどさ。
「オルガ」
「何かねえ?」
詳しく教えてくれないか、と俺は言おうとしたんだけど、その瞬間。
ぐるるるう、きゅるるるう……と、謎の音がした。
「ん?今の、誰の腹の音だ?」
「パパだねえ」
「ハチのようだねえ」
「……即答するなよ」
「いや、何をキョロキョロしているのかと」
「誤魔化したかったんじゃないかねえ」
「あ、そっか。パパ、お子様だから」
「男はみんな似たようなもんだと昔、父様が言っていたけど本当にそうだねえ」
うるせえっての。
オルガは何故か楽しげにクスクス笑うと、
「まぁいい、では食事にしようかねえ。
ここメインホールは中継所だから飲食設備はないのだねえ。あちらにしようかね?」
「あちら?」
オルガは扉のひとつを指差していた。
「フォライアス。あっちが昔も今も、私の本宅になっているんだねえ」




