魔大陸
とりあえず駅を出る事になった。
「お茶しながら話し込んでおいて何だけど、ここはわずかとはいえ人体に有害な力が働いていてねえ、私たち研究者であっても、ここで寝泊まりする事は基本的にしない事になっているのだね」
「じゃあ夜はどうしてるんだ?」
「少し距離があるのだけど、近くに野営地があってね。元はただの野原なんだけど、安全な水場が近くにある高台という適地でね。誰かが設備を整えて、誰かが土地を整備して。今じゃいい環境になっているねえ」
なるほど、自然発生の野営場か。
「じゃあ、そこに移動するのか?」
「実は、私の本宅もその近くにあるのだねえ。最近は作業場にすぎないのだけど、とりあえず全員がくつろげると思うねえ」
「わかった。じゃあどうする?オルガはバイクで移動だから、ついていけばいいのか?荷物ならこっちで引き受けるぞ?」
荷造りって、慣れていても時間がかかるものだ。キャリバン号に放り込んでおけば早かろう。
だけど、そんな話をしていたらアイリスが割り込んできた。
「オルガさんはパパの隣に乗ってくれる?色々お話する事もあるでしょう?」
「なんだって?」
いや、俺は一瞬、自分の耳を疑った。
アイリスが、俺の隣を誰かに譲るだと?
思わず視線を向けたら、アイリスが悪戯っぽく笑った。
「もちろん、キャリバン号のパパの隣はわたしの指定席だよ。だから今回は特別。
オルガさん、おうちまでパパの運転をナビしてあげてくれる?」
お、おい。
アイリスとオルガがなぜか、俺を挟んでじっと見つめあってるんですけど?
どう反応していいのかわからない、永遠にも思える沈黙の後。
「……それはありがたいけど、いいのかねえ?私はハチと一緒になりたいとは思っているけど、同時に君とも良い関係を持ちたいと思っているのだけど?」
「ならば、だからこそだよ」
「……」
ふたたび見つめ合うふたり。俺は放置で。
えーとその……俺はどうしろと?
やがてオルガの方が折れた。何か納得げな顔をしているのは気のせいか?
「委細承知したねえ。では、謹んで場所をお借りするねえ」
「はい、お貸しします」
「だけどアイリス嬢、君はどうするつもりなのかねえ?」
「あのオートバイを運転して追いかけるつもりだけど?無理?」
「いや、たぶん拒否はされないと思うが、それ以前の問題だろ」
アイリスが視線を向けてきたので、そう答えた。
「アイリスを構成してるのは俺の魔力と精霊要素だからな、俺の一部と認識されるんじゃないかと思う。その意味では運転可能だな。
だけどおまえ、オートバイの運転経験がそもそもないだろうが」
「わたしはないけど、グランドマスターがあるって。わたしも運転してみたい」
なんだって?
「この世界にオートバイはないんだろ?」
「作られてないけど、過去に持ち込まれた事はあるんだって」
「ほう?それはまた興味深いねえ」
結局。
アイリスに押される形で、俺の隣にはオルガが乗る事になった。
「すぐそこだけど、よろしく頼むねえ」
「おう」
こうしていても、アイリスの視線が刺さってくるようだな。当たり前か。
あいつがどんな思いでナビを明け渡したのかは知らん。
だけどあいつの立場上、この位置は自分の存在意義そのものにも関係する場所のはず。それを譲るのが小さい事のわけがない。
テーブルセットとタブフォンなるお茶セットは回収したので、そのまま出発する。
俺はキャリバン号を発進させた。アイリスも後をついてくる。
ほう。確かにちゃんと運転してるな。
「それで、出口はどこだ?」
「そこだねえ……ほいっと」
オルガが手元で何か操作すると、建物の奥の方で唐突に何かが動いた。
おやと目をやると、さっきまでなかった大きな四角い出入口が。
「お」
「昔の機材搬入口らしいね。その性格上、このクルマなら通行可能なのだねえ」
「おけ」
迷わずキャリバン号を乗り入れた。
アイリスはどうかと思ったけど、何とかついてきているらしい。ただし、
「……あぶないな」
「ん?」
やっぱり初心者にはきついか。
俺の再現したオートバイはキャリバン号同様、浮いて走る何かだ。路面が荒れていようがなんだろうが関係ない。
だけど、こんな狭い場所で単車に乗るのは、慣れた人でも圧迫感を覚えるもの。
しかも平坦で広い場所から急に狭くなり、しかも曲がり角なんかがあったらどうなるか?
「うわ、あぶな……」
感覚が狂ってフラついたみたいだけど、ぎりぎり持ち直したみたいだ。
ふう、やべえ。
でも、これはやばいな。やっぱり一度止めてバイクは何とかしよう。
そう思ってキャリバン号を止めようとしたんだけど、
「いや、このまま上まで行った方がいいと思うね」
「なに?」
思わず眉をしかめた俺に、オルガが笑いもせずに答えた。。
「ハチ、初心者が平坦でない場所にオートバイを止めて、安全に降りられるかねえ?」
「……それは」
それは困難だ。場合によってはその場で立ちゴケもありうる。
おそらくリアルタイムでドラゴン氏のサポートも受けているんだろうけど、アイリス自身は初心者なんだ。装備重量200kgを超えるオートバイを、こんな狭所の坂道で安全に取り扱うなんて、下手すると走るよりもずっと危険だろう。
「そういう事さねえ」
オルガは苦笑いした。
「大丈夫、実は私も何度かコケたけど、最悪でも治療くらいはできるからねえ」
「……そうか」
そうか、そうだよな。
いくらアイリスが飛び抜けて有能だからって、気軽にやらせるべきじゃなかったんだ。
いや。それをいうならオルガにだってそうだ。
ここは地球じゃないから、日本の道交法なんて意味ない。意味ないけどさ。
どうして、ろくに練習もさせずにオートバイを託した?
それも、自転車もどきの小さいやつじゃないぞ。400だぞヨンヒャク。曲がりなりにも車検があって、高速道路を普通に走れるヤツだぞ。
バカだろ俺。
ああ……とりあえず、ついたら二人には謝らんとダメだな。
思わず、俺はためいきをついた。
少しカーブがあったりもしたが順調に通路を上がっていくと、その先には出口があった。
やはりオルガが手元で何か操作すると、後付けらしい出口がゆっくりと開いていった。
「こりゃあ……防火扉か何かか?」
金属製ではないみたいだが、地球にあってもおかしくない防火扉だった。
「地表に開口しているといっても、この中にあるものはいろんな意味で危険なものだからねえ。研究者以外には入らせないようにしてあるのだね。まぁ、どこぞの旅行者が入ってしまったわけだけどね」
そりゃ俺たちの事だな。
「あー、すまん。そういう背景があるとは」
「問題ないねえ。そもそも東大陸側から入るなんて非常識な存在は誰も想定しちゃいないからねえ」
「そうなのか?」
「この施設の周囲は強固な特殊鋼で固められていてねえ。現在のこの星の技術力では穴を開けられないのだね」
なるほど。
外に出た瞬間、それは起きた。
「……?」
なんだろう。この不思議な懐かしさは。
思わず窓を開けた。
外は、ただの野原だった。遠くに森や山が見えるけど、他には特に語るようなものがない。
ここは盛り上がった地表に開口した出口だったけど、出口の他にはろくな設備もない。自然の中に突然、SFじみた出入口が鎮座しているさまは、まるで何かの秘密基地のようでもあった。
地上をみると、未舗装の道らしきものがずっと伸びている。少し向こうに丘がもうひとつあって、そこには多少の石積みやブロックがあった。話にあった野営場だろう。
さらにその向こうに目をやると、そこには……結構遠いのだが、人工的なものと思われる屋根がひとつ。
「オルガ。あの遠いのが家かい?」
そういうとオルガはフフッと微笑んで言った。
「いかにも。拠点のひとつであり、元は私の生家だねえ。今は定住者は誰もいないけどねえ」
石造りのその家は、民家というより山小屋に近い外見だった。
「研究者が研究のためにこしらえた家だからねえ、環境はきちんと維持されているが見た目はこの通りなのだねえ」
「確かに。設備はしっかりしてそうだな」
本来は魔獣車を止めるものだろう車庫にキャリバン号を入れる。
「車庫入れなんて久しぶりだな」
先にオルガには降りてもらい、車庫入れを開始する。
昔、さんざ農家の親方に鍛えられたのでバックは多少できる。少なくともドアをあけて、へなへなとヨタるような運転はしない。プロドライバーのようにはいかないが、サイドのミラーの情報で後ろにさがっていく。
「はいオーライ、オーライ……」
いつのまにかアイリスが後ろにいて、的確に誘導してくれている。さすがだな。
この程度なら必要ないけど、もちろんまさかの場合もありうるからな。ありがたい。
「はいストップ!」
指定位置に停車。降車した。
見ると、オルガがオートバイをおしてきている。おそらくキャリバン号の前に入れるつもりだろうと思ったら、
「あ、そっちに止めるんだ」
「ここが定位置なのだねえ。そこは客人用だから普段は空けてあるからねえ」
奥のほうに作業区画っぽいのがあるんだけど、そこにオートバイを入れていた。
サイドスタンドをたてて、ひょいっと車体をターンさせて止める。
おや、サイドスタンドターンか。原チャリならともかく重量車でよくやるよ。
スクーター等しか乗らない人は知らないかもしれないから、ちょっと説明。
ギア付きのオートバイの場合、一部の例外を除いてサイドスタンドはフレームに直接取り付けられている。つまり高荷重に耐えるわけで、サイドスタンドを軸にして持ち上げ、狭い場所でぐるりんとオートバイの向きを変える事もできる。ちゃんとバランスがとれていれば、女の子の筋力で大型車を転回させる事もできるし、高度なライディングテクニックもいらない。
ただし言うまでもないけど、バランスどりには要注意。特に重量車や積載中の場合、何かの狂いで自爆するおそれもある。
それに、高荷重に耐えるといっても長時間耐えるわけではない。そもそも小さなサイドスタンドでは、時間をかければそれ自体が壊れる恐れもある。
そんなわけなんで、おすすめはしない技である。
要するに、いろいろと気をつけろという事だな。
『環境はきちんと維持されているが見た目はこの通り』というオルガの言葉は偽りではないようで、車庫の中は充分に広く、道具類もある。山小屋の車庫的な見た目のぼろさとは裏腹に、中身は立派そうだな。しかも広い。
どうやらキャリバン号の中同様に、魔術的なもので広げられているようだ。
ここ自体もちょっとしたペントハウスと言えそうな規模なのだけど、さらに家本体に直接つながる入り口があるらしい。
「ようこそ我が家へ。さぁ、こっちだねえ」
この世界に来てからいくつかの家に入ったけど、研究者宅とはいえ普通の家にお邪魔したというと、南大陸の村長さんの家以来だろう。
「ところで、ひとつ聞いていいか?」
「ん?何かねえ?」
「入口はこのままなのか?まぁ泥棒とかは来ないだろうけど」
なんとなく不用心な気がするぞ。
そしたらオルガはフフッと笑うと言った。
「入口には結界が施してあってね。人間族はもちろん、魔族クラスでも敵意がある者は入れないのだね」
「なるほど」
思わずポンと手を打った。
「ちょっと見物していいか?」
「かまわないけど……面白いものではないと思うけどねえ?」
いやいや、興味しんしんですがな。
入口に近づいて見ると、なるほど何かの幕がかかっているっぽい。
「触ってみていいか?」
「かまわない、というか、触れるもんなら触ってみてと言いたいとこ……!?」
「おお、こりゃ魔力の幕か?なんかあるな」
指でつついてみると、何もない空間なのに波紋みたいなのが広がった。感触としてはゼリーか何かみたいなんだが。
「こりゃすごい結界だね。効果のほどはどうなの……ってなに?」
ふと気が付くと、オルガが目を剥いてフリーズしていた。
「えっと、なに?」
「あきれたもんだねえ。さすがは異世界人」
はあ?
「オルガさん。パパはわかってないから」
「そうらしいねえ……こりゃ君たち苦労したんだろうねえ」
「まぁ、面白いから相殺ですけどね」
「なるほど」
あはは、うふふと何故か楽しげな面々。
いや、ネタにされてるらしい俺はちっとも楽しくないんだが。
「まぁ、詳しい話ならいくらでも聞いてくれていいねえ。
だけど、ここはちょっと寒いんだ。できれば中で食事でもしないかい?」
「おお、いいねえ是非」




