お迎え前
オルガ・マシャナリ・マフワンという存在は昔、自分を女だと思っていなかった。
いや、生物学的な意味でのメスだという認識は当然あった。しかし社会的な意味での女だとはカケラも思っちゃいなかった。魔族はその歴史上、ドワーフとのつきあいが長い事もあって、オルガのように研究に没頭する魔族は結構多かった。ゆえにオルガも奇異に思われる事なく、おのれの才能を伸ばしてきた。
だが、知り合いのほとんどが……厳密には、一部の堅物を除けば全員結婚している状況になったら、さすがにちょっと思うところもあった。男と違って女は子を宿す都合上、どうしても生物学的に有利な年代というものはあるもの。この世界では魔力の濃いものは長命とはいえ、それでも若い方が楽なのは間違いないので、誰ぞ相手はおるかいなと周囲を見回してみるのも無理もない事ではあった。
だがしかし、問題が発生した。
理由は簡単、ろくなヤツがいなかったのだ。
オルガの趣向は単純明快だった。
まず、ゾッとするくらい魔力がデカい事。
そんでもって、自分と同類である事。
このうち、魔力の大きな者は結構今までにも出会ってきた。オルガ自身も魔力の大きな方だが、それでも彼女は魔道士ではなく研究者だし、上には上がいるものだから。
しかし、彼女と同類的な存在となると、今まで出会った事は一度もなかった。
いや。
厳密にはひとり、限りなく同類に近い者はいた。
だがその者は真竜の眷属であり、人間ではなかった。
それでもいいと一時のオルガは思った。しかし当の眷属の方に諭され、それで考えを変えたのだ。
『君が妥協するというのなら、それでもいい。しかしそれで君は満足できるのかい?
選んでくれた事は光栄だけど、僕には大主人がいる。君だけの者になる事はできないんだよ』
別にそれでもかまわないとオルガは言おうとしたのだけど、そこで彼女は気づいてしまった。
そう。
(彼は『誰かのもの』であって『彼自身のもの』ではないのか)
それは眷属なのだから当然のことだろう。
しかしなるほど、それは自分の求める『配偶者』には不適当だとオルガは考えた。
だから彼女は彼に答えたのだ。
『つまり婚儀を結んで夫婦たらんとするからには、まず「自分は自分のもの」でなくてはならないって事?』
『全ての夫婦関係がそうだとは言わないよオルガ。でも君はそうだろう?
君は自分と同類の人間を配偶者に持ちたいと思っている。
そしてそれはつまり「自分」を強く持っている者。自分があって、はじめて他者が存在する者だよ。自分は二の次で他者が第一に来る者、つまり奉仕者が欲しいわけではないだろう?』
『当然、それじゃただの精子提供者か、都合のいい夜伽の相手じゃないの。そういう夫婦関係もあるのかもしれないけど、私には必要ないわ』
『ああ、私もそう思う。
それに、君と私なら夫婦という関係でなくとも、よき関係を持って行けるだろう?
ならば……大切な君のパートナーは、対等になれる者から選んだ方がいいさ』
そういうと、彼は優しげに微笑んだ。
それは遠い昔。まだ彼女が本物の小娘だった、もう忘れかけたほどに昔の事。
彼のいう事に納得して、でも本当は悲しくて。
そんな相手の言葉は、今もオルガの胸に強く残っている。
そんなオルガだったからこそ。
あの日、異世界人の噂を聞いて中央大陸に赴き、見てしまった時の事は忘れない。
ああこいつだ、と思った。
たくさんの人々に出会ってきた。いろんな立場の者にも出会ってきた。
だけど。
旅人の顔をした異世界人なんてものには、はじめて出会ったのだ。
(そう。あいつは)
非常に興味深かったから、とりあえず声をかけた。
そして、かねてからの疑問だった異世界人の魔法行使について、ひとつ試してみた。結果に満足し、名前と顔、魔力を覚えて別れた。
で、二度目の時は驚いた。
まだかなり距離があったにも関わらず魔力に気づいた。どんだけ急成長しているのかと。
そして。
近くまで行ったら、怖気がくるような物凄い魔力。
改めて会話してみると、まるで仲間の研究者。深い知識と思考力をもち、あくなき好奇心も併せ持つ者。
ああ、と思った。
この男になら束縛されてもいい。これの子なら産んでもかまわない。
そう思ってしまう自分にもかなり驚いた。
(母親に似たのかねえ。母様が父様を見初めた時も結構、凄かったと聞いた事があるしねえ)
自分がそれに似るとは想定外だったが、とオルガは思う。
あと。
実はオルガがハチとそういう仲になりたいというのには、もうひとつ別の理由もあったりする。
(魔力というのは生体エネルギーと関係のあるものなんだねえ。だから精をやりとりするという事は、あの莫大な魔力をやりとりするって事でもあるんだねえ)
四六時中一緒にいる彼らはあまり認識してないようだが。
はじめて出会った時と二度目で、印象が違うのはハチ当人だけではない。
その莫大な魔力を受けて、アイリス以下全員も色々と変わったり強化されたりしているのだ。
共にいるだけでも、あそこまで影響を受ける。
もし、一匹のメスの生命体として、あの精力をまともに受け止めてしまったら?
それを考えると、研究者としてもパートナー希望者としても、色々と興味は尽きない。
ちなみに彼我の魔力差が大きすぎるパートナーの場合、弊害が起きる事もある。
なのに、それらのリスクを全く気にせず楽しみにしているあたり、やはり彼女はマッドにふさわしい。
「実験線、トメリネネコ通過点を通過。本駅まで推定であと十二分」
「お、いよいよだねえ」
オルガが今いるのは、ナウハリスチューブの東大陸側の終点ホーム。パラリススリという名前らしいのだが、ここの設備はオルガが現代語のデータベースを追加しているため、ちゃんと現代東方語で『コアセルゲート駅』と読み上げている。
彼女の隣には彼にもらったオートバイがある。
そして彼女が座っているのはジュラルミン製のテーブルセットで、異世界のもの。レリーフのようなアルミ整形で書かれている文字は、ハチが見たら目を細めるだろうおなじみのアウトドアメーカーのものだ。いったいどこから入手したものやら。
もっとも、そのセットの上に乗っているお茶のポットとカップのセットとなると、地球製とはかなり違っているのだが。
「さて。今度はどんな登場をするのかねえ君は?」
クスクスとオルガは笑い、そして列車が入ってくるのを待っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
目覚めると何か知らないが、皆に囲まれていた。
「えっと、なに?」
「パパ、なんか寝言いってたよ。サバカン食べたいって。サバカンってなに?」
「……そんな事言ってた?」
「うん、言ってた」
『はい、おっしゃってましたね』
「わんっ!」
「テケリ・リ」
サバカン……やっぱりここはサーバー管理者じゃなくてサバ缶だよな。管理者食べるとか意味わからんし。
「なんか味噌煮とか水煮とか言ってたか?」
「えっと、ほかほかごはんの上に乗せるとかどうとか」
「ああ、鯖の味噌煮缶か」
キャンプめしの定番だよな。
そうかわかった、キャンプ道具なんかいじくりまわしてたから夢に見たんだな、そういう事か。
「みんな集まってるってことは……食べたいのか?ハッキリいって、保存食だから味的にはチープだぞ?」
「そうなの?」
「うむ。炊きたてのホカホカごはんの上だと格別だけどな。飽きる味だが、たまに食べると結構いいんだこれが」
「……食べたい!」
へえ。
ここまでハッキリと特定のメニューを食べたがるって珍しいな。
ならば、せっかくだから応えてやるか。
「アイリス、到着までの時間は?」
「あと二時間ちょっと」
「おけ。じゃあメシ作るか」
問題は火器だ。
ひとりぶんのメシならアルコールコンロでも無風で30分ありゃ蒸らし時間込みで炊けるけど、人数いるしな。まぁ試食会レベルだから飯盒炊き、つまり四合でも充分だと思うけど、問題は所要時間だ。
よし。
トランギアをひとつ取って火炎の魔法陣を書き込んで起動。小さい魔法陣なので炎も小さいが火力は強くなったかな?
え?ひとつだけなのかって?ああ、それで充分だからね。
それから、例の箱の中から理科の実験でビーカーの下によく敷いた網みたいなのをとる。ちなみに俺のは2010年代に新調したものだから白いところは石綿じゃなくてセラミックだぞ念のため。
網をかけると、焼けた白いとこが遠赤外線効果で熱を放ちだす。
そんで、米と水をいれた鍋をかけて。
「おっと、肝心のブツを忘れるとこだった」
思い出から人数分のサバ缶をとりだし、鍋の上に置いて重石に。
「よし、あとはこのメシが炊けたら食える。しばし待て」
「はーい」
『わかりました』
「わんっ!」
「アイ」
よしよし。
「ランサ、おまえはこれ食ってろ。間食でもサバ缶じゃ足りなさすぎるからな」
「わんっ!」
ぶったぎって収納してあった肉を少し出してやると、しっぽふりふり元気に食い始めた。
ははは、可愛いもんだ。
・一般的な兵式飯盒って、四合炊きが多いようです。
・アルコールコンロの炊飯時間は、僕の実測値です。手元にトランギアB25がなかったので、代わりに互換機の Esbit アルコールストーブで計測。ちなみに鍋は1パイントの古いロッキーカップにチタンのフタをつけて米は1/2合、米はひとめぼれの無洗米を使用。もちろん上にはサバ缶のせてました。




