オルガの一服
魔大陸。
実のところ、現代の人間種族は魔大陸の本当の形を知らない。ろくな航空機がなく飛空艇も入れないし、ドワーフたちの遺跡の世界地図にも、現在の魔大陸の形は載っていないからだ。
そも、この世界に魔大陸にあたる陸地は存在しない。そこにあるのは九州や四国程度の島がいくつか連なった群島にすぎず、そこは魔族と呼ばれる種族の人々にとっては保養地の一つにすぎない。昔はそのあたりに住んでいたのだけど、彼らはドワーフとは別の意味で研究開発の好きな者たちが多く、狭い島々でやっていると被害が大きすぎる。そんなわけで昔から時空間に影響を与えるような魔法を駆使し、あるはずのない土地を確保してきたからだ。
その『魔大陸』の一角にあたるフォライアス地区に、オルガ・マシャナリ・マフワンの家兼研究所は存在する。
普段は留守がちの主人のこともあり来客などまずないが、今日は玄関先に巨大なグレア・ケルベロス種のオスがドーンと鎮座している。その大きさたるや10メートルを軽く越えており、まさに魔獣という言葉にふさわしい。オルガの元に遊びに来た者の犬であり、彼らは主人の用がすむまで、のんびりと座って待ち続けている。
「聞いた聞いたよオル、おめでとう!それで彼氏はどこ?」
「それは早とちりのしすぎだねえミナ。確かに婚約は結んだけど、相手は習慣の異なる異世界人であり、本格的に攻めるのはこれからなんだねえ」
「……なーにいってんのオル、あんた後に引く気ゼロでしょ?」
「当然だねえ」
ウフフと嬉しそうなオルガの顔を見て、ミナと呼ばれた娘はこの世の終わりを見たような顔をした。
「あのオルガがこうなる……異世界人って本当に」
「本当に、何なのかねえ?」
「ううん、何でもないわ」
楽しげに娘は笑うと、よしと立ち上がる。
「彼を保護するのでしょう?こっちに向かっているの?」
「それなんだけどねえ。ナウハリスチューブの入り口を見つけたらしくて、そこを使うって連絡が先刻来たんだねえ」
「え……あれって人大陸側は完全に埋没してるんじゃないの?」
「してるねえ」
「それじゃ、どうやって……」
「これはあくまで推測なんだけどねえ」
そこまで言うと、オルガはクスッと笑った。
「空間干渉、あるいは次元潜行……あのクルマに組み込む事を考えたら後者かねえ?」
「!?」
ミナの目が点になった。
「ど、どういう事それ!?」
無理もない。
空間干渉にしろ次元潜行にせよ、旧アマルティア文明時代の記録にあるだけの超絶技術なのだから。
「あくまで推測だと言ったけどねえ?」
「根拠は?オル、貴女が根拠のない憶測を言うわけないよね?」
「もちろんだねえ」
くふっと楽しげにオルガは笑うと、手元のにある小さな機械に手をやった。
それは真鍮製の古ぼけた、しかしどこか懐かしい感じの機械だった。上部にノズルのようなものがあるのだが、そこに今、何か酒精のようなものがくべられ、めらめらと燃えている。
オルガは、機械の横にあるポンプのようなものを右手で掴み、スコン、スコンと何度か押した。
すると上部のノズルから一瞬、シュウッという音がしたかと思うと、ボウッと音を立ててノズルから小さな炎が上がった。同時に石油類の臭気も少し吹き出した。
そんな作業をしつつオルガは続けた。
「魔力は次元や空間を超えると届きにくくなる。知ってるよねえ?」
「あ、うん」
「彼にもらったオートバイには、今も彼の魔力が流れ込んでるんだねえ……だけどここ2日の間に何度か、完全に流れが途切れているんだねえ」
「そうなの?」
うん、とオルガは静かに頷いた。
「なるほど。つまり次元境界面を作るような結界を張ったのか、あるいは」
「いっそ亜空間経由で移動したか、だねえ。穴をほらずに大深度地下に降りるにはいい方法だと思うんだねえ」
「なるほど。色々ツッコミたいとこがあるけどとりあえず納得したわ」
「そういう事だねえ」
目で炎を確認しつつ、最後数回ポンプを操作する。
炎は、ノズル部分が温まり、燃えていたアルコール燃料がなくなってくると急速に安定してきた。赤い炎が黄色くなり、そして青くなって。
やがて、赤い炎が出た時の臭気がすっかり消える頃。
バーナーからは青い十字型の炎が吹き上がり、ゴーッと轟音をたてつつ快適に燃え盛り始めた。
「よし。こんなものだねえ」
「すごい音ね……で、これは何なの?」
「液体燃料を使う火器で、料理などに使うものだねえ。ここにある異世界文字は商品名で、オプティマスと読むらしいねえ」
「へぇ……」
「燃料についてはケロシンと異世界語で書いてあるけど、これは生成した油の一種だねえ。過去に再現した文献によると、人間族の使う『明かり油』が近いようだねえ」
「明かり油を燃料にするの?ススがひどくない?」
「自身の燃焼する熱で圧力を高め、押し出すように気化させて燃焼させる事で、限りなくススをゼロにする仕組みだねえ。油さえ確保できれば魔力も何もいらない。少々うるさいのが玉に瑕だけど、実によくできた燃焼システムだねえ」
「そんなものなの?」
そんなものだねえ、とオルガは笑った。
「異世界ではハクトウユ、つまり『白い明かり油』と呼ばれるほど綺麗に精製して使うことで、さらにススを減らしているようだねえ。純度が高いほど燃えカスもなくて、そのぶん安定するようだねえ。
今使っている明かり油も、魔術で2リッターほど精製してみたものだねえ。精製の術式はいるかねえ?」
「うん、ほしい。オル、技術料とその油代で七百八十デロニカでいい?」
「それだけもらえたら充分だねえ。まいどあり。
だけどミナ、これはどこから入手したんだい?明らかにこれは異世界製のものなんだけどねえ?」
「んー……それは秘密かな?」
「なるほどねえ。
じゃあ、もうひとつ質問なんだけどねえ。最近、ロックヴィル方面で時々、自然のものとは思えない次元振動が観測されるのは何が原因なんだろうねえ?ミナの実家のあたりだけど……」
「な、なななんでそれを!」
「言わないと、あんなところで危険物扱っていると通報するんだねえ」
「……まぁ一言でいえば、異世界の器物の召喚かしら。どういうわけか、こういう小さな金属製の生活用品みたいなものしか呼び寄せられないのだけど」
「一種という事かねえ?」
「ええ、そういうことね」
「さもありなんだねえ」
オルガは肩をすくめた。
「興味ないの?あなたの彼氏にも関係する話なんだよ?」
「あの次元波のゆらぎは魔法陣、それもアゾック式ではないのかねえ?」
「……なんでわかるの?」
「あくまで推測だけどねえ。
ただ、わたしの推測が間違ってないのなら、どう頑張っても人間は呼べないし、大惨事になりかねないからやめておくんだねえ」
「大惨事?」
「あの方式は、存在エネルギーの大きなものに引っぱられて開口点の座標がズレるんだねえ。そして、異世界でこの存在エネルギーが大きいのは生命体ではないのだねえ」
「なんで?」
「彼らの世界には魔力がないからだねえ。魔力以外で存在エネルギーの大きなものに引っ張られるんだねえ」
「……いやに断言するのね」
「以前、人間族で同じ実験やろうとしたおバカさんがいたんだねえ」
「……なるほど。で、どうだった?」
「いや、そう言われても私が知ってるのは聞いた話なんだねえ」
「参加したんでしょ?いえ、むしろ技術関係を握って先陣きってやったんでしょう?」
「……」
「言いなさいよ」
「あー、うん……まぁ、関わった方が結果的に被害が少ないと思ったから口を出したのは事実だねえ」
呆れたようにミナは首をふった。
「そんな事ばっかやってるから人間族国家から追われるんでしょうが。
はぁ。やっぱり一度彼氏に会わないとダメね。これに首輪と鎖つけてちょうだいって」
「首輪はともかく鎖は無理じゃないのかねえ」
「なんでよ?」
「そもそもアレに私が惹かれたのは同類だからなんだねえ。残念ながら人死にに強い忌避感があるようだけど、逆にいえば、人的被害がない、という前提ならむしろ面白がって乗ってくるタイプなんだねえ。あれこそ、私の旦那にピッタリだと思うんだねえ」
「……貴女と同類?ウソでしょ?」
「ひどい言い草だねえ。けど言い得て妙なんだねえ」
「……」
あちゃあ、という顔をするミナにオルガは微笑んだ。
「私の事よりその実験だねえ。
たとえば、この世界で存在エネルギーの大きなものといえば、旧ドワーフやアマルティアのエネルギー炉があるんだねえ。あれに似た高エネルギー炉が異世界にもあるらしくて、そこの炉心とつながってしまう可能性が極めて高いんだねえ」
「……もし無事につながったら?」
「あちらがわのエネルギーが一気に流れ込んで、町ごと蒸発するねえ」
「だめじゃないの!」
「だから、やめておく事をオススメするんだねえ」
「わかった、ようくわかった!ついてはオル、あんたも来て説明なさい!」
「え゛」
「え、じゃない!さぁ来るのよオル!」
「ありゃ……こりゃ失敗したかねえ」
むんずと首根っこを掴まれつつ、オルガはちょっと情けない声をもらした。
※オルガの検証している灯油コンロは実在します。オプティマス00Lという機種で、僕もかつて日本一周の旅に使い、その後も何年も愛用していました。大きく重いですが、扱いは楽だし故障もなく、冒険者の故植村直己も、同タイプの小さなマナスル96というコンロを愛用していたそうです。(彼が最後に行方不明になったテントに残されていたらしい)
なお、ゼロはもう現行機種が売られていないようです。一番近いのは国産なら、マナスル121というのがそれにあたります。




