事情
「ふう。なんでしょうね」
ターゲットに逃げられた女は、やれやれという顔で佇んでいた。
「ま、追跡は仕掛けましたけど……竜の眷属に魔族の下僕まで揃っているんじゃ、対処されるのは時間の問題でしょうね」
ポケットから小さな魔道具を取り出した。
「報告、逃げられました。目印仕掛けたが解除される可能性高し。追跡が必要です」
『了解。明けの聖女、異世界人の状況について知らせていただけますか?』
「鉄の箱のような奇妙な乗り物で移動してますね。過去の異世界人からの情報にある『自動車』というものだと思うんですが、機能や性能に不審な点が多々あります。当人の魔力で強化や改造が施されている可能性がありますね。車軸を破壊して馬車を止めるような、ありきたりな方法では対応できないでしょう」
『「自動車」ですか。つまり当人は安全な箱の中で守られているという事ですか?それは珍しい』
「ええ、珍しいですね。しかも竜の眷属らしき存在と、魔族の下僕に守られてましたね」
『なんですと!?』
通信相手の声に、驚きがにじんだ。
この通信魔道具は電話機ではない。魔力を送り合う仕組みになっているのだが、性質上、言葉をうまく伝えるのが難しい。うかつに感情を込めるとシステムが変な言葉に置き換え始めてしまい、うまく情報が伝わらなくなってしまうのだ。
だから、この魔道具を使う時は、なるべく平静につとめて機械的に通信する事が求められる。
『明けの聖女、すみません、聞き間違いと思いますが』
「竜の眷属と魔族の下僕と言いました。正確に言うと、真竜の気配をもつ精霊体の娘とケルベロスでしたが」
『そ、それは本当ですか?真竜と魔族が手を結んだと?にわかに信じがたい話ですが』
「信じがたいって、それは私のセリフですよ。
考えてください、四人がけ馬車2つぶんほどもない小さな鉄とガラスの箱みたいな乗り物の中に、真竜の眷属とケルベロスが同居しているんですよ。正直、何が起きたのかと思いましたよ?」
『そ、それは……まさか聖女殿』
「心配無用、刺激するような事は何もしてないわ。安心してちょうだい」
『そ、そうですか。慎重な対応に感謝します』
通信相手の反応は、どこか女を扱いかねているようにも見えた。
それは無理もない。
本来なら、こうした現地対応なんて、中央側から見れば下っ端にすぎない。
だが女の態度にも隠し切れない上品さがにじみ出ていたし、通信相手の担当の反応にもそれは現れていた。明らかに女は通信相手よりも格段に地位が高いようで、それが相手を困らせているようだった。
そして女も、そんな相手の反応に苦笑を漏らしていた。
「じゃあ、現地での私見を伝えるわ。記録して議長に伝えてくださるかしら?」
『はい、もちろん。どうぞ』
「おそらくだけど、まだ竜も魔族も異世界人を手にしたわけではないわ。単に旅に同行しているだけの可能性が高い。仕掛けるなら今よと伝えてくれる?」
『了解です。よろしければ根拠もいただけますか?』
「もちろん。いい?」
『はい、どうぞ』
「私が異世界人に話しかけている間、不快感を示したのは竜と魔族の眷属だったわ。当の異世界人はむしろ置いてけぼりだった、といえばわかるでしょう?」
『なるほど、手に入れた兵器を脅しに使わぬわけがないって事ですか。異世界人はまだ彼らの所有にはなってない、という事ですね?』
「ええ、そういうことよ。そのように伝えてくださる?」
『はい、了解しました聖女殿』
「よろしくね。
あと、追跡者の増員を頼むわ。あの乗り物は空を飛ばないみたいだけど、ラシュトルなみの速さで走りそうよ。包囲網の整備と飛べる騎獣の手配をしてもらえるかしら?」
『了解。議会経由で航空部隊に話を通します』
「ええ、よろしくね」
『はい!』
通信が切れ、女は魔道具を懐にしまいこんだ。
「ふう……」
ちょっと困ったようにためいきをつく女。
「いくら外部活動に適性が高いからって、内勤志望の女を対異世界人担当に回すなんてね。おまけに痛々しい2つ名までつけてくれちゃってもう……」
どうやら、女にとって今回の仕事は望まぬものだったようだ。
「ま、これはこれで嫌いじゃないけど……。さて、いくらなんでもそろそろ探知圏外かしらね」
ふうっとためいきをつき、そして空をみあげた女。
「……ふふ」
女の顔は確かに楽しそうだった。内勤志望というわりには、この仕事を随分と楽しんでいるようだった。
一度走った道を戻るのは早い。
なんだかんだで300km近くをこの日は走ったのだが、すっかりこの世界でキャリバン号を走らせるのに慣れてしまった事、お昼返上して走った事もあり、その日のうちにツァールの町近くに到達。予定通り、たまたま通りかかったお金持ちらしき馬車に探査魔法の印を移したところでお仕事終了となった。
ちなみに、今の地点はツァールの町を見下ろせる丘の上。
本来なら眺めのいい場所なのだけど、モンスターが結構湧くので人が寄り付かないようだ。ここを今夜のキャンプ地に据えてちょっと食事などすると、さすがに眠くなったのだろう。男はたちまち船をこぎはじめ、寝たほうがいいよとアイリスに寝床に誘導されると、そのまま爆睡してしまった。
無心に眠る姿は、まるで子供だ。アイリスたちを信用しきった眠りだった。
「……」
アイリスは男が眠ると、細かい車内の片付けにとりかかった。
男は細部にこだわらない性格のようで、放置しておくと車内はだんだんと乱雑になっていくのだ。アイリスは初日に早くもその事に気づき、これはわたしの仕事とばかりに、何も言われずも男が寝ている間に片付けをするようになっていた。
「……」
そして、こちらも夜間モードに入ったランサ。
といってもランサは仔犬であり、別に追加の仕事をするわけではない。ただ窓に近づくと、外に出たそうにキャリバン号のダッシュボードの方を見た。まるで、そちらにキャリバン号の感覚器官でもあるかのように。
そして、そんなランサの動作を見計らったかのように、ランサの目の前の窓が音もなくスッと開いた。パワーウインドウでも何でもないのに。
ランサはその窓から外に出ると、巧みにトンっと屋根にあがった。そして周囲をぐるっと見渡すと、じっとそのまま屋根の上に座り込んだ。
そのまま風景は動かない。
だが魔力を視認できる者の目には、ランサが周囲の自然から魔力を吸い上げているのがわかるだろう。
ランサがやっているのは、ぶっちゃけると「つまみ食い」である。外をうろついて狩りをしないのは男が眠っているため。つまりアイリスと同じだ。何を指示されたわけでもないのだけど、自分のやっていい事、やっちゃいけない事をきちんと把握したうえで独自行動をとっているわけだ。
そもそもこの世界のケルベロスは遠い昔、各界の境界線などの警備のために生み出された経緯がある。つまり、種族的に長時間待機が苦にならない。
おそらく、ランサはそのまま夜明けまで動かないのだろう。その時がくれば中に戻り、だんだんと眠りが浅くなっていく男に甘えるのに違いない。
さて。
ランサが動かなくなる頃、アイリスも恒例化している片付けを終えた。なにせ狭い車内だし、寝ている者がいるので作業量も限られているのだ。
車内にあった鏡に自分を映して、それを見てつぶやく。
「……もう少し、かな」
そこにいるのは、もはや幼女ではない。
服装や髪型で巧みにごまかしているが、今朝の時点で彼女は十代前半程度の容姿に達していた。そして男が自分の能力の使い方に慣れれば慣れるほど、加速度的に成長が早まっている。
今この時点で、もし男が起きていたなら、中3か高1くらいかと見ただろう。
明日の朝にはおそらく、男が言うところの合法な年代とやら……つまり18歳以上の容姿に到達するのはおそらく間違いない。そしてもちろん、隠し通す事は不可能だろう。
「……」
それをアイリスは、悲しいとは思わない。
過去、男性の異世界人で生き延びた者は、その全員がいずれかの人間組織に縛られ、道具として、あるいは兵器として一生食いつぶされている。そしてその際に活躍したのが妙齢の女性兵士や巫女、貴族の娘など。彼女たちは国や上の命をうけてターゲットの異世界人を油断させ、そして真名を言わせる。そしてその真名で異世界人を縛って逆らえないようにした後は王族や騎士団に所有を移されるというのが、定番の流れとなっている。
アイリスは、それを壊すために送り込まれた。
男が自分の自由意志で人類のために働くというのなら、それを止めるつもりはない。だが現実には自由意志などそもそも考慮されておらず、人間族たちは男を兵器としか見ていない。
せめて対等に。
そして願わくば、遠きから来た旅人に、せめてもの良き風と幸せな旅路を。
願いの中にはもちろん、アイリスを彼がパートナーとして欲するなら、応える事も含まれている。
また、アイリス自身も彼の優しさが好きだった。優しすぎるがゆえに目が放せないのも事実だが、触れるな危険の代名詞でもあるケルベロスの仔すら保護してしまい、そればかりか親代わりまでしようという彼の態度は、守りがいのありすぎる存在だった。そう、彼が求めるなら応えるのも全く問題ないほどに。
しかし。
(もっとゆっくり、大人になればいいのに)
いつか男がアイリスにつぶやいた言葉。
男は、アイリスが聞こえてない前提でつぶやいたのだろう。でもアイリスはそれをよく覚えていた。
アイリスにはその意味はわからない。
でも、男がそう言うなら、できればそうしてみたかった、とも思う。
「……」
子供から小娘のそれに、ほぼ変わってしまった自分の手。
こうなってしまったら、もう簡単には戻せない。
それに……人間が近づいてくるようになった以上、あれだけで終わるわけがない。
ならば、もう子供で居続けるのはまずいだろう。
「……」
アイリスはためいきをひとつついた。
そして衣服を脱ぎ捨て……少し考えて下着も全部脱ぎ捨てると、きちんと畳んで横に置いた。
「……」
そして、眠り続ける男の横にそっと潜り込んだ。
寝ながら暖かいものに抱きついてくる男に苦笑しながら、アイリスは灯りを消した。
「……」
屋根の上では、空気を読んで席を外したランサがただ一匹。
ただし彼らもちょっと眠たいようだ。子供なのだから仕方ない。
「……」
唯一起きている真ん中の首が、飛んできた小さな虫をパクっと捕まえた。
そして寝ている他の首を尻目に、満点の星空を見上げつつもパリパリとそれを食べていた。




