日曜日
人生ってなんだろう?
そんなこと、考えた事があるかい?
俺はどちらかというと、負け組に属する人生を送ってきたと思う。
動物好きで外を駆けまわっていた小さい頃の俺。でも現実を知る年頃になってから、俺は一転して閉じこもるようになっていった。
友達も減り。仲間もいなくなり。
人とのつきあいかたも、笑い方も忘れて。
それでも何とか……ちょっとばかりコンピュータに詳しくなった時にコネを作り、就職する事ができた。
だけど、それでも本質的には暗い未来しか見られなくて。
ただひとつ幸いだったのは、ほとんどゼロに近い友達の中には親身になってくれる者がまだいた事。
その人たちのおかげで旅を知り。
紆余曲折のあげくに。
そして……今の俺がいるのだけど。
「なに?パパ?」
「……いや、なんでも」
目を開けると、目の前にはアイリスの顔がある。
シーツの下にはもちろん、生まれたままの身体がある。
もちろん見えちゃいないが、全身に感じる、自分でない素肌の感触がそうだと言っている。
ああ。
遠い昔、誰かに言われた事を思い出す。
『ケンさんも相手見つけなよ。きっと寂しくないよ?』
そんな事、言ってくれたヤツがいたっけ。
あの頃の俺には、わからなかった事。
そして……この世界に飛ばされてこなきゃ、きっと知る事すらなかった事。
そう。
自分以外の誰かといるって、とても幸せな事だったんだなと。
キャリバン号の旅は続く。
既にクリネルから千キロ以上も東。特に飛ばしてはいないのだけど、何しろ走る場所はハイウェイ。のんびりした休みがちの旅であっても、日数がたてば移動距離は大変なものになる。
そして、風景も変わり始めた。
乾燥した土地に水分が増えてきている。サバンナめいた荒れ地が緑地に変貌し、あちこちに森が見える風景になってくると。
「おお」
畑らしいものが広がり、住居も点在する光景に変わるのに、そう時間はかからなかった。
さて。
ハイウェイが緑のそば、人のそばを通るようになると、ちょっと困った事も発生した。
そう。
ハイウェイの平らな場所で何かを虫干ししたり、子供が遊んでいる光景だ。
ぶっちゃけ、こうなると飛ばせないわけで。
「速度を落とす。人の気配に気をつけてくれ」
「はーい」
『わかりました』
異世界まできて人身事故はまっぴらだからな。
それに、キャリバン号みたいな車が本来いるべきは、伸びるハイウェイじゃなくて、こういう路地裏めいた世界だ。だからイヤな気もしない。
「おー。農村のニオイだ」
肥料とか色んなニオイがしてくる。臭いのも多い。
うん、こういうのって、どこの世界も大差ないんだな。
「おっと!」
水牛の行列が横切っているのに遭遇し、キャリバン号を止めた。
「おー……こりゃまた、すぐには終わりそうもないな」
見ると、行列は結構遠くまで続いている。しかも牛ペースなんでトロい。
え、脇にどかさないのかって?
いや。この水牛は無理だろ。
『カラバオ』
牛の仲間で、異世界起源種。なお名称も異世界の言語で水牛を意味する。
湿地や沼地を好むタイプの牛で、頭もよく社会性もある。だが牛の仲間の多くがそうであるように、怒らせたり子供に手を出すと、強大な肉食獣も殺されてしまうほどのおそろしい敵ともなる。
東大陸の温暖な地域で広く家畜とされている。
「へぇ、カラバオっていうんだ。その名前久しぶりに聞いたな」
「知ってるの?」
「ああ」
アイリスの言葉に俺は答えた。
「確かタガログ語だと思う」
ラジオ・ベリタス・アジアって放送局を知っているだろうか?
カトリック系のキリスト教放送局だったと思うんだけど、大昔、そう、昭和の時代に日本向け日本語放送をやってた事があるんだ。短波ラジオってのを持っていれば誰でも聴くことができた。ネットもない時代、それは見知らぬ海外からの珍しい情報の流れる放送局でもあったんだよな。
そのラジオ・ベリタス・アジアでその昔、現地の水牛について紹介していたのを覚えている。タガログ語で水牛をカラバオと呼ぶのも、その時に知った事だ。
ちなみに水牛は日本でも、沖縄の離島とかで使っている。俺も石垣島や西表で見たもんだ。耕したばかりの泥沼状態のたんぼで昼寝している水牛を見て、おー、水牛ってこんななんだと思ったものだ。
ま、それはいい。
問題は、牛っていうのはのんびりしているけど決して弱い動物じゃないって事だ。無理やり動かそうとして怒らせたら洒落にならないぞ。
こういう時はまあ、待つに限る。
そんなことを考えていたら、
「おんや、こんりゃ珍しいクルマだべ」
「あ、ども」
見れば、野良仕事の帰りっぽい男……たぶん男だ……がいた。
どうやら牛人族ってやつらしい。個人的には牛頭、つまり地獄の獄卒にも見えるのがちょっとイヤだけどな。欧米人的にはミノタウロス男ってとこか?
しかし印象はともかく、さすがに体つきはたくましい。これなら農作業には向いてるだろう。
「兄ちゃんたち旅の途中かい?」
「はい。魔大陸まで。南大陸から来ました」
「おう、そりゃ大変だべ。まだまだ遠いべ?」
ハッハッハッと男は笑うと、
「この牛どもは、牛舎から牧草地に向かう途中だべ。村の牛全部だぁ、まだまだ続くべ」
「でしょうね」
別にそれは問題ない。
前に四国で、待ち時間が55分もある信号を待ったからなぁ。ケータイの電波も弱くて大変だったもんだ。
あれに比べたら、牛の行列くらいアレだ。
「あの、すんません。ちょっと聞いていいっすか?」
「ん?何だべ?」
「どちらに行かれるんですか?」
「この向こうに家があるんだぁ。だからこうして待ってるだよ」
「なるほど」
時間が無駄とか、そういう概念はないんだろう。田舎だし。
その、のんびりした感覚はとても好ましい。
ふむ。
ポケットをポンと叩くと、懐かしいもんが出てきた。
「お、那智黒じゃないか」
馴染みがないかもしれないが、紀州、和歌山のお菓子だ。いわゆる黒飴の類だな。
「あ、これ食べます?黒飴なんスけど」
牛のおっちゃんに那智黒を薦めてみた。
「ほう、変わった飴だべ。ん、こりゃ黒糖だべ?」
さすがに農家、材料の方に興味をもったようだ。
「おや、このへんにもあるんすか?黒糖」
「産地はもう少し南の方だなぁ。けど、このへんにも少し出回ってくるだよ。
けど、黒糖の飴は、はじめて見るべ。婆様あたりなら知ってるかもしれねえが」
「よかったらどうぞ?」
「いいのかい?」
「もちろん」
おっちゃんは、何か恐る恐る那智黒を口にして……そして「おお」と笑顔になった。
「こりゃあ美味い。甘いは甘いが、筋の入った甘さだぁ」
「気に入ってもらえたなら」
上機嫌になったおっちゃんは、色々と話してくれた。
まず、飴を作る習慣はもっと東から来たらしい。そちらの地方は寒くてサトウキビが育たず、別の糖分で作られているのだという。
「もしかして、甜菜もあるのかな?」
「何ていうかは知らねえだが、カブに似ていて白い根っこがあるだよ」
たぶん間違いない、甜菜、つまりサトウダイコンだな。
ちなみに甜菜はダイコンという言い方をするけど、いわゆる大根とは全然別の種類だ。大根はアブラナの仲間なんだが、甜菜はナデシコの仲間。植物は専門外なので種族的にどのくらいの距離かは知らないけど、少なくともカバと馬くらいは遠縁じゃないのかな?たぶん。
(カバの仲間は鯨偶蹄目で馬は奇蹄目。どちらもひずめがある草食動物なのだけど、系統樹的にはどちらも野獣真蹄類(Scrotifera)って以上の共通点がほとんどない)
しかし、サトウダイコンもちゃんと使われているのか。
いわゆる中世ネタだと、砂糖や胡椒が貴重品だってパターンがよくあるけどな。異世界人がよくくるせいなのか、それともこの世界自体が進んでいるのかは知らないけど、やっぱり現実は違うって事だな。
そんなこんなを考えていたら。
「ねえおじさん、このあたりに温泉あるかな?」
「ん?温泉?」
「うん」
いきなりアイリスが口を出したかと思ったら、温泉っておまえ。
だけど、苦笑しようとした俺は、おっちゃんの返事にちょっと驚いた。
「あるよ」
「え、あるのか?」
「近くじゃねえけどなぁ。わしらも冬場、農作業がない時に行く事があるだよ。ありゃあ、ええもんだ」
おおおすげえ!
何しろ、こんな生活してたら毎晩風呂にってわけにもいかないからな。是非入りたいぞ。
「おっちゃん、もし地図があればその場所わかるかい?」
「地図?ああ、わかるべ」
「アイリス」
「うん!」
アイリスはタブレットを手にとるとキャリバン号を降りて、おっちゃんの横に歩いて行った。
「おじさん、これ地図。で、どのへんかわかる?」
「ふぇ、こりゃあ凄い地図だなぁ。どれどれ」
おっちゃんとアイリスはふたりで、ああでもないこうでもないとやっていたが、
「ああ、ここだな。
ここにあるのが火の山だべ?で、ここがこの道の続きだべ。で、この貯水池のとこで北に入るだよ」
「わかった、おじさんありがと!」
「なあに。
もし、どうしてもわからなんだら村にきて、ゲオさどこだべって言えばええ。オラの名だぁ」
「わかった、ありがとうゲオさん!」
「なんのなんの」
牛人族のおっちゃんは、人の良さそうな笑顔でにっこり笑った。




