貝
何とかイナゴを振り切り、無事にキャンプサイトを見つけた俺たち。
翌朝は、とても心地よい目覚めだった。
だったのだが。
「……湖畔なのはわかっていたが、予想以上にでかいな」
丘の上にいるのに、水平線が見えないほど広いのはいかがなものか。
『ラウシュ湖と呼ばれているところです。東大陸では有名な湖のひとつです』
「『湖』なんだ。トロメの海よりデカそうなんだがな」
お忘れかと思うが、トロメの海とは南大陸の終わりの方で遭遇した湖だ。水棲人がたくさん住んでるとこだな。
でかい湖を海と呼ぶ事は、歴史上はままある事なんだが。
でも、だからこそこの、目の前の『湖』には興味が湧いた。
「これだけ大きいと、伝説のひとつもありそうだな」
『地元民の伝説ならありますよ』
お、あるのか。
ぜひ教えてくれて俺は言おうとしたんだけど、
「もしかして、ラウラ貝の話?」
『はい、そうです。真竜族の方にも伝わってましたか』
「うん」
「ほう。メジャーな伝説なのか?」
「うん。悲しいお話なんだけどね」
そういって、アイリスはひとつの伝説を語ってくれた。
『ラウラ貝の伝説』
むかし、大きな湖のほとりにラウラという娘が住んでいた。
ラウラは美しい娘であり、そして気だても良かった。料理の腕がいまいちなのが悩みの種だったというが、多くの者が息子の嫁にと、それはもうたくさんの結婚ぱなしが舞い込み、そして、それを鼻にかける事もない娘だった。
そんなラウラには好きな男がいた。漁師のミクラだ。
ミクラは漁師の腕こそ素晴らしいものだったが、朴訥で飾り気がなく、女にももてる事もない地味な男だった。しかしラウラはミクラの誠実さと優秀さをよく知っており、誰よりも信頼し、そして愛していた。
しかし。
どうしてもラウラを手に入れたい者たちが一計を案じ、とうとうミクラを海上で亡き者にしてしまった。
翌朝、村人に引き上げられたミクラはもうボロボロだった。ラウラはそれを見て大層嘆き悲しんだが、ミクラを殺した男たちは罪の意識どころか、喪が明けるのを心待ちにしていた。
そして喪が開けた日。
ラウラの結婚相手を誰にするかという話を当然のように持ちだした男たちの前で、ラウラは「わたしの結婚相手は決まっていますが?」と断言した。
そんなラウラの言葉に男たちは首をかしげたが、ラウラは苦笑して言った。
わたしは海の精霊様とお話できる。ミクラが死んだ時の状況は精霊様に教えてもらった。だから、おまえたちが、ごろつきを雇ってミクラをおびき出し、殺して海に落とした事も知っていると。
男たちは驚いたが、何を馬鹿なと動揺をかくし鼻で笑った。何しろ、精霊に聞いたというラウラの発言以外に、何も証拠がなかったからだ。
しかし、ラウラはそんな男たちを逆に嘲笑した。
ラウラはミクラの死にただ泣いていたわけではない。ミクラの遺体が水死ではない可能性についてラウラは気づいており、だからこそ精霊に尋ねたのだった。しかも、ミクラが水死でない可能性についてはラウラ自身の知識でなく、実は村長の見立てでもあった。
その事をラウラは告げた。だがそれでも男たちは笑うだけだった。
ミクラはすでに埋葬ずみで、確認のしようもない。
それに、ミクラの死因に村長たちが首をかしげたのは事実だが、彼が殺された等と認めるつもりはなかった。もしそれを認めたら村から人殺しを出してしまうわけで、逆にラウラの説得に回るありさまだった。
ついには村のすべてが味方にならず……それどころか、愛する男を殺した者たちの誰かと結婚しなければならないと聞かされたラウラは、大きくためいきをつき、そして「わたしの結婚相手はもう決まっている。それはここの村にいる者ではない」と言い放ち、そして立ち去った。もちろん男たちは追いかけたが、どういうわけかラウラに触れる事もできず、そして、二度とラウラを見つける事はできなかった。
その後、村は急速に寂れていった。
村は漁村であったが、いくら漁に出ても一切なにも捕れなくなったのだ。たとえ魚がいる事を確認しても、出漁するまでにすべて姿が消えてしまう。それどころか、時々なぞの巨大な魔物が現れて船を破壊し、若い衆が次々と死んでいった。
漁業が唯一の収入源であった村で、その魚がとれず、働き手もいなくなったらどうなるか?
数年を待たず、村は滅びた。
それから二百年ほどたち、そんな悲劇を知らない者が再びこの土地に村を起こした。
昔の事など知らぬとばかりに豊かな恵みを得られたが、特によく採れたのは二枚貝の一種だった。どうも深い海の底に巨大な貝の魔物がいるらしく、その幼生体と思われる小貝がたくさんとれて、しかもこれがまた非常に美味であった。
そんな時、たまたま訪れた吟遊詩人が、かつてあったという村の事件を歌い、そして悲劇の娘の名をとり、ラウラ貝と名付けられたそうである。
「へぇ、昔はラウシュ湖もやっぱり海って表現されてたんだ」
日本でも、富士五湖が昔ひとつの巨大な湖だった頃、瀬ノ海と呼ばれていたって聞いた事がある。巨大な湖が海と呼ばれるのは世界を問わず、珍しい事ではないってこったな。
「で、そのラウラ貝ってのは魔物なのか?」
「あ、データあるよ。みる?」
「おう。見せてくれ」
『ラウラ貝』
東大陸とその周辺にいる貝類でも最も繁栄している種族で、雑食性の二枚貝。
小型の魔物にしばしばあるパターンだが、ラウラ貝も繁殖のために環境への耐性を強化する道を選んだ種。ゆえに淡水、汽水、海水の違いをものともせずに適応し、さらに長生きすればするほど無限に巨大化する。また巨大化しつつもその中で環境への最適化も続けており、巨大なコロニーを生成する。
現在、ひとの世界にも知られている最大のラウラ貝のコロニーは東大陸のラウシュ湖にある。ここの最大級の個体は殻の直径が200mを越えると言われているが、ラウシュ湖は確認されただけでも水深600mを越えているとされ、ドワーフ時代を除けば最深部の調査は行われておらず、詳しいことはわかっていない。
「直径200mの二枚貝は小型種じゃないだろ」
「そりゃ、普通は数センチだからね」
「魔物になってもか?」
「昨夜のイナゴ、大きかった?」
「……サイズだけは普通のイナゴだったな」
「でしょ?
魔物だから大きくなるとは限らないよ。雑食になるとか過酷な環境でも死ななくなるとか、そういう変化を選ぶ種族も多いからね」
『むしろ、野生動物の魔物化としては一般的でしょう』
「そうか。まぁ、むやみに強大化するよりもその方が有利だもんな』
「うん」
猫がライオンになったところで、オリに閉じ込められるか射殺されるだろう。それよりも生まれる子供の死亡率が下がり、過酷な環境でも生きられるようになる方がマシなはずだ。
もちろん、いつぞやのワニみたいに、もともと大型種なら、もっと大きくなって天敵を減らす選択肢もあるって事だな。
「よくできてるもんなんだなぁ」
「まったくだね」
俺の感嘆符に、アイリスも笑って頷いた。
さて。
話題のおいしいラウラ貝なんだけど、潮干狩りすると普通に採れるというから試してみる事にした。
「潮干狩りっていっても淡水なんだけどな」
「あはは」
あまり大量に採っても仕方ないので、まずアイリスにタブレットで探してもらった。
「あのあたりの水底にいっぱいいるよ」
「おけ。なんか危険そうなのが来たら警告してくれよな」
「わかった」
今回は、いわゆる胴付を用意してみた。多少深くてもこれから大丈夫だからな。
あ、どういう装備か知らない人はググってくれ。
まぁ、さすがにこんなもん常備してなくて思い出から生成したので、さすがに本物とは少し違うかもだけどな。
「うし」
ちなみに、ものものしい格好をしているが、やっているのはシジミ採りレベルだ。つまりそんな深いとこには行かない。
まぁ、何かあった時に逃げられないからなぁ。
さて。
浅いところの泥をあさっていると……お、いるいる。なんか小さいのやら大きめのやら。
ルシア妹を伸ばしてチェックさせると、
『ラウラの小貝』
生まれてそう時間のたってないラウラ貝。小さいがこれでも立派な成貝だ。スープの具にいいかも?
うん。泥を吐かせて味噌汁にいれるつもりだぞ。
かなり大量にいるみたいで、あっというまに欲しい分量はとれた。
「よし」
「もういいの?」
見物にきたらしいアイリスが首をかしげた。
「食用なのはわかるけど、俺自身は初めて触る貝だからな。食べてみて、美味しかったら次からはもっと採るさ」
「なるほど」
豪快にとって不味かったら、ただの虐殺だからな。
見回すと、他にも水鳥やら何やら、小貝目当てっぽい小型の鳥がたくさんいる。豊かなんだな。
「ん、そろそろ戻った方がいいかも」
「おけ、戻るか」
何かを感知したらしいアイリスに従って、岸に戻った。
その途端に背後で、
「アイリスさん」
「なに?」
「なんか後ろで、すごい水音と叫び声がするんですが」
水鳥が何かに襲われたらしいな。
「んー……あとで教えてあげるよ。見るのもやめたほうがいいかな?」
「あとで?なんで?」
試しに尋ねてみたらアイリスはイタズラっぽく口に指をおいて、
「今見ると、きっと食欲なくすと思うよ?仕込みに時間かかるんでしょ?」
「……む、了解」
まぁ、そのとおり。一晩活かして泥を吐かせるつもりだからな。
それにしても。
何か泳いできたって感じじゃなかったからな。きっと、待ちぶせしてた何かが水鳥を捕まえたんだよな、今の。
ものすごく気になるけど……アイリスがこういう警告するのって珍しいからな、うん。




