小さな事件
ゴブリン退治はスムーズに行われ、特になんのトラブルもなかった。
これはもちろん俺の力じゃないし、アイリスも何もしてない。なんでもルシアとマイの協業で組み上げた新作の大結界に群れ全体をまとめて閉じ込め、殲滅したのだという。
『主様の世界の知識が役立ちました』
「ウン」
ドワーフ製作のショゴスもどきであるマイだが、その生まれゆえに、ドワーフ由来の魔法をいくつか使えるらしい。
もっとも、モノ作り大好き種族のドワーフたちの魔法であるから、攻撃魔法的なものは皆無に等しい。どちらかというと工学魔法的というか、何かを加工したり弄ったりするものが大多数なんだとか。
で、ルシアはその中に、生物を腐敗させずに長期保存する魔法があるのに注目したらしい。
俺と共にいて、俺の世界の知識をルシアは取り込んでいた。だから、その魔法に、いわゆる加熱殺菌と真空パックみたいな役割をもつ術式があるのに気づいたらしい。で、マイと知恵を寄せあって術式の解析とアレンジを行い、ルシアの結界魔法にこれを組み込んだそうだ。
で、結果として完成した魔法はというと。
『そうですね。名づけて急減圧結界とでも言いますか』
「意外に現実的なんだな」
『そうでしょうか?異世界知識と樹精界の結界、それにドワーフの工学魔法のハイブリッドです。おそらくこの世界の魔道士で全貌を解読できる者は余程の上級者に限られるでしょう』
「そうなのか?」
「うん、そうだね」
たとえば。
ゼロメートル地帯と高度5000mを比較すると、気圧は半分になるという。そして、高度6000mを越えると、その高度で人は定住不可能らしい。
え?それじゃ即死しないって?
いや、これで充分だろ。
たとえば、高度8000mを越えるエベレスト山頂付近では気圧は実に3分の1になる。3分の1というが、こうなると人は睡眠もとれず、食べ物も消化できないという状況にも陥る。
エベレストやK2の山頂に挑む事をアタックというそうだけど、これは冗談でもなんでもない。本来そこは人間が生存できない「死地」であり、そこに挑む挑戦でもあるのだから。
しかもだ。
これは、ゆっくりと高山に慣らしていっても影響を受けるわけなんだぜ?
だったら。
普通に一気圧の世界でいきなり、8000m級の気圧配置の世界にポンと投げ出されたらどうなるかって事だ。
話を戻そう。
ゴブリンは魔物だけど、その生理は人間に極めて近いらしい。
これは推測でなく、過去に異世界人と魔族の共同調査記録があるらしい。これによると、温暖な平地の森にだけ分布するゴブリンを実験のために移送していたところ、途中の山越えで、いわゆる高山病にかかったらしい。しかも一部は死亡したとの事。
ならば、だ。
平地で戦っていたゴブリンを結界に閉じ込め、そこの気圧を一気に半分近くまで落としたらどうなるか?
そう。
抗う間もなく、ほぼ全てのゴブリンが無力化し、一部は死亡。僅かな生き残りも、続いて流し込んだ一酸化炭素を吸い込んで昏倒。
で、動かなくなったゴブリンを、まとめて処分したのだという。
うーむ。それは鬼畜というべきなのか凄いというべきなのか。
「魔物だって生き物だからね。生身の動物よりは耐性高いけど」
「そうみたいだな」
精霊分を取り込み、強い能力を得たり強化された生き物。それがこの世界の大多数の魔物の正体。
だけど、強化されても結局は、ほとんどの魔物はこの世界の生き物としての基本は変わらない。
つまり首をしめたら窒息するし、高山病にもかかるってこった。
『ゴブリンは特に、その異能が対人特化ですから、こういう対処がしやすいとも言えます。
逆に、ほとんど精霊分だけで動いていて肉体はオマケという類の魔物になると、こう簡単にはいかないでしょう』
「へえ、そういうのもいるんだ?」
『はい』
「具体的には?」
『アンデッドの類ですね。ここより東方のゲル地方にいくと増えてきますが』
「地域的なもんなのか?」
『はい。アンデッドのほとんどは、恣意的に作られたものですから。この種の技術はユエ国で盛んですし』
「ユエ国?」
知らない名前だな。
『キ民連合の近くにある大きな国です。死霊術の盛んな土地で、アンデッドが多く作られて使役されています』
ほう、あるんだ死霊術。
しかし、なんだな。東大陸にきて初めて、定番なファンタジー要素がやたらと増えてきたな。当たり前に獣人だらけなのもそうだけどさ。
俺がそんなことを言うと、
「人間族はある意味、これから消えていく種族だからね」
ふむ。
「人間族以外の種族の方が、よくも悪くもこれからのこの世界の姿ってことか?」
「うん、そう。
だから、滅びに抵抗し、なりふりかまわない部分のある人間族より余裕があるんだと思うよ」
「……なるほどな」
精霊要素というものを取り込んだ結果、森羅万象の全てが変わっていくわけで。そして人間族のように、古き種族はその波の中でゆっくりと消えていくと。
冷たい言い方に聞こえるかもしれないが、これがこの世界の現実なんだろうな。
「色々と考えさせられるな」
「そう?」
「ああ」
俺は思わず、大きくうなずいた。
干物祭は終了し、俺たちの食料庫には大漁の干物が収まる事になった。
ちなみに時刻は夕方になっていた。途中でゴブリン騒ぎがあったりして時間とられたからなぁ。
「おし、生っぽい干物は先に食っちまうとして、とりあえず少し移動するが」
「移動するの?これから?」
「ああ」
本来なら、こんな時間に移動はしたくない。
だが。
「なーんかな、いやな予感すんだわ。ここにいたら増援来そうな感じっていうか」
「あー……そういうことか」
俺たちは確かにゴブリンの群れを一掃した。まぁ、俺は干物いじってたんけどな。
だけど。
「あれで全部とは限らないだろ?まだゴブリンの斥候がいたとしたら」
『何もないところからの攻撃を、結界使いだと認識する可能性があると?』
「あると思う」
それに、あの巨人の仲間がウロウロとやってくる可能性もある。
ルシアやアイリスたちの結界が簡単に破られるとは思わない。
だけど、はっきりいって自分たちの周囲で真っ赤な目のゴブリンやら巨人が徘徊していたら、いろんな意味で安眠できるとは思えんぞ。
せめて、少しキャンプ地を移動したい。
アイリスたちは少し考えてから俺の考えに同意してくれて。
そして、移動となった。
「よし、いいか?」
「いいよ」
「ワンッ!」
『どうぞ』
「アイ」
荷物を撤収し、俺たちは赤黒くなりつつある夕日に背を向け、夜空のきらめく東に向けて走りだした。
もちろんヘッドライトも点灯。結界を張りつつペースも昼間より四割ほど落とす。
「アイリス、ナイトモードにしてくれ」
「はい」
アイリスがタブレットを操作した途端、フロントガラスに映る夜の世界に光の線が書き加えられ、障害物や道などがよく見えるようになった。
吹雪の日以来、久しぶりのナイトモードだ。
え?何やってるのかって?
ここは日本じゃないわけで、街灯とか一切ないんだよ。しかも今夜は月がないので、異様に星空がきらめくだけで道も真っ暗闇。
しかもキャリバン号のヘッドライトは昔の規格だからね。暗いんだこれが。
実際、この世界の旅をはじめてから、必要に迫られない限り夜間走行しなかった最大の理由がこれ。暗いから。
この世界にきて、ナイトモードなんてAR(拡張現実)もどきの機能がついたから多少は楽だけど、でなきゃ時速30km未満で走り、それでも昼間同様の安全確保は難しいかもしれない。
しかも、キャンプ地を探す時だって、いろいろと制限を受けるわけで。
暗いという事は、それだけで色々とあるんだよ。
「みんな、周囲に何かいたら教えてくれ」
「わかった」
「クゥン」
『了解です』
「テケリ・リ」
なんでもいいけど、返事の順番って決めてるんだろうか?いつもアイリス、ランサ、ルシア、アイの順番なのは作為なのか?
まぁ、聞いてみてもたぶん返事はないんだろうけどな。
で、走りだしたのはいいんだけど。
「なんかいっぱいきたよー」
「ワンッ!」
『虫ですね』
「……」
結界の外を取り巻くように、すごい数の虫がまとわりついているらしい。
「なんだこれ、どうなってる?」
「ねえパパ。虫って光に引き寄せられるんだっけ?」
「あ?あーうん、そうだぞ。だから虫が寄ってくるのは確かに間違いないんだが」
それにしても寄り過ぎだろ。
試しにブレーキランプをつけつつミラーを見たら、明かりにてらされた虫ども見てギョッとしたぞ。
「なんだこれ、イナゴの大群にでも入り込んじまったのか俺たち!?」
そんなことを俺が言ったら、
『当たらずとも遠からず、です。あいりす(・・・・)さん、主様に虫たちのデータ読み上げを』
「うん、任されたよ」
アイリスはそう言うと、虫の正体について話してくれた。
『オリエント・リョコウイナゴ』
異世界でイナゴと呼ばれた同様の虫がいるが、本種は異世界起源ではない。
草食性の虫の一種。すでに魔獣化もしているが、雑食性になり少し飢餓に強くなった程度で、ちょっと頑丈なイナゴにすぎない。
おとなしい虫であるが、強い光源とエネルギーに群がる習性があり、しかも結界魔法が効きにくい。
対策としては、この虫のいる地域での夜間移動は避ける事。
「おせえよ」
「あははは」
なるほど。どうやらこっちからイナゴのコロニーにツッコんじまったのか。
しかも……街灯も村もないような土地で、ハロゲンライトなんぞ点灯して走っているわけで。
唯一の明かりだもんなぁ、くるわけだよ。
「まてよ、するとヘッドライトも消して完全ナイトモードにすれば減るってことか?」
「たぶん魔力にも引っ張られると思うけど、数は激減するんじゃないかな?」
試してみるか。
「よし。じゃあヘッドライトを消すぞ。室内の明かりも消す」
「うん、わかった」
ヘッドライトを消した。
これでも計器類は点灯しているけど、それ以外は真っ暗。ナイトモードのワイヤーフレームだけを頼りに進んでいく。
「どうだ?」
「うん。どんどん外れていくね」
『魔力や結界にも少し引かれていますが、他の個体に引っ張られているようですね。おそらく十分もこのまま走れば全てのイナゴを振りきれるでしょう』
「そうか……」
やれやれだな。
異世界を軽四で夜間走行して、イナゴの群れに囲まれるか。
うーん……自分でいうのもなんだけど、いい意味でくだらない旅だなぁ。
「パパ?」
「ん?」
「何?なんか楽しそうだけど?」
「いや。適度にヘンな事件があつて退屈しないよなってね」
「あはは、そうだね」
アイリスは俺の言いたい事を理解したようで、ウフフと笑った。




