動き
そこは中央大陸の一角。俗に聖国と呼ばれる土地。
聖都ナーディア。
その中心にある『ナディア神殿』は、聖国を中心とする大教団の中心地である。
この世界にはいくつかの宗教が存在するが、これらは敵対するわけではない。そもそもこれらの神は、同じ神を別視点で解釈しているにすぎないとされていて、争うべきではないとされている。
では、どうして人間族がそれ以外の種族を排斥しているかというと、簡単なこと。神『ナディア』の教典を過去の人間族が歪んで解釈し、そこに書いてある『人間』とは人間族の事であり、全ての亜人種は神に見放された堕落の徒であるとしたからだ。
ただし。その長い歴史の中で、教典の改竄自体は一度も行われていないのである。
実は、ナディア聖典は翻訳本の作成が禁じられている。
ただそれでは意味がわからないので、神学者と呼ばれる者たちが国を越えて活動しており、彼らが各言語の『解説本』を作成しているのである。解説本はこの世界で使われるほとんどの言語に翻訳されており、なんと日本語版すら存在するのである。
この構図は、地球におけるイスラムの教典、コーランに似ている。コーランも翻訳が禁止されており、朗読は必ず当時のアラビア語で行われる。そして解説本が存在する。日本語版もあり、岩波から出ている他、日本イスラミック協会でも読ませてもらう事ができるという。
さて。
彼らの教典がそんな仕組みになっている理由はいくつかあるのだけど、最大の理由が、その時代の為政者に都合よく教典が書き換えられるのを恐れたためだった。そしてその仕組みはうまく機能しており、今もなお、いくつかの解釈の相違はあるものの、教典自体は大昔のままに伝えられている。
そう。解釈の相違を除けば。
「大司教様、聖女様におかれましては、かの異世界人を捕縛し、神の御心をお伝えするために力をお貸しいただきたく思いますれば……」
大司教、聖女と呼ばれたふたりの人間の前で、ひとりの男が頭をさげている。
しかし、その者の表情や目つきは、到底、敬虔な信者には見えなかった。むしろふたりを、特に聖女と呼んでいる方を明らかに侮蔑するかのような光を帯びていた。さすがに顔に出す事はなかったが、その雰囲気を隠す事はできず……いや、そもそも隠しているようでもなかった。
だが。
「はて。おっしゃりたい意味がわかりかねるのですが?」
大司教と呼ばれた法衣の老人は、心底不思議そうな顔をして首をかしげた。
「……は?」
男は眉をしかめて、そして改めて老人に告げた。
「メルゲル大司教殿、意味がわかりかねるとはどういう事でしょう?相手は我らが聖教の敵ではありませんか」
「敵、ですか?おかしいですね。
その者、異世界人ハチと申す者は確かに異教徒。されど教団に仇なす者ではないという結論が出ておりますが」
「は?何を言っているのだ?」
男は、表向きは必要なはずの敬語を使う事も忘れた。それほどに老人の発言は想定外だった。
「メルゲル殿、気は確かか?異世界人という時点で教団に仇なすおぞましき亜人ではないか!」
「ほほう、異世界人であるというだけで教団の敵であると?そなたはそう言うのかな?」
若干だけ眉を使うしかめつつも、老人は人の良さそうな人格者の顔のままだった。
しかし、自分をメルゲルと呼ぶ者の口調が次第に高圧的になってくるのに従い、老人の口調にも嘲笑するようなものが混じり始めていた。
「アーダ殿、わしは二十年にわたって本教団の大司教を拝命しておる者。つまり、わしの見解が教団の見解ともなるのだがな。
なぁ、アーダ殿。
そなた、いつから教典の解釈において大司教より上位になったのかね?」
「な……!」
大司教はあくまで、にこにこ顔を崩さない。
「細かい各国の調整だの、そういう俗世の事ならわからずでもないのじゃが。
こと、教典の事に関しては、わしがこの世界最高の権威であり、そして、ここにいる聖女がその補佐となっておる。これは何を差し置いても絶対であり、我が国が『聖国』である限りは絶対に曲げてはならぬ原則じゃ。なぁ、アーダ殿」
そう言うと、大司教はスッと目を細くして……アーダと呼ばれた男を見た。
「もう一度いうぞアーダ殿。
そなた、教団の教団としての見解で、大司教のわしに指図しようというのかね?
もしも、そなたがそのつもりなら、わしはこの場でそなたを破門に処する用意があるのだが?」
「……ほう」
アーダと呼ばれた男は顔を怒りに染めたが、それでも攻撃的な行動には出なかった。
ただし、口はそうはいかなかった。
「そうですか。聖国は我らが中央連合に反旗を翻すと、そうおっしゃるのですな?
よろしい、そういう事なら、ただちに我らもそれなりの行動に出る事になりますが、それでもかまわぬのですな?」
どっちが上だと思ってるんだ、とその目は言っていた。
実際、聖国の運営には各国からの多額の寄進も使われている。中央大陸の人間族国家が敵に回ったら、武力だけでなく経済的な打撃も大きいだろう。
結局、そういう事なのだ。
形式上、確かに聖国は彼らの宗教の中心地である。でも国家間の権力の中では、いざとなれば兵糧攻めをちらつかせて意見を替えさせる事ができる、そんな存在にすぎない。
だが。
「なるほど、それがアーダ殿の答えなのですな。では仕方ありますまい」
大司教はひとつ息をつくと、ハッキリとした声で宣誓した。
「我、大司教メルゲル七十七世の名において告げる。この者、アーダ・キス・デリダを神の名を汚す者として破門に処す!」
「な!?」
男の目が点になった。
「ただちにこの者を捕らえよ!
この者は恐れ多くも神の言葉を偽り、同じ人間を教団に仇なすおぞましき亜人とまで言い切った!また、それについて咎めたわしを脅そうとまでした!
出会え!敵対者を捕らえよ!」
「き、気は確かか貴様!」
男は叫んだが、それは逆効果にしかならなかった。
大司教の声で集まってきた神官たちは、自分たちの大司教を貴様呼ばわりし、掴みかかろうとする狼藉者に激怒した。そして、あっというまに男を取り押さえてしまった。
「うむ、連れて行きなさい。
そして法曹担当、それから広報担当は残りなさい。緊急の議題ができたゆえ」
「はっ!」
何やらわめきつつ、男は神官たちに連れて行かれた。
「なんというか……すごいですね」
「神官も女官も、体を鍛えるのは修練の基本じゃからな。武器に制限があるとはいえ」
「いえ、彼らでなく。いいのですか大司教様?」
心配そうな顔をして、聖女……エミ・タカツカサ・シターヴァは老人に告げた。
「問題はないな……いや、問題があるとしたら、あのような者を今まで好きに跋扈させていた我々の方じゃろう」
「それは大司教様のせいじゃないでしょう?聖国とて人の暮らす国、彼ら中央国家群の援助が途切れてもやっていける算段がつくまでは、迂闊に動けなかった……そういう事ですからね」
「それはそうなんじゃがのう……」
そういうと、大司教は聖女の顔をみた。
「エミには苦労をかけてしもうたな……今回ばかりは謝っても謝りきれぬ」
「なんのお話です?」
「聞いたぞ、異世界人に嫌われてしもうたのじゃろう?それもエミ本人のせいではなく、聖女としての立場上、仕方ない行動の結果とのう。
ならば、それは不甲斐ないわしら年寄りのせいじゃろう」
実際、それは確かにこの国の上層部の責任だった。
本来、聖女は聖女の仕事から離れるはずだった。そして本人の希望通り、南か東の国家群に経済的な足場を見つけて自由に生きる事が可能なはずだった。
だが、ハチたちに嫌われてしまった事で各国との関係が微妙になった。
おまけに諸国情勢が急速に変化したため、まだ足場の固まっていない彼女では危険になりすぎた。
そのため、聖国の使者と協議の末、一時帰国とあいなってしまったわけだ。
「本来なら、ゆっくり実家で大叔母上と遊んでおれと言ってやりたいのじゃが」
「それじゃ逆に気になりますよ、おじいさま。
心配しないでください、これも勤めだとわかってますから」
「……そうか」
大司教は小さくためいきをついた。
エミはよく問題を起こしたが優秀でもあった。役職もない頃から事実上の聖女役をしていたり、教団の中で息をするように仕事ができた。
だが、エミ当人は束縛を嫌い自由に生きるタイプの人間なのだ。
だから、個人としてのエミをよく知る親族たちは皆、なんとかエミを自由にしてやらんと画策していたのだが。
(この混乱のおかげで、教団の二百年の計画が前倒しになったのはいい。むしろ異世界人殿には感謝したいほどじゃ。
しかし、エミを自由にしそこねたのはのう……困ったもんじゃ)
大司教は小さく、またためいきをついた。
「おじいさま、大司教様があまりためいきをなさるのはよくないですよ?」
「おう、そうじゃったな」
中央大陸で聖国と呼ばれた国の大司教がその日、ひとつの発表を行った。
その内容はこの世界の人間種族国家全てを驚かせた。
なぜなら。
人間族至上主義の最前線にいたはずの聖国が突如、皆人平等宣言を発したからだ。
『わが国は教典の指示に従い、千年来、中央国家群で常識とされてきた事が誤りである事を確認した。
ゆえに、ここに改めてわが名をもって宣言する。
教典にある「にんげん」とは人間族だけの事ではなく、この世界における全ての人間種族を意味する。つまり、人間族から変化した全ての人間種族、および異世界人の全てが「にんげん」である。
聖国ではこの問題についての議論が二百年前から行われていた。
しかし議論に結論が出ていなかったために、暫定的に国内でいわゆる人間族以外の種族を採用していたものの、それを大々的にする事はためらわれた。
だが今、結論はなされた。
今この瞬間から、これは事実である。
これに対する反論は許されない。
また、人間族以外を劣等種族、人でない者として扱うすべての行為は、神の名に背く行為である事を、ここに宣言する。
むろん、だからといって今日いきなり全てを変える事はできないだろう。
ゆえに移行期間を設けよう。
未来に遺恨を残さぬよう、十二分に議論を尽くしてほしい。
該当する国、団体、全ての者たちよ。一日も早くこの問題の解決に取り組んでいただきたい。
以上』




