ハイウェイ
ちゃーっ、という異音が時々聞こえる。キャリバン号のボディに砂のあたる音だ。
キャリバン号は少し浮いて走っている。といっても科学的根拠があって浮いてるわけじゃないんだよね。まぁ、強いていえば「俺の無意識によるアレンジ」が施されているんじゃないか、とも言われているんだけど。
え、なんだそれって?
まぁ簡単にいえばだ。
キャリバン号は日本の軽自動車だ。当然それは近代日本の道路事情にあわせて作られているわけで、せいぜい馬車道と架線跡くらいしかない、まともに舗装されている方が珍しいような異世界の道を何千キロと走り回るには向いていない。もし実際に走れば、おそらくアッというまに壊れてしまうだろう。
そんな俺の不安というかそういうものが、世界間転移の際にキャリバン号を変質させたんだろうって。
なんだよその不思議現象。
一応、魔術的な方向とか、つまり非科学的な方向で説明がつく範囲ではあるらしいんだけど……なんだかな。
とはいえ。
ガタゴト道で壊れないように、浮いて走るようになったわけで。
ちょっとくらいのダメージ等も、待てば勝手に修復するようになったわけで。
そして、ガソリンを焚かなくても、俺の魔力ってやつで走るようになったわけで。
え?そんなの車じゃないって?
まぁ、それを、言われると弱いけど。
でも、ガソリンも入手できない、修理工場も何もない世界で動かなくなる事を考えたら、ありがたいどころの話じゃないぞ。
今のキャリバン号を他のものに例えるとしたら……そうだな、アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯だろうか。
当たり前だけど、絨毯は空を飛ぶものではないだろ?だけど、かの物語では魔法の絨毯が空を飛ぶわけで、誰もそれを見ておかしいとは思わない。物語の中の話だからだ。
キャリバン号だって同じ。いわば魔法のポンコツ軽四ってわけだ、うん。
え?カッコ悪いって?
ははは、そこは価値観の相違ってやつだろうな。
そりゃ、ハマーとかウニモグみたいなゴツい車は確かに「らしい」。
だけど、悪いけどあの手のクルマは興味がわかないんだよね。ゴツくて凄いとは思うけど。
んー、ちょっと別の乗り物、そうだな、バイクで例えてみようか。
昔、俺はハーレーやBMWのビッグバイクにあこがれていた。これは事実だ。
だけど俺は同時に若い頃、スーパーカブ90で日本一周なんて経験をした事もあるんだよ。
その時に「ちょうどいい大きさ」ってのを体感したんだよね。
ぶっちゃけ、高速道路を全く考えないならバイクは100ccもあれば事足りる。あとは付加価値による。
まぁ、こんな事書くと「そりゃ道具としてはそうだろうさ」って反論が来ると思うけど、実はそれだけじゃないんだ。
俺の場合、もともと「同じ事をするならミニマムな方がクールでカッコいい」っていう価値観が前提にあるんだよね。
だから「俺プラス、たったの90ccでも日本一周できてしまった」っていうのは大きな意味があったんだ。
同じサハラ砂漠を渡るなら、大陸横断用マシンで渡るヤツより50ccで渡るヤツの方がチャレンジャーで冒険家だろう。
昔、オーストラリアのラリーレイドで、並み居るビッグバイクを前にして大阪ナンバーまで付けたままのどノーマルのSX200で入賞した勇者がいると聞いてスゲーと思った。
繰り返そう。
同じ事をするならミニマムな方がクールでカッコいい。
それが俺の価値観の根底にあるのさ。
あ、言っておくが身長とか胸のサイズは関係ないぞ、念のため。
話を戻そう。
「お」
まただ。ちゃーっていう音。
ちなみに何が起きているかというと、道路に砂が浮いてるんだよこれが。
今、走っているあたりは乾燥地域らしく、緑もあるけど乾いた土地が広がっている。で、風に吹き飛ばされた土埃や砂が路上にもあって、これが近づいてきたキャリバン号によって弾き飛ばされるていくんだな。
だけど、最初にいったようにキャリバン号は浮いて走ってる……というより「飛んでいる」に等しい。だけどジェット噴射もプロペラも使っちゃいないわけで、当然だけど、箱型のボディはひたすらに前からくる風とぶちあたり、これらの土埃や砂を巻き上げていく。
んで、飛び散るのが間に合わない砂や土埃がボディにあたり、そのたびに小さな音をたてるわけだ。ま、こっちのエンジン音がすごい静かだから聞こえるってのもあるんだけど。
実は似たような事は今までもあった。
ただ、中央大陸ではぶっ飛ばすほうに神経がいってたからね、あまり気にならなかった。南大陸では砂でなく雪だったんで、飛び方が違ってたんだよね。
なので、この「ちゃーっ」の洗礼が始まったのは、ここ東大陸からといっていい。
「ふむ。ちょっと気になるなぁ」
「害はないと思うけどね」
「だな。気分的に気になるって点を除けばだが」
そもそも、どうして砂があるかというと、下のハイウェイ舗装が平らじゃないからではある。吹き溜まりにたまってるんだよ。
だけど、そんなに言うほどデコボコってわけじゃないんだよな。
この道の西の起点は南大陸、ジーハンの町。という事は、本来はあの二本の大トンネルを経由して中央大陸から、この東大陸までを一本の道で繋いでいるわけで。
つまり、大規模のキャラバンなんかも通る道なんだよ、ここ。
「あ、また前方にキャラバンが」
「おけ。やり過ごすか」
進路変更。適当なところで丘の影に入り、速度も下げる。
ただし停止せず、安全を見ながらゆっくりと走る。
「どうだ?」
「こっちには気づいてると思うけど変化なし……通過するよ」
ここからは見えないが、タブレット上には通過状況が見えてるんだろうな。
「……通過した。もういいよ」
「おけ、戻るぞ」
ハンドルをきり、キャリバン号を元のルートに。
アクセルを踏み込み、再びハイウェイ速度に戻した。
スピードが乗ってきたところでルシアが話しかけてきた。
『それにしても徹底してますね』
「まぁな」
『どうして、そこまで警戒なさるのですか?確かに用心深いのはよい事ですが』
「まぁ、お互いのためかな?」
『お互いのですか?』
「ああ。全てのひとを信じなさい、けれど牛には焼き印を押しなさいって言うだろ?」
「ごめんパパ、わかんない」
「ありゃ」
アイリスもわからないとなると、類似の言葉がないって事なのか。
「簡単にいえば、善意の第三者に出来心を起こさせるような事はすんなって事だよ。
この言葉を作った地方では、牛の所有者を示すために焼き印を押したんだ。盗まれてもすぐわかるようにね。
でもそれに反発する人もいたんだろうな。俺たちを疑うのか、牛がかわいそうだろってね。
で、それに対する回答だったんだと思う」
「あー、なるほど。だからこそ、ひとの善意を疑うな、そして悪の心を育てるような真似をするなって事なのね」
「そういうこった。アイリスは理解が早いな」
「あはは、そんな事もあるよ?」
はいはい。とうとう、ヘンな言い回しまで覚えやがったか。
まぁ、実際の話だ。
俺たちとキャリバン号を不特定多数の人間たちが見て、どう思うだろうかって事なんだよな。
単に珍しいと思うならいい。ナメられてもかまわない。
だけど、それで「ガキと女しかいねえぞ。あれ奪えば大金が」とか思っちまったら?
それはつまり、焼き印の押してない牛を見せびらかしながら走るってこった。
まぁ。
向こうが強盗に変貌したところで、アイリスたちがいれば俺は問題ないだろうさ。
だけど、強盗の方は……はっきりいえば全滅するだろう。
相手が出来心かどうか、なんてその場で判断して手抜きなんて俺たちにできるわけがないし、そこまでする義理もない。
そしてここは、110番してもパトカーがきてくれるわけでもないんだ。
な、めんどくさいだろ?
俺がいちいち出会い頭を避けているのは、そういう理由があるのさ。
「さっきの連中、離れていったか?」
「問題ないよー」
「おけ」
キャリバン号はずっと、メーター読みで時速70km弱で走り続けている。
馬車と違い、この世界の魔獣車ってやつは結構速いんだけど、この速度を出せるのはほとんどない。出せたとしても維持できない。
つまり逆にいうと、これで追いすがってくるのは普通じゃないって事でもある。
「ハイウェイ以外はどうなってる?」
「魔物ならたくさんいるよ。でもハイウェイからは一定の距離を保っているよ」
近寄ってはこない、か。例の結界だよな。
ああ、そういえば。
「ん?」
俺が目を向けたのに気づいたのか、アイリスが首をかしげた。
「いや、実はさ。結界魔法っていまいち理解できてないんだよな。後で教えてくれるか?」
「あ、うん。よくわかんないけど、わかった」
たびたび思う事なんだけど、俺がいまいち理解できてないと思うものに魔法の知識がある。
たとえば。
俺にとって最も馴染み深い魔法というと、アイリスの使う偽装草ってやつだ。最初はクローバーみたいな葉っぱが使われて、後にはルシアの葉っぱを使うようになって戦力アップしたんだけど。
「その偽装草なんだけどさ。どうも状況によって効果が変わってる気がするんだけど。気のせいか?」
お昼。街道から離れた丘に移動し、そこで休憩する事にした。
ランサとマイはパトロールという名の狩りに逝っちまった。遠くへは行くなと釘をさしてあるけどな。
俺はというと、魚と米があるので焼き魚定食にしようと作業中だ。で、ちょうどいいので質問の続きをしたわけだ。
さて。
その肝心のお題の方なんだが?
「効果なら変わってるよ?場合によって色々」
「やっぱりそうなのか。じゃあそもそも偽装草ってどういう魔法なんだ?」
「忌避魔法ってやつだねえ。んー、じゃあ、パパの前ではじめて使った頃から説明するよ?」
「頼む」
大きくうなずくと、アイリスは偽装草について、改めて説明してくれた。
「そもそも結界魔法っていうのはね、何かをよせつけない、または何かを分ける、閉じ込める……要するに拒絶の魔法なんだよね。偽装草はその中でも初歩に属する魔法で、だからこそわたしでも使えるわけ」
「ふむふむ」
「でも、前にも話したと思うんだけど、同じ魔法でも触媒に何を使うか、どういう魔力を込めるかでも偽装草はその姿を大きく変えるんだよ。
最初に使っていたのは本物の偽装草の葉っぱだったし、込めた魔力もわたしのものだったから『どうでもいいものに偽装する、あるいは何もないと偽装して注意をそらす』程度の効果しかなかったわけ。
でも、ルシアちゃんの葉っぱ使ったら全然違ったでしょう?」
「ああ。確か素材に大きく左右されるんだっけか」
もっともよくできた基本結界術。そんな話もきいたっけ。
「素材によって左右されるのは効力だけじゃないんだよ。性質も大きく変わるの。
たとえば、基本状態だと不快なものに忌避感を与えて近づけないっていう能力が、単に忌避感だけでなく能動的に誘導するようになったり、幻惑を見せて追い払ったり。果ては因果に影響を与えてしまって、何か別の用件ができてそもそも近寄って来なくなったりもするんだよ」
「……すげえなそれ」
同じ魔法で、そこまで性質、いや力の方向性が変わっちまうのか?
だけど、そう言うとアイリスは「ちがうよー」と苦笑した。
「方向性は何も変わらないよ。それを言うなら同じ方向に、ただ強くなっただけかな?」
「そうなのか?でも、明らかに効果が違わないか?因果にも影響って洒落にならない気がするんだが?」
『それは、効果という一面のみで魔法を評価しているからとも言えます』
ルシアが助け船を出してくれた。
『実用的に魔法を語るならば、その効果に注目するのは現実的です。
しかし、魔法そのものを理解するためには、その課程に注目する必要があるのです。
偽装草の効果は「拒絶」。それが弱く働けば「よくわからないが近寄りたくない」という不安感の圧迫となって現れるわけですが、拒絶が強すぎると空間のみでなく時間の座標にも左右してしまうのです。そのために前後の因果まで捻じ曲げられるわけです』
「あ……時間か。そうか、空間だけでなく時間座標にも及ぶのか!」
『おわかりいただけましたか?』
「いただけたいただけた!しかし、スゲエなオイ」
なるほど。
時間軸にも影響があるというだけで『拒絶』という効果自体は常に同じってことか。
いや、しかし。
トリリランドって、アイリスが自称するよりはるかにやばい魔法なんじゃないか?
『もちろんです。基本にして究極。以前にも申し上げましたが、偽装草とはまさにそういう魔法なのです』
「おー」
なるほどなぁ。
「お、そろそろ焼けてきたか。アイリス、皿とし──」
「はい、お皿と醤油。わさびは?」
「よろしく」




