ククリカの乙女
「獣人族の愛憎に興味がおありかしら、客人さん?」
そんな、風のような声が背後から響いた瞬間、俺はギョッとして振り返った。
なんで気付かなかった?
いや、そもそもどうしてルシアが警告しなかった?
「どうなさったの?」
「あ、いやその」
そこにいたのは、魔族とおぼしき少女だった。
どうして魔族と思ったかというと、オルガによく似ていたからだ。タイプは違うけど、やっぱりオルガと同様の東洋的美女、いや美少女で。
そして。
「……」
強烈な魔力の高鳴りが特色だった。
何者だ?
思わず反射的に、ルシア妹を放っていた。
『リリス・ガ・テニオペ』吸血鬼
魔族の一種であるが、どういう経緯か他者の血を吸うようになった一族。肉体的には普通の魔族よりもさらに脆弱であるが、血の恩恵により長い年月を老いる事なく生きるという。テニオペとは魔族系の吸血族がよく名乗る姓で、地球における『アルカード(ドラキュラを逆に読んだもの)』のようなものである。
なお、彼女はオルガ・マシャナリ・マフワンの祖母である。
オルガの祖母?しかも吸血鬼?
俺は思わず、まじまじと少女の姿を見てしまった。
確かにオルガの面影はある。
だけど、はっきりいうとオルガの妹、それもだいぶ下の妹って感じしかしないのだけど?
「そんなに若くみえるのかしら。お世辞でも嬉しいわ」
少女は何を考えているのか、ウフフと楽しげに笑った。
吸血鬼……ねえ。魔族にそんなバリエーションがあるというのは初耳なんだが、なぁルシア……ルシア?
おかしい、返事がない。
「えっと、どうなさったのかしら?」
「いや。さっきから仲間の声が聞こえなくなっていてな」
目の前の怪しい少女に向かって、俺はついそんな事を口走っていた。
「あーごめんなさい、それは私のせいね。私の魔力は少し特殊だから」
ほう?
少女は半歩だけ後ろに下がると、ドレスのスカートを持ち静かに挨拶っぽいしぐさをした。
「お初にお目にかかりますわ客人さん。私はリリス。リリス・ガ・テニオペ。またの名をリリス・リオナ・マフワン。どちらでもお好きな方でお呼びくださいな」
「これはご丁寧に。こちらの作法を知らないので失礼になるかもですが……ハチと申します。リリスさんでよろしいですか?」
「あら」
少女、リリスは不思議そうに首をかしげた。
「家名には興味がないという事かしら?嘘をついているようには見えないわね」
「マフワンが家名だというのなら、俺の友人のご家族だろうかってくらいには興味ありますけど。そういう意味ではなく?」
「友人ねえ。その者の名は?」
「オルガ・マシャナリ・マフワン。まぁ、彼女の方がどう思ってくれているかはわからないから、俺のひとりよがりかもしれないんですが……けど、俺の味方になってくれるって言ってくれましたし」
「へぇ、あの子がねえ。そうなの……」
なんだか不機嫌そうな顔。不審なものを見るかのような、というか、それそのものの顔。
しばらくその顔が続いたのだけど、
「ふう、なるほどねえ」
唐突に、その表情が花のようにほころんだ。
「うふふ、なるほどねえ。あの子が乗り物を受け取るなんて一体何者かと思ったのだけど。こりゃあ面白そうな子を捕まえたものねえ」
「えっと……」
何がなんだかさっぱりわからない。
そもそも、何しにきたんだこの人。オルガの祖母って事は、孫にヘンな虫でもついてないか見に来たとでもいうのか?
むう……見た目はむしろ、この人の方がよっぽど悪い人にさらわれそうで心配なんだが。
そんな事を考えていると、リリスは楽しげにケラケラと笑った。
「あら、ありがと。
でも私は大丈夫。見た目はこの通りだけど、これでも二千の春を越えた真なるククリカの乙女よ。そう簡単にそこいらの者にやられる事はないわ」
「ククリカの乙女?」
「ああ、ご存知ないのね」
なるほどとリリスは頷いた。
「魔族はもともと魔力に秀でた種族だけど、その中でも色々な理由で、非常に強い魔力と引き換えに身体の弱い者が出る事があるの。これを通称、乙女とか少年というのね。そう……異世界の言い方でいえば吸血鬼かしら」
「吸血鬼……」
「どういう経緯で乙女が生まれるのかは、よくわかってないわ。元々虚弱体質で、種族が確定する時にそれを補おうとしているんだっていうのが定説だけど、これもあくまで仮説にすぎない。
ただわかっているのは、血を媒介にして強大な魔力を振るう事ができる事。そして血の力を使えば使うほど、寿命が異様に伸びる事」
「……」
「びっくりさせてしまったかしら?」
「いえ」
確かにびっくりはした。
でも、この世界にきて色々と驚いた事に比べたら、うん。
そんな俺を見て、リリスはウンウンとなぜか楽しげに頷いた。
「こんな外見だから変だって言われるかもだけど、オルガは私の孫よ。色々と世間では言われてる子だけど、私の子どもたちの中で一番のお気に入りなの。単に才能があるだけでなく自立心を持ち、そして公私をきちんと分けている。多少、素行に問題があるようだけど、マフワンを名乗るにふさわしい子だと思っているわ」
そういって、にんまりと笑った。
「そんな可愛い孫が珍しく研究以外に興味をもったかと思えば、なんと乗り物を贈られたといって、その乗り物を子供のような顔で嬉しそうに乗り回してるじゃないの。まったく何事かと思ったわもう」
「なるほど……」
要するに、俺が何者かを見に来たってことか。
「ええ、そうよ……異世界からきた不思議な王子様をね」
クスクスとリリス……さんは笑い、そして俺に顔を近づけてきた。
ってオイ、
「ちょ、待った!」
「?」
「近い、近いですって!」
リリスさんときたら、俺にキスでもせんばかりに顔を寄せてくるんだ。
「あら、ちょっと吸わせてほしいだけよ。ダメかしら」
「吸う……血を吸うって事?」
「ええ、そうよ」
あっけらかんとした顔でリリスさんは言った。
「あの子に誓っていうけど命に別状はないわ。ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
「……」
そ、そう言われてもな。
確かにオルガの祖母というのなら、かまわないじゃないかって気もする。
だけど、いくら情報がとれるといっても彼女とは初対面だ。吸血鬼というのも何者かわからないのに、うかうかと信用していいものか?
とりあえず、俺は自分の心の赴くままに言ってみる事にした。
「すみません。悪いんですけど、たとえ安全と言われても、初対面の人にいきなり血を吸わせるというのは気が進みませんので」
「どうしても?」
「はい。本当にごめんなさい」
「……」
リリスさんは、ふうっと息をはいて。
そして。
「あっきれた、大した強さねえ。さすが姉様が選んだ男だわ」
「は?」
「何が『は?』よ、まったくもう。ここまでしっかり幻惑にかかってるのに、それでも逆らえるなんて」
えっと……なに?
困っていると、リリスさんは苦笑して「もう一回、私の情報を見てみなさい」といった。
え?
情報?
『リリス・ガ・テニオペ』吸血鬼
魔族の一種であるが、どういう経緯か他者の血を吸うようになった一族。肉体的には普通の魔族よりもさらに脆弱であるが、血の恩恵により長い年月を老いる事なく生きるという。テニオペとは魔族系の吸血族がよく名乗る姓で、地球における『アルカード(ドラキュラを逆に読んだもの)』のようなものである。
なお、彼女はオルガ・マシャナリ・マフワンと長年の親友であり、義理の姉妹を名乗るほどである。
「お祖母さんでなく親友だったんだ」
「おばあちゃんでなくお姉ちゃんなの。オルガはどういうわけか妹扱いするんだけどね、もう」
むうっと眉をよせるしぐさが可愛い。
いや、こりゃ確かに妹って感じじゃないか?。
「何か言いたそうね?」
「いえいえ」
リリスさんは、ふーんという顔で俺を上から下まで見て、そして「ふむ」とうなずいた。
「ギリギリだけど、まぁとりあえず合格点あげとくわ。でも勉強はしとくべきね」
「勉強?吸血鬼の?」
「ええ、そうよ」
そう言うとリリスさんは、どこかから一冊の茶色い表紙の本を取り出してきた。
「この本は吸血鬼について書かれた研究書よ。本当は魔大陸から出しちゃいけない本なんだけどね。
でも、魔大陸にくるつもりなんでしょ?
来る前にちゃんとこれ読んで予習する事、いい?」
「はぁ、どうも……って、いいの?持ち出し禁止なんでしょ?」
「もちろん本当はダメよ、だからしっかり隠してね。
とにかく、騙されたと思ってこれ読んで。読んだら意味がわかるから」
「はぁ……とりあえず了解」
こうまで言うんだ、それなりに意味があるのだろう。受け取っておく事にした。
「それと、もうひとつ忠告。ちょっとそこに立って」
「え?」
「いいから立って」
「あ、ああ」
言われる通りに立つと、リリスさんは右手をそっと、俺の首にはしらせた。
「ハチさん。吸血っていうと、どういうイメージがある?やっぱり首に牙をたてる感じ?」
「ああ」
ていうか、他にあるのか?
「その認識は今すぐすててくれるかしら?
血を吸うっていうのは比喩的なものでね、実際にはエネルギーの吸収なのよ。だから」
リリスさんがそう言って、うっとりと笑った瞬間だった。
首のあたりがスウッと重くなって、そして頭がクラッとして。
な、なんだ……意識が遠くなって。
だんだんと遠ざかる中、リリスさんの声が頭に響き渡っていく……。
「実際にはこうやって、首に手をあてるだけとか、効率悪いけど魔法をあてて吸い取るなんて事もできるのよ。
そして、血を吸う代わりに麻薬や毒を送り込み、相手を操る事もね。
いい?決して忘れちゃダメ。
そして起きたら、お仲間さんと一緒に対策をたてるの。
くれぐれも、いい?なんの対策もなしに魔大陸にくるのだけは絶対ダメよ、わかった?」
ああ。わかった。
「ん、よろしい。そんじゃ皆さんにごめんなさいって伝えてね。また会いましょうね、オルガの大切な人」




