旅路のあれこれ
朝の目覚めは、とても心地よいものだった。
キャリバン号は軽四のうえに規格が古いので、いくらワゴンでも中の広さはたかが知れている。しかも色々荷物もあるわけで、以前の俺は、荷物の隙間に寝袋を入れるようにして寝ていたんだけど。
なんかね、なぞの床下収納ボックスとかあるんだよね。どう考えても、そこ物理的に車の外じゃないのって空間にぽっかりと。なんていうか、まるでだれでも知ってる有名な青狸ロボットのお腹のポケットのごとく。
で、そこに荷物の多くを入れるようにしたおかげで、広い寝床ができたと。
ふと気づくと、そこはまるでベッドルーム。最新型の軽ワゴンの中のようにフルフラットになった床にある、これまた普通の日本式のお布団で目覚めると、ほとんど俺にしがみつかんばかりにアイリスがスースー眠っている。
こうしてみると、やっぱり子供だよな。うん。
急速に成長が続いているのはわかる。このままいけば、明日にも思春期ど真ん中の容姿に到達してしまうかもしれない。そう思う。
そんなに急いで成長しなくてもいいのになぁ。
自分の過ぎ去った子供時代を思い出し、俺は苦笑いした。
過ぎてみて、はじめてわかるあの時代。いい事も悪い事もあったが、二度と戻れない事だけはおそらく間違いない時代。
(急がず、ゆっくり来ればいいのに)
アイリスの精神構造はおそらく、人間の女の子とは違うだろう。
でもやっぱり思うのだ。「そんなに急いで大人にならなくてもいいよ」と。
そうしたら、
『わが眷属を思いやってくれるのは嬉しいが、それはおそらく無理だろう』
そんな声が唐突に、俺の頭に響き渡った。
あぁ、彼か。
『驚かしてすまない。これの心を見て問題がないか調べていたのだよ。これはまだ生まれたばかりだからね』
いえ、俺の方こそすみません。ところで無理とはなぜです?
『ぶっちゃければ、成長は最初から決められているからだよ』
つまり、予定通りだという事か?
『もともとこれは……ああすまない、アイリスと呼ぶべきだな。アイリスの容姿や性格は君の深層心理から引き出したものなのだよ。もっと単刀直入にいえば、君が本能的に求める異性要素を固めて作り上げたというか』
いやいや勘弁してください。だからロリコン趣味はないですってば。
『わかっている。もちろん現時点の彼女はまだ「未完成品」だよ。
君に渡したのは他でもない。君のそばで、君とふれあい、君の魔力をうけて成長させ、完成させるのが一番よいと思ったからだよ』
……。
彼の言葉は俺自身、薄々感づいていた事でもあった。
はっきり言うと、俺のエージェント的立場にしておくだけなら、アイリスを急いで成長させる必要はないと思うのだ。
にも関わらず、急速に成長させる事が最初から予定に組み込まれている。
だとしたら、それは何のためか?
……そう。
そもそも最初から、彼は俺に『女の子』でなく『女』を渡すつもりだった。そういう事ではないか?
『まだ気づいてほしくはなかったが、君に嘘は言いたくない。そのとおりだ』
やっぱりか。俺は頭を抱えたくなった。
でも、どうして?
そういう意味のコンパニオンキャラを渡したいというのなら、最初からそうすればよかったんじゃないか?
『いや、それはダメだな。いきなり女を渡すといえば、君は断ったろう。違うかね?』
……それは。
うむ。それは……確かに否定できないな。
『男女の問題はデリケートなものだ。無理やり同居させてもこじれる可能性があるし、我も無理強いする趣味はないのでね。
ゆえに、準備期間と選択肢を設けたのだよ。
最終的にどういう関係に落ち着くかは、これから君ら自身で決めればよい』
……なるほど。わかりました。
『まぁ、あえて一言いえば』
ん?
『君がアイリスに「異性」を意識している限り、アイリスは君が意識した通り、君好みの女になるまで成長を続ける。
これは深層心理に反応するものだから、いくら君が育つな、大きくなるなといっても無駄だよ。
アイリスは君の好みを忠実に反映する。ただそれだけさ』
……。
俺は最後の言葉を聞いた瞬間、余計なお世話だと言いたくなった。
やれやれ困ったもんだ。
「ん……?」
「ああ、起こしちまったか?ごめんな」
「……おはよう……」
「ああ、おはよう」
アイリスが眠そうな顔で、ふわぁぁとアクビをした。
まぁ、なんだ。おっさんどもにどんな問題や悪巧みがあろうと、まぁアイリス当人には関係のない話だよな。
実に可愛らしい寝起き顔を見ながら、俺はそんな事を考えた。
「さて、いくか」
「いこー!」
「わんっ!」
ぶるるん。キャリバン号も元気そうだ。
爽やかな朝食が終わって準備完了、俺たちは南のポリット平原を目指し出発した。
「いやぁ、今日もいい天気だな。そういやこの辺って雨は多いのかな?」
「そこそこ多いかも」
やはりか。
「まぁ車だから移動中は雨天装備なんていらないけど……ま、その時はそのときか」
昔バイクで移動していた時は、雨の日はそのまま連泊の事もあった。奥の細道だって天候の悪い日は連泊しているものだ。そう考えれば、キャリバン号という旅の相棒がいる俺は、実に自由だ。
もちろん、開放感がある自由という意味では、徒歩や自転車、オートバイの旅にはかなわない。
だけど、実用面を考えるとどうしても車両は必要になる。
特にこの異世界のように、何がいるかわからないような場所を旅するならば。
そうだよね?
こちらに来てしまったあの初日、もしキャリバン号がなかったら……俺は見知らぬ何かの襲撃に怯え、眠る事なんかできなかったろうし、水や食料にたどり着く前に餓死するか狼に食われて死んじまった可能性が高い。
いやほんと。
月日は長い時を往く旅人であって、そこに住む我々も皆、旅人なのだってのは松尾芭蕉の言葉だっけ?
そうだよなぁ。
旅する人生、持つべきは荷物の乗る車だぜ。なぁ相棒。
そう心の中で思うと、なぜかキャリバン号が「そのとおりだ」と応えたような気がした。
「ねえパパ」
そんな事を考えていると、タブレットを凝視していたアイリスが口を開いた。
「なんだ?」
「近郊にいくつか騎馬の反応があるよ」
「騎馬?」
騎馬って事はつまり、誰かが馬に乗ってるって事だよな?
「乗ってるのは人間か?」
「このへんで馬に乗るのは人間だけだと思う」
「そうなのか?」
「うん。だってこのへん、馬なんていないもの」
ああ、そうか。
「わざわざよそから連れてきてまで乗るのは人間だけって事か」
「うん」
ふむふむ。
「そいつらの動きはどうなってる?こっちに向かってるのか?」
「ううん、何かを探してるみたい」
「ほう……へんな話だが、俺たちを探している可能性はあるか?」
「あると思う」
即答かよ。つまり結構確率高いって事だな。
「距離はどのくらいだ?」
「一番近い馬で、約31kmってとこかな」
ふむ。
「近づいてくる奴とか、常に一定の距離を保ち続ける奴とかいたら教えてくれるか?」
「わかった」
日本の感覚だと31kmは遠くないが、荒れ地と野原しかない環境の31kmはそう近くもない。こちらは荒れ地だろうと砂漠だろうと普通に走れるのだから、早めに察知すれば逃げられるだろう。
え?人間なら逢ってみないのかって?
いやー勘弁。
これは異世界にかぎらず日本の旅でもそうなんだけどさ。一番こわいのは人間なんだよ。
夜中に突然やってくる自称地元民。
得体のしれない酔っぱらい。
おいしい獲物を探しているチーマーもどき。
深夜に見知らぬ誰かが通報して、こわもて警官がパトカーで尋問しにきたりな。
ああ、密猟の下見と勝手に決めつけられて、いきなり自警団みたいなとこに連れて行かれそうになった事も。
人間ってやつは、何をするかわからない怖さがある。
凶暴な野生動物なんかより、そっちの方がずっと怖いもんなのさ。
だからさ。悪いけど、知らない奴らが組織立てでこっちを探してるって時点でノーサンキューなんだよね。
そんなこんなを考えていると、前方の景色が変わった。
今までは、左に海、目の前に街道、右に野原で遠くに山って感じだった。でも丘のようなのをひとつ乗り越えたところで、進行方向の向こうに広大な平原が広がった。海は遠く左の奥に去り、じっと見据えると「ああ、あっちが海ね」とわかるレベルになった。
よくみると、その平原は一様ではない。
一番広いのは野原だけど、川が流れているところもあり、そして、ところどころに小さな森もある。そして、こうして見てもちらほらと、草食系の大型動物の姿もみえたり。
なんだこりゃ、天然のサファリパークか?
「ほほう。これはなかなか」
「うん」
数値で見るのと実際に見るのとでは大違い。
結構な広さの、そして人間の手の入ってない平原の風景がそこにあった。
やっとこさ到着しました。




