壁・ソーシャル
キャリバン号一行が地底の道を壁に向かっていた、ちょうどその頃。
「静かなる漂泊の人は、静かなままにさせておいた方がよい、か」
南大陸、コルテア首都ジーハン。首長室のデスク。
大理石と重い石でできたデスクに座ってつぶやいているのは、アリア・マフラーン。この国のトップである山羊人の女性である。
デスクの上には伝声石にも似た魔石があり、そこから声が聞こえている。
『今までの経緯や情報から考えても、彼がもつ能力も、性格も、探索向けのものなのは間違いないと思われるニャ。当人の性格そのままに、戦闘用でなく、単に移動や探索に便利な能力で固められているという印象があるニャ。
けど、……あとは言わずともわかるニャ?』
「彼を本気で怒らせた場合、排除対象が倒木や土砂崩れでなく、軍に、町に、国に変わる可能性だってあるって事ね?」
『人をちょっと傷つけただけで自己嫌悪で落ち込むような心優しい少年を、そこまで怒らせるような国は滅んで当然とは思うニャ。けど、事実人間族国家の一部は今も彼を追いかけているニャ。何とか警告できないものかニャ?』
「そうね。そうできれば簡単なのだけど……彼らの方もかなり必死みたいよ?」
『どういう事ニャ?』
アリアは少し目を落とした。
「彼らの先日の発表で、特殊出生率というものがあるの。それがいよいよ1.5を割り込んだって」
『特殊出生率……女が生涯のうちに何人子供を産むかという平均値ニャ?』
「ええ、そうよ』
『1.4は酷いニャ。人間族国家の滅亡が早まるニャ?』
「このままだと百年もすれば国体が維持できるかっていうレベルに陥りかねないそうよ」
『えらい事だニャ……』
ちなみにこの数値、ハンドル握っている異世界人が聞いたら苦笑いするだろう。
なぜか?簡単だ、実は日本の特殊出生率も大差なく、しかも西暦2008年あたりから人口減少が既に始まっているからだ。
プログラマーだった彼は高校生の頃、半分ネタで特殊出生率と人口の推移を20年区切りで試算してみた事がある。かなり大雑把なプログラムだったにもかかわらず、特殊出生率を1.3で計算した場合、一億一千万の日本人が、どこぞの宇宙戦艦で離床する頃には総人口百万を切るという結果が出てしまい、ゾッとしたという経験があった。
この人口自然減というのは厄介で、一度加速度的に減りだすと、なかなか止まらない。
単純な話だが、特殊出生率が1.4として、2000万の母親から2800万の子供しか生まれなかったとしよう。20年後、二十年前に新生児だった者の約半数が女性だとしても、その数は1400万強程度に減ってしまう事になる。たった20年で600万減るわけだ。
さらに20年後。若い母親の数は一千万を割ってしまう事になる。
仮に、このあたりで人口増加に転じたとしよう。
でも、一度減った人口が増加に転じるには、やはり数十年から百年の時をかけなくてはならない事になる。
しかも。
これは生まれた子供が、せいぜい誤差程度の数しか死なずに成人し、しかもその半分が女性であり、さらにその全員が子供を産むと仮定した、非常に楽観的な集計データにすぎない。
つまりこの世界の人間族国家の場合、おそらく2.1でも全然足りないはず。新生児の死亡率が日本よりずっと高いためだ。
こういえば、人間族国家群の1.4が、どれだけ危機的な数値かわかろうというもの。
さて。
『それにしてもずいぶんと低いニャね。こちらで得ている情報とずいぶんと違うニャ?結婚も多いし子供もたくさん生まれてると聞いてるニャけど?』
それどころか、日本の富国強兵にも似た政策を掲げる国すらもあるはずなのに。
「ええ。その理由もご存知よね?」
『……やっぱり、精霊要素の強すぎる子供を間引いてるニャか』
「愚かな事だけど、そのようね」
『バカすぎるニャ』
呆れたような声が石から響く。
『子供は次世代を担う大切な種ニャ。信じられない事をするニャ』
「精霊分を取り込んで変異した子供は人間族と考えてないのね。子供以上ならそれでも奴隷として労働力にするなりするんだろうけど、赤ちゃんじゃ負担にしかならないし。それに」
それに、まで言ったところで、アリアは悲しそうに目を伏せた。
「教育が行き届いてるというべきかしらね。当の母親が、生まれた子供が精霊分を帯びていると知ったら処分を願い出るそうよ。うちの子が化け物にされてしまったといって」
『……末期だニャ』
「ええ、そうね」
石から聞こえてくる声も沈んでいるようだった。
「彼らの中には、異世界人との混血なら『汚染』ではないから暫定的に人間族とみなしても良い、なんて動きも出始めているのよ」
『上から目線だニャあ』
「それに、実際には異世界人の血が混じった獣人族もいるわけで、彼らのいう混血は全く免罪符にはならないのだけどね」
『まったくにゃ』
苦笑するような笑いが漏れた。
「そういえば、別の話題いいかしら?」
『何ニャ?』
「タシューナンのお姫様から興味深い話が上がっているのだけど。ハチさんの一行に協力を断られたっていうのは本当?」
『ああ、プリニダク姫の話ニャね。こちらでも掴んでいるニャけど、その話はとりあわない方がいいニャ』
「どういう事かしら?」
『第一級の禁忌に属する情報らしいニャ。樹精王や神竜族関係ニャよ。それゆえに彼はプリニダク姫に警告したのだけど、彼女が食い下がり、なし崩しで進めようとしたのでその時点で探索を中止、即座に引き返したそうニャ』
「あら」
アリアの眉がしかめられた。
「こちらに上がってきている当事者情報でも、樹精王や真竜関係の禁忌の情報に抵触する旨を警告したが引き下がる気配がなく、やむなく協力を拒否したとあるけど」
『ほぼ、その通りのようだニャ』
「彼からのデータには具体的な情報が何もないのだけど、いったい何があったのかしら?」
『禁忌は禁忌ニャ。気になるのはわかるけど、追求してはならニャいと警告しておくニャ』
「……」
『かりに強引にそのへんの追求を行った場合、全世界の真竜族および樹精王族が完全に敵に回るニャ。まさに文字通り、触らぬ神に祟りなしニャ』
「完全に敵にって……確かにそれは恐ろしい事だけど、どの程度の脅威になるのかしら?」
『どの程度の脅威?』
通信の向こうで、相手の声が絶句した。
『ちょっと待つニャ。ウチは第一級の禁忌とはっきり伝えたニャよ。意味わかって言ってるニャ?』
「ええ、真竜と樹精王の逆鱗に触れかねないような問題なのでしょう?ならば、問題の内容について知らなくちゃダメでしょう?」
『……先のコルテア首長は、何もアリアさんに伝えてなかったという事かニャ?いやまさか』
何か石の向こうで、悩むような声が聞こえてきた。
『第一級の禁忌というのはニャ、その内容にも触れるなってレベルの事ニャ。滅多にある事じゃニャいがそれだけに、これを破ると何が起きるかわからニャいニャ。それこそ千年前の悲劇すらもありうる事ニャ』
「大事じゃないの。予想される被害に従って、ただちに対応をとらなくちゃ。なのにどうして情報を出し渋るの?」
『なんで被害が来る事が前提なんニャ?』
「は?」
どうも根本的なところで噛み合っていないようだった。
「ちょっと待って頂戴。じゃあ貴女、何も起こらないのに禁忌だ禁忌だって意味のわからない事言っているの?」
『意味がわからニャいのはそっちニャ。
ウチは何ひとつおかしな事は言ってないニャ。嘘だと思ったらお得意のギルド関係に話を投げてみるニャ。第一級の禁忌って何だって言えば、年長のギルドマスターあたりが懇切丁寧に教えてくれるニャ』
「いえ、その必要はないわ」
ふうっとアリアはためいきをついた。
「どういう理由で彼がタシューナンのお姫様を怒らせたのかは知らないわ。でもタシューナン政府は彼の強制召喚を決定しているわ。外国人という事で罪に問う事はしないけど、もう一度お姫様とタシューナン道に潜る事。そして、今度はきちんと協力的であるようにって事でね」
『なるほどニャ、そんな話に……って、ちょっと待つニャ』
石からの声が途中で止まった。
『正式な国交チャンネルの話になってるニャ?まさか、まさか禁忌の内容が正式な国交チャンネルで流れてるという事かニャ?』
「国交上の機密よ。それ以上は、悪いけど商会の方に内容まで話す事はできないわ」
『何言ってるニャ!それがどれだけ最悪の事態か気づいてないニャか!?』
石の向こうで、何かを飲み込むような声が聞こえた。
『いいニャ、一度しか言わないからよく聞くニャ。
第一級の禁忌というのはニャ、それを絶対に知られてはニャらニャいって事も含むニャ。もしも第三者にそれが具体的に漏れてしまった場合、その者や、その者の所属組織は皆殺しにされるニャよ?』
「……なんですって?」
アリアが眉をしかめた。あまりの相手の慌てっぷりに、政治家としての感覚にやばいものを感じたからだった。
『そうそう、第一級の禁忌について、具体的なところが知りたいという事だったニャ。だったら教えてやるニャ。
仮にその話の中身、具体的な禁忌の内容までアリア、あんたが知っていると真竜族または樹精王族が判断した場合は、千年前の中央大陸、帝国首都と同じ光景がコルテアで見られるニャ。つまりこの世界にいる全ての真竜族がコルテアに飛来して、そのブレス攻撃でコルテア全土を焼きつくし、全ての人族を殺し尽くすニャよ。
目的はただひとつ。禁忌の話を漏洩させないため、ただそれだけのためニャ』
「……は?」
石から聞こえてくる話のでかさに、アリアの目が点になった。
「ごめんなさい、話が大風呂敷すぎて意味がわからないのだけど。サイカさん?あなた、お酒入ってないかしら?」
『どうしても警告をきくつもりがニャいか……そうか』
対する石の方の声は、悲しそうだった。
『時間があれば、そっちに行ってでも懇切丁寧に説明するのだけどニャ。悪いけどタイムオーバーにゃ。
禁忌の具体的な内容がタシューナン国内で収まっているのなら、被害はそれなりですむはずニャ。
だけど、どちらにしろ被害の範疇がわかラニャい以上、ウチらは全てのエージェントを南大陸からただちに撤退させるニャ』
「へ?え、あの、ちょっと?サイカさん?」
『では以上ニャ。できれば次がある事を祈っているニャ』
そう言うなり、通信は切れてしまった。
「……なんなのこれ」
「首長閣下、どうされました?」
「ああ、ごめんなさいね」
部屋の入り口に外交官らしき男が現れて、アリアは微笑んだ。
「今回の件で、いくつかの団体や個人から抗議が届いているわ。おたくのお姫様、ずいぶんと派手にやらかしたようね?」
「お言葉ですが、話に聞く限りでは突然に予定を変更して戻り、プリニダク様とカリーナ嬢をトンネル市に戻したのは異世界人ハチの方のようで。プリニダク様は穏便にとおっしゃられてますけど、王族は国の顔、その王族をないがしろにされては、事情はともあれ我が国としても引くわけにはいかないので」
「ま、わかるけどね……それで具体的な内容については?」
「それがですね。微妙な研究中の事なので第三者に告げるわけにはいかないとおっしゃられてまして」
「そう……」
要は王女が気を使っているのだろうとアリアは思った。
「でも変ね。私も彼には会った事があるけど、そんな状況で他人を、しかもよその王族をないがしろにするような人には見えなかったのだけど。
そのあたり、本当に当人に確認したのかしら?単に行き違いとか、純粋に学者同士の意見の相違で中止になったのではないの?」
「そうかもしれません。でも、黙っているわけにもいきませんよ」
「そうだろうけどね……でも、具体的な話の中身をご本人が黙っていらっしゃる限り、どのみち彼を非難もできないのでは?」
この時の会話は、おそらく運命の分かれ目だった。
アリアはこの点、アリアなりに心配していた。
彼女は禁忌のことなど信じてはいなかったが、プリニダク姫とハチたち一行の問題に国が頭を突っ込みすぎている事に眉をしかめていた。外交上むげにはできないが、当人たちの頭を乗り越えて国が動くという事に、あまりいいものを感じなかったからだ。
サイカ商会の警告ではないが、これはまずいのではないか?と。
もしこの時、アリアがもっと強く「当人たちの問題」を外交官に伝えていたら?
だけど。
タシューナン国、王都タシュ。
歴史もつこの町、その中心にある王城が真竜のブレス攻撃で消滅したのは、アリアたちの会話の二時間後だった。




