前編
「また同じ場所」
木に刻み付けた印を見て私はうんざりした。
おばあちゃんの家で暇を持て余していた私は家の裏手にある山に入った。実際に上ったことはなかったけど高度も高くなく分かりやすい一本道。迷うことなんてないと思っていたのに。
「迷った」
いつの間に道を外れてしまったのだろう。気がついてみれば道なんてなかった。何とか道のついたところに出ようとするけれど、どこに行っても木、木、木。あたりの見通しが悪いくらいうっそうと木々が生い茂っている。
迷ったと思ったときに近くの木に大きく印をつけて目印にし、辺りを歩き回る。
しかし、どこをどう歩いたのか絶対違う方向に向かったはずなのに印をつけた木のところに戻ってしまう。
十四時位に出たのだけど、あたりはもうオレンジ色に染まっていた。時計を持っていないから分からないけど十八時くらいかな。
もうすぐ夜になっちゃう。
早く帰らなくてはいけないと思い足を動かすのだけど
「はあ……」
同じ場所だ。
これはもしや、あれだろうか。
――神隠し
いいかい、真奈。お盆の間はけして裏山に入っちゃいけないよ。
おばーちゃん、どーして?
山に入ると、黒い影のおばけに頭からぱくりと食べられてしまうんだよ。
こわーい。
だから、裏山には行かないんだよ。
はーい。
これは、私が物心ついてきたかどうかのときの会話だ。両親もおじいちゃんおばあちゃんもかまってくれないので一人で裏山探検へと繰り出そうとして捕まって両親に説教された後の会話。
その会話は、私を大人しくさせるどころか好奇心を煽るものでしかなかった。そのため何回も裏山への侵入を試み、何回も見つかり、何回も説教された。
何年かはおばあちゃんのところに行くと裏山へ入ろうと頑張ったのだけどことごとく失敗。一度も入ることが出来ず、目を離していると危ないからとお手伝いをたくさんさせられた。なので、最近では裏山に行こうとは思わなくなっていた。
それでも、行く度おばあちゃんは私に裏山には行くなって言う。
お年寄りだから昔の話もつい最近の出来事に思っているのかもしれない。大きくなってからの話は少し怖さを増して、山では過去何人もお盆に入って帰ってこず遺体も見つからない神隠しの話と、後日獣か何かに噛み千切られたような無残な死体が出てきた話。果てはおばあちゃんのお兄さんも山に入って帰ってこずに連れて行かれてぱくりと食べられてしまう。そんな話になっていった。
そんな嘘で怖がるわけないのに。
そう思ったのに、この山には本当に何かいるの?
さわさわさわ
生暖かい風が微かに吹き木々が揺れた。
こんな風で木は揺れるだろうか。
体が強張るのが分かる。
あたりがいつの間にか薄暗くなっていた。気味の悪さが一層増す。
早く山から出なくちゃ。
ここは危ない。
さ、さわ
近くで草の揺れる音がした。
ざっ
黒い影が横に移動するのがちらりと見えた。
「う、うああああああああああああああ」
悲鳴を上げて私は駆け出した。山を降りようと下へ下へと降りた。
ざっ、ざっ、ざっ
何かは私のすぐ後ろをつかず離れず追ってくる。
「もう、何なのよ――――わっ」
何かに躓いて私は膝をすりむき一回転したため強かに体を打った。それでも、逃げなきゃと体を起こして走ろうとしたとき
ぎゅっと腕を掴まれた。
「きゃああああああああああああああああああ」
「ちょっと、落ち着いて」
「いやあああああ、私を食べるんでしょ。落ち着けるわけないじゃない」
「食べたりなんてしないよ。落ち着いて」
「え」
恐る恐る見ると、手を掴んでいるのはお兄さんだった。高校生くらいの少しかっこいい優しそうなお兄さん。
「落ち着いたか?」
「はい。あ、のさっきはごめんなさい」
「気にしてないよ」
お兄さんは、ふわりと微笑んだ。綺麗な笑顔。思わず見ほれてしまう。
「俺の顔に何かついてる?」
「いえ、そんなことない。なんでもないです」
ぶんぶんと左右に首を振って否定した。顔とか赤くなってかな。恥ずかしい。彼はそんな私の様子は特に気にならないのか「そう」と軽く頷いた。
「そう。なんでもないの。ところでお兄さん、どうやって山から降りればいいか分る? 迷っちゃって」
「それは大変だ。もう夜になる。早く降りたほうがいい。案内してあげるよ」
お兄さんはそう言って前を歩き出した。すたすたと軽い足取りで迷いなく進んでいく。私はそれに遅れないように必死に付いて行った。足は擦り剥いているし体のあちこちが痛い。それにでこぼこしてて道がついていないところを歩くから大変だ。二人で無言のまま歩いた。
不意にお兄さんが口を開く。
「ねえ君、幽霊が見えるの」
「なんでそんなこと聞くの」
足を止めて、じっとお兄さんの顔を伺った。彼も私が足を止めると止まり、向かい合う。
「幽霊、見えるんでしょ」
「そんなわけないじゃない」
幽霊が見える何て言えるわけがない。そんな事言ったら嘘つきと指をさされて笑われるに決まってる。
「絶対見えてるでしょ。だって、俺みてたし」
私が追いかけられたあれを見たのだろうか。
「あなたもあれが見えてたの」
私と同じように、見えるなんて人初めて会った。私の声は弾んでいた。
「うん、あれを退治するんだ」
彼はどこか嬉しそうに笑って言った。さっきの化け物を倒す?
「私、手伝う」
「ええ!?」
戸惑う彼を尻目に化け物退治を手伝うことに決めた。
「君、さっきすごい怖がってたよね」
「うん、怖かったね」
「普通、係わり合いになりたくないとか思わない」
「なんで? 楽しそう」
本当の理由は違った。追いかけられて、怖くて、悔しかった。よくも追い回してくれたわね。やられたまんまじゃ気持ちが治まらない。私もあいつを退治してやりたかった。退治するという場面を見ているだけで胸がすっとするだろう。
それに、幽霊が見えるという彼ともっといろいろ話をしてみたかった。
「いや、だから、何で楽しそうになるわけ」
「そう思うんだから、仕方ないじゃない。手伝うって決めたから」
「だめだ。君に幽霊が見えるなら余計危ないから絶対にこの山に入らないように、近づかないようにって言うつもりで確認したんだ」
「手伝うよ。明日もこの山に入る」
「絶対に入るな。それに、今ここにいるのも危険だ。さあ、降りよう」
お兄さんに手を引かれて走りながら山を下った。案外すぐに降りられた。もともと高い山ではないから不思議ではないけれど。やっぱり迷ったのはあの化け物のせいだったんだ。絶対退治してやるんだから。
「さあ、家へ帰りなさい。もう、山に入っちゃいけないよ」
とんと軽く押されて山から出た。ずいぶん長く山で遊んじゃったな。
「お兄さん、また明日」
そう言って家へ向かって走り出す。
「山に入るんじゃないって言ってるだろー」後ろで彼が叫んだが聞こえない振りをして大きく手を振った。お兄さんが頭を抱えてしゃがみ込んでしまったけど、それも見なかったことにした。