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雪よ、約束をありがとう

作者: 東西南喜多

テーマ小説「雪」この企画に参加されている方の作品は、「雪小説」と検索すると読む事ができます。是非、ご覧下さい。

 ゆっくりと動く光の螺旋が上へ、下へ、と煌きを広げていく。

 緑の木々を白く染め上げる粉雪。とてもきれいで、幻想的。

 だけど、一人で見てもつまらない。やっぱり、誰かと一緒に見ないと素直に綺麗だと感じられない。

 

 なあ……もう、一緒には見れないのかな?


 俺はお前と一緒に見たかった。

 誰でもない、お前と一緒に……ここで見たかったよ。

 


「おはよう、幸人(ゆきと君」

「ん? ああ……おはよう、千尋ちひろ

 頬を赤く染めた顔で微笑みを振りまく女の子が、俺に朝の挨拶をしてくる。

 ごく普通に朝の挨拶をしているが時刻は一一時半前。三時間目が終わり、教室内は賑やかな休み時間である。

 今頃? と思う奴もいるだろうが、こいつならありなのだ。

「もう、昼前だから『こんにちは』だろ?」

「いいんだよ。今日、初めて話すんだから『おはよう』なの」

「……そうだな。それで、何の用だ?」

「うーん…………別にない」

 暫く視線を宙に彷徨わせて指で唇を突付いていたが、屈託のない笑顔を俺に向けてそう答えた。

 これも、いつもの答え。でも、こいつはこれでいいんだ。

「そうそう……お昼、一緒に食べようよ」

「そうだな、それじゃ……次の授業が終わったら、一緒に食堂に行くか」

「うん。約束だからね、幸人君」

 ニコリと微笑み、自分の席へと戻っていく。その途中で一度俺に振り返って手を振っている千尋に俺も手を振り返す。

 ゆっくりした動作で自分の席に着いた千尋だったが、落ち着きなく辺りを見渡して俺と目が合うと、嬉しそうに先ほどと同じように手を振ってくる。

 だから、俺も同じように振り返す。

 朝からこれをもう何回と繰り返している。

 お昼の約束も、おはようの挨拶も、毎日、毎日……何回と、何十回、何百回と繰り返しているのだ。だけど、千尋はそれが当たり前のように同じ事を言っては、それをまた繰り返す。

 ――千尋は記憶障害なのだ。

 短期間の事を上手く記憶する事が出来ない。俺との約束も、挨拶も、全てが一度リセットされてしまう。

 千尋は、家族の事、友達の事、など昔の事を記憶している『前向性健忘ぜんこうせいけんぼう』と言う記憶障害を患っている。簡単に言えば、記憶を維持する事が出来なくて、すぐに忘れてしまうのだ。

 本来なら学校も転校しなくてはいけない状況になったのだが、千尋の母親が校長に直談判をしたのだ。だから、俺も一緒になり校長にお願いをして、俺が千尋と一緒にいると言う条件で了承を得る事が出来た。

 しかし、それからが大変で千尋は大人しく座っていたかと思えば、いきなり教室内を歩き出したり、俺の姿が見えないといきなり名前を呼びながら泣き出したりと情緒不安定な時期もあったが、次第にそれも落ち着いて行き、大人しく授業を受けるようになった。

 だが、俺も甘い言葉だけをかける訳にはいかず、時には怒った事もある。

 それもこれも、全ては千尋の為。一緒に卒業して、その先も一緒に過ごす為に必要な事なのだ。

 

 千尋がこうなったのは、一年前――俺達が付き合い始めて間もない頃――の出来事が原因だ。

 あの日、起きた事は今でも俺の脳裏に焼きついて離れる事はない。

 忘れたくても忘れられない。

 あの出来事が千尋から記憶する力を奪っていった。


 四時間目。

 授業は滞りなく進み、昼休みとなった。

 授業終了と昼休み開始のチャイムが鳴り響く中、慌しく教室を出て行くクラスメイト達。あれは購買部へパンを買いに走るいつもの連中だ。教室の中は喧騒に包まれた賑やかな団らんの雰囲気を作り、持参の弁当を広げている奴等もいる。

「幸人君……おはよう」

「ん? ああ――おはよう、千尋」

 微笑みながら挨拶をしてくる千尋に俺も挨拶を返す。このクラスでは誰もこの光景を違和感など持っていない。

 みんな、千尋の事は知っている。そして助けてもくれる。

 だけど俺はそれが嫌いだった。

 あの腫れ物に触るような目を向ける奴が嫌いで堪らなかった。クラスメイトも、先生も、あの目を向けている。

 本当の意味で千尋を助けようとしている奴なんて、誰もいないって事だ……。

「ねえ……幸人君、今日は雪降るかなあ」

 急に窓に手を付き、外を眺め始めた千尋が振り返り、そう聞いて来る。

 その目はとても楽しそうで、まるで無邪気な子供のように見えた。幼い子供、純真な子供……それを連想させる笑み。

 窓の外――薄暗い分厚い雲を蓄えた空は、確かに雪が降っても不思議はない感じがしていた。

「どうだろうな……天気予報は何も言ってなかったからね」

 だけど俺はここで「降るよ」と嘘はつけない。あるがままに伝えないといけないんだ。

 本当の事をあるがままに伝える事――それが俺に出来る唯一の事だから。

「そっか、残念だな。雪が降ると…………あれ?」

「どうした? 千尋」

「ん? 雪が降ると、なんだか嬉しい気がしたんだけど……なんでだろうね」

 窓に手を付いたまま、額をガラスに押し付けていく千尋の顔が窓ガラスに映っている。ガラスを曇らせていく吐息、悲しそうな瞳。そのどれもが俺の心をチクリと刺していく。

 覚えてないんだから仕方ない。でも、俺は覚えていて欲しかった……あの約束だけは。

「千尋、お昼食べに行こう」

「え? うーん……あっ、私お弁当があるんだよ」

「それじゃ、仕方ない。俺は食堂に行くけど、千尋はどうする?」

「私はここで食べるよ」

 俺に手を上げて自分の席へと戻っていく千尋。そのまま椅子に座り、鞄から巾着袋を取り出していく。

 今日もお弁当があるんだ。いつもの事だ――この後の台詞と行動も、いつもの事だ。

「幸人君、明日は一緒に食べようね」

「ああ、そうだな」

 自分の席に座ったまま、俺に手を振っている千尋はお弁当のフタを開けて食べ始めた。

 大好きな卵焼き、おいしそうな御飯、それを食べている嬉しそうな千尋。いつもと同じ光景で大丈夫そうだ。

 それでは俺も昼飯を食べに行くとしますか――。



 食堂は毎日変わらない人の波に押され、身動きが取れない状態だった。

 だが、俺は焦ってはない。

 普通なら食券を買ってカウンターに出すところだが、俺にはそれが必要ない。

「あ……幸人君、いらっしゃい」

「こんにちわ、留美さん」

 カウンターの中から俺に挨拶をしてきたのは食堂のおばさん。

「千尋……ちゃんと、お弁当食べてる?」

「大丈夫ですよ」

 俺の言葉に安心したのか、胸を撫で下ろしていく食堂のおばさん。

 この人は千尋の母さん――留美さんである。

 一年前までは証券会社に務めるキャリアウーマンだったが、千尋の一件でスパッと仕事を辞め、この学校の食堂で働き出した。「少しでも近くにいたい」と言っていた留美さんの顔は母親そのものだった。そして、俺にも申し訳ない、と頭を下げた……。

「それじゃ、はい――いつものね」

「いつも、すいません」

「ううん……いいのよ。私に出来る事って少ないから」

 眉尻を下げて、悲しそうに瞳を伏せていく留美さんは袖口で目元を拭い、無理やり微笑んでいた。

「幸人君はいっぱい食べて元気でいてね」

「はい」

 その微笑みを見ると胸が痛くなる。あれは俺のせいで、それで千尋は記憶を失うようになったんだ。

 なのに、みんな……俺には何も言わない。その無言の圧力プレッシャーに身体中が悲鳴をあげている。


 あの日、あの場所で、俺は……。



 一年前――あの日、初雪が降った。

 朝から降り続けている雪が夕方になっても見事に降り積もり、地面を真っ白に変えていた。

 その中を俺は千尋といつものように学校から帰っていた。歩道を歩く俺達の横を車が徐行運転しながら通り過ぎていく。道路は昨日から降り積もった雪とは別に、朝からの雪で見事なまでに凍っていた。そんな道路を横に、歩道の雪を踏み固めて歩く千尋は楽しそうに鼻歌を歌い、俺に振り返りながら歩いて行く。空からは雪がひらひらと舞い落ちては俺達も白く染めようとしている。

「幸人、早くおいでよ。置いていくよお」

「そんなに急ぐと、転ぶぞ」

「私はそんなにどん臭くないよーだっ」

 舌を出しておどけている千尋がはにかんだ笑顔を向け俺に駆け寄って来るが、そのまま視界から消えていった。

 盛大な音がしたのだけど大丈夫だろうか?

「何、やってんだよ……千尋」

「ははは……転んじゃった」

 俺の足元で尻餅をついている千尋が苦笑いを浮かべて見上げている。あれだけ大見得をきってこのざまではさすがにバツが悪いと言う事か。

「ほら、掴まれ――濡れるぞ」

「うん、ありがとう。ああ、もう……お尻が冷たいよ」

 俺の手に捕まり、立ち上がっていく千尋は手で雪を払い除けていく。文句を言いながらも子供みたいに楽しそうな千尋を見て自然と頬が緩んでいる。

 千尋は雪が好き――それも理由が少し変わっている。

『幸人と雪って、何だか似てるよね』

 恥ずかしそうに頬を染めて話していたのを思い出すと俺まで恥ずかしくなってくる。

「何、ぼーっとしているのよ、幸人!」

「うば! 冷てえ……な、何するんだよ」

 いきなり、俺の頭に冷たいものが降りかかって来て――

「ははは! 幸人、頭真っ白になってるぅ」

 楽しそうに笑っている千尋の声が聞こえてくる。

 手には雪を丸めたものを持っており、俺を指さして大笑いしている千尋。なるほど……俺の頭についているのは雪か。

 そして、それを投げて馬鹿笑いをしている訳だ。しかし、俺もこのままでは納得出来ないので――。

「このっ」

「きゃあ! ちょっ――冷たいって」

 俺が投げる雪玉を手で避けながら俺に雪玉を投げてくる千尋。走って行きながらも雪玉を投げてくる千尋を追って俺も駆ける。

 笑い声が辺りに響き、俺達の間を行き交う雪玉。

 こんな事をして『高校生にもなって』と思われるかも知れないが、この時間が、この瞬間が楽しいのだからいいじゃないか。

「もう、幸人のばか」

 首元に入った雪を退けながら俺を睨んでくる千尋だが、寒さのせいか、仄かに赤く染まった頬が妙に色気があり、一瞬ドキっとしてしまう。

「もう、幸人。この! えいっ」

「ぶは! このやろうっ」

 千尋の投げてくる雪玉が俺の顔に命中して、上機嫌で笑っている。

 俺も負けじと応酬するが千尋は軽いステップで交していく。確かに運動神経はよさそうだ。


「幸人、危ないって。もう、次や――」


 そこで、千尋の声は途切れてしまった。

 最初は何があったか分からなかった。鼓膜を破るほどの甲高い音が響き、何かが突っ込んできたのだ。

 目の前には千尋――瞳を閉じて地面に横たわる千尋がいる。だけど、なんで俺も地面に倒れているんだ?

 全てが横向きに見える……。

 周囲のざわめきが俺の耳に届く。耳鳴りが酷く、意識が朦朧としてきた。あれ……俺はどうなっているんだよ。なんで千尋は動かないんだよ? なんで雪が赤く染まっているだよ?

「……ちひ、ろ」

 そのまま、俺の意識は黒く染まっていった……。

 

 そして気付いた時は俺はベットの上にいた。

 無機質な天上が俺を迎え、蛍光灯の光が眩しく視界を白く染め上げていた。状況が掴めない俺にベット脇にいた両親が何が起きたのかを教えてくれた。

 あの場所で起こった事故――雪でスリップした車が俺達に突っ込んできたのだと言う。

 かなりのスピードでぶつかったみたいで「二人が生きているのも不思議なぐらいだと医師が言っている」と言う母親の声に俺は我に返り、千尋の事を聞いた。そして教えられたのが意識不明の重体だと言う事だった。

 俺も一週間も寝たままで、「覚悟しておいてください」と言われていたらしい。

 そして、俺が目覚めてから更に一週間経って、千尋は目を覚ました。

 目を覚ました千尋は精密検査を受け、その結果を留美さんから聞いたとき、あまりに酷い現実に目の前が真っ暗になった。


 俺が周りを見ていなかったから――俺が千尋を追いかけたばかりに、あんな事になるなんて……。

 なんで俺じゃなくて千尋なんだ。千尋は何も悪い事なんてしてないじゃないか……。

 俺と、ただ一緒に帰っていただけなのに、なんでこんな目に遭わなくてはいけないんだよ。

 俺がもっと注意していれば、千尋が事故に遭う事なんてなかったはずだ。

 俺が舞い上がったばかりに千尋が――。


 だから、俺が悪いんだ……。



 薄暗い曇り空は今にも雪が降りそうな感じがしている。

 朝から晴れてはいなかったが、いつ雪が降ってもおかしくない天気である事に変わりはない。

「……寒いな」

「寒いねえ、幸人君」

 隣を楽しそうなステップを踏んで歩いている千尋が俺に振り返って手を振っている。

 ――幸人君。

 俺を呼ぶ名前はあの事故以来『君』付けになっている。他の事は覚えているのだが俺の記憶だけはかなり曖昧になっている。理由なんて分からないが付き合っていた時の記憶がなく、俺の事は友達としてしか認識していない。

「千尋、危ないから、こっちにおいでっ」

「大丈夫だよ」

 クスクスと笑みを浮かべている千尋は立ち止まって空を見上げていく。

「雪……降らないかな」

 子供と何ら変わりのない仕草で両手を高らかに上げる千尋は楽しそうに歌ってた。

 一年前のあの日、あの時、鼻歌で歌っていた――雪や、こんこ、霰や、こんこ――を、口ずさんでいる。

 本当に雪が降るのを待ちわびている。

 そんな顔をして空を見上げる千尋を見ていると胸が痛い。一年前の姿がダブって霞んで見える。

 雪の中、遊びながら帰ったこの道、楽しい声、雪の冷たさ、白い吐息、全てが鮮明に思い出されていく記憶。

「幸人君……どうしたの? なんで泣いてるの?」

「ん……なんでもないよ」

 俺の顔を覗き込むようにして正面から見据えている千尋。

 真っ直ぐと俺を見る瞳には曇りなどない純粋な光が宿っている。本当に俺の事を心配してくれている目だ。

 打算や思惑、下心……そんなものはない、純真な気持ちが溢れている千尋の心を表している。

「どこか、痛いの?」

「大丈夫だ。それより、早く帰ろう……寒いだろ」

「うん、帰ろう」

 にこやかな笑顔を俺に向けて前を歩く千尋が一度俺に振り返り――

「幸人君、早くおいでよ」

 そう言うと、また前を向いて歩き出した。

 スカートを翻して歩いて行く千尋のうしろ姿を眺め、小走りに駆け寄る。隣に立つ俺に笑顔を向けてくる千尋と一緒に家路へと着いた。



 駅前に佇む俺の周りを通り過ぎていく人の波。

 ロータリーに置かれているベンチに腰掛け、見上げる先には――大きなクリスマスツリー。

 毎年この時期になると駅前に出来るクリスマスツリーで、昨日の昼間飾り付けが終わって本日からお披露目となった。このツリーは町のちょっとした名物となっているが、去年は見る事も出来なかった。

 あの事故で俺と千尋が退院した時にはクリスマスが終わっていたからだ。

「やっぱり、綺麗だな……」

 電飾に彩られたツリーが緑や赤の光を放ち、周囲を同じ色に染めていく。

「一緒に見たかったよ……千尋」

 見え上げたツリーの先には大きな星が一つ。千尋はあの星を触ってみたいと言っていた。

 一年前のあの日――本当なら俺達はこのクリスマスツリーを見に行く約束をしていた。あの日、あの夜に、俺達は一緒にこのツリーを見ているはずだった。なのに現実は違った……千尋と俺から約束を奪っていった。

 全てを奪われて俺は今ここにいる。

 あいつの記憶を返して欲しい。

 俺との約束を返して欲しい。

 ――クリスマスツリーを一緒に見る約束を、叶えて欲しい。

 今、千尋は家にいる。

 時刻は八時――丁度、テレビを見ている頃だろう。留美さんの手作り料理を食べ、笑い、楽しい一時を過ごしている事だろう。だけど、俺の事はきっと何も考えてないと思う。

 今の千尋にとって俺はただの友達。自分の事を知っている、話し掛けてくれる、ただの友達。

 ただ、それだけの存在。

「……千尋」

 白く空に上っていく息はかき消されるように散っている。続けて吐き出した息も同じようにかき消されていく。

 見上げた空は夜の闇を雲に覆われ、一層の冷え込みを呼び込んでいるようだ。

 さて、風邪を引かないうちに帰るか……明日も学校に行かないといけない。重い腰を上げ、立ち上がった俺の顔に冷たいものが当たる。

「――んっ?」

 顔を指でなぞり、もう一度空を見上げると――


「……雪」


 空から、ひらひら、と舞い落ちてくる白い雪。

 粉雪が舞い踊り、俺の頭に、肩に、腕に……。

 誰もが足を止め、空を見上げている。この幻想的な光景を誰もが声もなく、ただ見上げている。

 ――今年、初めての雪。

 ひらひら、ひらひら……。

 ひらひら、ひらひら……。

 舞い落ちる雪。真っ暗な空から降ってくる白い雪が、ふわりと手の中に落ちて溶けていく。


「千尋…………雪が……降ったよ」


 見上げていた俺の頬を温かいものが一つ流れ落ちていく。

 ――千尋、見てるか?

 お前が待ち望んでいた雪が降ったよ。綺麗な雪……とても綺麗な雪だよ。

 この舞い落ちる雪がお前の記憶なら――俺は全ては拾い集めるに……。

 一つ残らず、集めるのに……。

 一年前の約束。

 俺一人では叶わないんだよ……千尋。

「やっぱり……お前と一緒に見ないと寂しいよ」

 赤と緑の電飾に照らされてツリーを雪がゆっくりと白く染めていく。

 頬を流れ落ちる雫をそのままに、ただ……いつまでも、いつまでも、眺めていた。



 ――翌日。

 昨日の夜、降り始めた雪は朝方にはすっかり止んでいた。

「幸人君、まだ雪が残ってるよ」

「千尋、走ると転ぶぞ」

 振り返りながら走って行く千尋は本当に楽しそうに雪を眺めている。

 朝も曇り空だったので、まだ雪が振るかと思ったが、夕方になった今でも一向に降る気配はない。

「幸人君、楽しいねえ」

「……そうだな」

 その場でクルリと廻っている千尋――その笑顔も、表情も、昔の千尋を見ているようだ。

 雪を見て楽しそうに駆ける姿……あの日と同じ、千尋がいるように感じる。

「ねえ……幸人君」

「なんだ?」

 不意に俺の顔を覗き込みながら――

「……幸人、て呼んだ方がいい?」

 真剣な瞳をして聞いてきた。

 咄嗟の事に意味が分からない俺に今度は微笑みを浮かべて鞄を開けていく千尋。何を言っているのか、何をしたいのか、ますます千尋の行動が分からなくなってきた。

「昨日ね……雪が降ったから、嬉しくてノートに忘れないように書いたの。そしたら、これ見つけたんだよ」

 鞄から出された手に持っていたのは、一冊のノート。

 表紙は白く、女の子らしい装飾がされた日記帳のようにも見える。

「これにね……幸人君の事、書いてたの。私の彼氏だって」

「……日記帳?」

「朝から忘れないように頑張って覚えて、そして思い出そうとしたけど……」

 眉尻を下げて目を伏せていく千尋は落ち着きなく視線を動かしていた。

 そして、おもむろに手に持っていた日記帳を開き、頁をめくっていった。

「クリスマスツリーを一緒に見ようって、約束の事も書いてるんだよ……。これって、私が事故に会った日の事だよね?」

 瞳を伏せて悲しそうに日記帳を抱きしめていく千尋は俺を見上げてくる。

「私、何も覚えてないから……きっと、幸人君に迷惑ばかり掛けてるね。ごめんね・……本当に、ごめんね」

「……千尋」

「日記帳を読んでも、私の知らない事ばかりだった。他の事は覚えてるのに、なんで幸人君の事だけ忘れてるのか、分からない」

 首を横に振る千尋から、キラリと光るものが落ちていく。

 それが、いくつも、いくつも、落ちては地面を濡らしていくが、千尋は悲しそうに瞳を瞑るだけ。

 覚えてない事に対しての謝罪。そして、悲しみ。

 俺が一緒に事故に遭った事すら覚えてないから、”俺がずっと待っていた”と思っているのだろう。

「なあ……千尋」

 目元の涙を拭いながら、俺を見ている千尋。

 そんなに泣くなよ……。


「今日、クリスマスツリーを一緒に見に行こう」


 驚いた顔をしている千尋が意味も分からない風に俺を見ている。

「一緒に駅前のツリーを見に行こう」

「でも……私」

「俺が覚えているから大丈夫だ。夜、迎えにも行くから……どんな約束でも、これからは俺がずっと覚えてるから」

 涙を拭いたはずなのに、また瞳には薄っすらと浮かんでいる。

 千尋、お前が覚える事が出来なくて、俺が代わりに覚えているから。

 だから、大丈夫だよ。

 俺が千尋の代わりに全てを覚えているから――だから、俺のそばから離れないでくれ。

「千尋の事……ずっと、覚えているから」

「……幸人君」

「大丈夫。俺と一緒にツリーを見に行こう」

 コクリと小さく頷いて微笑んでいく千尋の顔に白いものが舞い落ちてくる。

 それに引かれるように空を見上げると――


「……雪」


 そうどちらともなく呟くと、フワリと舞い落ちてくる雪が一つ。

 次第に黒い空を埋め尽くしていく白い雪が、ひらり、ひらり、と俺の顔を触れていく。

「雪……降り出したね」

「そうだな……夜には積もるかも知れないぞ」

 両手を広げて雪を掴もうとしていた千尋が俺の顔をそっと包み――

「楽しみにしているね……幸人君」

 優しい微笑みを浮かべている千尋が、俺の胸にもたれかかって来る。

「……ああ。楽しみにしとけ」

「私……頑張って覚えていたい。今日の事も、夜の事も……幸人の事も」

 温かい体温が、俺の服を突き抜け、身体中に広がっていく。

 とくん、とくん、と鼓動を打つ心臓が一つに重なっていく感じがする。

「忘れても俺が思い出させてやるよ。俺が全部覚えているから……心配するな」

「うん……約束、だよ」

「ああ、約束する」

 胸の中――薄く染めた頬で俺を見上げる千尋は優しく微笑み、瞳を閉じていく。

 雪がひらりと、俺達に舞い落ちる。

 もしかしたら、この雪が千尋に思い出すきっかけを与えてくれるのかも知れない。

 

 白い雪、穢れのない雪。

 ひらひら、と舞い落ちて、どんどん、と積もれ。

 雪よ……俺達の約束を届けてくれて……ありがとう。

メリークリスマス(笑)

なんだか、クリスマスらしくない話ですが、あえてこんな話にしました。

本当は、ハッピーエンドではなく、バットエンドまっしぐらの内容だったのですが、さすがに書いている途中で私自身が引きました(苦笑)

では、みなさん……よい、クリスマスを。

そして、よいお年を……。

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― 新着の感想 ―
[一言] いくつか文がおかしい箇所があったように思います。そこだけ気になりました。 内容はとても良かったと思います。
[一言] とても感動する作品でした。 読んでいくうちに、涙が流れていきました。 文章作るの上手ですよね。 私も見習いたいです。
[一言] すみません!評価遅くなりました! まず、話の流れを作られるのが旨いですよねえ。綺麗な文章で結末まで読ませます!ただ、話の題材が難しいので彼女の悲劇が少し伝わりにくかったかも…。でも、ホント読…
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