うたひめ 5
刃や銃弾をうけつつ、悪魔の姿はみるみるうちに型崩れをおこしてゆく。それでいながら、いまだに生きているように丸くなろうとする。
リュウとクリスタルは執拗に攻撃をくわえるが、そこへまた別のコードの群れがわらわらと頭の上から降りそそぎ、ふたりにまきつこうとする。
「邪魔するな!」
まとわりつくワイヤーを振り払おうと、リュウは刃ひらめかせ、クリスタルは拳銃をもちかえさっきみたいにトンファーのように振ってコードを振り払う。
その間に悪魔は完全に丸まって繭になった。
すると、繭から黒い翼が生えたかと思えば、コードに吊るし上げられてゆく。
とともに、繭から響きわたる少女のうたごえ。その歌は澄んで美しくも儚く、空をただよう煙のように重々しい。
かごめ かごめ
かごの中のとりは
いついつ 出やる
夜明けの ばんに
つるとかめと すべった
うしろのしょうめん
だあれ
天井からつるされた翼を持つ繭は、振り子のようにゆらゆら揺らされながら、うたひめのうたごえを響かせる。
とともに、コードの襲撃がやみ。するすると、人間から離れてゆく。
リュウとクリスタルは得物を持つ腕をたらりと垂れ下げて、あっけにとられながら、うたごえにつつまれる。
ゆれる繭は、うたごえがやむと微妙に波打ち、姿を変えてゆく。
コードにつるされて波打つ繭は、今度は蝶に姿を変えた。そして、さきほどと同じようにうたごえが響く。
コードの襲撃はない。
が、LEDが冷たい光りで無情に照らし出す海底都市の街並みは、嵐に遭ったように破壊が居残り、コードに襲われ絶命した人々のよこたわるしかばねが、あちこちに転々としている。
まるでそのレクイエムであるかのように、澄んだうたひめのうたごえは重々しくも空をゆるやかに流れる煙のように響きわたり。
人は静かに、うたひめのうたごえに身をゆだねていた。
うたごえを聴き、クリスタルがぽつりとつぶやく。
「蝶々夫人、ある晴れた日に……」
Un bel di, vedremo
levarsi un fil di fumo sull' estremo
confin del mare.
E poi la nave appare.
Poi la nave bianca
entra nel porto,
romba il suo saluto.
Vedi? E venuto!
Io non gli scendo incontro. Io no.
Mi metto la sul ciglio del colle e aspetto,
e aspetto gran tempo e non mi pesa,
la lunga attesa.
E... uscito dalla folla cittadina
un uomo, un picciol punto
s'avvia per la collina.
泣いているの なぜ?
ああ 信じていないのね!
お聞きなさい
ある日 私たちは見るでしょう
ひとすじの煙が 遠い水平線に立ち上り
やがて船があらわれるのを
その白い船は港に入り 礼砲をならすの
わかった?
あの人がお戻りになったの
でも私は迎えにゆかない
あの丘の端までいって
じっと待ちつづける
待つのは平気よ 長くても
すると人ごみの中から
点のように男の人があらわれ
丘へ向かうわ
Chi sara? Chi sara?
E come sara giunto
che dira? che dira?
Chiamera Butterfly dalla lontana.
Io senza dar risposta me ne staro nascosta
un po' per celia
e un po' per non morire al primo incontro,
ed egli alquanto in pena chiamera, chiamera:
Piccina mogliettina olezzo di verbena,
i nomi che mi dava al suo venire
それは誰?
ここへ来て 何を言うの?
その人は遠くから「蝶々」と呼ぶわ
私はこたえないで 隠れるの
隠れん坊だもの
でも本当は
会った喜びで 死んでしまわないために
あの人は心配になって呼ぶでしょう
小さな妻よ におやかな美女桜よ
むかし私を呼んでくれたように
Tutto questo avverra, te lo prometto.
Tienti la tua paura,
io consicura fede l'aspetto.
きっとこのとおりになるわ
お前は心配してるけど
私は心から信じて
あの人を待つの
うたごえは耳にささやく。
うたごえが身をつつむ間、ときは永遠であるとさえ思われた。
しかし、永遠などなく、いつしかうたごえはやんで静寂が代わって身をつつむ。
「うたひめ……」
リュウは知らずに、ぽつりとつぶやく。
うたひめは、いつのまにか蝶の頭の上に立ち、悲しげに濡れ光る瞳を下界に向けていた。
風の無い海底都市、その真っ白い髪はゆれることなく垂れ下がり。赤い瞳は見るものの目をとらえて放さない。
うたひめがこの世に出てから、何度も繰り返されたことだった。破壊さえなければ、人は惜しみない拍手をおくった。その代わりに、今はしずかに、憎悪の炎燃える眼差しがうたひめに向けられていた。
クリスタルは整った唇をきゅっと引き締めながらうたひめを見つめて、考える。
(それにしても)
うたひめは何を思って、こんなときに蝶々夫人をうたうのだろう。
天井から無数のコードが垂れ下がり、蝶の姿のブランコになると整然と縦にならび列をなし、うたひめの乗る蝶の後ろにつく。
うたひめは無言で蝶の列を道となして歩く。
「クリスタル!」
リュウの怒号。
はっとして、クリスタルは両手で拳銃を構え、銃弾をはなつ。
静寂を破る銃声響き。リュウは駆ける。
させるか! とばかりにうじゃうじゃとコードが四方八方からリュウに迫り。
「邪魔だッ!」
と大喝一声、白刃ひらめきリュウはコードを滅多斬りにする。
津波の姿をとってコードはリュウを四方八方からとりかこみ、ドームをかたちづくり閉じ込めようとする。
それを片っ端から切り裂いてゆく。
クリスタルはなつ銃弾もまた、蝶の姿から変じて鉄壁となるコードの壁にはばまれうたひめに当てられない。
うたひめは、ほくそえんでいた。
赤い瞳からは、涙が流れていた。
その涙は、リアルさを増すためにもうけられた機能だ。
涙のつぶが、ひとつ、ふたつと、頬をつたい、落ちてゆく。
涙とともに、唇から流れるうたごえ。
力拔山兮 氣蓋世
時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何
虞兮虞兮 奈若何
力 山を抜き 気は世をおおう
時は利あらずして 騅逝かず
騅の逝かざるは いかんとすべきも
虞や 虞や 汝をいかんせん
「覇王別姫!」
クリスタルは奥歯を噛みしめ、うたひめのうたごえ一旦とまれば、息を吸い込み、その唇よりうたごえ流れて響かせる。
漢兵已略地
四方楚歌聲
大王意氣盡
賤妾何聊生
漢兵すでに地を略し
四方に楚の歌声す
大王の意気尽きたれば
賤妾なんぞ生をやすんぜん
死を決した虞美人のことばとうらはらに、クリスタルはうたひめに負けぬ澄んだうたごえを響かせながら、己の生をかけて銃弾をはなった。
つづく・・・