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幸福

作者: 水無飛沫
掲載日:2026/11/07


かつては繁栄を誇っていたであろう、小高い丘の上に佇む廃墟。

倒壊寸前のあばら屋に、女が壁にもたれ座している。


白い肌に長く乱れた髪。

かつて目の覚めるような深紅だった着物も、今や枯れた桜の花弁を連想させる色である。

人形を思わせる端整な顔立ちだけが、彼女に残された最後の愛らしさであった。

けれどその凋落ぶりとて、彼女になんの感慨にも至らしめない。

――女はただ虚空を見つめて微笑んでいる。


彼女は幸福の中にいた。

現実には目もくれず、ただ一瞬享受した幸せを反芻するように、あの夜を想い続ける。


彼女は人ではなかった。

けれど一晩の過ちが、彼女を妖でも霊でもなくしてしまった。


あの夜。

求め求められた愛欲の暗闇が、彼女を捕らえ続けている。

吐息の熱が、唇の熱が、舌の熱が、滾った男の熱が、今でも彼女の心を支配している。


まだ少女だったころ、彼女はたくさんの富を人々にもたらした。

彼女はそこに居るだけで人々に財をもたらす、幸福の象徴であった。

けれど童であることに意味があったのに、童であることを捨てた女には意味が無くなってしまった。

彼女の居た家は落ちぶれ、やがて想い人ともども土地を離れてしまった。


架台だけ残した屋根から、乾いた満月が彼女を覗く。

腐った畳を撫でて、女は恍惚とした表情を見せる。

――あの晩も満月であった。

着崩れた着物から見える乳の谷間が妙に艶めかしい。

ぽつりぽつりと何事かをつぶやいているが、その声は聞こえない。

けれどそれが想い人の名前だと言うことは想像に難くない。


人でもなく、妖でもなく。

死ぬこともなく、生きているわけでもなく。

では不幸かと問われれば、誰にそれを定義などできようか。


彼女は今も幸せの中にいる。

少年を男にして、少女が女になった。あの夜を。

ずっと繰り返し夢想に耽っている。


自らの存在を壊すことになったその行為を

過ちだったなどと、ついぞ思い至ることもない。











女はずっと幸福(しあわせ)の中にいる。























胎を撫でて、その種を想う。














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