幸福
かつては繁栄を誇っていたであろう、小高い丘の上に佇む廃墟。
倒壊寸前のあばら屋に、女が壁にもたれ座している。
白い肌に長く乱れた髪。
かつて目の覚めるような深紅だった着物も、今や枯れた桜の花弁を連想させる色である。
人形を思わせる端整な顔立ちだけが、彼女に残された最後の愛らしさであった。
けれどその凋落ぶりとて、彼女になんの感慨にも至らしめない。
――女はただ虚空を見つめて微笑んでいる。
彼女は幸福の中にいた。
現実には目もくれず、ただ一瞬享受した幸せを反芻するように、あの夜を想い続ける。
彼女は人ではなかった。
けれど一晩の過ちが、彼女を妖でも霊でもなくしてしまった。
あの夜。
求め求められた愛欲の暗闇が、彼女を捕らえ続けている。
吐息の熱が、唇の熱が、舌の熱が、滾った男の熱が、今でも彼女の心を支配している。
まだ少女だったころ、彼女はたくさんの富を人々にもたらした。
彼女はそこに居るだけで人々に財をもたらす、幸福の象徴であった。
けれど童であることに意味があったのに、童であることを捨てた女には意味が無くなってしまった。
彼女の居た家は落ちぶれ、やがて想い人ともども土地を離れてしまった。
架台だけ残した屋根から、乾いた満月が彼女を覗く。
腐った畳を撫でて、女は恍惚とした表情を見せる。
――あの晩も満月であった。
着崩れた着物から見える乳の谷間が妙に艶めかしい。
ぽつりぽつりと何事かをつぶやいているが、その声は聞こえない。
けれどそれが想い人の名前だと言うことは想像に難くない。
人でもなく、妖でもなく。
死ぬこともなく、生きているわけでもなく。
では不幸かと問われれば、誰にそれを定義などできようか。
彼女は今も幸せの中にいる。
少年を男にして、少女が女になった。あの夜を。
ずっと繰り返し夢想に耽っている。
自らの存在を壊すことになったその行為を
過ちだったなどと、ついぞ思い至ることもない。
女はずっと幸福の中にいる。
胎を撫でて、その種を想う。




