エルフ・パンデミック!
2030年:日本、東京――渋谷――。
その日も渋谷のスクランブル交差点は、いつもと変わらぬ喧騒に包まれていた。
しかし、その時は唐突に訪れた――。
「え……る……エルファアアアア!!」
突如、スーツ姿の男が苦しみだし、大きな雄たけびを上げる。
それと同時に、黄色い悲鳴が人混みを引き裂いた。
先程まで苦しんでいた男の身長は伸び、耳は鋭く伸び始めると同時、服は裂け、筋骨隆々な肉体が露わとなり、頭髪は美しい金髪ロングヘアーとなった。
すると、周囲にいた女性たちが、まるでアイドルでも見つけたかのように、次々と男の元へ群がり始めた。
「ちょっと、何してるんだよ!」
一人の男性が、隣にいた恋人の腕を掴む。しかし、女性はその声に反応することもなく、ただ一点、金髪の男を見つめていた。
「おい! 聞いてんのか!」
男性が再び声を掛けると、女性はようやく振り返った。
「……素敵」
そう呟くと、女性は恋人の手を振り払い、金髪の男へと歩み寄っていった。
「ちょ待てよ!」
男性は慌てて後を追おうとしたが、ふと足を止めた。
何故だろうか。
自分もまた、あの金髪の男から目を離せなくなっていた。
それは彼だけではなかった。
女性だけでなく、男性までもが、何かに導かれるように金髪の男へと近づいていく。
そして、誰からともなく男に抱きつき、唇を重ね始めた。
そこには羞恥心も、躊躇いもなかった。
まるで、それがごく当たり前の行為であるかのように――。
その光景を遠巻きに眺める人々の中には、何かの撮影か、或いは本当に芸能人でもいるのかと思い、好奇の目を向ける者も居れば、先を急ぐ者もいた。
しかし、次第にその光景を笑う者は居なくなり、金髪の男を中心に、人々が次々と吸い寄せられていく。
そして、それを遠巻きに眺めていた者たちも、少しずつ、確実に、その輪へと近づき始めていた。
これが地獄――或いは楽園への扉が開かれた瞬間であった。
――数日後――。
『次のニュースです。数日前から各地で確認されている、通称「エルフ化現象」についてですが、口づけをしてからエルフ化するまでの時間が大幅に短くなっており――』
『えっ……あっ、はい! 大変です! ただいま速報が入りました!』
『なんと、新宿、渋谷、原宿、秋葉原を中心に、完全にエルフ化した人々が暴動を起こしているようです! 現場の田中さん!』
『はい! こちら田中です! ただいま私は新宿駅前にいるのですが、エルフ化したと思われる人たちが、ガラスを叩き割って回っております! あれは……待ってください! エルフ達が手に何か持っているようです! 何でしょう……あれは、『苗』でしょうか?』
中継映像に映し出されていたのは、異様な光景だった。
金色の長髪をなびかせ、街中を裸で練り歩くエルフ達。男エルフ達は次々と商業施設のガラスを叩き割り、女エルフ達はその傍らで、大切そうに一株の苗木を抱えていた。
「自然を取り戻せ!」
「我等がエルフに神聖なる木々を!」
エルフ達は口々に叫びながら、看板を掲げている。
その光景は、まるで環境保護団体による抗議活動のようにも見えた。
ただし、その参加者は全員裸であり、手当たり次第にガラスを破壊しているという点を除けばだが。
『そして現場では、何やら不思議な匂いが……何でしょう、この甘い匂いは……あっ! 今、向こうから一人のエルフが、我々に向かって歩いて来ております!』
田中へ向かって歩いてくるエルフは、優しく微笑んでおり、不気味でありながら、どこか慈愛すら感じさせる笑みだった。
やがて田中の目の前まで来ると、エルフは静かに手を差し出した。
「お前もエルフにならないか?」
「えっ!?」
田中はその言葉に思わず目を見開き、無意識にその手を取ろうとする。
その瞬間、エルフは田中を勢いよく抱き寄せ、その唇を奪った。
「うっ……おっ……え……エルファアアアアア!!」
唇を奪われた田中の全身がびくりと跳ねる。
次の瞬間、着ていたスーツが膨れ上がる肉体に耐えきれず裂け、露わになった身体はみるみるうちに筋肉を増していった。
耳は鋭く尖り、黒髪は黄金色へと染まりながら背中まで伸びていく。
ほんの数秒前まで人間だったはずの田中は、今や完全なエルフへと変貌していた。
――同日午後六時――
ニュースの取材ヘリに混ざり、数機の特殊部隊のヘリが上空を旋回していた。
街は完全に封鎖され、かつて多くの人々で賑わっていた道路には、今やエルフと化した人間達が溢れ返っている。
相変わらず男エルフ達は、街中の建物に憎悪を抱いているかの如く破壊活動を繰り返し、女エルフ達は露出した土に無心に苗木を植えていた。
そして、奇妙なことに、植えられた苗木は異常な速度で成長していた。
つい先程まで小さな苗木だったものが、瞬く間に人の背丈を越え、やがて建物の二階に届くほどの大木へと成長していく。
その根はアスファルトを押し上げ、幹は道路を塞ぎ、枝葉は建物を覆い尽くしていった。
かつてコンクリートと鉄骨に覆われていた街が、少しずつ、しかし確実に森へと姿を変えていく――。
「ッチ! どうなってやがる! なんだあの木の成長速度は!」
特殊部隊のヘリから眼下の光景を眺めていた隊員が、顔をしかめながら呟いた。
「見ての通り、前代未聞の出来事だ。奴らのフェロモンは人間の判断力を奪う! このマスクがどこまで通用するかも分からん! 体液に接触すれば感染する可能性がある! 絶対に近づくな! そうなりたくなければ躊躇わず撃て!」
「待ってください! あくまでも我々の目的は奴等の鎮圧でしょう! 撃つだなんて……そんなっ!」
一人の若い隊員が動揺した様子で答えると、指揮官が冷たく言い放つ。
「だったら大人しくお前もエルフになるか、帰れ!」
「っ……!」
「お前等!準備はいいか!」
指揮官は躊躇う隊員を一蹴すると、ヘリの中で待機していた隊員達は敬礼し、「了解!」と声を揃えた。
隊員達の乗るヘリの扉が勢いよく開かれると、指揮官はロープを垂らし、それを伝って隊員達が一人、また一人と地上へ降りていく。
その様子を見たエルフ達はゆっくりと隊員達に向かって歩き始めた。
「催涙弾投擲!」
合図と共に、隊員達が一斉に催涙弾をエルフの群れへ投げ込むと、大量のガスが一斉に噴き出し、辺りに白煙が立ち込める。
「いくらエルフでもこいつは効くだろ!」
「あぁ! これで少しは大人しく――」
「……待て」
「どうした?」
「……おかしい」
隊員達は顔を見合わせた。
辺りは白煙に包まれ、未だエルフ達の姿は確認できない。
しかし、そこには奇妙なほどの静寂が広がっていた。
「……なんで誰も咳き込まない?」
やがて煙が晴れ、隊員達は目を疑った。
エルフ達は何事もなかったかのように、こちらを見つめていた。
「馬鹿なっ! 強力なOC剤だぞ! 何故平然としていられる!」
指揮官の言葉に、若い隊員がハッとした。
「自然だ……」
「なんだ!」
「我々が使っているのは、唐辛子由来のOC剤ですよね!?」
「何が言いたい!」
「奴らは植物由来の成分に異常な耐性があるんじゃないですか!? だから唐辛子なんて効かないんですよ! あの木々の成長速度もそうです! きっと自然に対する力が何かこう……異常なんですよ!」
「そんなバカな話があるか!」
「待て!様子が変だぞ!」
指揮官の声を別の隊員が遮る。
先程のエルフ達がその場にうずくまり、悶え始めた。
「成程、ただ単に効果が遅かっただけか……」
指揮官が安堵の息を漏らしたその時――。
「うおおおお!!」
エルフ達の肌の色が白から青紫へと変色し始めた。
「なっ!」
異常な光景に、指揮官の指示が出る前に全員が思わず銃を構える。
すると、うずくまっていたエルフが一人がゆっくりと立ち上がり、口を開いた
「人間、その自然の力、もっと素晴らしく使おうじゃないか」
「何を……言ってる……」
「先程の煙、自然由来のものであろう? 素晴らしいではないか。さて、人間諸君。お前たちもエルフにならないか?」
そう言った肌が変色したエルフの目が紅く光る。
「あっ……あぁ……」
ガチャリ、と乾いた音を立てて、指揮官の銃が地面に落ちた。
指揮官はゆっくりとそのエルフの元へとふらふらと歩いて行く。
「隊長!? 何をしているんですか! 隊長!」
「良い子だ、おいで……」
指揮官の耳に隊員達の声は届いていなかった。
やがて指揮官は自らマスクを外し――。
エルフに唇を奪われた――。
「隊長おおおおおおお!!」
「うっ……ぐっ……え、エルファアアア!」
ついに指揮官はエルフになった。
「待て! アイツ、俺を見てる!」
「嫌だ! エルフになっちゃう!」
「逃げろ! 逃げろおおおお!」
「み、皆! 落ち着いて!」
その様子を見た隊員達は一気に取り乱し、散り散りになる。
「うわああああ!」
「やめろおおおお!」
「は、離せぇ!」
「え、エルファアアア!」
まさしく地獄絵図――いや、エルフ達にとっては、これこそが楽園なのかもしれない。
「おい! お前も逃げるぞ!」
逃げ惑う隊員の一人が若い隊員の腕を掴み、そのまま荒らされたビルへと駆け込んだ。二人は人けのないオフィスへと逃げ込む。
「大丈夫か?」
「ダークエルフだ……」
「なんだって?」
「昔、本で読んだことがあります。あの青紫の肌……間違いなくダークエルフです!」
「そのだーくえるふが、何だってんだ?」
「ダークエルフは、エルフより狡猾で……」
「……へぇ」
隊員は懐からタバコを取り出すと、フーッと煙を吐き出す。
「俺はな、思うんだ。きっとこれは天罰なんだって」
「天罰ですか?」
「あぁ、あまりにも人間は自然に対して無礼だったんだ。もっと自然を大切にするべきだったんだ……」
「……そうですね」
「このタバコも……自然の恵みだ。感謝しないといけないんだ」
男はうっとりとした表情で再び煙を吐き出す。
その時、若い隊員はふと気づいた。
タバコを吸っている。
つまり、この男はマスクを外しているのだ。
「あ……あぁ……」
「お前もそう思うだろ?」
若い隊員は震える手で銃を構えた。
「や、やめて下さい!」
「お前もエルフに――」
「うわああああ!」
バァン!
暫くの静寂の後、若い隊員は一人フラフラとオフィスから出てくる。
そして、廊下に辛うじて壊されず残っていたテレビからは、更なる地獄絵図が映し出されていた――。




