10話 レオタードが二人に増えた!
凪咲さんのマンションに到着した時には、俺も息も絶え絶えになっていた。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」
「ここ休んでいる暇はありません。お嬢様がお待ちになっています」
「はぁ、はぁ、それはわかってるんですけど……息が……」
「明日は酸素ボンベを用意いたしましょう」
「明日?」
「はい。空さんには一刻も早く、ダイエットに成功してもらう必要があります。休日のみの運動では効率よく減量できません。明日からも毎日、私がお付き合いいたします」
毎日……
こんなに走ったのは小学校以来なのに……
でも、沙耶さんが付き合ってくれるなら、少しは頑張ってみようかな。
沙耶さんは少し目元はキツイが、ポニーテールの似合う美女である。
凪咲さんと遜色ない程にスタイルも抜群だ。
今も目の前に、タンクトップに包まれた実った果実が……
俺が一点を見つめていると、沙耶さんが胸を突き出す。
「私の経験人数は五人です。アブノーマルな趣向はしたことがありません」
「そんなことは聞いてません!」
「くれぐれも、お嬢様に欲情する前に私を」
「野獣みたいに言わないでください」
思わず大声をあげてしまった。
凪咲さんを守るためとはいえ、自分を売り込むのは止めていただきたい。
黙っていればクールな美人なのに、どこか残念なんだよな。
一階のエントランスのソファで休憩した俺は気を取り直して、沙耶さんと一緒に最上階へと向かった。
ドアを解錠し、沙耶さんが玄関の中へ入っていく。
「ただいま戻りました。丁度、空様とお会いしましたので、案内して参りました」
「え? 橘君が来てくれたんですか?」
「はい。お嬢様とフィットネスをすることを楽しみにしていたそうです」
「すごく嬉しいわ。お早く上がってもらって」
廊下に出てきた凪咲さんの明るい声が聞こえる。
あんなに嬉しそうにしてくれるなんて……一週間も待っていてくれたのかな。
沙耶さんは後を振り向き、小さく囁く。
「では入りましょう」
「お邪魔します」
沙耶さんの後に続いて玄関に入ると、凪咲さんが走り寄ってくる。
すろと沙耶さんが俺の前に体を滑らせた。
「お嬢様、素敵なレディが焦って、慎みを忘れてはいけません」
「そ、そうですね……少しはしたなかったですね」
「空様は逃げることがありません。時間はゆっくりございます」
沙耶さん、その言い方……ちょっと怖いんですけど。
チラリと凪咲さんを見ると既にレオタード姿に。
胸が強調され……やっぱり大きい。
いや、見ちゃダメだ、平常心、平常心。
大きく息を吐いて深呼吸していると、後に回った沙耶さんが、一瞬、俺の尻を抓った。
そして横を通り過ぎて「私は着替えて参ります」と言って廊下を去っていった。
トコトコと前に来た凪咲さんが満面の笑みを浮かべる。
「自分の家だと思って気楽にしてください。では行きましょう」
凪咲さんの後を歩いていくと、先日も来たフローリングの部屋に案内された。
くるりと身を翻し、凪咲さんが部屋の一角を指さす。
視線を向けると、そこにはコンポが置かれていた。
「先日、何か足りないと思っていたんですけど、音楽があった方が運動も捗ると思い購入しました」
「俺のために、わざわざすみません」
「いえいえ橘君を一生、サポートするのが私の務めですから。気になさらないでください」
一生という言葉が非常に気になるんですけど……妙に不安になってきたな。
凪咲さんは楽しそうにコンポに近づき、指で操作する。
するとスピーカーから程良い音量が流れてきた。
フィットネスに合うテンポのリズムの良い曲ではなく、気を抜くと眠ってしまいそうな曲だな。
「今回はヒーリング曲を選んでみました。心の癒しにはピッタリですよね」
「そ……そうですね」
少しチョイスが違うように思うけど、気にせずにいこう。
「私の後に続いて、先日と同じように体を動かしていきましょう」
「よろしくお願いします」
凪咲さんは対面に立ち、色々なポーズを決めて運動を披露してくれる。
レオタード姿と胸の刺激が強い。
俺はなるべく正視しないように顔を斜めに向け、彼女と同じ運動をするように務めた。
三十分ほど続けていると、凪咲さんは体の動きを止めて、不満そうに頬を膨らませる。
「橘君、視線を他に向けていては練習になりません。私の体の動きをしっかりと見てください」
「真っ直ぐ見るのは危険というか……」
「やっぱり私を避けておられるのですか? 私に至らぬところがあれば改善します」
凪咲さんは近寄ってきて、俺の胸に寄せ、上目遣いで瞳を潤ませた。
こういう場合、どうやって対処していいのかわからない。
彼女の体から、仄かに甘い香りが……
戸惑ったまま体を硬直させていると、廊下からタッタッタと足音が聞こえてくる。
そしてドアが勢いよく開き、レオタードを着た沙耶さんが姿を現した。
「遅れて申し訳ありません。私も参加いたします。橘君のことはお任せください」
「橘君のことは私がお手伝いします。沙耶は退室しなさい」
「いえ、お嬢様をサポートするのは私の務めです。泰三様にも強く申しつかっておりますので、ここで引くことはできません」
「もう、せっかく良い雰囲気になりかけていたのに……」
凪咲さんの最後の呟きは、声が小さく、きちんと聞き取れなかった。
沙耶さん、別室から監視カメラで覗いていたんだろうな。
挙動不審になっている俺を見かねて、助けに入ってくれたのだろうけど。
沙耶さんまでレオタードを着てどうするんですか。
右を向いても、左を向いても美しい女性の薄着姿……。
これで妙な気持にならない思春期の男子はいませんよ。
俺は両手を振って大声を上げる。
「フィットネスは後でいいでしょう。汗もかきましたし、瞑想でもしましょう。精神統一もダイエットには重要ですからね」
さっさと座禅を組んで目を瞑る俺。
頭の中には二人のレオタード姿が……
煩悩退散、煩悩退散。
俺は一体、何の修行をしているのだろうか。




