第1話:異世界転移、魔力ゼロの宣告と「醤油」の光 -1
ごく普通の会社員だった私が、ある日突然、魔力至上主義の異世界に「聖女」として召喚された。
しかし、魔力ゼロと判定され、待っていたのは「落ちこぼれ」の烙印と王宮の片隅での隔離生活。
絶望の淵で、私が手にしたのは、故郷の通販サイトにアクセスできるチート能力だった!
熱々のラーメン、香ばしい焼きそば、甘いスイーツ……。故郷の「食」の力で、味気ない異世界の食文化を革命し、人々を笑顔にしていく物語。
これは、一人の女性が「食の聖女」として成り上がる、甘くて美味しい異世界グルメ冒険譚です。
佐藤花子、20代半ば。
地方から上京し、東京で暮らす彼女は、ごく普通の会社員だった。
明るく前向きな性格で、少しずぼらな面もあるけれど、食べることと、美味しいものを誰かと分かち合うことが何よりも好きだった。
休日は一人で食べ歩きに出かけたり、ネット通販で「お取り寄せグルメ」を探すのが趣味で、冷蔵庫には常に何かしらの「とっておき」が隠されていた。
B級グルメをこよなく愛するがゆえに、食の趣味が合う友人はあまり多くなかったが、それでも彼女は、日々の「美味しい」に小さな幸せを見出していた。
そんな彼女の日常は、ある日突然、終わりを告げた。
目を覚ますと、視界を覆うのはまばゆいばかりの白い光だった。
チカチカと瞬く視界がようやく落ち着くと、まず目に飛び込んできたのは、見たこともないほどに荘厳な天井だった。
細やかな彫刻が施され、巨大なステンドグラスから七色の光が降り注いでいる。
それはまるで、最高級の美術品が並べられた大聖堂のようでもあり、あるいは、映画でしか見たことのないファンタジー世界の王宮のようでもあった。
現実離れしたその光景は、花子の思考を一時停止させた。
「おお、聖女様! ようやくお目覚めになられましたか!」
厳かな、しかしどこか安堵したような声が響き、花子は思わず身を固くした。
視線の先には、豪華なローブをまとった男たちが膝をついている。
彼らは皆、いかにも高位の聖職者といった風貌で、その表情は真剣そのものだ。
冗談を言っているようには見えない。
状況を理解しようと必死に思考を巡らせるが、脳は混乱するばかりだ。
「聖女様」?「お目覚め」? まるで夢の中にいるようだ。
「どうか、この世界を救うお力をお貸しください!」
世界を救う? 聖女? まるでライトノベルやゲームのような、荒唐無稽な展開だ。
しかし、肌で感じる空気の冷たさ、鼻腔をくすぐる香を焚き染めたような独特の匂い、そして男たちの熱のこもった眼差しが、これが夢ではないことを嫌というほど突きつけてくる。
つい昨日まで、ごく普通の会社員として残業に追われる日々を送っていたはずだ。
確か、残業終わりに駅前のたい焼き屋で限定のあんバターたい焼きを買って、一口頬張って……そこから先が、プツリと途切れている。
(スマホは? 財布はどこ? いつもの通勤バッグはどこ?)
手探りで確認するが、身につけているのは見慣れない、やたらと肌触りの良い白いローブだけだ。
まさか、本当に異世界に転移してしまったのか?
そんな荒唐無稽な話が、まさか自分の身に降りかかるとは。
胸の奥に、じわじわと恐怖が広がっていく。手のひらにはじんわりと汗がにじむ。
不安で動揺する花子の前で、神官らしき男が恭しく口を開いた。
「聖女様、まずはお名前を賜りとうございます。」
花子は戸惑いながらも、か細い声で自分の名前を告げた。
「えっと……佐藤、花子です……」
神官は眉をひそめ、隣の者に顔を向けた。
小さく何かを囁きあった後、再び花子に向き直る。
「恐れながら、聖女様。そのお名前は我々の言葉では発音が難しく、また耳慣れません。聖なる花のごとく、本日よりフローラ様とお呼びしてよろしいでしょうか? この国の言葉で『花』を意味する名でございます。」
「フローラ」──自分の名前が、あっさり異世界の言葉に置き換えられる。
まるで、今までの「佐藤花子」という存在が、ここでリセットされてしまったかのようだ。
戸惑いと諦めが混じり合った感情が胸をよぎるが、ここで反発しても状況は変わらないだろう。
得体の知れない不安に囲まれ、花子はただ、こくりと頷くしかなかった。
「では、フローラ様。この御身に宿る魔力をお示しください。我らが世界を救う御力を」
神官が、手の中で淡く光る水晶玉を差し出す。
言われるがままに恐る恐る手をかざした。
もし本当に魔力があるのなら、この玉が輝いて、何らかの奇跡が起きるのだろうか?
しかし、花子の胸には、漠然とした不安しかなかった。
魔法なんて、ゲームの中の話だ。
自分にそんな力が宿っているなんて、到底信じられない。
花子が震える手を水晶玉にかざす。
期待と不安が入り混じった沈黙が、重く部屋に張り詰める。
神官たちの視線が、期待に満ちて水晶玉に集中する。
しかし、何も起こらない。
水晶は光らない。
ただの、くすんだ、少し大きめのガラス玉のままだ。
期待に満ちた神官たちの顔が、見る見るうちに青ざめていく。
ざわめきが、あっという間に怒声へと変わっていった。
「な……?」
「まさか……魔力ゼロ……!?」
「そんなはずがあるか! 聖女が魔力を持たぬなど、前代未聞!」
「偽聖女め! こんな者に祈りを捧げたというのか! 国辱だ!」
先ほどの恭しい態度はどこへやら、彼らはあっという間に花子を蔑む視線で射抜いた。
その目は、まるでゴミを見るかのような冷たさだった。
花子の心臓が、まるで氷漬けになったかのように冷え切っていく。
たった今、「世界を救う力」を求められたのに、手のひらを返したように罵倒される。
この理不尽さに、花子はただ立ち尽くすしかなかった。胸を締め付けるような悲しみと、行き場のない怒りがこみ上げてくる。
「聖女としての力は皆無。不肖につき、ただちに隔離いたします!」
隔離。その言葉に、花子は背筋が凍った。
異世界に放り出され、魔力もなく、見知らぬ男たちから偽物呼ばわり。
自分はいったいどうなるのだろう?
この世界の常識も、これからどう生きていけばいいのかも全く分からない。
不安と恐怖が、容赦なく押し寄せてくる。
故郷での平穏な日々が、遠い夢のように思えた。
もう二度と、あの温かい日常には戻れないのだろうか。
そんな絶望感が、花子の心を深く覆った。