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呪われた塔の殺人

「あれなんだよ、問題の塔は」

と言って、マックス健児は、部屋の窓から見える邸宅の隣の黒焦げの塔を指差した。真っ黒な塔であった。もうかなり昔に建てられた建造物であろう。

「あの塔は何なんですか?」

と、鏑木が訊いた。

「時計塔だよ。昔は、近所の者が、時刻を知るのに使ったり、時報も鳴ったらしいよ」

と、マックス健児が知識たっぷりに言った。

「で、3日前の晩に、あの塔の屋上から、当主の轟木健太郎が、墜落して死んだ、と?」

「自殺と言われているが、その理由がないんだよ。あの塔の屋上には、外側から、床の扉に鋼鉄性の鍵が掛けられるようになっていてね。それがかかっていた。だから、自殺に違いないって言うんだが、どうもね」

「だから、その自殺の謎について調査してほしいというんだね?」

「こんなことを頼んで悪いと思ってるんだが、他にこんなことを頼む人がいなくてね。僕から頼むよ、鏑木さん、謎を解いてくれないか?」

「困りましたね.....................」

 二人は、3階の一室にいた。マックス健児と鏑木慎一朗は、健児の手品のステージを鏑木が観に行ったのがきっかけで知り合った奇術の同士である。もう昔のことであるが、舞台芸人であるマックス健児とは、長い旧交を温めていた。

「健児さんは、今回、何故、こちらの轟木家に訪れたんですか?」

と、鏑木が不思議になって訊いた。

「今度、次女の咲枝さんが婚約したんだよ。相手は、ある貿易会社の社長の御曹司でね。五十嵐研一っていうらしい。そのお祝いで、ごく近い関係者だけで、ささやかな宴会を開こうと言うわけで、1週間ほど前から、皆がこの屋敷に招かれたんだ。僕も、その御相伴に預かったって訳なんだ」

「それで、この屋敷にいるのは誰ですか?」

「亡くなった当主と、その妻の久美子さん、それから息子の芳一と長女の加奈枝、次女の咲枝、婚約者の五十嵐研一、それから招かれたのが、僕と、画家の滝村竜太郎、女流作家の香月風子、あと、女医の砂崎由香子という面々さ、皆、一癖ありそうな連中だよ、ふふふっ」

「その最中に、当主の健太郎さんが自殺したっていうんですね?これは、妙ですね?」

「だろう?何か裏があると思うんだ。そうそう、健太郎さんには、一人だけ、実の弟がいたんだよ、麟太郎といってね。でも、この弟、2年前から消息不明になってね、もう生きてるのか、死んでるのか?とにかく、もうすぐ、夕食だよ。君も参加したまえ。料理は、シェフが手を込めて作った豪勢なものだから、きっと君の口にも合うと思うよ、楽しみにするといい」

そう言ってから、マックス健児は、そばにあったマホガニー材のテーブルに、アメリカの50セント銀貨を置いた。それを、健児の右手がゆっくりと手のひらで擦った。そして、右手を開くと、煙のように銀貨はテーブルから消えていた。

それを見て、鏑木が笑うと、

「はははっ、ラッピングですか?素人なら、騙せますがね?」

 そして、次に、鏑木が、トランプのカードを1枚出してきた。そして、健児の眼の前で、そのカードを両手のひらで隠して開くと、カードは消えていた。

「こいつは驚いた。いったい、どうやるんだい?」

「僕の最近のオリジナルです。トリックは僕だけの秘密ですよ」

 そこへ、扉が開いて、長い黒髪の若い女性が現れると、

「お二方、夕食の準備が出来ましたわ。ぜひ、降りてらして下さいな」と言って、姿を消した。

「今の方は?」

と、鏑木が訊くと、

「長女の加奈枝さんですよ。美人でしょう?さあ、行きましょう」


「そこの白身魚のムニエル、とって下さる?」

 そう言ったのは、女流作家の香月風子であった。彼女は、長い黒髪を後ろで束ねて、一見、清楚な印象だ。中年だが、少女のように見える初初らしさを持ち備えていた。

「あたし、午前中は、庭の射撃場で、滝村さんに手伝って貰って、クレー射撃してましたのよ。面白かったわ、とっても。でも、ほとんど、的中しなくて残念ね。あなたは?砂崎さん?」

「私は、庭園を散歩して、貝塚の迷路を遊んでました。なかなか、中央の休憩所までたどり着けなくて。結局、部屋に戻って、医学書を読んでました」

「僕は、芳一君と、遊戯室で、ビリヤードしてましたよ。芳一君、僕が思ったよりも、ビリヤード上手くてね、やられましたよ。次は、僕がポーカーで逆襲ですよ、ヘヘっ」

と、五十嵐研一が笑って言った。

「あたしは、」

と、妻の久美子が、

「街まで、顧問弁護士の佐竹さんと会って参りましたわ。亡くなった主人のことで、用事がありまして。久しぶりに賑やかな場所に行って、おかげさまで、気も晴れました。いい経験ですわ」

 長女の加奈枝が、退屈そうに、

「あたしは、部屋でスマホ。クラシック音楽を聞いてたわ。こんな日は、バッハが一番ね、それから、ヘンデルよね」

 最後に、次女の咲枝が、ワインのロゼを飲み干しながら、

「あたし、何、してたっけ?そうそう、書斎で文献の探し物してた。最近、哲学の研究に凝ってる

の。ユングとか、ヘーゲルとか、読み出すと、けっこう面白いんだから」

 マックス健児と鏑木は、黙って、最後の野菜スープをすすっていた。

 突然に、芳一が、沈黙を破って、

「僕、今朝、変な手紙を貰ったんだけど、ここにいる誰かで、心当たりある人、いない?名前が書いてなくて?」

 誰も返事がなかった。芳一は、肩をすくめて、

「まあ、いいや。変なこと、訊いてごめん」

 それから、夕食が終わると、それぞれ、各自の部屋へ戻っていった。食堂に、鏑木と、妻の久美子が残った。鏑木が気をきかせて、

「この度は、どうも。お気持ちは重々、お察しいたします。さぞ、お気を落としのことでしょう」

「ご丁寧にありがとうございます。もう、心配なさらないで、結構ですわ。でも、私も妙なんですのよ。こんなタイミングで、主人が自殺するなんて」

と、久美子は、明るく言った。カールした長髪の都会的な印象の女性である。ピンクのワンピースもよく似合っている。

「何か、ご主人の死に、心当たりは?」

「それが全く。気性も荒いほうでしたのよ、うちの主人。タバコも酒もよく飲んでましたしね。あんな主人がまさか自殺だなんて?」

「気性が荒い?」

「ええ、酒でも、よく空のコップを投げ捨てたり、タバコでも、火が着いたまま、床に捨てたり、ヤクザみたいなところもありましたのよ、困ったものですわ」

「とても自殺するような性格ではなかったんですね?」

「ええ、不思議ですわ」

「で、ご主人は、何で塔の屋上に登られたんです?」

「それですのよ。それも不思議でね。私にも分からないんです、気の迷い?そんなわけありませんよね?」

「で、警察には届けたんですね?」

「ええ、あの晩は、どしゃ降りの雨でしたわ。夜になって、急に降りだして。それで、私、主人が心配になって、庭まで探しに出たんですの。そしたら、彼が、塔のそばの芝生の上で倒れてて、....................もう、手遅れでした。それで、私、警察に連絡して。一杯の刑事さんが来て、色々きかれました。大騒ぎでしたのよ、その時は」

「それで、検視の結果で、墜落死と判明したわけですね、なるほど」

「確かに、屋上に出る扉の鉄の閂は、鍵が屋上側から掛けられてました。だから、誰かの仕業でもないんです。いったい、何故、彼は、屋上から墜落死したんでしょう?」

「不思議ですね」

 そこへ、画家の滝村が、パイプを構えて入ってきた。そして、

「やあ、お二方、まだおられたんですな。私も、寝付けなくて、この有り様なんですよ。ああ、亡くなられたご主人のお話しですな。私も正直言って、あの男は好きになれませんでしたな。粗野というか、乱暴というか。極力、話すのは、私のほうから、避けてました。お酒も良くない酒を飲んでるって印象でしたな」

 そう言いながら、滝村は、食堂のカウンターの酒棚から、ウイスキーの瓶を取ると、コップに注いで、飲み干した。そして、

「これで、私も眠るとしますかな?どうも、お休みなさい」

 そう言って、フラフラと、食堂を出ていった。

「そういえば、私も眠くなってきましたわ」

 そう言って、久美子があくびをした。

「私も、そろそろ部屋に戻りますわ。鏑木さんは?」

「僕は、少し本でも読んでからにしますよ。お休みなさい」

「お休みなさい」

 久美子が去っていった。残された鏑木は、しばらくテーブルに片ひじを突いて考えごとをしていたが、やがて、食堂を出て、1階の書斎に向かった。書斎の扉を開くと、山積みの書物の間に、ショートカットのお下げ髪で、丸顔の咲枝がいた。彼女は顔を上げて、

「あら、鏑木さん、探し物?」

「いや、本でも読もうと思ったんですよ」

「それなら、哲学書はいかが?面白いわよ。まずは、ソクラテスかプラトンね。あたしが教えて上げる、どの本がいい?」

「悪いのですが、またにしますよ。...................、どれにするかな?」

「ねえ、ねえ、鏑木さん?」

と、咲枝が声をかける。

「あなた、研一さんのこと、どう感じた?」

「と、いいますと?」

「だから、男から見てさ、どんなタイプの男性に見えるとか、そう言うことよ」

「五十嵐研一さんですか?」

「ええ」

「真面目そうで、良い方に思えましたがね、咲枝さんは婚約されたんですよね?」

「うん、でも、お見合いだから、まだはっきりしないのよね、自分でも。こんな気持ち、分かってくれるかしら?」

「ええ、何となく」

「結婚って、一生の問題でしょ?本当に研一さんと上手くやっていけるのか、自信なくてさ、でも、これって、自分の問題よね、ごめん。邪魔して悪い。どうぞ、御本を選んで?」

「ああ、すみません。ええっと、...................、これにするか?」

と、鏑木は、一冊の本を抜き出した。「西洋奇術の歴史」とある。

「じゃあ、僕、もう休みます。お休みなさい」

「お休み」

 そして、屋敷に静寂が訪れた。


 翌朝のことである。

 鏑木は、自室で、朝の着替えを済ませて、藤製の椅子で、ゆっくりと珈琲を味わっていた。そこへ扉をノックする音がした。

 入ってきたのは、婚約者の五十嵐研一であった。ラフなカジュアルをスマートに着こなしている。

「芳一君、見ましたか?」

「いいえ、どうかされましたか?」

「それがおかしいんですよ。今日は、一緒にビリヤードの続きをするって約束だったから、部屋まで起こしに行ったんです。そしたら、ベッドに寝た形跡もなくて綺麗なままで。だから、おかしいと思って、鏑木さんのところへ」

「それは妙ですね。うむ、....................待てよ?」

 そこへ、マックス健児が、慌てて駆け込んできた。

「た、大変だ!すぐ来てくれ!」

 三人で、マックス健児の部屋へ向かう。部屋に入ると、健児は部屋の窓の外を指差した。

「塔の屋上だよ。よく見てくれ!」

 鏑木と五十嵐は、塔の屋上を窓越しに覗いた。よく見ると、屋上の床に、誰か倒れているのが分かる。誰だろう?

「ともかく、塔を登ってみましょう、健児さん、ついてきて。それから、五十嵐さんは医者の砂崎さんを連れて、あとから来てください!」

「分かりました」

 鏑木は、健児をあとにして、階段をかけ降り、玄関を出た。そして、前の芝生を踏んで、隣の塔まで来た。入り口は、鉄製の重い扉である。引き開けて、中に入ると、薄暗い。小窓から差す光で、かろうじて、巨大な螺旋階段が見えた。中央に、頂上まで貫く支柱が立っている。鏑木が階段を駆け上がる。あとに健児が続く。5、6分も登ったろうか、ようやく頭の上に鉄の扉があった。鍵はすでに壊れているようだ。開ける。

 屋上に出ると、急に強い風が吹きつけてくる。向こうに誰か倒れているのが分かる。二人は、駆けよった。

 それは、芳一であった。うつ伏せに倒れて、後頭部が、深く陥没して、辺りが血の海になっている。どうやら、背後から、何者かに撲殺されたようだ。

「こいつはひどいな、やられたぞ」

 マックス健児が、呆れたように言った。

 昔に起こった大火事のせいだろう、屋上は、黒焦げになっている。そんなに広くない。小さな屋上であった。二人は、まんじりともしなかった。

 そこへ、砂崎由香子と五十嵐研一の二人が上がってきた。由香子は、しばらく芳一の様態を観察していたが、やがて、ため息をついて、

「もう手遅れね。検視の結果を見ないと分からないけれど、凶器は、かなり重量のある鈍器のようなもののようだわ」

「警察に連絡しましょう!」

と研一が言った。鏑木が、携帯を取り出して、連絡した。その間、三人は、なす術もなく、呆然としていた。

 やがて、四人は、現場を来るべき警察に任せて、ゆっくりと時計塔の螺旋階段を降りていった。

 足取りは重かった。まだ若い命が、無惨に奪われたことは、皆の心に深く残った。

 屋敷に戻った鏑木に、居間で、加奈枝が待っていた。加奈枝はテーブルに腰かけて、何かを言いたげに鏑木を見上げていた。鏑木は黙っていた。やがて、沈黙が続き、悔しげに、加奈枝は唇を噛むと、居間を出ていった。いったい、何が言いたかったのか?

 ワイングラスを掲げた香月風子が、派手な衣装で現れた。彼女は酔っているらしい。彼女は、鏑木にしつこく絡んできた。

「あたしの新作、お読みになって?鏑木さん。「欲情の翼」っていう官能小説ですわ。もう、赤裸々に描写してますのよ、男女の交わりを。お嫌?今回も、あたしの自信作なの。ねえ、読んでみてよ?どうかして?鏑木さん?」

「僕は、官能小説はちょっと」

「あらあら、それは、不自然よ。自分に正直にならないと?」

 と、風子は、派手な衣装に包まれた紅い胸元を寄せて、

「性は人間の自然な営みよ。逃げちゃ駄目。求めるままに、身を委ねて、愛を謳歌しなきゃ」

「すみません。僕、少し、外の空気を吸ってきますよ」

 そう言うと、鏑木は、すり寄ってくる風子から逃げるように、居間を出ると、玄関から庭に出た。外の空気は爽やかだった。彼は、好奇心から、庭園の貝塚の迷路を散策してみることにした。果たして、中央の休憩所までたどり着くだろうか?行ってみると、貝塚の迷路は、背の高い彼にとっては、迷路の様子が、肉眼で一望できる低さであった。彼は、左手を伸ばして、迷路の左の壁に当てて、それに沿って、前に進んでみることにした。これで果たしてうまくいくだろうか?迷路の内部は、奥が深い。両側を貝塚の樹に挟まれた道は、長い間、続いた。しかし、やがて、円形迷路中央の休憩所が近づいてきた。最後の角を曲がると、コンクリート造りの円柱形の建造物が見えた。中に白い丸テーブルとおしゃれな白い椅子が2脚、置かれている。そのひとつに、妻の久美子が穏やかな様子で座っていた。

「ああ、ここにおられたんですか?ご休憩ですか?」

 すると、久美子が振り返って、

「ああ、鏑木さん、恥ずかしいところをお見せしましたわね。私、よく、自分と向き合いたくなると、ここに来るんですよ。面白いでしょう?」

「いえ、大事なことですよ。それじゃあ、僕はお邪魔でしたね」

「いいえ、今、ちょうど、話し相手が欲しいなと思っていたところなんですのよ。いかがでした、この迷路は?」

「面白いですね、結構、苦労しましたよ。この迷路は、久美子さんのアイデアですか?」

「いえいえ、先代の、轟木嘉平という、からくり好きの当主が、庭師に命じてつくらせたものだそうです。彼は、とても変人だったそうで、仕掛けものには眼がなかったそうですよ。だから、あの邸宅にも、秘密の通路とか、秘密の部屋があるそうで。こんなこと、鏑木さんには、ご興味ありませんよね?」

「いいえ、僕も、からくり細工には、昔から、関心があって。箱根のからくり箱とか、茶運び人形とか、集めてますよ。下手の横好きですかね?手品が趣味ですが、似たようなものですね?で、久美子さんは、何か、悩みごとでも?」

「ええ、さっきから、亡くなった主人との思い出を思い返していたんですの。昔の思い出って懐かしいですわね、主人と若い頃に出会った思い出とかね。ここは、とっても、良い場所ですわ」

 鏑木は、しばらく、彼女をそっとしておこうと思った。それで、そっと、その場を離れると、もと来た道を引き返す。簡単だった。すぐに、貝塚の迷路から抜け出すと、彼は、屋敷に戻った。

「やあ、鏑木さん?また、お目にかかりましたな、お元気でしたか?」

 玄関に入ると、すぐに、ツルツル頭の匂坂警部がニヤニヤ顔で現れて言った。

「屋上の死体は検分しましたよ。他殺と見て、間違いないようですな。となると、前の健太郎氏の死も怪しくなってきますよ?」

「それじゃあ、ちょっとした密室殺人ですね。不思議です。で、関係者の事情聴取は?」

「これからですな。部屋をお借りして、順にお聞きしようと思います。鏑木さんは、今まで、どこに?」

「はははっ、散歩ですよ。で、僕も取り調べされるんですか?」

「もちろんですとも。鏑木さんが犯人かもしれませんからね?はははっ、それは冗談として、どこかにいて下さいよ?呼び出しますからね」

 鏑木は、玄関から、1階の食堂に入った。すると、画家の滝村と女医の砂崎が、二人でテーブルに腰かけて、ボンヤリとしている。入ってきた鏑木に気づいて、滝村が、

「ああ、鏑木さん、今、砂崎さんからお聞きしたんだけど、何でも、芳一君が、殺されたって?」

「ええ、どうも、そのようですね。ああ、砂崎さん、お気分でも悪くされましたか?」

「いえいえ、仕事上、死体には慣れてますわ。でも、あんな無惨な死体はちょっと」

「お察しします。どうぞ、お気楽に、なさって下さい。で、滝村さんは、今まで何を?」

「ああ、僕?」

と、滝村は、パイプを構えて、

「僕は、さっきまで、香月さんと話してたよ。でも、彼女、何で、あんなに酔ってるんだろうねえ、ベロンベロンだぜ。彼女の書いたエロ小説の話、さんざん聞かされてさ、溜まったものじゃないよ」

 砂崎が立ち上がって、テーブルのコーヒーポットから、珈琲を入れて飲んだ。ふうとため息をついている。

「何でも、今夜、夕食の余興に健児君がマジックショーを披露してくれるらしい。彼の演技が楽しみだね、鏑木さん?」

「彼はプロですからね。きっと、面白くなるはずですよ」

 鏑木は、そう言い残すと、食堂を出た。そして、当て所亡く、ぶらぶらと邸宅の中を散策していた。2階の一室の扉が少し、開いていた。それで、鏑木が、そこから中を覗くと、そこは、咲枝の部屋であった。中に、ピンク色のベッドに座る咲枝と、テーブルの肘掛け椅子に腰かけた婚約者の五十嵐の姿があった。

「やあ、鏑木さん」

と、五十嵐が気軽に声をかけてきた。

「僕たち、今まで、この家の遺産譲与の話をしていたんです。だって、当主の健太郎さんが亡くなったわけでしょう?莫大な額の財産が僕たちにも転がり込むことになるんです」

「あたし、別にお金なんて欲しくない。そんなもの、どこかに寄付すれば良いのよ」

 鏑木は、真面目な顔で、

「そうですね、法律上は、この場合、遺言状はないようですから、法定相続人である妻の久美子さんが財産の半分、残りの半分を長女の加奈枝さんと次女の咲枝さん、あなたたちが等分することになります。でも、莫大な財産ってどれくらいの額なんですか?」

「さあ」

と、五十嵐は肘掛けを擦りながら、

「50億とも100億とも聴いてますがね?」

 その時、若い刑事が顔を出して、五十嵐に、取り調べに来るようにと、言付けた。同意して、五十嵐が階下へ降りていくと、残されたのは、咲枝であった。

「とんでもないことになりましたね?芳一さんは」

 咲枝は黙り込んだ。ショックなのだろうか?その後で、

「あたしも、いつか、殺されちゃうのかな、何か怖い」

「芳一さんの死に何か心当たりは?」

「さあ、でも、殺されるような彼じゃなかったわ。なぜだろう?犯人の気持ち、分かんない」

 それから、ふたりは、とりとめもない世間話をしていたが、やがて、鏑木が立ち上がると、

「僕、庭の射撃場に行ってみますよ。そこで、何かの手がかりが得られるかもしれませんからね」

 鏑木は、玄関を出た。まっすぐ、庭園を抜けて、池のほとりにある広い敷地の射撃場に来た。驚いたことに、画家の滝村が、パイプを咥えて、クレー射撃をしていた。なかなかに、射撃する構えが様になっている。空を飛んでくる円盤を次々と打ち落としていた。しばらく、鏑木は彼の腕前を見学していた。

「いやあ、なかなかに当たらんものですな、私も長年、やってますが、腕が上がらなくてね?」

「いいえ、拝見してると、大したものですよ。お上手ですね。あの、警部さんの取り調べは?」

「さっき、終わりましたよ、でも、警察も困ってるみたいですね。警部が言ってました。「滝村さん、何か、手がかりは、お持ちじゃありませんかね?」ってね。でも、知らないことはねえ?」

 また、滝村は、射撃を再開した。なかなかに快調だ。そこへ、咲枝がやって来て、昼食の準備が出来たことを告げた。ふたりは、揃って、屋敷へ戻ることにした。


 その日の昼食は、牛肉と野菜のサンドイッチと、珈琲という簡単な食事であった。皆は、朝の事件のこともあり、黙って食事していた。鏑木は、また、加奈枝がじっとこちらを見つめているのに気づいた。何を言おうとしているのだろう?やがて、鏑木は、コーヒーカップを持って、食堂の窓から、広がる庭園の光景をぼんやりと眺めていた。そこへ、咲枝が寄り添って、何気なく、

「鏑木さん、事件のこと、どう思う?」

と、訊いてきた。

 鏑木は、笑って、

「まだ、さっぱりですね。五里霧中ってところです。ところで、咲枝さん、五十嵐さんとは、いつ頃、挙式のご予定なんですか?」

「うん、今年の秋ごろがいいってふたりで決めてあるの。そん時は、鏑木さんもぜひ、出席してね?」

 皆は、昼食を終えて、部屋へ戻っていった。鏑木は、久しぶりに、マックス健児の部屋を訪れてみた。部屋に入ると、健児は、部屋の中にいなかった。代わりに、部屋の中央に、丸いテーブルが置いてあり、その上に、小さな木製の箱が乗せてある。そして、である。驚くべきことに、その小さな箱の中から、マックス健児の声がしてきたのである。もちろん、テーブルの下やそばなど、人の隠れている所はなかった。にも、かかわらず、声は聞こえてきたのである。

「ねえ、鏑木さん、前、開けてくださいよ。息苦しくって」

 鏑木が、小箱の前を開く。小さな扉になった前を開くと、中に、スフィンクスの格好をしたマックス健児の生首が詰められていた。

「ふーん、これは面白いですね。「ストデア大佐の首」ですか?よく、こんなテーブル、準備できましたね?」

「家具職人の男に特注で頼んだのさ。馬鹿にならん値段だぜ」

と、生首が言った。不思議である。

「この舞台奇術の設定って、確か、生首の入った小箱を、魔術師が舞台に持ってきて、テーブルに乗せて、一旦、去っていくんでしたよね?助手は要らないんですか?健児さん」

 マックス健児が、ピョンとテーブルから抜け出てきて、肘掛け椅子に座ると、旨そうに煙草を吸った。そして、ニヤリと笑うと、

「今夜、この屋敷で夕べのマジックショーを披露するつもりなんだ。そこで、頼みたいんだ、鏑木さん。マジックショーの助手をやってもらえないかな?」

「ぼ、僕がですか?」

と、鏑木は、困り顔だ。

「手品の手順は、今から説明するよ。君は、言われた通りにやってもらえりゃいいんだ」

 それから、ふたりは、マホガニーのテーブルを挟んで、しばらくの間、話し込んだ。時折、鏑木がうなずいていた。

「分かりました。把握しましたよ。でも、うまく行きますかねえ?」

と、鏑木は不審げである。

「人智を尽くして、天命を待つ、だよ。まあ、見ててごらん?」

と、マックス健児は自信たっぷりの様子だ。

 それで、鏑木は、頭の中で、繰り返し手順を噛み締めるようにして、失礼を詫びてから、部屋を出た。廊下へ出たところで、香月風子と、出くわした。もう、すっかりと酔いは覚めているらしく、青白い顔をして、鏑木に言った。

「あのう、鏑木さん?」

「はい?」

「あたし、さっき、妙なもの、目撃しましてね?」

と、声を落として言う。

「それが、獣のような人のような?」

「と、言われますと?」

「あたし、さっき、居間にいましたでしょう。それで、ひとりで飲んでたら、突然に目の前に、這いつくばったような格好で、黒い人影が、暖炉の前辺りから現れて、サーッと横切ったかと思うと、食堂に通じる扉の所で、煙みたいに消えたんですの。ああ、思い出しても、気持ちが悪い」

「うむ、そうでしたか」

「もう、いっぺんに酔いは覚めるし、気分が悪いし、さんざんですのよ。あれ、いったい、何ですの?」

「さあ、僕にもさっぱりですね。とにかく、あなたは部屋でお休みなさいな。ゆっくりされるといいですよ」

 しょんぼりと部屋へ戻っていく風子を見届けて、鏑木は、階下へ降りていった。

 玄関まで出ると、匂坂警部が、困り顔で一生懸命になって靴を履いている。どうやら、靴べらが上手く行かないで、靴を履くのに苦労しているらしい。

「やあ、鏑木さん」

と、匂坂警部が言った。

「一旦、署の方に戻りますよ。もう、夕刻ですからね。鏑木さんの取り調べは後ほどに。やあ、夕焼けですな、綺麗なもんだ」

 そう言い残して、警部は、玄関から去っていった。

 あとの夕食までの時間を、鏑木は、書斎で過ごした。幸いなことに、咲枝の姿はなかった。思う存分に、本の山に埋もれて、鏑木は調べものをして過ごした。

 書斎の壁掛け時計が、午後6時を過ぎた頃に、咲枝がニッコリと笑顔を覗かせた。

「鏑木さん、ここだと思ったわ。本当に本好きね?そろそろ、夕食よ、食堂に来て」

 鏑木が食堂に入ると、皆が一斉に鏑木の顔を見て溜め息をついた。不思議に思った鏑木が、

「どうしたんです?」

と、隣の席に座る滝村に訊いた。

「いやあね、何時も食事になると、早く来る加奈枝ちゃんがまだ来ないから、なぜだろうって、みんなで心配してたんですよ。部屋で寝てるのかな?」

「おかしいですね、それは」

 そこへ、慌てふためいた様子で、マックス健児が駆け込んできて、

「まただよ!まただ!屋上の床に誰か倒れてるようだ。すぐ、行かないと!」

 鏑木が駆け出し、その後に、滝村と砂崎が続いた。三人は、玄関を出ると、芝生を超え、時計塔に入ると、螺旋階段を昇る。すぐに頂上だ。扉を開くと、倒れている人影が月明かりに照らされている。

「か、加奈枝さん!」

 倒れているのは、加奈枝であった。うつ伏せで、背中に鋭いナイフが突っ立っている。三人は屋上に出ると、加奈枝を取り囲んだ。

「駄目ね。殺されて、しばらく経ってる」

と、砂崎が溜め息混じりに言った。

「しかし、むごいもんだ。こう簡単に人が殺せるもんかね?」

と、滝村が呆れたように言った。

 鏑木は、死体のそばの床を見た。白いハンカチが落ちている。鏑木は、拾い上げた。ハンカチの隅に、「RT」のイニシャルがある。何だろうか?

「とにかく、警察に連絡しないと」

と言って、鏑木は携帯を出した。

 それから、また三人は現場をあとに屋敷に戻った。屋敷で待っていた一同に、ことの成り行きを告げると、皆一様に嘆息していた。

「僕、ちょっと、部屋へ戻って考えてきます」

 鏑木は、そう言って、自室に帰っていった。残された者たちは、皆、食堂のテーブルに集まって、ひそひそ話をしている。ついに二人目の被害者が出たのだ。もう、尋常ではいられない様子であった。風子が帰ると言い出した。こんな恐ろしい館に居られない。それは、誰もが、同じことである。そして、久美子がそんな風子をなだめていた。そして、咲枝がさっさと自室に帰っていった。そのあとを、五十嵐が追う。まさに、悲劇ではある。

 自室に戻った鏑木は、ひとり沈思黙考していた。何か、おかしい。何か、引っ掛かるのだ。

 鏑木は、部屋を見回した。いつもの部屋。いつもの家具。何の変哲もない。しかし、鏑木は、机の上に置いた小さな木彫りの小箱に目をやった。こんなもの、あったかな?手に取って、フタを開ける。中に、長い間、彼が探していた奇術用の指輪が入っていた。

「何だ。こんなところに入っていたのか?」

 そして、次の瞬間、彼の頭が閃いた。彼は、気づいたのだ。

「....................、そうか、そうだったのか。そう考えれば、全て納得がいく。そうに違いない」

 鏑木は、確信を抱いた。あとは、行動だ。どう対応すればいいんだろう?

 やがて、彼は、昔、読んだシtャーロック・ホームズの物語の手口を思い付いた。これしかない。実行してみよう。彼は、部屋を出た。


「大変だ!火事だ!火事だ!大火事だ!みんな、逃げろ!!」

 鏑木の大声が、屋敷じゅうに響き渡る。凄まじい大声だ。

 驚いて、眠っていた皆が、部屋を飛び出してきた。皆、驚いている。廊下は、白い煙でいっぱいになっている。

「どうしたんです?鏑木さん。この煙。本当の火事ですか?」

と、出てきた滝村が訊いた。

「いや、屋敷にあった非常用の発煙筒をすべて、炊いたんです。これで、うまく行けば....................」

 鏑木が、耳を澄ませ、皆が合わせるように、黙り込んだ。その時である。ちょうど、階下で、人が動き回るような物音が聞こえてきた。

「この下ですよ。行ってみましょう!」

 鏑木を先頭に、一同は、階下にある2階の居間に入った。

 そして、皆が、驚いた。

 居間の中央で、ひとりの髭もじゃの中年の見知らぬ男が、開いた壁の一部から、姿を現して、キョロキョロと辺りを不審げに見ている。

「彼が、ようやく秘密の部屋から姿を見せたようですよ。さあ、皆さん、ご紹介しましょう。今度の連続殺人の真犯人、轟木麟太郎氏です!」


「しかし、どうして分かったんだい?」

と、マックス健児が不思議そうに言った。鏑木は、向かいの椅子で笑って、

「だって、君が言ったんじゃないですか?健太郎氏には、ひとりだけ、麟太郎っていう実の弟がいるってね。それから、迷路で訊いた久美子さんの話だと、この屋敷を建てた轟木嘉平っていう人が、からくり好きで、この屋敷に秘密の通路や部屋を作ったってね。そして、加奈枝さんの事件で、現場に落ちていたハンカチ、「RT」のイニシャルがありましたが、あれは、たぶん、犯人の轟木麟太郎氏のものでしょう。たぶん、麟太郎は、謎めいた手紙でも被害者の部屋に置いて、時計塔の屋上に誘い出したんでしょう。そして、やって来た犠牲者を手にかけて殺したんです。そうやって、彼は、健太郎、芳一、加奈枝と順に殺害していった訳です.......................」

「健太郎氏もかい?彼はどうやっても、自殺じゃないのかい?」

「いや、彼も、麟太郎によって巧妙に殺されたんですよ。ほら、久美子さんが言ってたんですよ、被害者の健太郎氏は、乱暴で、火のついた煙草を投げ捨てるって。こういうからくりなんです。犯人の麟太郎は、前もって、黒焦げの屋上の床に、灯油を、たくさん撒いておいた。そして、健太郎氏の部屋に手紙を置いて、時計塔の屋上に誘い出した。そして、粗野な健太郎氏は、人と合う約束がありながら、うっかりと屋上の鍵を外側から、かけてしまった。これで、密室殺人になってしまったわけです。そして、手紙の相手を待っている間、健太郎氏は煙草を吸った。そして、火のついた吸い殻を床に捨てた。床には、灯油が撒いてありますから、一斉に引火して、時計塔の屋上は、一面が火の海です。逃げ場を失った健太郎氏は、足場を崩して、そのまま、時計塔から墜落した、ということなんです。その時、雨が降り出しました。これも、久美子さんから訊きました。その雨で、屋上の大火は、鎮火したのでしょう。タイミングがよかったようですね」

「あと、風子さんが、部屋で獣を見たって訊いたけど?」

「それも、偶然、秘密の部屋で生活していた麟太郎が外へ出てきたところを目撃されたんでしょう。彼は、しばらく以前から、帰宅して、一家殺害のチャンスを狙っていた。そのために、秘密の部屋で生活していた。いや、用意周到な犯人ですよ」

「一家殺害?いったい何で?」

「遺産目当てです。殺されたのは、健太郎、芳一、加奈枝ですから、それだけ、犯人の麟太郎は取り分が多くなりますからね。いやあ、それにしても、嫌な事件ですね?」

 そう言って、鏑木はぼんやりと窓の外を眺めた。黒焦げの時計塔が見える。それは、まるで、この家の悲劇を不気味に象徴しているかのようであった...................。

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