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海原大橋にて。

初投稿。純文学は最近の流行りでは無いのかもしれませんが、昔自分が書いた小説を書き直しております

 「でもお母さん、いい顔だったよね。抗がん剤のせいでちょっと顔細くなってたけど、やっぱ面影はお母さんらしくて——」

 「やめて。」

 私の小さな声は、バスのエンジンの鳴動と、車の天井に当たった雨粒の音によって掻き消されていった。しかし、確かに姉の遥香には聞こえていた。遥香のやり場の無い目線は、自然と足元へ流れていく。いつも笑顔だった遥香は、この時だけ静寂に包まれていた。そして、数秒経った後に、

「ごめん。」と遥香がポツンと言った。

 この一言は、場を気まずくさせる役割以外何も効果を持っていなかった。バスのエンジン音と、うるさいほどの雨音が、余計にこの空間を気まずくさせる。私とその隣にほんの少し間を取って座っている姉は、お互いこの時間が過ぎることを願うばかりであった。


 高校を卒業して、「作家になって売れてやる」という夢を追いかけ始めてから、もう10年近く経っている。きっかけは、子供の時庭で育てた向日葵を眺めながら、お母さんと縁側で喋っていた時だ。お母さんが、ある話をしてくれた————『G路線 銀河行きと書かれたバスがある』という話だった。

 普通、お母さんがする話といえば、どこかで聞いたことのある話だったり、さして盛り上がる部分がない話ばかりだった。でも、この話だけはどこか違った。昔お母さんが山へ行った時、1人で星を眺めていると、突然東の空から西の空へバスが走って行ったという。キラキラと輝く星の道の上を、ヘッドライトで照らしながら走っていく光景は、まるでこの世のものでは無いかのようだと思うほどだったという。話を進めていくうちに、声量や身振り手振りが大きくなっていく母の姿は、今でも脳裏に焼きついている。それはおそらく、普段は冷静で優しい口調の母が、あんなに興奮して話しているのは今まであまり見てこなかったからかもしれない。膵臓癌を患い、つい先日亡くなった母親のことを今はもう思い出したく無かったが、やはり母の笑顔が頭から離れないのであった。

 「次は、東大原3丁目。お忘れ物にご注意ください。」

 ゆったりとした車掌の声。気づけば姉の最寄りのバス停まで走っていた。

 「じゃあ私ここだから。また明日迎えにいくね。」

 さっきの一言で私の気持ちを察しタカのように、小さく手を振る遥香に、時間差で小さく手を振り返した。車内を見渡すと、もう私以外誰も人はいなくなっていた。泣き疲れたのか、それとも長丁場で疲れたのか、どちらにしろ強い眠気が私を襲う。私の最寄りのバス停まではあと数駅しかないが、体がポワポワと浮いた感覚になり、気がついた時には私はもう夢の中にいた。


 起きなければいけないと頭では分かっていながらも、普段履き慣れてないプレーントゥの黒い布靴が足に溜めた疲れが、より体に重くのしかかったような気がした。通夜で寝ずの番を引き受けてしまったのも、疲れが溜まる要因ではあったのだろうが、何より、白い棺桶をぼーっと眺めながら、母親との思い出や、通夜後にしなければならないこととかをただ思い浮かべていたことが一番の疲れた要因だろう。当然、深夜3時過ぎの瞑想の途中にも、あの天を駆け抜けるバスの話がよぎった。もっとあの話聞いとけば、今頃絵本のネタにでもなって、一躍大ヒット絵本作家にでもなれてたのかな、なんてことを考える。まあ、10年やって未だバイトと絵本をひっそり描いて、目の前の1日を耐え忍ぶように生きるなんて生活を送っている時点で、私には才能が無いなんていうことは分かっていた。こんな自虐を言ったところで、誰かツッコんでくれる人もいないし、茶化してくれる友人だって今この場にはいない。自己嫌悪が増すばかりなんていうことは自明だった。


 「・・・点、海原大橋前・・・」

(海原大橋・・・・?)

 バッと起きてすぐ運転席の方にある電光掲示板を見ると、『終点 海原大橋』という案内だけが映っていた。降りる駅からもう8駅ほど過ぎている。頭が真っ白になった。窓の淵に柄をかけていたビニール傘と、バックの奥にある財布を手にとって、出口の方へと向かった。

 「終点、海原大橋前〜海原大橋前〜。お忘れ物のないようご注意ください。」

 車掌のまるで機械のような言葉を無視して、250円を運賃箱に投げ入れるようにして、急いで外へ出た。辺りには街灯と錆び付いたガードレールがある。真っ暗で何も見えないが、大きく幅をとっている川と、馬鹿デカい橋もあった。タクシーを呼ぶにしても、ここら辺はタクシーなぞんて来はしないことなんて分かっていた。・・・結局歩くしかなさそうだ。バスが進んで行った方向と逆の方へ進む。夜10時の湿った歩道は、寂しく、怖い。疲れているせいか余計そう見える。早く家に帰りたいという気持ちが強くなっていき、次第に早足になっていく。夜のじめっとした空気の中に、心地よくない草の匂いが充満していた。

 「金具、取れかけてる。」ビニール傘を地面に置いて、だらしなくぶら下がっている金具を触ってみる。オレンジ色の街灯が薄く手元を照らし、取れかけの金具をどうすべきか分かってはいなかったが、現状復帰するように形を直してみた。ビニール傘を持って立ち上がった瞬間、街灯の灯りがパチパチと音を鳴らしている。最初は、虫の羽がガラスに当たっているのかと思ったが、次第に街灯が点滅しだすと、これから目の前がどうなっていくのかだけは予期することができた。嘘でしょ、という言葉は暗闇に包まれながら静かに消えていくかのようだった。恐怖のあまり足がすくんで動けなくなってしまった。何か機械のパーツがぶつかるような物音が背中側から聞こえてくると、前にも後ろにも動けなくなった私は、頭を抱えてその場にしゃがみ込み、「やめて、来ないで!」と小さく叫びながら、ブルブル震えていた。目を強く瞑って、物音が近づくことにただ恐怖を覚えるだけだった。

 しばらくして、物音がぴたりと止んだ。おそらく、真後ろにその物体、或いは人が止まってるわけでは無いと感じ取ると、次の瞬間、目を閉じていてもわかるくらい強い光が当たり一帯を照らした。瞼の裏でもわかる、ネオンのような明るい蛍光色が、点滅していることだけは分かった。あまりに強い光だと、警戒しつつゆっくり目を開けると、人生の中で一番綺麗と言っても過言ではない色をした、幻想的なバスが一台止まっていた。

「G路線….銀河行き….え?」

 どこかで見覚えがある文字だった。一瞬考えた後、あの母親の話がすぐ思い浮かんだ。気づいた時には、どこか義務的な力に押されるかの如く、バスの車内に入って、入り口付近に立っていた。よく見てみると、男性らしき運転手が、まっすぐフロントガラスを見ている。ゆっくり近づいて、

「あの、運賃はいくらですか。」と聞いてみた。すると、その男は、まっすぐフロントガラスを見ながら、

「運賃は不要です。あなたのためのバスですから。」と返した。

「私のためってどういうことですか?」

「まもなく発車します。お座りください。」

「このバスはどこに行くんですか?どこを経由するんですか?」

「お座りください。」

 それ以上何を話しても、自分が求める反応はないと悟り、空いている適当な席に座った。いくら話しても冷淡に、目も合わせないという車掌の態度に腹が立った。エンジンがかかり、ブルンという音と振動が車内に響く。そして、体が宙に浮いた感覚に襲われたのと同時に、車体が後ろに傾いた。手すりに捕まって、窓を見ると、さっきまで私を見下ろしていた街灯が、だんだん離れていって、また小さくなっていく。浮いているのだ。このバスは、奇しくも母親が話していた通り空を待っている。あいにくの曇天であることと、このバスに出会った場所が、語り手の通夜帰りに、寝過ごして知らない場所にいた点を除けば、今のところ話通りに物語は進んでいる。吊り革どうしがぶつかり合う音がかすかに聞こえ、どんどん高度が高くなっていくのがわかる。母親が話してくれた、G路線のバスはあったんだと思った。夢かとも思ったが、それにしては妙にリアルな夢だなとも感じた。もし仮に夢だったとしても、昔から好きだった話の主人公になれたと思えば、不思議に思うよりも楽しんだほうがいい。これが、作家の性なのかはわからないが、ともかく、何が起こるのかはこの目に焼き付けなくてはならない。バッグの中からメモ帳とペンを取り出して、いつでもメモできる状態にした。

「次は、奈良山町。」

 奈良山町….私が物心無いときに、母親がこの街から別の場所へ引っ越したという話を聞いたことがある。住みやすい街だったが、理由は特になく引っ越したと言っていた。しかし、今奈良山町は、別の町と合併して違う名前になっているはずだ。この時点で、どこをどう経由するのか、見当がつかなかった。

「まもなく、奈良山町。お忘れ物のございませんようご注意ください。」

 席を立って出口に向かおうとした瞬間、辺りが真っ暗になった。席から少し浮かした腰は、驚きのあまりストンと元の場所に落ちる。暗い場所があまり得意ではない私は、いつか誰かに襲われるのではないかという不安に駆られながら、ただじっと辺りを見渡していた。

 ドン、という強い衝撃と、激しい物音のせいで、メモとペンを指に挟んだまま頭を守った。恐怖のあまり瞑った目は、衝撃からくる恐怖が落ち着くまで開けなかった。しばらくして、恐る恐る開けてみると、目の前はバスの内装をしていない。真っ白の空間に、私がただ一人座っているだけだった。360°見渡しても、何も、誰もいない。開いた口が閉じなかったが、しばらくして、前方から一人の若い女性が歩いてくるのが分かった。それに気がつくと、辺りも知らぬ間に家やら電柱やらが立っている。ある種映画を見ているような気分だった。女性の顔をよくみると、数年前に一度、古いアルバムで見た顔の女性が、孤児院の前で段ボールを眺めていた。——若かりし頃の母親だったのだ。じっと眺めているものはなんなのか、私も目の前の光景を食い入るようにみてしまっていたのだった。

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