08. 環状列石/クロムレクと死体
「発見された時の正確な遺体の位置は……この石の、こちら側です。手のひらと顔面とを、沼の水面の方にちょうど差し向けるようにして、遺体は置かれていました」
マユミーヴの指さす巨立石を、カヘルはじっと見つめた。円環に並んだ十数基の石たち……この環状列石の中でも、ひときわ大きい石である。
灰色に青みのかかったその長細い石は、人間二人分ほどの幅がある。横幅に比べると厚みはあまりない、カヘルの下腕くらいのものだ。手を伸ばせば、頂点に届くかどうかというくらいの高さ……。しかしそれは地表に見えているだけの部分である。全体としてどのくらいの大きさなのかは、見当がつかなかった。
前回の事件で遭遇した巨立石、≪エルメンの傭兵≫には遠く及ばない。しかしながら、やはり巨大な石であることに変わりはなかった。
水平に視線を移動させれば、やや規模の小さい立石が左右にある。カヘルの左側から一つ、二つ、三つ……。六つ目から十までの五基が、沼の中に浸かっていた。石たちの大きさ高さはどれもまちまちで、あまり統一性はない。沼の中の五基も、高く低く水面にその身体を突き出している。数えて十一基目からは、ふたたび上陸していた。十二、十三……。十五を数えて、カヘルの視線は右側から問題の巨立石へと戻る。沼に踏み入る形で、合計十五基の巨立石が円環を成しているのだ。
カヘルの手元の状況写図に、左脇からじっと見入っていた若き衛生文官のノスコが、顔を上げてマユミーヴに問う。
「軍医の先生によれば、男性は絞殺されたとの見立てでしたが。男性はここの巨立石に、括りつけられる形で首を絞められた、というわけではないのですね?」
「ええ、違うと思いますよ。遺体についていた締め痕は、こう……ぐるっと完全に首を一周していましたから」
自身の太い首の周りに、左右の人差し指を同時にすべらせてマユミーヴは答える。
「発見された時に、首の片側……のど側だけに縄がかかった状態だったことを考えると、後ろ側にまで痕がついているのは不自然です」
「石に括られていた細縄と、締め痕も形状が違いましたしね。直接の凶器は発見されていませんが、別の縄かひも状のものです」
傍らの巡回騎士が添えて言う。
「恐らくは別の場所で頭を殴って意識を失わせ、絞殺したのでしょう。その後、殺人者は改めてその締め痕にあわせて縄を当て、男性を巨立石に括ったのではないか、と私は推測します」
「……にしても、実に妙な姿勢ですね? 一体なにを意味するのやら……。地域特有の私刑のしるしでしょうか。マユミーヴ侯、何かお心当たりは?」
低く問うてきたプローメルに、マユミーヴは頭を振った。その拍子に、赤みがかったひげが口元であごでもみあげで、豊かにふかふかと揺れる。
「いいえ、全くありません。私も弟同様、幼少時からこの地域に大いになじんできましたが、このような姿勢でやきを入れる風習なんて、聞いたことがないのですよ。こちら第十分団のみならず、北域の分団全体を通しても、前例のない事件なのです」
「私も全く、聞いたことがありませんね」
後ろ向けに撫でつけた金髪をちらっと輝かし、カヘルが小首をかしげるのを側近ローディアはななめ後ろから見た。
――副団長が知らない? ……ってことは、少なくとも西イリー都市国家群では前代未聞の事件ってことかなあ。こう言っちゃ不謹慎だが、何ておかしな死にざまなんだろう……!
各国騎士団の間で共有される犯罪・事件情報に加えて、キリアン・ナ・カヘルは独自の情報網も有している。例の間者、ルリエフ・ナ・タームから内陸フィングラス方面の状況、さらに隣国マグ・イーレの正妃ニアヴからも細かい内情を伝える便りが頻繁に届いた。デリアドの東に位置する隣国マグ・イーレは、≪イリー東の雄≫テルポシエに対して≪西の雄≫とされる強国である。 …… ……強国……強、国?
遠方ティルムンとの海上貿易を通して、かつてその栄華を誇ったテルポシエが東の雄なのは誰でもわかる。しかしマグ・イーレのどの辺がどう西の雄なのかを、すっきりはっきり直ちに述べられる人と言うのは、あまりいなかった。東ばかりに良いところを持ってゆかれては西の面目が立たないから、ええい心意気で強いんだから良いじゃねえか、と濁されるのがおちである。あまり突き詰めないでおこう。きっと各人の心の中に、強いマグ・イーレがあるのだ……ええ、きっと……。
しかし地理上の近さ、王室どうしの縁の深さから、デリアドには親マグ・イーレ派の人間が多い。キリアン・ナ・カヘルも然りである。マグ・イーレ元首ランダル王の第一妃、ニアヴ・ニ・カヘルは彼の父の妹、すなわち叔母だ。病身にて長期療養中の夫君に代わり、マグ・イーレ宮廷の権力を実力掌握し善政をふるっている。賢明な叔母をカヘルは信頼し、同調してひそかにその野望にも加担していた。叔母は領内で起こる様々な事件を広く包括して伝えてくれるのだが、そのニアヴからの情報にも、今回のような妙な犯罪は聞かない。
「あのように、小舟の上から沼水の中を探らせていますが、今のところ事件解決の手がかりになるようなものは見つかっておりません。探し物には厄介なところなのです」
マユミーヴは、水面に浮かぶ黄色い舟の方へあごをしゃくりながら言った。アルタ少年がまじめくさって言い添える。
「ここは湖っぽくみえますが、やっぱり沼なんです。水草がいっぱい、浅いところからうようよ繁っているし、そのすぐ下に泥がたまっているから泳ぐのも禁止されてるのであります」
「でも、さかなはいるのでしょう? あなたは釣りに来たのだから」
低く穏やかな調子で、少し離れた位置にある巨立石の後ろからファイーが少年に声をかけた。いつの間にか、女性文官は自分の調査も始めていたらしい。
「はいッ! 青ざりがにが、めちゃくちゃいっぱい、とれるのでありますッ」
ファイーはうなづいて、巨立石後ろに引っ込んだ。裏で笑っているのかもしれない、とローディアは思う。いがぐり頭のアルタ少年は、妙につぼに入る言い方をするから。
「ちなみに、水棲馬ほかの危険生物がいるという報告は入っていません」
「そうですか……」
カヘルはマユミーヴにうなづいた。
何らかの事件や事故が起きて捜査が行われる時、騎士は基本的に≪精霊≫を容疑者や犯人とすることはない。ただし海や湖の水中に棲息する獰猛な馬のエッヘ・ウーシュカだけは、熊や狼、イリョス山犬と同様に危険生物として扱われている。あまりに被害が顕著だからだ。誰かが漁から帰ってこない、浜に家畜の内臓が流れ着いた……となれば、問答無用で水棲馬による水難とみなされる。
「まあ、どっちみち現場捜査はじきに切り上げるところでした。この周辺には住民もおらず夜の闇が早いですし、害はなさなくとも他の各種精霊がうじゃうじゃいるようですから。用心するに越したことはありません」
天幕と小舟を残して、現場の保持と捜査は明日以降も続けるそうだ。遺体の搬送、および一日分の撤収作業を終えてから追っ付けヌーナー村の本部に戻るというマユミーヴと別れ、カヘル一行とアルタ少年はファイタ・モーン沼を後にした。
「ファイー侯。あまり時間が取れませんでしたが、環状列石の調査はもういいのですか?」
鹿毛馬の上の女性文官に、カヘルはたずねる。
「ええ。マユミーヴ侯が仰ったようにじきに暗くなりますし、水場でもありますから。今日は控えておきます」
ここファイタ・モーン沼は、ヌーナー村や他の集落からもずいぶん離れている。前の事件の巨立石のように、住民が破壊行為をしかけてくるということはなさそうだ、ともファイーは言った。あいからずてきぱき、びしばしと力強い低音である。叡智圧の強い視線も健在だが、カヘルはそこに何らかの含みを見てとることはできない。女性文官の表情は落ち着いて、平らかである。
≪……にえ……≫
先ほど聞いた低い呟きは何だったのだろうか、とカヘルは思いつつ軍馬を歩ませる。
ヌーナー村への道はまだまだ白く明るんでいるが、左右に迫る樫の森の闇は早くも暗さを増していた……。光を拒むようなその側に安易に踏み込んではならないと、デリアド副騎士団長は心得ている。