05. ファイタ・モーン沼へ
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「忘れずに声をかけていただけるとは、嬉しいですね」
び・しーッッ!
全く笑わぬこわもて風の表情で、その女性は低く言った。
デリアド市庁舎、地勢課勤務のザイーヴ・ニ・ファイー。女性ゆえに正規騎士の資格こそ持たないものの、れっきとした準文官である。
今日もいつも通りに黄土色の作業衣を着て、角形鞄と地図入れの黒い筒を背負い、鹿毛の公用馬を駆っていた。
「ええ。偶然ではありますが、またしても事件現場に≪巨石記念物≫があると言うことです。ファイー侯の知識が必要になると判断して、同行をお願いしました」
ファイーの横、馬頭を並べて街道を北上するカヘルは、熱を込めず淡々と言って返す。その実、胸の内ではようしと握りこぶしを固めていた!
過去の事件捜査を通し、ファイーの底知れぬ叡智と有能に感銘を受けたデリアド副騎士団長カヘルは、今や彼女に個人的な興味をいだき始めていたのである。……それも大いに。事件調査への専門家意見を頼む、と言う形で正々堂々お近づきになろうとしている! この調子で自然に距離を縮めるのだ、目指せ! 脱・ばつ二ッッ!
「前回事件の巨立石と異なり、かなり人里離れたところにあるもののようですが。ファイタ・モーン沼の巨石記念物について、ファイー侯は何かご存知ですか?」
「ええ。本官としては、以前から強く認識しておりました。著名な場所です」
あごの辺りで切り詰めた、まっすぐな金髪を揺らしてファイーは答える。
――えー! そうなの? デリアド育ちの俺でも、今回初めて聞いたんだけどなぁ……、ファイタ・モーン沼って?
「……と言っても、巨石研究者の間でという話ですが」
ローディアの方は全く向いていないにもかかわらず、側近騎士の心の内を読んだかのように女性文官は言い添えた。カヘルとファイー、二騎の後ろで慎ましく話を聞いているローディアは、女性文官の言葉に舌を巻きたくなる。
ぴんと伸ばしたファイーの背中、黄土色の騎士作業衣の台衿すぐ下には、ローディアたちの騎士外套左胸にあるものと同じ刺繍が施されていた。黒羽二本に挟まれた一枚の樫の葉、その名も≪永き樫の森≫を意味するこの国、デリアドの国章である。ファイーが髪を切り詰めているのは、背中の国章をはっきり見せるためなんじゃないのかと、ふと側近は考えた。
「≪巨石記念物≫には、いくつかの種類があります。ファイタ・モーンの沼畔にあるのは巨立石の集合体で、≪環状列石≫と呼ばれる珍しい形態です。今のところ、デリアド領内では三例。イリー都市国家群全体で見ても、九例しか確認されていません」
「前回見たような巨大な立石が、円環のように並んでいる……と言うことですか?」
「その通りです、カヘル侯」
ファイーは鋭くカヘルを見て、うなづいた。その双眸に、艶などはない……。あるのは深き好奇心と、知性に裏打ちされた揺るがぬ自信である!
「その圧倒的な形状ゆえ、周辺地域では単独巨立石以上に畏怖の対象とみなされている可能性もあります。地勢課文官として、慎重に環境保全に努めなくてはなりません」
「……」
カヘルとしてはひたすらうなづきながら、どこまでもファイーの説明を聞いていたかった。しかし街道反対側から、こちらに向かって南下してくる一団の気配がある……。羊の群れを引きつれた牧人たちだった。
「どう~、どう~。おらーお前ら、路肩に寄るんだよう」
「ポチ助やーい、寄せろ。寄せるんだよー」
「騎士さま方、どうも申し訳ねぇですー」
めえめえ、べぇえー。
五十頭もいるのだろうか、大して幅のないデリアド南北準街道をふさぐには十分な群れであった。うち数頭の首につけられた羊鈴がからころ、ころから……耳に円かな、いなかの音を響かせる。羊飼いとその犬たちに促されて、おとなしい生きもの達はふかふか、もこもこ、白っぽい波となって流れゆく。
路傍に寄ってそれをやり過ごした後、なぜかファイー騎はローディア騎のすぐ後ろへとついてしまう。
それきりカヘルは彼女と話せないまま、ゆるやかな上り勾配の峠へと差し掛かっていった。
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首邑デリアドを発っておよそ二刻。
峠をいくつか越えたところに、過疎集落の集まる地域があった。フォルターハ郡は、深き樫の森となだらかな山の合間にある、この周辺一帯を指す。カヘルに出動を要請した北域第十分団は、死体発見現場の沼に一番近いヌーナーの村に捜査本部を置いたと言う。一行はそこへ急いだ。細いが、割としっかり整備された田舎道が通っている。
やがて、樹々のまばらな曠野の中に、石積み家屋の寄り添う集落が見えてきた。
その手前、軍馬に乗った黄土色外套の騎士がひとりいる……カヘル一行を待ちうけていたらしい。彼は片手を高く差し上げ、ぶんぶんぶんと大きく、やたら子どもっぽく振った。
「お疲れさまでありまーす! デリアド騎士団本部からお見えの、皆さまですねーッッ?」
近寄ってみれば、見かけもこどもっぽい若者だった。上背はあるらしいが、まるまるぽちゃりと血色のよい丸顔にはひげの代わりに赤にきび、十五かそこいらにしか見えない。黄土色の正規騎士外套を着ているのだから二十歳以上なのだろうが、山吹色の見習騎士外套の方がよっぽど似合いそうだった。
「北域第十分団マユミーヴ副長は、現在ファイタ・モーン沼の現場へ行っております! ヌーナー村の捜査本部に、皆さまをご案内しますッ」
緊張して、湯気を立てそうな赤いまる顔である。それを一瞬じっと見つめてから、カヘルは言った。
「……君は、マユミーヴ侯の弟のアルタ君ですか?」
「えっ! ……はい、そうでありますが?」
若者はまる顔をきょとんとさせて、いがぐり頭をかしげた。
「お兄さんにそっくりですね。私はデリアド副騎士団長、キリアン・ナ・カヘルです」
「きひゃーっっっ!」
途端、わかもの騎士は小さく叫んだ。驚いて開けた口までまん丸い。造形の面白みにつられて、カヘル後方のローディアはつい和んでしまった……。口まわりの栗色ひげが、もじゃもじゃと揺れる。
「マユミーヴ侯が捜査指揮を執っているのなら、話が早い。捜査本部ではなく、直接ファイタ・モーン沼へ案内してもらえますか?」
「ふぁっ、はいっっ」
何やらぎこちなく引きつるような様子のまる顔騎士に先導され、カヘル一行は事件現場のファイタ・モーン沼へと向かった。
沼への道は南北準街道の延長、諸所に砂利の敷かれた良い道である。最後尾を行くローディア騎のそばに、そっとファイーの鹿毛公用馬が寄った。
「……ローディア侯。北域第十分団の副長とカヘル侯とは、親しいのですか?」
低い声で問うてきた女性文官に、ローディアも声を落としてもしゃもしゃと答える。
「ええ。デリアドの騎士修練校で、同期だったか……先輩だったように、聞いたことがあります」
「ふむ?」
ファイーはうなづいて、それ以上聞いてこない。しかしローディアはふと、前の事件でも自分たちはカヘルの同期に会っていたな、と思い返した。そっちは我らが副団長と全く親しくなかったが。
実は、副騎士団長カヘルと北域の分団長たちとは、あまりうまく行っていない。
近年の急激な治安悪化に対応しきれていないのろ臭い老侯たちに対し、折あるごとにカヘルは危機感を高めるよう檄を飛ばしているのだが、それが正確に届いていなかった。
人間よりも羊や牛の数の方が多いと揶揄されるデリアドだが、北の過疎地は冗談抜きにそれが現実であった。長らく犯罪と無縁だったのどかな地域では、気合を入れて不審者を取り締まれと言われても、なかなか巡回騎士たちの腰が上がらない。
そう言った場所でカヘルが信頼をおける数少ない分団幹部の一人が、件のマユミーヴ侯なのである。
道の両脇にこんもりと茂る樫の森がひらけて、水面のきらりと光る平らかな風景がカヘルたちの視界に入って来た。
さほど大きな沼ではない。蒼々と濃い水を湛えた水の向こう側、右手方向には、やはり鬱蒼とした樫の森が続いている。左手はややひらけていて、なだらかな起伏のある曠野が南向きに広がっているようだ。
続いて遠方からこちら側へと沼を眺めわたし、その円い輪郭をたどってきたローディアは、うっと胸を突かれたように感じる。
浜のようになった沼の汀の右奥に、細長い巨立石がいくつもそそり立っているではないか?
この位置からはよく見えないが、十基以上の巨大な石が、どうも円形になってかたまっているらしい。日の光の下で見ても、その黒みがかった灰色の石たちは不気味だった。薄明の中で見たら、ちょうど巨大な人影が寄り添いあっているように見えるのかもしれない……、……巨人に見える?
カヘルとともに参加した春の戦役にて、ローディアはほんものの巨人を目にしていた。今でもあまり思い出したくないその姿。
――あれと違って、こっちのは動かないんだぞ……。見上げるほどにはでかくないし、襲ってはこない。これは、ただの石なんだぞ……。
「……ファイタ・モーン沼の環状列石!」
その時、腹の底にびしーっと響く低音で、隣のファイーがつぶやいた。呟き声なのに、それはなぜだかローディアの胸から、不安をとっぱらって過ぎて行った。
そうっと見下ろせば、女性文官は口角を上げて挑戦的な笑みを石たちに向けている……。
さりげなさ全開、肩越しに振り返って、カヘルもまたファイーを見ていた。
女性文官の青い叡智のまなざしが、巨石に会えた喜びで煌めいていることを、副団長はしっかり見てとっている。