【完】エピローグ:姉姫石に願いを
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夏の終わりと秋の初めが、混じり始めている。
乾いた空気を通して、青く澄んだ空がその陽光を地上いっぱいに振りまいていた。
今日のファイタ・モーン沼の水面は空の優しい青さを映して、今まで見たどの瞬間とも似つかない。おどろおどろしくも、哀しげでもなかった。十五基の巨立石も、妙に楽しげに白っぽく輝いている。あのお婆さんの話した物語そのままに、陽気にはしゃぐ若い娘たちなのだと、カヘルには思えないこともなかった。
現場捜査班の巡回騎士たちは最後の念入れ調査を終了して、天幕をたたんでいるところだった。荷車に機材を積んで、これにて完全撤収である。
ファイーはアルタ少年とともに、環状列石の内側に立っていた。
女性の手元を、ちらちら眩しいやまぶき外套の準騎士がのぞき込んでいる。その女性の後ろ姿は間違いなくファイーなのだが……。白い麻衣に藍色のたっぷりした袋股引というその出で立ちが、いつもの女性文官とは別人のように見える。
「あっ、カヘル侯ー!」
浜の小石を蹴る音に気付いて、少年が声を上げた。
「ファイー侯。服の準備ができたので、我々はそろそろデリアドへ帰還します。侯はどうされますか?」
いつも通りの冷やっこい声。ファイーに向けて平らかに問いかけるカヘルに、後ろのローディアは胸中で軽く突っ込んでいる。
――迎えに来たはずなのに。帰りますよと言うのでなくて、いちいち同行するかどうか、ファイー姐さんに聞くんだもんなぁ……。
市庁舎勤務の文官ファイーはカヘルの部下ではないのだから、これは間違ってはいない。しかしこの問いかけが何となく、カヘルのこだわりになっているのではないか、とローディアは思った。尊重してるのだ、姐さんを。
「おや、そうですか? では本官も作業衣に着替えて、帰庁します」
いつものびしびし調をさらに元気にした声で、振り返ったファイーが言う。
心もち顔も晴れ晴れとしていた。マユミーヴの伯父宅で借りた麻衣は、彼女のなだらかな肩を優雅にまるく見せている。意外に繊細な鎖骨の線とその影から、急いでカヘルは視線を外す。
「ご覧ください、カヘル侯。大発見です」
しかし当のファイーが、ぐっと近くに寄って来るのだ。
「昨夜、わたしが貼りついていた巨立石に、線刻があったのです。暗い中の手探りではよくわかりませんでしたが、先ほど小舟に乗せてもらって確認しました」
女性文官の差し出す筆記布に目をやる。ファイー自身の手による簡単な描画があった。
「……戦斧線刻ですね、これも?」
「ええ、そうです。水中に没している右から二つ目の石の外側、沼中心に向かった側にありました」
その素朴な絵は、見ようによっては巨大骨付き肉にみえないこともない。しかし同様の意匠をファイーに見せられたことのあるカヘルの目に、それははっきり斧とわかった。長い柄の先に取り付けられた石。このしるしはデリアド領内の巨立石表面に、しばしば見つかるのだと言う。意味するところはいまだ知れない。
「あー、アルタ君。ちょっとねー、お兄さんから伝言があったような……。他の皆さんのところに行こうか~?」
「えっ、何でありますか? ローディア侯」
毛深い側近は、気遣いのできる男である。副団長と女性文官の近さを見て、やまぶき外套の少年をそろそろと環状列石の外へ誘導してゆく。
「この環状列石は存在こそ知られていましたが、詳しい調査は行われていないのです。地勢課として、ずいぶん収穫がありました。伝承の採取も含めて、非常に有意義な出張でした」
叡智の深い青い双眸が、屈託なしに微笑しているのを見て、……カヘルは少し拍子抜けした。昨夜のことで、ファイーは怒ってなんかいないらしい!
カヘルは嬉しくなった。もちろん顔をにやけさせるような副団長ではない。けれどだいぶ表面温度の上がった声で、ファイーに言った。
「……ここは沼ですから。冬乾季に水面が退いて固まれば、例の測定方法が使えるのではないですか? 年縞でしたか」
ふるふるっ。
ファイーの切り詰め髪の毛先が、あごの高さで震えたようだった。
「仰る通りです。実施できれば、デリアド領内初の試みとなるでしょう。上司に提案するつもりでいます」
「石たちが立てられたのは、やはり八千年前でしょうか」
「それ以上でも以下でも、どっちみち期待大です。元々この環状列石は全体が地上に立てられたと思われますが、地形変化があって水がたまり、一部が水没したのですね。少なくとも、沼のできた年代までは明らかになるでしょう……」
ファイーはカヘルを、嬉しげに見て話している。この人は本当に自分の仕事に、巨石調査に情熱をもってるのだな、とカヘルは思った。そして、そういうファイーだから好いのだとも感じる。副団長は、微かに口角を片方上げた。
「災難が転じて、福となったのですね。貴女が風邪をひかなくて良かった」
「ええ。そしてカヘル侯に助けに来ていただいて、助かりましたよ」
カヘルは両眼をしばたたいた。
「本官は実は、……ほとんど泳げません。浮くのがやっと、精いっぱいです」
あの落ち着きようでそれはないだろう、と突っ込みたかったが……ファイーはびしっと真面目な顔だ!
「石に貼りつきはしましたが、侯が支えて下さらなければ、じきにかくんと気を失っていたでしょう。アルタ君が小舟で来てくれる前に、静かに沼底に沈んでいたかもしれません」
「そう、ですか……」
何でもできるはずの女性文官、できない部分を初めて知った。
「巨立石とカヘル侯に大感謝です。ではそろそろ、行きましょうか……石に願掛けはされましたか? 侯」
「ええ」
――イリー世界安定、デリアド国家安泰、カヘル家繁栄。そのために、こちらの女性と一緒に幸せになれれば本望です。
「ファイー侯は?」
「ええ、しましたよ。あなたのことをもっと教えて、と頼みました」
汀に佇む姉姫石の脇をすり抜け、歩きつつ――カヘルは眉を上げてファイーを見る。石の反対脇をゆくファイーが、何気なく見返してくる。
「石に?」
「ええ、石に」
乾いた空気を透かして降る陽光。
男と女の頭上はるか高くで、晩夏と初秋とが名残を惜しんで抱きしめ合っている……。
じきに、金月がやってくる。
【完】
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皆さまこんにちは、作者の門戸です。
冷えひえカヘル侯の巨石事件簿・第二弾、「恋と戦慄のクロムレク/環状列石」をお読みいただき、誠にありがとうございました! よろしければページ下部分にて、☆評価やブックマークなどをお願いいたします。
『巨石記念物』をロケーションにしている本シリーズですが、今回の巨石は「クロムレク」でした。【環状列石】という日本名が明確に記しているように、複数の巨石が円く構成されたものです。英語でストーンサークル、と言えばすぐにストーンヘンジを連想される方もいらっしゃるかもしれませんね。
今回カヘル侯たちが訪れた遺跡は、あそこまで壮大なものではないのですが、一応のモデルが存在します。フランスはブルターニュ、モルビアン湾にある「エル・ラニック島」で半ば水没しているストーンサークルに、長年心を奪われておりました。今回登場してもらえて本当に幸せです。Er Lannic で画像検索するとうつくしき巨石風景がたくさん出てきますので、興味のある方はぜひご覧になってみてください!
そしてまだまだ元気なカヘル若侯、明日からは第三弾「アリニュマン/列石群で抱きしめて」の連載開始です。荒野に立ち並ぶ巨石軍団あいてに、カヘル侯が頭脳と戦棍をふるうのです……! と言うか巨石のありすぎるデリアド、自分で書いていてなんですが移住したくなってきました。
それでは皆さま、次回のカヘル侯の冒険にてまたお会いしましょう!
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♪かっ飛ばせ~、♪♪カ・ヘ・ル~~!!
(門戸)