27. 色白文官騎士と蜜煮職人
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「火葬後、両者ともにヌーナーで埋葬も受け入れ可能という話でしたが……」
「ええ、ですが墓銘は無表記でお願いします」
「それが最善策でしょうね」
一夜明けて、翌朝。カヘルは集会所の捜査本部にて、北域第十分団副長マユミーヴ、ヌーナー村長とともに、二つの遺体処理について話し合っている。
アーギィ殺しの真犯人、ロマルー農家の娘は巡回騎士らに捕縛され、ヌーナー村の捜査本部へと連行されても、どうして自分がそういった扱いを受けるのか理解していない様子だった。
ファイーとカヘルにしたことも、アーギィを手にかけ殺したことも、罪を罪として認識できていない。疑問を持つ余地はまったくなくて、自分の行いは全て正しいとしか思えないらしい。視野と考えの狭すぎる娘であった。
自分の手を拘束していた太縄を涼しい顔でねじり切り、牛馬の世話があるから家に帰ると見張りの巡回騎士に迫る。間一髪、衛生文官ノスコが濃い目に淹れた鎮静剤入りの薬湯を飲ませて、事なきを得た。両親が駆けつけて来てからは集会所の裏の室で黙りこくり、じっと静かにしている。
慌ててアルタ少年が引っ張り出してきた捜査用小舟で救助されて以降、カヘルとファイーはほとんど口をきいていない。二人は縛り上げた真犯人の傍らで震えながら、マユミーヴ達の到着を待った。
浜辺に起こした焚き火の前、カヘルの黄土色外套にくるまったファイーは、終始無言で佇んでいた。炎の揺らめきだけを見ているらしい女性文官を静かに盗み見て、怒らせてしまったのだろうかとカヘルは勘ぐった。
――うっかり個人名を呼んでしまったのは、失敗であった。早すぎたのだ……。
本当にうっかり、である。泥沼の奥底にファイーを失うのがひたすら恐ろしくて、ザイーヴさんと叫んでしまった。幸い巨立石に守られて、ファイーは無事であったのだけれども……。
咆えるように名を呼び、次いであんな風に抱きしめて、その代償は大きかった。結局彼女を失ってしまったのか、そう思うとカヘルの心は冷たく沈む。……いつも以上に冷たく、という意味である。念のため。
直属部下のプローメルが、そっとカヘルに耳打ちに来る。
「……カヘル侯。バンクラーナ侯から連絡を受けて、ディフラーヴ侯が到着しました。例の集落の責任者と一緒です」
集会所に入って来たのは、ごく若い色白の文官騎士である。その後ろにいるのが見知らぬ小柄な女性であるとわかって、カヘルは一瞬高めかけた緊張をすぐに解いた。
「カヘル侯。東域第九分団、エンダ・ナ・ディフラーヴです」
青年は一礼すると、隣に立った女性を示した。
「そしてこちらは、≪さしもぐさ≫工房の共同責任者、蜜煮職人のイームさんです」
カヘルの目の前で、女性は見るからに緊張していた。こちらと目を合わせず、うつむき気味に頭を下げている。その頭のてっぺんに丸く結い上げた苺金髪だけが、ちらちらっとカヘルの目に瞬いて映る。
「便りの中でお話は伺っております。お二方、すぐに確認していただけますか」
「はい」
カヘルとローディア、マユミーヴに伴われて、青年文官と蜜煮職人は村の墓地の脇、安置小屋の中へ入る。
簡易寝台の上に横たわる男女ふたつの遺体を目にして、女性職人は溜息をついた。
「……男の人は全然知りませんが、こっちはまちがいなくミリシュさんです。昨年の秋まで、うちの≪さしもぐさ≫集落で蜜煮の研修を受けていました。アヌラルカの町で市民籍を取って、出て行って……。今年に入ってからお便りもくれていたんです。勤め先のお店から」
小さくがっしりとした肩を震わせながら、蜜煮職人イームはきっぱりと言った。
「……そうですか。身よりは全くいらっしゃらないのですね?」
「ええ、いません。あたし達を遠い親戚のように思っているよと、去り際に言ってくれましたけど」
「遺品が別の場所から見つかりました。あなたが持って帰られますか? イームさん」
言いつつカヘルは、卓の上に置かれたミリシュの肩掛け革鞄を手に取った。中から皮紙を出して見せる。
「あなた方の在所連絡先と一緒に、ミリシュさんが大切に持っていたものです」
潤みかけた翠の瞳でカヘルを見上げて、イームは頭を振った。
「いえ、……いいんです。それはミリシュさんが自分で望んで、がんばって勝ち取ったものですから……。彼女と一緒に、焼いて埋めてあげて下さい」
ぺかッ! 蜜煮職人の頬が、紅く染まってからてかった。彼女はもう一度、泣き笑いの顔でミリシュの顔を見る。
「がんばった、あんたのこと。……あたしら絶対に、忘れないよ。ミリシュさん」
・ ・ ・
墓地から村へと戻る途中、事件の顛末と背後にあるらしき組織のことを、カヘルは二人に手短かに話し伝えた。
「アヌラルカ近辺において、皆さんは実際に彼らと対峙されたわけですし。既に背景はご存知と思いますが、今後もより一層の警戒を敷いて、保護女性たちの安全確保に努めて下さい」
「はい」
「はいっ」
青年文官ディフラーヴと蜜煮職人イームは、ともにきりっとした顔で答えた。
「微力ではありますが、私の方からも東域各分団に対し、皆さんの活動を補助するべく檄を飛ばし続けますので」
「あの。……カヘル侯」
やたら血色のよい頬を、ぺかぺかと朝の陽光にてからせながらイームが言った。
「≪さしもぐさ≫の活動を支援して下さって。本当に、感謝しています」
カヘルは蜜煮職人にうなづいた。
「本来、正イリー語を話しイリー規律を守り、イリーの生活様式に則った暮らしのできる人であれば、誰でも希望してイリー市民籍を取得できる、というのがデリアドの方針です。それが家庭内暴力や血縁のしがらみ、果ては犯罪組織の蛮行によって阻害されてしまうのは理不尽でしかありません」
蜜煮職人のイームは、事情を抱えて逃走する不法滞在の東部ブリージ系女性をかくまい、工房で手に職をつけさせていた。そして文官騎士のディフラーヴは、彼女たちが外来枠でイリー市民籍を取得するのを手伝っているのである。
他に類を見ない独特の試みだが、在野の人々の草の根運動を重要視しているカヘルとしては、いずれ成果が出るものとして期待していた。
――樫の森とて、もとは芽を出した一つのどんぐりだ。
「小さな積み重ねではありますが、こうして正規の市民籍を有する東部系住民を増やしていくことで不法滞在そのものを減らし、軽犯罪への巻き込まれを断つ流れに持って行きたいと、私は希望しておりますので」
「ありがとうございます」
ではそろそろ、と村の厩舎に足を向けかける二人に対し、カヘルは少々ためらってから……聞いた。
「……カーフェさんは、お達者でいらっしゃいますか」
≪さしもぐさ≫工房のもう一人の責任者の名を挙げて、カヘルが問うたその瞬間。青年文官ディフラーヴは、小さく顔をほころばせる。
「はい! 大変元気にしております。……えーと、その……」
ディフラーヴはイームと顔をうなづき合わせてから、声をややひそめてカヘルに言った。
「内々だけで済ませたことなのですが、カーフェは最近再婚いたしました」
「……! それは良かった」
「カヘル侯にも、どうぞよろしくと」
「そうですか。どうか末永くお幸せにと、伝えてください」
驚きこそ小さく浮かべたが、やはり平生どおりの冷えひえ淡々表情にて言ったカヘルに、イームが問う。
「カヘル侯。黒苺はお好きですか?」
低いところからの唐突な質問、カヘルは小首をかしげて蜜煮職人を見る。
「好きですね。目に良いので」
夜目がきき、底力のきいたがんも強い副団長であるが、微妙に乾燥に悩んでいる。
「じゃあ、これをどうぞ」
イームは中弓・矢筒とともに背負っていた麻袋を下ろして、中から小さな素焼き壺をつかみ出した。
「今年いちばんに採れた黒苺で、昨日の朝あたしが作ったんです。自信作」
「ありがとう」
渡してくる手は身長に対して大きく、がっしりとたくましかった。そこに真新しい金の指輪が光っている。この人も最近結婚したのだろうか、と何気なく思いつつカヘルは壺を受け取った。
・ ・ ・
エンダ・ナ・ディフラーヴとイームは、そそくさとヌーナー村を後にした。
デリアド東域にある彼らの本拠地までは遠い道のり、のんびりしてはいられないのである。ひと気のない準街道上、馬の頭を並べて進む二人は、いつもの調子に戻って話し始めた。
「いや~、おっかなかったですねぇ! イームさん!」
「本当だな、エンダ君! あたしらの蜜煮が立ち向かう強大な敵どもは、まだまだ得体が知れなくっておそろしいものだ!」
「いや、じゃなくってー、カヘル侯ですよう。久々に実際会って話しましたけど、相変わらず冷えっひえで怖かったぁー」
「……そうか? あたしは初めて会ったが、想像していたよりいい人だと思ったぞ? ミリシュさんのことをちゃんと尊重してくれたし、とってもまじめだ。カーフェのことを聞かれた時には、未練があるのかと疑ったがそうじゃない。あれは、ほんとにカーフェの幸せを願ってくれているのだ。いい元夫だ」
「だからほだされて、蜜煮あげちゃったんですね? ……カーフェの再婚相手が、イームさんだってわかったのかなあ。あの人」
「それはないと思うぞ、エンダ君。と言うかな、あたしの銅鍋勘によれば……。たぶんあの人も別に好い人がいるっぽいな! 熟す直前の黄梅みたいな、良い感じの様相をしてたじゃないか」
「うわー、出たよ。イームさんの謎の比喩……。僕ついてけません」
「あはは! わからなくってもついておいで、エンダ君。世界の問題の全ては蜜煮で解決、うまく行く」
「はいはい。……ああそうだ、今回の事件について、テルポシエの皆さんにも簡単に教えてあげた方がいいんじゃないですかね? こないだのアヌラルカの一件に、けっこう関係あるかもしれないのだし」
「ん? そうだね……! それじゃあたしのいとこのアンリちゃんと、ナイアル君にあててお便りを書いてもらえるかい? エンダ君」
ぺか、ぺかぺかぺかッ!
薄く澄んだ水色の空、まだ冷たい朝の空気を透かして降りてきたあわい陽光を、何倍にもする勢いでイームの頬っぺたが明るくてかった。
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料理人「んも~、イームちゃんってば相変わらず絶好調だな~! 俺も負けずに鍋精進、世界のピンチは鍋で解決ぅ!」
副店長「恐ろしい従兄妹どもだ……」
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