24. 石になった十五人のお姫さま
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大まかなまとめではあるが、ファイタ・モーン沼で発見された二つの遺体は、≪人身売買業者にかどわかされた女性による心中事件≫として結論付けられた。
細々とした事件の処理は明日以降、北域第十分団が行う。カヘルは明朝デリアド帰還と決めて、今夜も引き続きマユミーヴの伯父宅に滞在している。
夕食後、ローディアと報告書作成の打ち合わせをしに地上階小居間に向かいかけたところ、廊下でファイーとアルタ少年とに行き当たる。二人はどこかへ、外出するらしかった。
「村の婆ちゃんちに、環状列石のお話を聞きに行くのでありますッ」
まる顔を精いっぱい真面目にして、少年はカヘルに言った。
「あの沼の石について、古い話を知っている人がいないか調べてくれるよう、わたしがアルタ君に頼んでおいたのです。記録して、地勢課に資料保存しようと思いまして」
「それは興味深いですね」
女性文官と少年に向けて、カヘルは平らかに言った。しかしその声に混じる微妙な生ぬるさを、聞き逃すような側近ではない。
「はい! 興味深いです!」
熱っぽく横から言ったローディアを、カヘルは怪訝そうに見上げる。
「副団長におかれましては、領内各地の風俗伝承に造詣を深めるのも、公務のひとつではないでしょうかッ? 報告書は、プローメル侯ノスコ侯の助力を得まして、私が作成いたしますゆえ! カヘル侯はどうぞ、ファイー侯に同行なさって下さいッッ」
少々鼻息荒く言い切った! 明るい栗毛の髪とひげがもじゃもじゃ揺れる、ローディアの顔を見上げていたカヘルの口角が……。片方ふわぁん、と上がったように見えたのは錯覚であろうか。
「なるほど、ローディア侯の言う通りです。ファイー侯、領内文化に理解を深めるため、私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。ではさっそく行きましょう」
ぴしっと軽く言い放ち、くるりと玄関先をめざすファイーとアルタの後を追いかけて……カヘルはローディアを見た。 生あたたかく、見た。
「後は頼みましたよ」
「はッ、お任せください! お気をつけて、いってらっしゃいませッ」
毛深い両のこぶしを胸の前にてぐうと握りしめつつ、側近ももじゃもじゃ温かく言葉を返した。
――そうだ副団長、その意気ー!! め・ざ・せ、脱ばつ二ーッッ!!
冷え切った上司のしあわせ成就を願う、健気にして毛深き側近ローディアは、この場にいない同僚たちに状況速報を伝えたくてたまらない……。
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アルタ少年の言う≪婆ちゃん≫と言うのは、ヌーナー村の中心にある道具屋のご隠居さんであった。
狭く温かい居間に通され、炉の前に低い腰掛を並べて座る。カヘルは既視感を持った。大昔、自身がほんの幼児だった頃に家にいたばあやが、ちょうどこんな感じに暖炉の前で何かを物語ってくれた記憶がある。残念ながら、話の内容まではさっぱり憶えていないのだが。
二本杖を安楽椅子の脇に置いて、お婆さんはだいぶ足が悪いらしいが、しゃっきりとした人だった。アルタのことはもちろんよく知っていて坊ちゃんと呼ぶし、来訪の目的を告げるファイーにうんうんと力強くうなづいている。カヘルが控え目に名乗ると、口を大きく開けて驚いた。声に出さずとも、唇が『ひゃっほう!』の形になっている。
「はいはい、ファイタ・モーン沼の石環の話ですねえ! まかしといて! 坊ちゃん、そもそもの石の数を知っているかえ?」
「数えたよ。全部で十五あるんだ」
「そう、十五ねえ。何であの石が十五個かと言うとねぇ、実は十五人のお姫さま達だったからなのよ……!」
小さく燃える炉の火と、小卓上の蜜蝋の灯りに照らされて、老女は楽しげに語り始める。
遠い遠い時代のとある夏、めっぽう暑い日があった。
その頃デリアドの王様には、十五人のかわいいお姫さまがあったのだけど、若くて元気いっぱいの少女たちは、むしむし暑苦しいお城の中に閉じ込められているのにうんざりしてしまった。それでお父さまお母さまにお願いして、湖のある涼しい森の中へ遠足することにしたのだ。
≪夕暮れまでには、必ず帰ってくるのよ≫
十六人目に男の子を産んだばかりのお母さまが、赤ん坊を抱いて疲れた様子でぴしりと言った。
≪そうだぞ。夕ごはんまでに戻らないと、魔女に頼んでお前たち皆を石に変えてもらうからねぇ≫
戦争から戻ったばかりのお父さまも、やはり疲れた声で娘たちをおどした。
それで十五人のお姫さまたちは、めいめい手籠にお弁当を持って、笑いながら出かけて行った。涼しい樫の木の森を抜けて、青緑に輝くファイタ・モーンの湖面を見た時、十五人の少女たちはいっそう甲高い声で笑った!
「……湖面? ファイタ・モーンは沼だよ、婆ちゃん?」
アルタ少年の何気ない指摘に、老婆はにやっと笑う。ここは、炉の灯りにきらっと歯が白く輝くところである。
「ふっふっふ。そん時ゃまだ湖だったのよ……。まぁお聞きよ、坊ちゃん」
お衣を石ころ浜辺に脱ぎひろげて、お姫さま達はつるりと裸で水の中に入って行った。ばしゃばしゃ水をかけ合って、頭を出したまますいすい泳いで、ずうっと冗談を言い合いっこしながら遊んでいた。
お弁当をたべて、おやつも食べて、その辺で摘んだすぐりを食べても、まだ水の中で遊び続けた。中身のない冗談を、意味も考えずに言い合い続けて笑っていた。……まあ若い娘の冗談なんて、今も昔も意味の入ってるこたぁ少ないけどね?
とにかくそうして遊び呆けているうちに、とうとう西の空が翳り始めた。いちばん年上の姉さま姫がさすがに気づいて、そろそろ帰りじたくをしようと言い出す。
≪みんな、一列になって。順番こっこに、湖の水で足の泥んことざらざら砂つぶを洗い落とすのよ。できた人からお衣を着て、髪を編んで、そうしてデリアドへ帰りましょう≫
はーい!!
妹たちは返事をして、ぞろぞろ一列になった。言われた通りに足をきれいにして、浜へあがる……。そうやっている中で、誰かが気付いた。
≪あれぇーっ!? 三姫と六姫が、終わったはずなのに終わってない!≫
いたずら者たちは、足を洗い終わったのに衣を着ず、髪も編まず、そのまんま順番待ちの列の後ろにくっついている。一列だったはずの姫たちは、環っかになっていた。
≪あっはっは! これじゃ永遠に、行列が続くんじゃないの≫
≪あははははー! 洗っても洗っても、ずうっと行列順番待ちで終わりが来なーい≫
あはははははー!!
娘たちは爆笑した。笑いながら足を洗い、浜辺に上がり、また湖に足をつけて、と繰り返した。そうして笑い続けているうちに、とうとう頭上に夜のとばりが落ちた……。
十五人のお姫さま達は、十五の石になってしまった。
王様の横に控えていた魔女がまじめで律儀な人だったから、日暮れの瞬間にほんとに魔法をかけてしまったのである。何があったのかを知った王様は、怒り狂って魔女をくびにした。しかし言われた命令を実行しただけなのに解雇にするとは不当はなはだしい、と弁護士に指摘されて、次の日しかたなく再雇用した。
王さま王妃さまはファイタ・モーンへやって来て、石ころ浜辺に散らかったお姫さま達の衣を見つけて驚き、みやびに嘆いた。
≪この先何百年も、あられもない恰好で立ち尽くすとは何と言う悲劇!≫
もう仕方がないから、まず魚たちに王の特権で退去命令をくだし、この先釣り人がファイタ・モーンにやって来ないようにした。次に臣下に命じて、湖の中に草や泥や石ころをどっさり投げ込ませ、泳ぐ人も来ないようにした。こうすれば娘たち、巨立石になってしまったとはいえ裸んぼうの娘たちを、誰かに見られることもなかろうと考えたのである。
こうして王と王妃の夫婦はがっくり肩を落とし、とぼとぼデリアドへ帰って行った……。