23. 男と女の無理心中
人身売買業者の七人を周到に拘束し、台所脇の食糧庫に転がし閉じ込めてから、カヘル達はこのならず者のねぐらをざっと検めてみた。
プローメルが奥の室で、女ものの肩掛け革鞄を発見する。財布の中にはいくばくかの現金とともに、ミリシュの外来市民籍証が折りたたまれて入っていた。
カヘルがその皮紙をひらいた時に、小さな布切れが足元にひらりと落ちる。ローディアが拾い上げた。
「連絡先かな……? あっ。東域第九分団、エンダ・ナ・ディフラーヴ、≪さしもぐさ≫集落……!!」
「ミリシュさんの市民籍取得を手伝った、援助者です」
ローディアの声を冷たく遮ったカヘルの言葉に、不自然さを感じたもののファイーは何も問わなかった。
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ヨプスカ駐在の巡回騎士らを呼んで、人狩り業者七人の身柄拘束と現場保持とを一任した。次いで一行は、ヌーナー村の捜査本部へと軍馬の頭を向ける。
「……つまりアーギィと言う男は、イリー人でありながら東部系の犯罪組織に加担する、人狩り業者の一員だったと。それが正体だったのでしょうか?」
西からの夕陽に照らされる準街道を南下しながら、プローメルがカヘルに渋く問うた。
「平たく言えば、そういうことになりますね」
「そうしてミリシュさんは、恋人と信じていたアーギィにだまされて、人狩りに売られてしまうところだった……」
話の後を継ぎながら、なんてひどい話だろうとローディアは毛深い胸のうちで憤慨している。話に聞くミリシュが賢明にイリー社会にとけ込もうとし、まじめに働いていたことを思うと、心が痛くなった。
「けれど、わからないのはその後のアーギィの行動です。人狩り業者の一味を裏切って、馬車にミリシュさんを乗せたまま逃げ出した。その理由が不明であるし、また二人が死に至った経緯も、人狩り業者どもには知れていませんでしたね」
プローメルが低い声で続けた。
「……ひとつ、可能性として提示したい筋書きがあります」
他に通る者のない準街道に、馬上の副騎士団長の声が冷ややかに響く。
「アーギィが人狩り業者の同僚二人を蹴落としたのは、ミリシュさんを売る利益を独占する目的だった、と仮定して。これはもしかしたら、男女二人の心中事件であったのかもしれません」
「ええっ?」
「自分がアーギィにだまされていたと知り、ミリシュさんは激高した。ファイタ・モーン沼の近くまで準街道を南下したところで、アーギィの隙をついて後頭部を打撃し、動けないアーギィの首を締め上げて殺害。その後、自分は入水した、と」
逆の順番、すなわちアーギィによるミリシュ殺害はありえない、とカヘルは考える。ミリシュの身体に目立った外傷はなく、沼水で溺死させてそのまま沈むに任せたとしても、アーギィが自分で後頭部を打ち付けたり、あのような絞痕をつけて自死するのは無理がある。
「確かに。ミリシュさん主導の心中とすれば、筋が通るかもしれませんね」
カヘルの後方、ローディア騎と並んで進むファイーが、低い声でびしっと同調してきた。
「蜜煮屋の皆さんも言っていましたが、ミリシュさんはかなり頑丈で、重い蜜煮壺の配達をいとわない腕力があったそうです。一対一で対峙し、瞬発的にその力をふるえば、男性相手でも昏倒させられるほどの打撃ができたかもしれません」
――ファイー姐さんなら何人か向こうにまわしても、全部まとめて突剣で倒しそうだけどね……?
女性文官の戦闘を、本日初めて目の当たりにした側近ローディアは内心でそう思う。この人は絶対敵にしちゃいかん、副団長もだぞ……と、改めてこわごわ自分に言い聞かせた。
・ ・ ・
合流したマユミーヴを含めた夕方の捜査会議において、カヘルはヨプスカで起こった人身売買業者との顛末を報告し、そこから考察した心中の可能性について述べた。
悪徳の人狩り業者一味は、すでに北域第十分団に拘束されている。アヌラルカ付近で捕縛し服毒死した違法業者たちの二の舞とならぬよう、個別に配して猿ぐつわも咬ませるようにカヘルは指示しておいた。
「蜜煮屋の娘さんが、二つの遺体を確認してくれて身元がはっきりしましたし……。二人の関係性を考え、私はカヘル侯の推測を支持します」
マユミーヴが言った。
「しかし……。東部の人も恋情がらみの絶望から、心中をするものなのでしょうかな? あ、これは単純に文化的観点からの疑問なのですが」
「はい、前例があります!」
集会所の隅の方から、声が上がる。ファイー、軍医と一緒に立っていた衛生文官のノスコだ。
「昨年の冬、デリアド市内でイリー既婚男性と共に絞首をはかった東部系の女性がいました。幸いにして、登った二人の重みで首を括るはずだった柳の枝が折れて落ち、近所の人が気付いて騒ぎになったので、脚の骨折程度で済みましたが」
――あれは不倫にはまり込み、身動きの取れなくなった男女が同時に自死を試みた事件であった。片方を殺してから女性が入水したという、今回の≪無理心中≫とはだいぶ性質が違うが……。
ノスコの引例を頭で妥当としつつも、何となくしっくりしないものを胸中に感じているカヘルである。
――デリアド市内の不倫男女は、現時点においてはどうにも一緒になれぬと絶望して選んだ手段であった。今回の女性は、自分をだまし心をもてあそんだ男に少なからぬ恨みを抱き、また売られゆく自身の運命を解放するためにも男を殺害した。……ならばそこで、そのまま逃亡することもできたはずだ……。あるいは激高して殺害した後に我に返り、犯してしまった罪を悔いて入水したのだろうか? なるほど、正当防衛とは言え人間一人を殺害したのだとあっては、市民籍剥奪の上に長期投獄になると察したのかもしれない。こういう経過であっても、やはり心中と言うのだろうか……。
ごく短い時間に、これだけ悶々と考え込んだカヘルであるが、ノスコの発言は終わっていなかった。
「マユミーヴ侯、カヘル侯。検死の結果、もう一つ重要な事実が判明しました。先生、どうぞ」
ノスコの脇にいた壮年の軍医が、卓子前のカヘルとマユミーヴに目礼をする。
「被害者の東部系女性は、妊娠していました」
ざわり、とその場の空気がぐらつく。
「ごく初期の段階ですので、本人に自覚があったかどうかは定かではありません。しかし、仮にあったとした場合は……」
その場にいた誰もが口をつぐんだ。静寂の中で、軍医もまた口をつぐむ。後に言葉が続かない。
――本人に、自覚があった場合は?
言いよどんだその先こそ、カヘルが専門家の口からはっきり聞きたい情報なのに、軍医は黙りこくったままである。マユミーヴも他の巡回騎士たちも、眉根を寄せて唇をかたく引き結ぶばかり。なぜ誰も何も言わないのか……。すなわち自明ということなのか。
――それもまた身動きの取れない状態、入水する他に手立てのないほど、絶望的な状況だったのだろうか……??
数多の事件を解決し、各種の戦果をあげてはいても、女性の気持ちと言う謎にいまだ踏み込んだ推理ができずにいるデリアド副騎士団長は、静かに鼻から息を抜いた……。わからぬ、謎ゆえに歯がゆい。