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11. とろける豚煮込み、お屋敷ディナー

 

・ ・ ・ ・ ・



 マユミーヴ兄弟の伯父宅というのは、ヌーナー村の外にある大邸宅であった。


 いなかの大邸宅と言うからには感覚が違う。ちょっとした城じゃないか、とローディアは恐れ入った。門から屋敷までがやたらに遠い。暗がりの中でその全貌をつかむことはできないが、印象だけでも広大にして巨大である!


 とっくに話はつけてあったらしく、引退騎士とその夫人、使用人らが一行を出迎えて、きびきびと軍馬の世話をしてくれた。カヘル達だけではなく、マユミーヴ配下の北域第十分団員も六名ほどついてきていると言うのに、慌てる様子が微塵もない。さすがは土地の名士である。


 半地下階の食堂は長く広く、やはり長細い食卓について全員が一緒に夕食をとった。盛大に灯された蜜蝋みつろうが、漆喰しっくいの壁に白く照り返って明るい。どっしりと黒く浮く天井はりの下で、ローディアは食べながら笑顔になった。


 どかんと大きな豚のかたまり肉は、午後いっぱい玉ねぎと一緒に鍋に浸かって、丁寧に煮込まれていたと見える。とろけるような柔らかさで、そのあぶらがつけ合わせの緑つぶ豆に絡まるのが何ともよかった。ごく質素な家庭料理、しかしこれにまさるものはない!



「うーん。おいしい」


「本当にー」



 思わずもらしたローディアのうなり声が、ノスコにもうつったらしい。ファイーは左右席の若い騎士らに、交互に低く声をかけた。



「皆さん、豚肉がお好きですか」


「はいー……」



 平生の落ち着き払った態度はどこへ。まだ二十代半ばの衛生文官ノスコは、幸せそうに返事をする。ローディアは口中豆いっぱい、頭を縦に振った。



「わたしも豚がいです。とてもおいしいですね、これは」



 いつも通りの素っ気ない言いぶりだった。しかしファイーの言葉には、それこそ豚の脂みたいな滋味が少しだけまじっていて、本当に好物なのだろうなとカヘルは思う。


 と言うか自分とファイーとの間に、ローディアのごつい巨体が挟まっているのがしゃくにさわる副団長カヘルである。これでは会話に入れないではないか。



「いやしかし、捜査に進展があってよろしゅうございました。早くに事件が解決されることを、願ってやみません」



 肉の皿が下げられ乳蘇(※)がまわって、食後の香湯こうゆが一同めいめいの前に置かれたところである。食事中にはばかられる話題が解禁となる頃合で、主人席からマユミーヴの伯父がカヘルに言った。



「ええ。老侯にはご協力をいただきまして、誠にいたみいります」


「私も、現役時代は北域第十分団に長くおりまして。甥のダルタ同様、管轄地域を飛び歩いていたものですが……。今回のような事件に出くわしたことは、皆目ありませんでした。ぶっそうな世の中になってしまったものです」



 日にけた丸顔にしわを寄せ、マユミーヴの伯父はやや寂しそうに首を振る。



「怖い人たちの話も、ここ数年で急に増えましたものね……。人さらいだなんて、昔の物語の中にしかいない、と思っていましたのに」



 カヘルの正面席、マユミーヴの隣に座した伯父夫人が言葉を添える。



「……フィングラスの、人狩り業者のことですね」



 カヘルは平らかに相槌を打った。デリアドの北領と境を接する内陸国のフィングラスでは、過疎集落の年少者が行方不明になる、という事件がここ数年で散発していた。常に労働力を欲しているイリー圏外の北部穀倉地帯からやってきた奴隷業者が、子どもをさらっていったのである。


 沿岸部のイリー都市国家群をつなぐ主要路≪イリー街道≫に準ずる、山間通商経路の≪ブロール街道≫を活用して、彼らは人身売買の網目を活発化させたものとみられる。この山間街道に面するマグ・イーレ、ガーティンロー、ファダンの騎士団が各領部分の警邏けいらを行い、奴隷業者を捕縛し続けたが、それでも被害は絶えることがなかった。


 その背後でテルポシエのエノ傭兵団が手引きをし、子狩り業者を保護しているからだ、というのがカヘルの叔母ニアヴ……マグ・イーレ正妃の主張である。これに対する制裁こそが今春の戦役、混成イリー軍のテルポシエ侵攻作戦の大義でもあった。ふたを開けてみれば、相当異なる結果になりはしたが。



「ええ。それに加えて、ほら東部系の皆さんの色々がありますでしょう? ……ダルタさん、カヘル様のお耳には入っているのかしら……?」



 豊かな赤み金ひげをふかふか揺らして、おばに話を振られたマユミーヴは少々渋い顔を作る。



実害・・が出ていないので、はっきりと報告書にできなかったのですが。私からの週連絡に記載して、動向としてお知らせしていた部分を読んでもらえましたか」


「ああ、東部系住民の行方不明の件ですか?」


「そうです」



 他ののらくら北域分団幹部と違い、マユミーヴは管轄地域内の不穏な風潮や傾向について、まめにカヘルに伝えてきていた。


 いわく、今年に入って東部ブリージ系の住民が突如として姿を消してしまった、という話が相次いでいたのである。最初に気付くのはたいていが雇い主、無断欠勤が続くので心配して自宅に行ってみたら、もぬけの殻になっていた……と言う筋書きばかりだった。


 そういう雇い主たちは、村役場やマユミーヴたちの分団に助けを求めに来る。家族も身寄りもないはずだから、どうか探してやってくださいと訴えるのだが、実際に調べてみると市民籍がないのだ。雇い主たちはそこで初めて、雇用の際に見せられた≪イリー外来市民籍≫の書類が偽物であったということに気づかされる。


 デリアド領民、イリー市民でない者を探し保護するために騎士団が動くことはできないし、第一本名も何も知れないのだから、探しようがない。


 自ら姿を消したのか、あるいは何か悪いものに連れてゆかれたのか。わからないままに事件は事件とみなされず、立ち消えになっていった。そんなことがぽつぽつと、マユミーヴの管轄地域内だけで六件も起こっていたのである。



「本当に……。どこかにより良い場所を見つけて、そこへ移ることしか頭にないから、ふいと姿をくらましちゃった……と言うなら、それはそれで良いんだと思いますよ。わたしどもの感覚では、近所へ挨拶もなしに旅立ってしまうなんて薄情な、とは感じますけどね? けれど本当はデリアドで暮らしたかったのに、おどされたりかどわかされたりして、むりやり連れていかれたのだとしたら……。こんな恐ろしいことはありません。将来的にはそれが、デリアドの子どもたちの身に振りかかるかもしれませんもの」



 マユミーヴの伯父夫人は、ファイーの湯のみにはっか湯のお代わりを注いで給仕をしている、アルタ少年の方をそっと見ながら言った。



「奥様の仰る通りです」



 カヘルは冷静に同調した。老夫人の言うことはもっともであり、自身の叔母ニアヴ・ニ・カヘルの主張とそっくり同じだったからである。


 直接被害に遭ったのが外国人……、イリーに帰化していない不法滞在の東部系流入民だったとしても、自国領内で起こったことに変わりはない。やがてその被害者がデリアド領民にすり替わらないと、誰が保証できるのだ? 危険な芽は小さいうちに摘み取り、イリー主権の諸国地盤を固めなければならない。それがマグ・イーレ正妃とデリアド副騎士団長との、共通意識であった。



――実際その裏に、得体の知れない組織ってのがちらつき始めているんだしなぁ……!



 はっか湯を飲みながら、側近ローディアは横目でそうっと左脇のカヘルを見下ろす。今日ここへ来る前、読んだばかりの間者かんじゃからの便たより……ルリエフ・ナ・タームの不穏な情報が、彼のもじゃもじゃ頭をよぎったのである。



:: ……小規模の奴隷連れ戻し代行業者、あるいはイリー系住民を対象とした新規奴隷供給業者の陰に、東部由来大型組織の動向が懸念されます。新生テルポシエの関与はいまだ確認できておりませんが、エノ傭兵らしき武装者の目撃談も多く聞きます。彼らがデリアドへ南下する可能性に、ご留意ください。 ……::



 飲み下したはっか湯は、さわやかに喉を過ぎて行った。しかしローディアの舌先には、一抹の苦みが残る。頭の隅にこびりついて振り払えない、漠然とした不安のように。





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ※乳蘇:そちらの世界で言うところのチーズ。牛、山羊、羊……みんな違って、みんないい……。しかしながら乾燥の強いデリアドにおいては、山羊と羊のハード系が伝統的に人気ということです。いいですね、私も好きです。は、聞いてない?(注:ササタベーナ)



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