10. 出稼ぎ労働者アーギィ青年
「間違いありません……! アーギィさんです。うちで働いていた、出稼ぎの人です」
がっくりと打ちひしがれた様子で、種農家のおかみさんは肩を落とした。うなだれたままで、北域第十分団副長・マユミーヴの問いに答え、話していく。
アーギィという名の男は、今年の春にふらりとやって来て仕事をしたいと言い、そのまま住み込みで働いていた。亜麻やはとり粟の摘み取り作業を文句も言わずによくこなす、勤勉な若者だったらしい。しかし夕刻に仕事を終えると決まってどこかに行ってしまい、夕食の席にも現れないことが多かったという。とは言え、朝になれば他の出稼ぎ労働者たちと一緒にきちんと野良に出てくるのだから、おかみさんは特に小言を言わなかった。
「雇い入れた時に、身元は調べましたか?」
おかみさんはマユミーヴに向けてうなづく。
「ええ。持っていた戸籍の写しを、見せてもらいました。うちはその、……イリーの、デリアドの人しか雇わないんです。前に東の人を雇って、大失敗してしまったので……」
ずいぶん前、知識不足からうっかりと不法滞在の東部流入民を雇い入れてしまい、分団から咎めを受けたことがある、とおかみさんは正直に話した。
「ですからアーギィさんの戸籍の写しも、しっかり確認しましたよ。出生と本籍はクロベリアの町でした。そこでご両親が事業に失敗して、負債をたくさん持っているとかで。夏の間だけ、知り合いのいないこちら北域でお金を稼ぎたい、と言っていました」
一行は村の墓地から集会所へと戻り、引き続きおかみさんの話を聴き取る。側近ローディアは、卓子の上で筆記布に硬筆を走らせていた。口述記録を取っているのはマユミーヴの部下だが、ローディアはカヘルの今後の捜査のために、要所要所の情報を書き留めているのである。
「実際、そういうものですか? ここいら辺の農地へ、出稼ぎに来る人々と言うのは……」
まる顔の北域第十分団副長は、おかみさんに気負わせず詳細を語らせるのに成功している。庶民相手に親しみ深い態度、権威はなくて誠実さだけがにじみ出ていた。マユミーヴが質問する時に発する北デリアド独特のゆるやかな抑揚も、大いに貢献しているらしい。
「ええ。うちでは他にも三人の男の人を使っていますが、皆さん似たり寄ったりですね。ずいぶん遠くからいらしていますよ」
ここでの聴き取り質問は完全にマユミーヴに任せることにして、カヘルは無言で考えこんでいた。
――クロベリア……。隣国マグ・イーレとの国境にほど近い、デリアド東域の小さな町。名物名産品があるわけでなし、デリアド領民でも名前以上のことを知らない平凡なところだ。偽の出生地や本籍地とするには、最適な場所の一つと言えるかもしれない。
マユミーヴはさらに、農婦への質問を重ねてゆく。核心である故人の利害関係について、穏やかに切り込んでいった。
「そうですか……。ではそのアーギィさんですが、問題を抱えていたような様子はありませんでしたか? 誰かに脅されていたとか……」
「いいえ、特には。他の人たちともあんまり喋らないし、いつも静かに落ち着いている人でしたよ。 ああ……でもね、室のことだけは、わたしに良く念を押してきましたっけ」
はっと小さく気づいた様子で、おかみさんは言った。
「ほう? どんなことを?」
「うちでは毎朝、皆さんが畑に出た後に、わたしと娘とで住み込みの個室を掃除して、前の日の汚れものを洗濯回収するんですよ。他の人たちは扉を開けっ放しにしますが、アーギィさんだけはいつも鍵をかけていて」
アーギィ青年は、おかみさんにちゃんと説明をしていたと言う。
≪身分証もあるし、護身用に持っている武器なんかも置いてあるので、間違いが起こらないようにしたいんですよ。本当にご面倒なんですけど、おかみさん。合鍵を使って入って、出る時もしっかり施錠してもらえますか?≫
丸っこいあごを覆う、赤みがかった金色ひげをもしゃもしゃ指でしごいて、マユミーヴはうなづいた。
「そうですか……。しかしアーギィさんの言ったことも、もっともです。けっこう用心深い性格だったんですね」
「あのう……。そうやって昨日の朝に掃除をしてから、アーギィさんの室には手をつけていないんです。あの人の持ち物なんかは、どうしたらいいでしょうか?」
「うちの分団の者が、明日の朝いちで引き取りに行きましょう。まとめたりしなくて結構ですから、個室にはしっかりと鍵をかけて、そのままにしておいて下さい」
日が傾いて、すでに集会所の周囲には薄闇が落ち始めていた。おかみさんは慌てて帰路につく。村外れまで、まる顔アルタ少年がお見送りに行った。
「とりあえず、被害者の身元が判明したのは良かった。明日はそこから交友関係などを広く調べ、下手人に繋がる手がかりを洗い出しにかかります」
事件のあらましと今日一日の捜査結果とを、部下の巡回騎士らの前で一通り確認してから、北域第十分団副長は会議を散会した。何らかの動きがない限り、捜査本部は明朝の再開まで休止となる。
第十分団の騎士らは交代で遺体の監視と夜間の村内警邏につくが、数人ずつに分かれてヌーナーの住民宅に宿泊するらしい。
「はい、ここで大問題です。実はヌーナー村には、本職の宿屋がありません」
まる顔をきりっとさせたマユミーヴに正面から言われ、カヘルは動じなかったがその後ろでローディアは冷やっと震え上がった。
――俺らは大丈夫だ! 副団長だって、どうせ本式に寝るわきゃないんだから、集会所でその辺に自然に転がるだろう。しかし! ファイー姐さんはさすがに無理でないのかー? 彼女だけは、どこぞのお宅に泊めてもらわないと……!
――詳しい検屍記録、机のあるところで書きたいんだけどなぁ!
――腹減ってきたぞ……。
ローディア、ノスコ、プローメルの胸の内は、三者三様の思いで騒ぎ始める。
「なので、カヘル侯ご一行には選択肢が二つあります。一つ目、十愛里(※)ばかり北上しまして、うちの分団基地までお越しいただくか……」
マユミーヴの言葉に、上記三名は内心でうへぇとうめいた。
「あるいは、うちの伯父ちゃん家にお泊りいただくか、であります!」
アルタ少年が、兄の横からしかつめらしく言った。まじめくさっているが、何だかちょっと嬉しそうでもある。カヘル部下とノスコの三名は、内心でほほーと頬をゆるませた。
「……三つ目、デリアド帰還という選択肢もありますが」
ぎええええええッッ! 上記三名は声に出してうめきはしなかったが……、カヘル副団長の冷気吹きすさぶ提案に、寒気をおぼえた。
「……さすがにそれは手間ですので、マユミーヴ侯の伯父様のところへお世話になります。ファイー侯も、それで大丈夫ですか?」
ちらり、とさりげなく振り返ってよこしたカヘルに、女性文官はびしりと答えた。
「本官にお気遣いなく」
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※作中、1愛里はそちらの世界での約2000メートルに相当。(注:ササタベーナ)




