地下世界の謀略
通信の向こう側で悲鳴と崩落する音は確実に聞いた。それなのに、どうして——。
そんな湧き上がった疑問が解決したのは直ぐだった。
「買収されたかッ」
歯を食いしばり、協力を持ち掛けた女に胸の中で罵詈雑言を叩き付ける。
せっかく安くはない金を払ってやったのに裏切った。これは許されない行為だ。後で絞める。そう頭に刻み込み、ミズキは目の前の男を睨み付けた。
「思い切った行動をするのね。買収するだけの大金があったなんて思わなかった」
ミズキの挑発に男が不満げに鼻息を漏らす。だが、それも一瞬のことだ。生意気な少女を叩きのめしてやろうとミズキの後ろに視線をやる。
その優越感にも充ちた視線が気になり、ミズキは後ろを振り返る。すると、そこには店舗から姿を現すニヤニヤとしたガルドの姿があった。
「まさか——ガルドと手を組んだの⁉」
「その通り‼」
有り得ない。と驚愕に目を見開かせるミズキ。それを見て、男は大正解‼とばかりに両手を上げてミズキを称えた。
「プライドだけは高かったのにそのプライドまで捨てた何てね」
「何だ。俺が情けないとか思ってんのか?」
男が表情を歪ませる。
情けないと吐き捨てたミズキに向けて怨嗟の籠もった視線をぶつける。
「俺をこんなのにしたのはお前だぞミズキィ。所かまわず俺を追い詰めたんだ。お前が出て来るまで俺は普通に飯を喰えてたって話なのによぉ」
腹の底からの怒りの声。ドロドロとした感情を漏らしながら、男は口を開く。
「パッとでの小娘。なぁ答えろや。何でお前が俺の縄張りを荒らしてんだ? あ? 俺が生涯かけてあの場所を作って縄張りにしたってのによぉ。頭も下げた。靴も舐めた。金も払って不可侵だって取り付けたんだぜ? それなのにお前は——」
「ハ——馬鹿馬鹿しい。何その決まり。アタシは知らない」
「テメェッ」
男の怒りをミズキは笑う。自分の怒りを軽く流された男は更に怒りを募らせた。
だが、ミズキからしてみればそれは唯の言いがかりだ。男が怒りを募らせるのは自由。しかし、ミズキに交渉を持ちかけなかったのは男の不手際だ。
当時、男はミズキを見た目で侮り、見下していた。だから、ミズキも鴨だと考えて標的にした。
警戒を怠った男の自業自得。そう考えていたミズキは態度を崩さない。
「テメェのせいで俺の店で扱ってた商品を根こそぎ奪われたんだぞ‼」
「アタシのせいじゃない。そもそも、1つの場所に留まらずにいれば良かったじゃん。もっと別の所とか、万が一を考えて倉庫ぐらい隠し持っときなさいよ」
「それが出来るのは一部の奴等だけだ。お前の基準を押し付けるな‼」
「だったらこっちに責任を押し付けないでよ」
男の言い草に溜息をつく。
生きていたことには驚いたし、裏切られたことには怒りも沸いた。だが、男の態度を見て幾分か溜飲を下げることが出来たミズキは冷静に思考を巡らせる。
「それに、アタシに奪われたのなら別にまた作ればいいじゃん。そこで心機一転しなよ」
「何——」
男が間の抜けた声を出す。
そんな間抜けた態度にミズキは再び溜息をついた。
「だから、自分の店がなくなったならのなら、誰の縄張りでもない場所を探せば良いじゃない。アタシもそうしてきたんだから」
「待て。待つんだ——教えろ。お前、何人商人を潰した?」
その言葉にミズキは呆れたような表情を浮かべる。
「何言ってるの? アナタ以外に潰した商人はいないわ」
その言葉に反応したのは男ではなかった。男の周囲にいた者達。彼らは一斉にミズキに怒りを向ける。
ミズキは、ここは自由だと思っていた。自分のやりたいことが出来る上から頭を抑えつけられることがない場所だと思っていた。それは一種の強者の考えだ。
上には上がいる。吸血鬼でも人間でも変わりはない。だが、ミズキにはその上にいる自覚。というよりも下にいる者のことを考えてはいなかった。
象が1匹の蟻を気にせずに踏み潰してしまうように、男は才能に溢れた少女に蹂躙された。
それならば、まだ良い。戦いにはなっているのだから。しかし、戦いにすらならなかった者達はどうしようもない忸怩たる思いしかない。
自分の振る舞いが及ぼす影響を考えず、才覚を遺憾なく発揮して上へと行く少女が無意識に伸ばした腕。その腕に当たって階段を転げ落ちた者達。
ミズキが彼らを認識していれば、まだ彼らも何かを言えた。だが、ミズキが口にした言葉は『え? アナタいたの?』である。
自分達は認識すらされていなかった。怒り、殺意、憎しみ。それぞれを抱えて彼らは一斉に銃口を向ける。
本来なら、男が指揮を執るはずだった。
彼らの本業は戦闘ではない。戦いを生業とする者達からすれば一歩も二歩も劣る。だが、一丸となれば、互いの未熟をカバー出来れば、レジスタンスにだって負けはしない。そう聞かされていた。
「待て‼ お前等——」
それが崩れる。
号令を待たずに男達は銃の引き金を引く。全て対吸血鬼用の装備。人間に向けるのには過剰な威力だ。
ミズキの言葉が皮切りになった。彼らは止められない。
そう判断した男は自分だけでもと裏に回り、ミズキの逃げ道を塞ごうとする。見れば、ミズキは戦闘衣を着ておらず、戦いに慣れている様子もない。
商談で相手を丸め込める実力を持っていて、凡人の怒りと憎しみを叩き付けられて何も感じない少女ではなかった。
身を竦み、護衛を置いて逃げ出そうとしている姿。銃撃に怯えて、体を震わせていた。
ミズキが逃げようとしていた方向に男が回り込む。目の前に回り込まれた現実にミズキは恐怖で顔を引き攣らせた。
護衛がいること事態を忘れている。そんな表情だ。
男が銃口をミズキに向ける。相手が恐怖で体を震わせる少女でも容赦はしなかった。男は引き金に手を掛ける。
この状況を冷静に把握していたのは2組。1組はこの状況を意図的に作り上げた者達。ミズキを怨む者達を言葉巧みに誘導し、ミズキが人を雇うことすら掴んでいたガルド。そして、もう1組は常日頃、命を懸けた修羅場に身を投げている北條だ。
ガルドは男達が指示を忘れて動き出した瞬間に見切りをつける。後ろにいた作業員の格好をした護衛に連れられて店舗の奥の隠し通路から姿を消す。
指示を忘れ、暴走した者の末路は決まっている。既にガルドの中で彼らはミズキが連れてきた護衛に敗北すると決めつけていた。
ミズキが協力者を雇う。その情報を掴んだガルドは早速動いた。破壊工作が得意な者達をリストアップし、1人で動くことに拘りを持ち、金に忠実な者を選んだ。
その者についてガルドは敢えて情報を流し、ミズキの耳に入れさせた。ミズキはそれを知らずにその人物を雇ってしまった。ガルドの狙い通りに。
ミズキが裏切ったと思っていたが、そうではない。彼女は最初からガルドに雇われていたのだ。
ミズキは情報戦でガルドに負けていた——だから、今回もミズキは負ける。そう。ガルドも思っていた。
あのヘルメットで頭をスッポリと覆った護衛を見るまでは——。
情報戦の時点ですら掴めなかった護衛。
銃撃にも怯んだ様子を見せずにミズキを守る位置へと移動し、雇い主が自分を置いて逃げても守ろうとする姿勢。
ミズキがこちらに悟られないように隠し続けた存在にガルドは強く警戒した。
その人物が今日たまたま出会っただけで、弾除けとしてあれば良いなぁとミズキが思って雇っただけだとは誰も考え付かない。
その護衛を警戒した結果。ガルドはまとめて始末することを決める。元からここはそういう場所なのだ。
目の前にある1本の柱。ガルドはそれを戸惑うことなく叩き折った。




