ランスイル
地獄壺の中心に位置する巨大な円柱。
北條達は知りようもないが、これは外の障壁と同じように瞬間衝撃吸収壁を使用している。あらゆる衝撃を和らげる素材は、僅かな空気の振動すらも吸収してしまう。
加賀が捜査していた無人機の音による物体感知で、地図がドーナツのように穴が開いていたのは柱が音という振動を全て吸収してしまっていたからだ。
何故、地獄壺の中にそんなものを利用して円柱が作られたのか。それはこの中にいるものを警戒していたからだ。
動き出した怪物の気配を真っ先に感知したのはルスヴンだ。
直ぐに彼女は北條へと警戒を飛ばす。
『宿主。早く外に出ろ。下にいた奴が動き出した!!』
「(アイツが追ってきたのか!?)」
『違う。別の奴だ!! かなりデカいぞ!!』
ルスヴンの言葉に北條はジャララカスが追ってきたのかと警戒するが、ルスヴンによって否定され、困惑する。
踊り場から身を乗り出し、下を覗くが何も見えてこない。肉眼で確認するには辺りは暗すぎた。
『下がれ馬鹿者!! 補足されたぞ!!』
「——え?」
北條の体が意志とは関係なく動き出す。ルスヴンが北條の体を無理やり動かしたのだ。
飛び退いた瞬間——先程まで北條がいた場所が下から破壊された。
「何があったの!?」
隣で結城が声を荒げる。
それに北條が答えることは出来ない。自分自身でも何をされたのか分からなかったからだ。分かることと言えば、またルスヴンに助けられたということ。また小言が増えるということだけだ。
問いかけに答えなかった北條を結城は責めなかった。既にもうその必要がなくなっていたから。
足場が崩れかける。北條を狙った一撃は簡単に踊り場の耐久力を減らした。
ゲートギリギリまで下がった北條達の前に襲撃者の姿が現れる。
「何だ、あれ……」
顔を青ざめる。
キチキチとした音に生温かな風。全ては目の前の生物から発せられていると分かる。しかし、アレは真っ当な生物ではないと判断できた。
まだ人間が太陽の下で暮らしていた頃は吸血鬼も架空の生物だとされてきた。目の前のものもそうだ。加賀がよく目にしている漫画にもそれが登場していたことがあるのを北條は知っていた。
黒光りした体。何百という足。頭に付いた触覚。
北條だって見たことがある。それは、ムカデと呼ばれる生物だった。
けれど————。
「外に出るわよ!!」
それは大き過ぎた。縦幅5メートル。横幅10メートルはあるゲートよりも目の前のムカデの頭部の方が大きい。
ウネウネと動く触覚に鳥肌が立つのを抑えられず、思わず後退ってしまう。
その時聞こえた結城の指示に北條はこれ幸いとばかりに従った。
異能を使うことにも躊躇はしなかった。結城には既にバレていることもあるが、何より目の前のムカデから遠ざかりたいという思いが北條の動きを早くする。
入る際は結城が操作盤を介してゲートを開けたが、今はそんなことをする暇はない。
北條と結城。2人が同時に行動した。念力で、強化した腕で。厚みのあるゲートの扉を突き破り、外に出る。
「あっぶなかった!!」
2、3度転がり、態勢を整えゲートの方に顔を向ける。
ムカデが外に出てくる様子はない。ゲートは破壊されたものの、それ以外の部分は地獄壺の外壁と同じ瞬間衝撃吸収壁だ。
巨大すぎるムカデの突進もビクともせずに耐えている。
ゲートからはムカデが這いずる音。得物を逃がしたことを苛立っているのかギチギチと何かをぶつけ合う音が聞こえるのみだ。
後少し、出るのが遅れていたらどうなっていたか。
潰れていた?もしくは食い殺されていた?
結末を想像し、身震いをする。
食い殺されるのならば吸血鬼だって恐ろしい。だが、下級の吸血鬼と中級の吸血鬼。そして、あの巨大なムカデでは恐ろしさに違いがあった。
それは些細な違いであり、明確な違いがある訳ではない。ただ、人に近い形をしていた吸血鬼よりもあのムカデに食い殺されたりする方が嫌だと、北條は妙な嫌悪感があった。
「(あんなの、一体何時からいたんだよ)」
『あのゲテモノはずっと下におったぞ。何故動かなかったのかは分からんがな』
「(え、ちょっと待って。最初から気付いていたのか!?)」
ルスヴンの言葉に驚く。
あんなものが足元にいるなど聞いてはいない。何故教えてくれなかったのかと問いかけると、ムスッとした声でルスヴンは答える。
『あの時の宿主は色々頭を悩ましていただろう。そんな状態で演技などできんと思って放っておいたのだ』
「(いや、でもアイツが襲ってきてたら)」
『余はあのゲテモノの動きを察知していたのだぞ? 襲い掛かるまでにお主に警告することなど造作もないわ。先程やっただろう?』
そう言われてしまえば、北條は何も言えない。
落ち着き、頭を冷静にする。
ルスヴンは悪くはない。ルスヴンの行動は北條を慮っていたからだ。ルスヴンの行動を自分自身に置き換えて考える。
頭を悩まし、冷静さを失いかけていた時に、足元に得体のしれないものがいるかもしれないと言われたら、どうなる?
その時の判断は?伝えた相手が予想外の行動を取る確率は?
パニックになるかもしれない。もしくは要らぬ行動をして下にいる怪物の気に触れたかもしれない。
ならば、気を使って黙っていた方が良いというのは間違いではない。
ゆっくりと息を吐く。
「(ありがとう、ルスヴン。助かったよ。これからも頼む)」
『ふん。分かれば良い』
北條の礼に対し、ルスヴンはそっぽを向く。
暫く北條がルスヴンと話し合っていると、結城が声を掛けてくる。
「北條、大丈夫?」
それはこれまでのように、部隊の隊長であるから部下の無事を確認する形式のようなものではなかった。
1人の友達を不器用ながらも心配する少女の姿があった。
目にしたことがない結城の雰囲気、表情に言葉が出かけなくなるが、ルスヴンが舌打ちしたことで気を持ち直し、北條は伸ばされた結城の手を掴む。
「あぁ、大丈夫。少し、あのムカデ……でいいんだよな? あれに驚いてただけだ」
「そう。私もアレには驚いたわ」
結城の視線が北條と同じくゲートの方向へと向かう。
北條達が突き破って来た穴からチラチラと見えるムカデの体。一目確認した時はムカデは一体しかいなかった。出来ればあのような巨大になったムカデがいないで欲しいと願う。
「あんな奴、どうやって育てて来たんだ」
「そりゃ、餌をやって?」
「その餌がどんなものか想像できるな」
地獄壺に収容されたきり、出てくることのない囚人達。
牢の中で死んだ者もいるだろう。吸血鬼に殺された者もいるだろう。だが、大半はあのムカデの食事になったに違いない。
ゲートにムカデの体がぶつかっているせいか、不気味な音を立てて軋んでいる。だが、巨大な円柱の壁は何ともない。
円柱の壁を破壊して出てくることはなさそうだと判断し、安堵する。ムカデの頭部はゲートよりも巨大だ。入って来た2層のゲートが開きっぱなしだが、あそこから外に出ることもないだろう。
何なら追ってきた吸血鬼と鉢合わせでもして殺し合ってくれたらいい。そう考えて結城はゲートから視線を外した。
「先に進もう。アイツが出てこない以上、警戒する必要はないわ」
「そうだな」
そう言って北條もゲートに背を向ける。
北條も結城と同じ考えだ。
ムカデがあの円柱の中から出てこない理由は分からない。見た限り壁の1枚や2枚簡単に破壊できそうな体格だが案外そうでもないのかもしれない。もしかしたらあそこから出るなと躾けられているのかもしれない。
只の想像でしかないが、現状出てこないのならばあそこには馬鹿デカいムカデがいる。と認識しておけば良い。
周囲は2層の光景とはずいぶん違っていた。
迷路はなく、壁に機銃が備えられている様子もない。代わりに牢屋が増えて中にはポツポツと収容されている人々が見えた。
彼らの反応は様々だった。
死人のような目で北條達を見て視線を外す者や助けを乞う者。驚愕して目を見開く者。こんな所に人が来るはずがないと思い、吸血鬼の遊びかと警戒する者。
北條達は彼らから話を聞いてこの層の情報を集めていく。
そして、今いる層が4層。この上に後1つだけ層があることを突き止める。
てっきり、ここが一番上だと思っていた北條はまだ上に層があることに驚いた。
「マジかよ。あの円柱、4層までしか伸びてなかったのか」
「そう簡単には行かないわよ。ホラ、気合入れて」
北條の後姿が気の抜けたように見えたのか結城が軽く背中を叩く。
「分かってる。別に気を抜いてはいないよ」
それなら良い。と言って結城は上に続く階段を探し始める。
ここに来るまで、吸血鬼との遭遇はなかった。それもあり、気を抜いているように見えたかもしれない。気を緩めたつもりはないが、他人がそう見えたのなら、無意識のうちに緩んでいたのかもと北條は気を引き締め直した。
結城と共に北條は上に続く階段を探し始める。
下から侵入してきたため、上に警備を割いていなかったのかもしれない。そうならば、今の内に調べられるだけ調べてしまおうと大胆に行動していく。
だが、この層は広すぎた。
せめて12番の部隊が手を貸していてくれたら話は違ったかもしれない。
けれど、北條達が上に続く階段を見つけるよりも先に吸血鬼が北條達を見つける方が速かった。
「——よう」
ラクシャサのように見下すようなことはなく、ジャララカスのように最初から殺気をぶつけるでもなく。その吸血鬼は友達に挨拶するかのように声を掛けてきた。
「…………」
「…………」
軽薄そうな、どこか加賀と似た雰囲気を漂わせた吸血鬼の登場に北條と結城は驚くことはなかった。
既にルスヴンによって接近は感知されており、ルスヴンが北條に、北條が結城に伝えていたため、万全の心構えと準備を済ませていたのだ。
無言で構えを取る2人に肩を竦ませる。
「まさかこんな所まで来るとはな。と言うか、あのムカデは何で檻から出てるんだ? もしかして君達がやったの?」
「知らないわよ。私達も突然襲われたんだもの」
「あぁ、そうなんだ。うん? というか襲われた? もしかして……階段を使わずに何でここにって思ったけど、あそこを通って来たの?」
「そうだ。かなり楽できたよ」
「ほうほう、そんな手があったんだね。うん? でも、どうやって中に入ったんだ? もしかしてあの円柱の壁を突き破ったの? 地獄壺の外壁と同じ素材で作ってるのに」
「電子機器には強い方だ」
「なるほど。今後はそっち方面の警戒もしっかりしなきゃいけないな」
北條達が円柱の中を通ってきたことが意外だったのか、吸血鬼はうんうんと頷いていた。
一つ一つの仕草が芝居臭く。胡散臭い。2人は確信するこの吸血鬼と話をしていたらペースを乱されるだけだと。
「それにしても、君達が初めて——」
言い終わる前に2人は動いた。
北條は手に持ったAAA突撃銃の引き金を引き、結城が対吸血鬼用の投擲武器で周囲の逃げ場を防ぐ。
「ちょっと、話は最後まで聞けよ」
吸血鬼は動じない。
話を遮られたことに不満は抱いても焦りはしなかった。銃弾を手で弾き、投擲武器を一蹴りで全て破壊する。
全ての投擲武器を破壊した蹴りは綺麗な弧を描いた。
「結城!!」
「分かってる!!」
銃弾を軽く弾き、投擲武器を蹴りで破壊する。
北條であれば銃弾は何とかなっても周囲から同時に襲い掛かってくる投擲武器の対処は出来ない。明らかに格上だ。
しかし、北條達はルスヴンによって接近を知ることが出来ていた。
心構えも、準備も————。
北條の言葉に結城が動き出す。
異能——念力によって彼女が投げ飛ばすのは、北條が異能によって作り出した氷の槍。
それは投擲武器を蹴りで破壊した際に、飛び上がった吸血鬼の腹に深く突き刺さった。
「——グフッ」
「追撃!!」
氷の槍に突き刺さった吸血鬼が壁に叩き付けられ、そのまま縫い付けられた状態になる。そこに北條が追撃を仕掛けた。
同じく氷の槍を作り出し、今度は頭部と心臓を狙う。
念力によって抑えつけられ、異能で作られた氷は簡単には壊れない。中級の吸血鬼との戦いで初めての勝利を確信する。
「ったく。自己紹介ぐらいはさせろっての——————ア゛」
だが、小さく呟かれた言葉がそれを覆した。
たったの一言が空気を震わし、思わず耳を塞ぐほどの大音響となって氷の槍を破壊する。その大音響は結城が思わず念力を解いてしまうには十分だった。
「さてと、話をしたくないならそれでいいさ。人間達。でも、殺し合いにも礼儀あり、だ。だから名乗らせて貰おう」
胡散臭く、何処までも芝居がかった仕草で頭を下げる吸血鬼。
シルクハットと杖を幻視したのは北條だけではないだろう。
「我が名はランスイル。音を司る吸血鬼なり」
名を告げた吸血鬼の雰囲気が変わる。
息を吸いこんだ次の瞬間、先程とは比べ物にならない大音量が響いた。




