その壺に入っているのは
常夜街——第5区画地獄壺。今日もまたそこに囚人が送られてくる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだイヤだ!!」
1人の男が両手に手錠をかけられて引き摺られていく。彼の手首は肉が割け、骨も見えていることから長い間手錠を嵌められていたことが分かる。抵抗すれば更に傷口が開くだけだと言うのに、それも構わず男は抵抗し続ける。
両足に力を込めて抵抗し、近くにあった鉄骨に掴まり、何とか踏み止まろうとする。それでも相手は吸血鬼だ。男の力よりも吸血鬼の力の方が強く、抵抗も虚しく引き摺られていく。
「助けてくれっ!! 何でもする!! 刺殺でも絞殺でも良い。だから、あそこだけは止めてくれェ!!」
自分が死刑になることは、男は分かっていた。腹をすかし、職にありつけなかった男がとった行動は他者を殺し、奪うこと。逃げられるとは思っていなかった。しかし、楽観視していたのは確かだ。死刑になるにしてもここには連行されることはないだろうと思っていたのは間違いない。
脚をバタつかせ、子供が駄々を捏ねるように抵抗する。
「助けて、誰か助けてくれぇ!!」
助けを求めて視線を彷徨わせ、喉が避ける程声を張り上げる。しかし、誰も助けない。男を助けようと動く者はいなかった。
全員が男と視線が合うと看守に目を付けられぬように顔を横に向け、隣の者と視線が合い、気まずくなって最終的に力なく地面に視線を落とす。
叫び声も虚しく男はそのまま引き摺られる。やったことを思えば今更泣き言を言っているんだとも取られないが、周りの牢獄からは憐れみと同情があった。
「——ヒィッ」
牢獄を抜け、分厚い鉄の門を潜るとそこは鉄の橋の上。その橋の真ん中に辿り着いた時、男は引き攣った声を上げる。
どこまでも落ちて行きそうな黒。まるで、常夜街を覆う闇がそのまま映し出されているかのようだった。だが、音だけが聞こえる。
何かが擦れ合い、せわしく音を立てている。這いずっている。争っている。何かが何かを咀嚼している。
耳を塞ぎたくなるような音は勿論男の耳に届いていた。顔を青ざめ、いっそ落とされるのならばここで命を断とうとするも、それを察した吸血鬼に口枷を嵌められて舌を噛むことすらできなくなる。いよいよ、男の救いの道はなくなった。
「~~~~~~!!!!」
口枷を嵌められ、言葉も出せなくなった男は吸血鬼に落とされないように縋り付く。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、恐怖で歪んでいた。
それでも吸血鬼が同情することはない。憐れに思うこともない。
荷物を運び入れるように、これまでと変わらない一つの作業の過程のように、吸血鬼は男を無表情で蹴り落とす。
恐怖に染まりきった男の姿が消え、何かにぶつかる音が聞こえ、甲高い、明らかに人ではないものの叫びが木霊した。
その叫びは、牢獄の中にいる者達の耳にも届き、恐怖を伝染させる。ここにいる者はいずれは死刑になる者達。その結末は吸血鬼になるか。遊ばれて殺されるか。それとも、先程男が連れられて行った奈落に叩き落されるか。どちらにしろ禄でもない最期を遂げることが確定している者達だ。
ここは地上に出た地獄を体現する壺。
そこに詰まっているのは人か、吸血鬼か。
この街全ての恐怖を集めても足りないと言われる程の恐怖、そして、狂気が渦巻く砦。
大叫喚阿鼻地獄——壺の中での戯れが、今日も始まろうとしていた。
——午前11:23
北條達が真原から情報を受け取る1時間前のこと。
大叫喚阿鼻地獄——通称:地獄壺
それを前にして迷彩機能を付けたトラックの中で1つの部隊が戦闘態勢を取っていた。
対吸血鬼用装備で武装した彼らは地獄壺に捉われている異能持ちを助けるために召集されたメンバー達だ。
頭目らしき男がメンバーにいくつかの指示を飛ばした後、端末で別の部隊へと確認を取る。
「こちら12番。準備完了。そちらは?」
「こちら33番。こっちは後2分で準備が終わる」
「7番。こちらは何時でも行けます」
「おっと、残ってんのは俺達の所だけか。おい、テメエ等急げ!!」
返事は直ぐに返ってくる。
若い兵士のように意気込んで興奮している様子もなく、吸血鬼の恐ろしさに負けて怯えている様子もない返事に男は安堵の笑みを浮かべる。
一緒に戦うのならばこういう者達こそが適任だ。
「同胞諸君、この任務で君達と組めたことに安心したよ。変に気張った奴等とも組んでも先が不安だからな。もし、変な奴と組まされて死んだら本部の連中の所に化けて出る所だった」
「12番、化けて出るよりも吸血鬼になる方が簡単だぞ」
「33番、洒落になりませんよ。それ」
笑い、呆れ。もうすぐ殺し合いだというのに気安いやり取りに男は笑みを浮かべる。
今回、この任務にあたっている者達は顔を見合わせたこともない同士だ。それでも気さくなやり取りができるのは長い間吸血鬼と戦ってきた慣れと死を前提にした覚悟によるもの。
いつか来る死よりも理想のために戦う覚悟が彼らの恐怖を塗り潰していた。
33番と名乗った男が気さくに話しかける。
「今回の任務はこの3部隊だけか? 本部から援軍は来ていないのか?」
「いいや、聞いていない。7番はどうだ?」
男は33番の口ぶりから向こうもこちらと同様に支部から出てきた部隊だと推測すると話を7番に振る。
すると淡々とした答えが返って来た。
「私も聞いていません。いたとしても、その連絡を我らにしていない可能性もあります」
「なるほど、確かにその可能性は大いにあるな」
淡々とした声に男は苦笑を浮かべて同意した。
この任務は地獄壺の中に収容された異能持ちを助けること。レジスタンスにとっては強力な異能は替えの効かない駒同様。犠牲を払っても助ける価値のある者だ。
だが、地獄壺は決して簡単に落とせる場所ではない。そんな場所に捉われている異能持ちをたった3部隊だけで助けることは不可能だと男も知っている。
本部もそのことは分かっているだろう。なのに、援軍の連絡を寄越さないということはこの3つの部隊が囮である可能性、この3つの部隊に相手が気を取られている内に救助対象を助ける本命の部隊が存在する可能性があった。
「まぁ、本部の連中がそんなことを考えていても可笑しくはないな。もしかして、異能持ちもそっちにいるのか?」
自分達が囮という可能性が出て来たにも関わらず、3人の顔色は変わらない。それも作戦ならば、と簡単に受け入れて会話を続ける。
「いるのでは? あそこを異能持ちなしで攻略するのは流石に現実味がありませんから」
「——だよな」
「異能持ちねぇ。そう言えば、今回新人で異能持ちがいたって話があったな」
「そうなのか? 新人で異能持ちか。もしかして、そいつ異能開発医術を受けたのか。根性あるな」
「いや、異能開発医術は受けてない。フリーの異能持ちだって聞いたぞ」
「何? それは本当か!?」
「あぁ、本部にいる連中から聞いた確かな情報だ」
思わず33番の言葉を疑ってしまう。
異能開発医術を受けたのではなく、何処にも所属していない異能持ち。これはかなり珍しいことだ。
異能持ちはレジスタンスが結成された頃に全員がメンバーとして入隊している。というよりも異能持ちがレジスタンスを結成したと言っても良いぐらいだ。
人外の力を保有し、誰もが吸血鬼との戦闘を経験し、敗北してきた。誰よりも吸血鬼を倒したいと願っている者達。
少なくとも男は異能持ちをそんな者達だと考えていた。まさか、まだレジスタンスに入っていない異能持ちがいるとは思っていなかった。
33番の言葉には12番だけでなく、7番も驚いていた。
表面上は冷静を装い、あの時聞いた噂、ただの噂だと切り捨てていたことを思い出す。
「当時、少しだけ噂になったことがありましたね。確か、女の子でしたか?」
「——あぁ、確かに。そんな噂が流れたな。もしかして本当だったのか」
7番の声を聞き、男もまた思い出す。
その後に大規模攻勢の準備で忙しくなり、すっかりと消えてしまっていた噂。
「そいつがもしかして来てるとかな……」
「それはないでしょう。本当にフリーの異能持ちでしたら何故今までレジスタンスに入っていなかったのか疑問です。本部の方も疑問視するでしょうし、信用ができるまでは後方に回すのでは?」
「力を持って信用のない奴が俺達の後方か。それはそれで恐ろしいがな」
確かに、と男の声に2人が同意して、苦笑いを浮かべる。
そして、時間を確認した男が気を引き締めて端末に向かって作戦の始まりを告げた。
楽しい時間は終わった。ここから先は殺伐とした仕事の時間だ。
全員が意識を切り替える。
武運を祈る言葉を最後に交わし、3人は端末を切った。
もう、ここから先は会うことはない。自分達が向かうのは死地。硬い覚悟で恐怖を静めて軽い足取りで前へと進んで行った。




