再戦
血濡れの男が送り出した同胞と仕掛けていた罠で新たな侵入者を止めることが出来なかったことを感じ取り、舌打ちを零す。
捉えていた吸血鬼も逃げ出したことで下級吸血鬼に命令を送ることも出来ない。
北條達にやっていた包囲作戦が実行できず、苛立たし気に足を揺らす。
「クソが」
これまで鮮血病院に引き摺り込んで来た者達とは明らかに違う。
レジスタンスと口にした北條とも戦闘能力の桁が違った。あれが矢切の求めた武器なのだと予感する。
異能で強固に閉ざしていた扉が破壊される。誰が来たのか視線を向けるまでもなく分かった。
「クソ共め」
殺気を漏らし、侵入者を睨みつける。
だが、その侵入者は血濡れの男も分かっている通り、これまで相手にしてきた者達とは明確に違う者達だ。
殺気をぶつけられても、人とは思えぬ形相をしている血濡れの男を見ても表情を変えずに部屋に入ってくる。
「お前がここの主か?」
「その通りだ。よく来たなレジスタンス共——」
両腕を掲げて歓迎の意を示す。
力の差を何となくではあるが、血濡れの男は感じ取っている。それでも血濡れの男の憎悪は収まることはなかった。
生者の血を求めて襲い掛かってくる下級吸血鬼を片付け、もっとも強い反応を示す部屋へとやってきた石上と藤堂は戸惑うことなく部屋の扉を破壊して中へと入る。
中に入り、視界に入ったのは1人の人間だった。
石上が口を開く。
「お前がここの主か?」
「その通りだ。よく来たなレジスタンス共——」
皮膚が剥がれ、骨や筋肉、内臓が剝き出しになった血濡れの男。
容姿だけ見れば怪物だと口にする者は多いだろう。しかし、それでも2人は目の前の血濡れの男を人間だと判断した。
「矢切の研究の生き残りか」
「ククッよく分かったな」
「ここで矢切の研究が行われているって話は聞いていたからな。俺にはどうでも良いことだが」
藤堂が一歩前に出ると血濡れの男もそれに合わせるように一歩前に出る。
「それにしてもへまをしたようだな矢切は。実験体を始末しないなんて」
「あ? まるで俺が無事でいるみたいな言い方だな」
藤堂の言葉に血濡れの男が歯を軋ませる。
「今の俺の姿を見ろ。これがお前にはどう見える。人間に見えるか? 皮膚は剥がれ、臓物と骨が剥き出しになった体。こんなの死んだ方がマシだった。お前達の頭のねじが外れているお仲間のせいでこうなったんだぞ」
「そうか。矢切がレジスタンスから追放される前ならそれは組織の責任だと言われても仕方がないな」
「ふん、まるで他人事だな。腹が立つ。お前達には罪を償うという発想すらないらしいな」
「——だってよ。石上、矢切を始末したお前から何か言ってやったらどうだ?」
「興味ないな。矢切がレジスタンスに所属している際に残したものであろうとそうでなかろうと俺がやることは決まっている。今やるべきは鮮血病院の主を殺す。それだけだ」
血濡れの男の言葉を聞いて藤堂は後ろに立つ石上に視線を送る。
視線を向けられた石上は特に表情を動かさない。腕を組み、淡々と自分のなすべきことだけを口にする。
「——あぁ、やはりお前達は邪悪だ」
血濡れの男から静かに怒りが漏れる。
同時に部屋全体が小刻みに震え始めるが、気にすることなく藤堂は血濡れの男に近づく。
「俺達が悪ね。それじゃあお前は何だ? 正義の味方か?」
「少なくともお前達よりは善人だろうよ。あのような狂人を生み出したお前達よりはな」
「別に俺達が生み出した訳ではないんだがな」
そんなことを言っても無駄だろうが。そう最後に小さく付け加え、鼻を鳴らす。その仕草を余裕の現れと取った血濡れの男は歯を軋ませ、異能を発動する。
伸ばした腕から、壁から、床から、天井から飛び出し、植物が意思を持ったかのように藤堂に襲い掛かる。
「いくら数を増やしても、それは俺の脅威にならないぞ」
岩すら砕く威力となった植物が迫るが、藤堂は焦ることなく拳を振るうだけだった。
迫る木の根や蔦、人間の体にまで根を張る種を拳1つで叩き落していく。数が劣っていても関係がない。圧倒的な経験値。それだけで数の不利を覆していく。
木の根を横に薙ぎ払い、互いにぶつけ合わせ、蔦で飛んでくる種を絡め取り、安全圏を作る。
一歩一歩着実に近づいてくる藤堂に血濡れの男は舌打ちを零した。
「なら——」
血濡れの男が標的を変える。
狙いは藤堂の後ろで腕を組んでいた石上だ。
「死ね‼」
藤堂を狙っているのを装い、直前で軌道を変えた植物が石上を襲う。
腕を組んだまま何もしなかった石上は植物に貫かれる。
その光景を見て血濡れの男は笑みを浮かべるが、続く光景に目を見開く。貫いたはずの石上の姿が陽炎のように揺れたのだ。
「な——」
「俺が無防備で敵の前に立つかよ」
ゆらゆらと植物に貫かれた石上の幻影が消え、その隣から無傷の石上が現れる。木の根が薙ぎ払われ、石上の顔を叩くが、頭が吹き飛ぶことはない。
何故ならその石上もまた幻影。木の根は頭を通り抜け、部屋の壁を破壊しただけだった。
「気を付けろよ。もうお前は俺の術中に嵌ってるんだ。目に見えてるものが正解だと思わないことだな」
「ほざけ‼ この病院を支配しているのが誰か忘れたか。目に見えるものが正解じゃないだと? だったら、満遍なくこの部屋全体に攻撃すりゃいいだけだろうがよぉッ‼」
「確かにそう考えるよな。でも、遅すぎる」
「ッ——」
血濡れの男が部屋そのものを崩壊させようとする直前——目の前に藤堂の姿が現れる。
血濡れの男は当然ながら藤堂にも注意をしていた。標的に変える時にも一度として視界から外したことはない。部屋の中央でのんびりと歩いているはずだった。それなのに——。
「あいつが言ってただろうが。目に見えているものが正解だと思わないことだってな」
藤堂の表情には怒りもない。哀れみもない。敵意もない。
何の感情も灯さずに、藤堂は拳を握り締めて血濡れの男に叩き付けた。
壁を突き破り、地面を転がりようやく止まると血濡れの男は殴られた箇所を抑えて藤堂を睨みつける。
いつから幻影と入れ替わっていたのか。今も見えているのは今も幻影か。様々な可能性が現れては血濡れの男から冷静さを奪っていく。
「予定が詰まってるんだ。お前の復讐に付き合ってられないんだよ」
「ックソが、クソがクソがクソがクソが‼ 力でいつも抑え付けやがって。俺達の怒りすら受けねぇつもりか‼」
「だからどうした。俺達にはやらなきゃいけないことがあるんだよ。お前に起きたことにレジスタンスが関与していようが俺が助けの手を伸ばすことはない」
藤堂の言葉に血濡れの男は全身を怒りで震わせる。
逆のはずだった。レジスタンスが地に伏せ、それを見下ろすはずだった。それだけが楽しみで救いだった。
認められないと現状を否定し、どんなことをしても奴等を地べたに這いずらせると決意する。
「あれ? まだ終わってなかったの?」
「ア——?」
怒りと殺気が充満する空間。その空間に場違いな陽気な声が部屋に響く。
「遅いぞ大宮。何をしていた」
「いやいや石上ちゃん。何してたって分かってるでしょ? あのスライムの相手してたんだよ」
「そうか」
「いや、そうかってそれだけ? 石上ちゃんが聞いたに……あのスライム斬ってもくっつくし、相手にしている時に他のスライム出てくるしで大変だったんだよ?」
「その割には五体満足だな」
「ハハハ、腐っても本部の異能持ち。あの程度にはやられないよ。殺せもしなかったけど封じることは出来たからね。今頃ロビー辺りで繭みたいにぐるぐる巻きになってるよ」
部屋に入ってきたのは大宮宗次。
ケラケラと笑いながら視線を血濡れの男に向けるが、表情とは違い、その視線は冷ややかなものだった。
「2人共手加減しすぎじゃない? おじさんが終わらせてあげようか?」
「いらん」
「そっか。そんじゃまぁ抵抗出来ないように拘束だけはしておくよ」
「ふざけ——」
淡々と、事務作業のように血濡れの男の体を大宮が異能で抑える。
五指から飛び出る見えない糸。それが何重にもなって血濡れの男の体を締め付けたのだ。
言葉すら発せなくなった状況。血濡れの男が憤怒の表情で3人を睨みつける。もうそれぐらいしか血濡れの男には出来ることはなかったが、まだ血濡れの男は諦めていなかった。
まだ復讐は終わっていない。怒りが収まっていない。1人も殺してはいない。殺す、必ず殺す。いや、苦しめる。
その憎悪が届いたのか。藤堂の拳が血濡れの男の頭を潰す直前——血濡れの男と藤堂の間に氷の壁が出現する。
そして、まるで血濡れの男を逃がすかのように床が抜けた。
一瞬で変わる景色。
辿り着いたのは鮮血病院で捕らえた人間を集めていた地下の巨大な部屋だ。
そこで1人の少年が血濡れの男を待っていた。
「……よぉ、久しぶりだな」
「お前は——」
戦闘衣を身に纏い、冷気を拳に纏わせた北條一馬が、血濡れの男と正面から対峙した。