成長
これまで辿ってきた過酷な道のりをすっ飛ばすように北條が異能を発動しながら上に登っていく。
最下層から伸びる氷の塔。その頂上にいる北條は自分の生み出していく氷の量を見て疑問を感じていた。
メルキオールのいた最下層——と思われる場所から——ここまで数十分。休むことなく凄まじい勢いで氷を生み出しているはずなのに体力や気力が衰えることはない。
北條の疑問を感じ取ったルスヴンがふわりと北條の視界に入ってくる。
『不思議そうな顔をしているな』
「(そりゃそうだろ。立て続けに異能を使って戦ったら直ぐに体力とかなくなってたのに、今は微塵も消耗してる気配がないんだからな)」
漫画やアニメのような急激なパワーアップ。何か種があるはずだと答えを求める視線を送る。
『クク。そこで自分の眠れる力が解放された‼ と言わない辺り、身の程を弁えているな』
「(当たり前だ。俺が1人で常夜街を生き抜けたことなんてないしな。それに血のストックも異能を発動させるのに必要だって言ってただろ? 前まではストック何て殆どなかったのに……分からないことだらけだ。教えてくれ)」
『無論だとも。血のストックについてはお主も覚えているだろう。上級吸血鬼ペナンガラン——彼奴の血を大量に取り込んだからだ。上級吸血鬼の血は1滴で下級吸血鬼1000体分の価値がある』
「(なるほど。つまり上級吸血鬼一体分を取り込んだから、これだけ異能を使ってもストックが尽きないのか)」
『その通りだ。そして、何故宿主の力が急激に強くなったか。その答えも簡単だ。お主に渡せる余の力が増えた。それだけだ』
「(渡せる力が増えたって……何でまた急に)」
『認めたくはないが、余から離れて戦いを生き延びたことが原因だろうな』
「(つまりどういうこと?)」
『——強くなったということだよ』
産まれた頃から共にいた。ルスヴンの力を借りない時はなかった。
だが、今回初めて1人で戦場に放り出された。それも1人の少年を目の前で失った後に。
心に傷を負い、焦燥し、自分の惨めさを改めて思い知らされた。
しかし、それでも信じてくれる者がいた。異能という力ではなく、北條一馬の在り方を信じてくれる1人の少女が。
だから強くなった。肉体ではなく精神——己の在り方を決める魂が。
ルスヴンという魂から異能を受け取るのは北條の魂だ。故に魂が強くなければルスヴンに北條は潰される。
だが、今はそんな心配はない。
だからルスヴンは北條に引き渡す力を増やした。そうルスヴンは続ける。
『まぁ、面白くはないがな』
「(え?)」
『何でもない。気にするな。それよりも隣の小娘が何か言いたそうにしているぞ』
その言葉に北條は隣に視線を向ける。
そこには最下層から一緒に乗っているミズキが浮かない表情をしていた。
「どうしたんだミズキ?」
移動速度は機械仕掛けの蛇の蛇よりも遅い。これは北條がミズキの体に掛かる負担を考えたからである。だが、それでも機械の如く精密に調整は出来ない。
速度をもっと落とした方が良いのか。そう考えてミズキの顔を覗き込む。
「…………」
「ミズキ?」
「え、あぁ——大丈夫。何でもないわ」
浮かない表情から一転してミズキはいつもの表情に戻る。
「本当か?」
「えぇ、本当。あのメルキオールってかなりヤバい奴なんでしょ。思い出して気分が沈んでただけ。でももう大丈夫だから」
だから気にするな。そうミズキは口にし、視線を上に向ける。
「それよりも、アナタの方がアタシは心配よ。あの血濡れの男と戦う気なんでしょ。心の準備は大丈夫なの?」
向かっている先は鮮血病院。当然ながらそこは北條を叩きのめした血濡れの男がいる。
一度は北條を完膚なきまで叩きのめし、憎悪で心を苦しめた敵。ルスヴンが戻ってきたとは言え、戦いずらい相手には違いない。
「——大丈夫だ。だってミズキがいてくれるからな」
ミズキの不安を余所に北條は弱気を見せずに言い切る。
共に戦って来たルスヴンではなく、名前を呼ばれたミズキは一瞬言葉に詰まった。
「よ、ようやくアタシが頼りになると分かったみたいね。良いわ。何でも言いなさよ。アナタの無茶ぶりアタシが叶えてあげる」
満更でもなさそうな表情を浮かべ、ミズキは宣言する。
北條もそれに笑みを浮かべて返した。
一方、鮮血病院では——建物そのものを破壊しかねない戦いが起こっていた。
赤黒いスライムと化した矢切による実験の被害者の魂の集合体と朝霧の戦い。
赤黒いスライムが朝霧を捕らえようと触手をやたらめったら飛ばせば天井や壁を破壊し、取り込んでいく。その触手を藤堂が拳を振るって吹き飛ばせば、鉄骨が軋む。
一度触手に絡め取られたら抜け出すことは出来ない。
赤黒いスライムは矢切の実験の被害者の成れの果てだ。魂の集合体である彼等は同じ魂に干渉することが出来る。
生物が触れたら最後、肉体の強弱関係なく魂を持っていかれる。これに対抗出来るのは魂を知覚出来る者か魂だけの状態でも自我を持っている者だけだ。
しかし、その触手の脅威を長年の経験で危険だと感じ取った藤堂は回避に専念することで戦いを有利に進めていた。
「フ——ッ‼」
両目を眼帯で覆っているというのに触手は藤堂にかすりもしない。
息を短く吐いた後、拳を勢いよく床に叩き付ける。その影響で床が抜け、赤黒いスライムが下の階に落ちていく。続けて藤堂は天井にも拳を叩きつけ、赤黒いスライムを生き埋めにする。
「チッ。上手くはいかないか」
瓦礫の中から顔を出した赤黒いスライムを見て藤堂が舌を打つ。
直接拳で叩きのめすことが出来れば簡単に終わる。だが、今回はその戦い方が出来ない。拳を叩きつけた瞬間腕ごと持っていかれる可能性があるからだ。
実力で圧倒しているのに中々活動を停止しない赤黒いスライムに鬱陶しさを覚える。
「(まだ救出対象がいるかもしれないってのに。異能を使うしかないか?)」
呼び出された際に与えられた情報。
かつてそこであの矢切宗一郎がこの鮮血病院にいた可能性があること。そして、レジスタンスの隊員がこの鮮血病院に囚われた可能性があること。
藤堂にとってはどうでも良い情報だが、仕事であるのならば真面目にこなすだけだ。
それなのに倒れない敵。加えて——
「またか」
壁や床、天井などから植物の根や蔦が出現し、藤堂の体を縛り付ける。これらもまた藤堂が鬱陶しさを覚える理由の1つだった。
「何処かに隠れて見てるのか。本当に面倒な相手だ——」
拘束された瞬間を狙って赤黒いスライムは触手を伸ばしてくる。
体に力を入れを拘束する植物の根や蔦を断ち切り、跳躍。後ろにいる石上と大宮の元まで戻る。
「ちょっとちょっと藤堂ちゃん。倒せてないじゃん。いつから見た目通りの華奢な子供になっちゃったの? おじさん不安だよ」
「チッ」
「おぉっと怖い怖い。そんなに睨まないでよ。可愛い顔が台無しだよ?」
「大宮、藤堂をおちょくるな。それよりも迎撃に移れ」
「え、おじさんがするの?」
面倒くさそうな表情を大宮が浮かべる。
石上と藤堂。2人の鋭い視線が大宮に突き刺さると肩を竦めて一歩2人の前に出た。触手と植物の根と蔦。それを俄然にして大宮は溜息を1つ吐いて腕を振るう。
次の瞬間、大宮に迫っていた触手と植物の根と蔦は細切れにされる。
「お前の異能は通じそうだな」
「ならここは大宮の持ち場で決まりか」
「え、ちょっと待って。今回は藤堂ちゃんが矢面に立つんじゃなかったの?」
「馬鹿か。誰もそんなことは言ってない」
今回の仕事は殆ど藤堂に任せるつもりでいた大宮はげんなりとした表情を作る。
だが、そんな表情をしても石上と朝霧が仕事を代わりに請け負うことはない。互いに無表情で明かりのない通路へと足を向ける。
後ろから大宮の叫びが聞こえるが当然無視だ。
「俺達は植物を操っていた奴を探すぞ」
「分かっている」
通路の奥から紅い瞳が浮かび上がるのを目にしても2人の足の歩みは止まらない。街の通りを歩くかのように、それでいて殺気を放ちながら襲い掛かってくる吸血鬼に対処した。