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檻の中

 そこはいつもの暗く、温かな場所ではなく、明るく、冷たい場所だった。

 その空間に佇むのは氷結の女王——ルスヴン。子供のような容姿をしているが、纏う空気からは何処か妖艶さを感じさせる。

 黒いドレスを身に纏い、腰まで伸ばした碧い髪を揺らしながら暫く歩く。そして、紅い瞳で周囲を見渡すと呟いた。


「なるほど。そういうことか」


 気が付けば、この空間にいた。

 そんな経験は彼女であっても一度きりしかなかった。


「また、こんな経験をするとはな。宿主(マスター)は無事だろうか」


 離れ離れになってしまったことに不安が胸を過る。

 宿主である北條一馬は目を離せばあっという間に危険に飛び込み、そして死んでしまいかねない人間だ。

 こんな所に何時までも閉じ込められる訳にはいかない。そう考えてルスヴンは絶対零度の力を解き放つ。


 一見、出口のようなものも、壁も何もないように見える空間。しかし、ルスヴンはここを閉鎖空間だと断定する。肉体を持たないルスヴンが成仏もせずにいられるのは何処かの器に囚われているからだ。

 完全に破壊したりはしない。それではルスヴンの方が危うくなる。

 それでも、内側にいる存在が急に力を振るって暴れ出そうとすれば、それを抑える方は何らかのアクションを起こすはず。ルスヴンはそう考えた。

 そして、予想通り——暴れ出したルスヴンを抑えるために外からの動きがあった。


「何だこれは?」


 天上から硝子が割れたような音が響き、穴が開いた箇所から赤黒く、ドロドロしたものが這い出て来る。

 それを見て、ルスヴンは眉を顰めた。


「こんな汚物、余でも見たことがないぞ。えぇい。まさかこの泥に触られたのではあるまいな」


 赤黒くドロドロとした泥が天上から漏れ出て地面——などあるかどうかも分からないが——に到達すると人型の形へとなっていく。

 赤ん坊。少年。少女。青年。老人。全員が苦痛の表情を浮かべてルスヴンへと手を伸ばす。


「タスケテ」

「クルシイ」

「モウ、イヤダ」

「シニタクナイ」

「カワッテ」

「タスケテ、タスケテ、タスケテ」


 ジュクジュクと何かが焼ける音が耳に届く。吐き気を催す異臭が空間を満たしていく。

 その泥は元は人間だった。彼らもルスヴンと同じ囚われの身で、終わりのない拷問を受け続けていた。

 まるでゲロだ。目の前の泥を見てルスヴンはそう思った。

 あらゆる食材を食べては口の中に含み、咀嚼しまくってぐちゃぐちゃにして飲み込んで腹を壊し、吐き出したゲロ。

 思わず表情が引き攣る。


「はぁ、食べる気もおきんな」

「タスケテ、ツヨイヒト」

「オマエタチノセイダ。オマエタチガイタカラコウナッタ」

「オマエノチカラナラ、オレタチヲ——」

「断る。助ける価値もないわ」


 伸ばされた手を撥ね退ける処か、ルスヴンは異能で一掃する。

 最も近くにいた泥が凍り付き、砕かれた。それを見て多くの者達が動揺し、恐怖で、怒りで、憎しみで、悲しみで表情を歪ませた。


「ア、アアアアアアッ」

「ミステタ。オマエモミステタ‼」

「ニクイニクイニクイニクイニクイッ」

「オマエノセイダ。オマエタチノセイダ。オマエタチガイタカラ‼」


 人の形が崩れ、1つの群になる。

 グニャリグニャリと彼らの気持ちを表しているかのように波が立つ。天上から流れて来る泥も増え、その規模は荒ぶる海のようだった。


「戯けが」


 その海を、ルスヴンは一蹴する。

 覆い被さろうとした波が凍り付く。それだけではない。天井から流れ出ていた泥すらも凍り付き、今ではもうピクリとも動くことはなかった。

 溜息をつき、ルスヴンは泥から背を向ける。そして、氷で玉座を作り上げるとそこに腰を下ろした。


「(これは恐らくこの器を破壊した時に相手を飲み込むための罠。止めるのは容易いが、これは嫌だな)」


 赤黒い泥が自分の周囲を固めているのを想像し、気分を悪くするルスヴン。

 並外れた感知能力も今は機能しておらず、この泥が何処まで広がっているのか分からない。

 頬杖を着き、天井を見上げる。


「よくもまぁこんなものを使おうと思ったものだ。こんな汚物を使うのは人間くらいだと思っていたが——」


 そこまで口に仕掛けて、ルスヴンは硬直する。

 これは吸血鬼がやったことだと思い込んでいた。自分を出し抜けるのは同じ上級吸血鬼ぐらいだと思い込んでいた。到底人間には無理だと考えていた。

 だが、こんなもの同胞は使うだろうか。一度出した汚物など絶対に吸血鬼は使わない。むしろ、行為に愉しみすら覚えることなく、勝つと言う手段を冷徹に突き詰める人間が使いそうなものだ。


「……少し、調べる必要があるか」


 誰がこんなことをしでかしたのかを知るためにルスヴンは氷の玉座から立ち上がる。そして、凍り付いた泥へと近づくと1人分だけ、氷を氷解させる。

 転がり出てきたのはスライムボール程度の大きさ。それがグニグニと形を整え、人になっていく。


「ア、ア——」


 それは年端も行かない少女だった。

 救いを求め、手を伸ばそうとする少女に向かってルスヴンは紅い瞳で睨み付け、尋ねる。


「少し、聞きたいことがある。素直に答えれば、貴様の望みも叶えてやらんこともないぞ?」


 少女は答える。この苦しみから解放されるのなら——と。

 その答えを聞いて、ルスヴンはニッコリと笑みを浮かべた。

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