去った者、残った者
第21支部。
石上恭也がそこに足を踏み入れた時、真っ先に思い浮かんだのは——貧相という言葉だった。
他の支部にはある対吸血鬼用の装備の数々や侵入を防ぐための感知システムに迎撃システム。本部や他の支部に必ずあるものが、そこには一切無かった。
出入口はしっかりしているが、それ以外は特に目立ったものはない。
よくもまぁこの状態で維持をし続けたものだと石上は部屋を眺めながら考える。ふと、視線が棚の上に向いた。
「…………」
そこにあったのは様々な写真だ。
赤羽と朝霧が2人並んでいるのもあれば、この支部に所属する赤羽、朝霧、北條、結城、加賀が一緒に写っているのもある。
朝霧と結城がエプロン姿で食事を作っている所や北條、結城、加賀の3人がトランプを使って遊んでいるもの。喧嘩をしているもの。そして、叩きのめされているものもあった。
貧相ではあるものの全員が楽しく暮らしている。絶望などしていない様子がそこにはあった。
「楽しそうだな」
棚の上にある写真を1つ手に取り、振り返る。
そこにはこの支部の支部長である赤羽緋勇がいた。
「えぇ、そうでしょう。最初の頃は貴方と離されて椋れていましたが、今では大分打ち解けてくれていますよ」
赤羽が入団してきたばかりの結城を思い出す。
あの頃と現在。写真からでも分かる通り、結城の顔つきは固く、自分達を信用していないことが分かった。本人は隠していたつもりかもしれないが、赤羽にも朝霧にも筒抜けだった。
そんな結城が今では同期と語らうようになり、台所に立ち、エプロン姿で料理するのは打ち解けている証拠だ。
結城のことを気にかけているだろうと思った赤羽は石上にこれまでどういった様子で過ごしてきたのかを掻い摘んで伝える。
しかし、石上の反応は淡泊だった。
「そうか」
一言。それだけ口にして手に取っていた写真を棚の上に戻す。その様子に流石の赤羽も肩を竦めた。
「はぁ、もうちょっとないんですか。何か言うこと……」
「別に。上手くやっている話は聞いていたからな。また、お前から聞かされる程じゃない」
「そうですか」
普段は笑顔を張り付け、優し気な口調の赤羽も硬い声色をしており、石上に至ってはここに来てから無表情を張り付けている。
そんな何処か刺々しい2人は、暫く無言の時間を過ごした。
石上が周囲を見て回り、赤羽はそれを目で追う。
一頻り見て回った後、石上が唐突に踵を返した。
「……帰る」
「もっとゆっくりしてくれても良いのですが?」
「仕事があるんだ。そんなに時間はない」
「なるほど。本部に残った人は忙しそうですね」
赤羽の含んだ言い方に石上は足を止める。
振り返ると赤羽はいつも通りの笑顔を張り付けていた。
「怒っているのか?」
「まさか、そんな訳ないでしょう」
怒りなど感じさせぬ温和な笑顔。その表情を見れば、裏など何もないと誰もが思うはずだ。例外を除いて——。
何故、真希が21支部の様子を見て来てくれと口にしたのか。直感的に理解する。この男に関する可笑しな動向を発見したのだろう。しかし、確固たる証拠が無かった。
だから、探るために見て来てくれと言ったのだ。赤羽が最も感情を向けるであろう石上に。
「…………じゃあな」
僅かに見えた赤羽の感情。それに気付かないふりをして石上は部屋から出ていく。
赤羽もそれを止めようとは思わなかった。
外に出た石上は通りを歩く。
何をしようとしているのか。このまま黙って静かに過ごしてくれる訳にはいかないのか。そんなことを考える。考えてしまう。
明かに赤羽は恨んでいる。300年間で何度も復讐者の顔を見ていたからこそ分かった。絶対にこのまま静かでいるはずがない。
必ず騒動を起こす。そう確信できた。
あの時、あの場で起こったことを止めることは出来なかった。止める権利はなかった。これまで300年間。綾部家の憎しみを煽り続けた結果——起きてしまった事件。
不意にかつて矢切に言われた言葉が頭の中に響いてくる。
『貴様等は何処までも戦意を衰えさせない上官を求めた。無垢な子供に吸血鬼へ殺意を向けさせるようにした。ふん。使ってくれる者がいなければ戦えないと思ったか。何が屑だ。全く以て反吐が出る。貴様等も私に負けず劣らずの屑だよ』
矢切の声を振り払う。ついでに甘い考えをしていた自分をぶん殴った。
あの時から決まっていたのだ。自分が今後どう動くのかなど。
吸血鬼は殲滅する。細胞1つ残らず消し去る。それを邪魔する者がいるのなら、そいつも滅ぼす。そうしなければならない。
「恭也さん?」
ふと、耳に聞こえた聞き覚えのある声に足が止まる。すると嬉しそうに弾むような足音で名を呼んだ存在が石上の視線に入って来た。
結城えり。矢切が起こした実験の一番の被害者が、恩人の姿を見つけ、嬉しそうな表情をしてそこに立っていた。
「お久しぶりです。えっと……怪我の方は大丈夫でしょうか?」
「そうだな。不便ではある。だが、仕方のないことだ」
心配そうに視線を手足に向けて来る結城に対し、肩を竦めて答える。
そのまま会話を続けようとする結城だが、このままでは通行人の注目を集めることになるため、手で制止する。
2人で通路の端に寄り、再び会話を再開した。
「それで、お前はこんな所で何をしているんだ?」
「地獄壺跡地で起きた戦いの後始末に駆り出されていたのですが、それも一応一段落したので報告に行こうとしていました」
「お前達の支部もか? 人数が足りないんじゃないのか?」
「はい。ですが、私と朝霧さんがいるのでそれほど苦労はしていません」
役に立っていることが誇らしいのか僅かに胸を張る結城。しかし、直ぐに顔に影が落ちる。
「何かあったのか?」
「え、えっと……出会うことが出来れば、聞きたいことがあったんです。今、支部のメンバーが1人行方不明になっていて…………本部の方で捜索は出来ないでしょうかッ⁉」
切羽詰まった結城の姿。そこからそのメンバーのことをどう思っているのか。簡単に想像することが出来た。
出会い、そして修行していた頃と比べて明るくなった結城の姿に目を細める。だが、仕事に私情を持ち込むことはない。
「残念だが、本部の方も忙しくてな。俺が言っても簡単には取り合っては貰えない可能性があるぞ」
「そ、そうですか」
明かに肩を落とす結城。
それを見て、そんな表情をさせる者は一体誰なのか気になり、口を開いた。
「お前が気に掛ける人間か。友人か? 名前は何て言うんだ?」
「北條、北條一馬という少年です」
「覚えておこう。任務が終われば個人的になら協力できるからな。後で特徴を俺の端末に送れ」
「は、はいッありがとうございます」
その言葉を聞いて結城は顔を輝かせ、頭を下げる。
「ほら、お前も行け。上司に報告に行くんだろ? なら、こんな所で時間を使うな」
「そうでした⁉ で、では失礼しますッ」
「あ、待ってくれ」
もう一度頭を下げ、離れようとする結城に声をかける。
不思議そうな顔をする結城に何でもない様に語り掛ける。
「何か他に話すことはないか?」
「え?」
優しい口調で問われるが、心当たりがなく結城は首を傾げる。
北條の捜索以外に優先して頼むことはなく、記憶を掘り返しても緊急で話すべきことはなかったからだ。それを態度で察し、笑顔を向ける。
「いや、何でもない。行ってくれ」
「はぁ、分かりました」
今度こそ結城が人混みに消えていく。
それを見届け、再び止まっていた足を前へと向けた。
「(結城が嘘を言っている様子はない。つまり、部下には話していないのか)」
赤羽について何か聞いているのかと考え、探ったものの結城が何かを隠していた様子はなかった。
魔眼も使用し、些細な変化すらも見逃さないようにしていたため、間違いない。ならば、何も話されていない可能性が高かった。
結城が巻き込まれていないことに安心するが、完全に不安は拭えない。
見張りを送った方が良いかもしれないと結論し、思考に区切りをつけて前を向く。
向かう先は綾部から捜査を命令された場所。矢切が吸血鬼と取引をしたであろう場所だ。