振り払えない手
全員に今いる場所が鮮血病院だと告げてから30分が経過し、探索を行うための班別けをされている中——北條とミズキは壁に背を預け、成り行きを見守っていた。
「…………」
「…………」
この場に来た時、誰もが最初は病棟からスタートしており、下級吸血鬼に追われて扉を潜るとこの空間に落とされていることの確認は済んでいる。病院とは思えないほどの巨大な地下迷路。まずはそこから脱出し、最初の病棟に戻るためにこの空間の探索を行おうとしているのだ。
その提案に不満を抱いた者は当然いた。
なんせ、ここには吸血鬼に連れて来られたと耳にしたばかり。どんな凶悪な罠が待っているかも分からない。
しかし、鴨田自身が1人で出歩いていたことを持ち出し、脅威は何もないと証言したり、保険として戦闘能力のある者を1人付けることで最終的には全員が従い始める。
その様子を北條は見ていたが、頭の中では全く別のことを考えていた。
「(金城神谷——)」
反対側でソファに座り込み、周囲を睨み付けている男。
地獄壺跡地で来ていた装備はない。それでも北條は不安が拭えなかった。
地獄壺跡地では2度戦い、少なくない因縁が生まれた。ヘルメットを被り、顔は見られていないが、身に着けている戦闘衣は同じものである。
あの時自分を殴り飛ばした相手だと分かれば何をしてくるか。その時はミズキを守り切れるか北條には不安だった。
それだけではない。
最も不安を感じるのは、呼びかけ続けているのに返事をしないルスヴンについてだ。
どれだけ呼び掛けてもルスヴンが返事をすることはない。
どれだけ自分の内側を探っても、存在を感じない。
これまで北條の呼びかけにルスヴンが答えないことはあった。しかし、今回ばかりは違う。意図的に黙秘しているとかそんなものではない。
まるで、ぽっかりと体に穴が開いた感覚。これまで感じたことのないような喪失感を味わっている。
今、自分の中にルスヴンという氷結の吸血鬼はいなくなってしまったと理解してしまった。
死んでしまったのか。それともこの空間がそうさせているのか。常に傍に寄り添い、力を、言葉をくれた相棒がいなくなったことに不安が過る。
ルスヴンもいない状況で、自分は戦えるのか。しかもここは鮮血病院。レジスタンスが情報を掴むことすら出来なかった場所だ。
そんな場所で、ルスヴンの力を借りずに生き残れるのか。守れるのか。
自問自答が続き、不安が胸を掻き回す。
「(駄目だ。俺は——)」
「それでは‼ これで班別けを決定とする‼」
部屋の中央から聞こえた声に意識を戻す。
視線を移せば、両手を大きく広げて全身をアピールする鴨田の存在がいた。
伝令役なのか。周囲の人混みの合間を縫ってディアナが北條とミズキの元へとやって来る。
「あ、あの……さっき言った通りで宜しいでしょうか?」
ディアナが尋ねてくるが、さっき言った通りも何も北條は思考に捉われていて話を碌に聞いていなかった。
今更聞いていませんでしたとは言えず、北條が助けを求めようとミズキに視線を向ける。
「鴨田が言うには、所々に番号が書いてあるらしいの。今いるのが5番通路の部屋。確認しているだけで他には2、4、7、9の番号があったって言っていたわ。そこに向かうメンバーを決めていたのよ。アタシ達は2番に割り振られてる」
北條の思いを察したミズキが説明を行う。
暫く考えると北條は口を開いた。
「俺は良いけど……やっぱりミズキはこの安全な場所に——ッイッテェ⁉」
探索に向かうのならミズキは安全な場所にいた方が良いのではと考えた北條がミズキを遠ざけようとするが、言葉にする前にミズキに足を思いっきり踏まれる。
「ディアナって言ったっけ? アタシ達は一緒ならばどこでも良いわ」
「え、あ……分かりましたッ」
北條が足を抑えている隙にミズキはさっさとディアナに返事をする。
本当にこれで良いのか。とディアナが迷った視線を向けるが、ミズキに睨み付けられて退散してしまい、もう変更をすることは出来なくなった。
「な、何で……」
「何でって……私は一番安全な場所から離れるつもりはないのよ」
涙目でミズキにこんなことをしたのかと問いかけるが、平然とした態度でミズキは答える。
迷いなど一切感じない。
その答えに北條は言葉に詰まった。
今までの力からミズキは北條を判断しているのだろう。だが、それは間違いだ。これまでの功績はルスヴンの力ありきのもの。
異能も使えない今の自分ではミズキを守れない。そう伝えようとするが、どう言えば良いのか上手い言葉が思い浮かばず、口を開いたり、閉じたりを繰り返す。
「ほら、行くわよ」
グイと強く腕を引かれる。
向かう先には既に人が集まりつつある。そこに行けば、もう部屋を出て探索に向かってしまう。
ミズキを引き留めるのならば、今しかない。
「何を考えているか分からないけど、アタシはアタシの物差しでアナタを図り、アタシの判断でアナタを信頼に値すると判断したの。例え、それが間違っていてもそれはアタシの判断ミス」
だから気にしなくて良い。そう続けるミズキ。
その信頼が嬉しくて。けれど裏切ってしまうのが怖くて。
言葉も出せず、手も振り払えず、北條はミズキに探索チームの方へと手を引かれた。