過る不安
第2区の中で最も高い電波塔の頂上付近——そこで2つの影があった。1つは大柄な男。もう1つは男の腰の辺りまでしか背丈のない小柄な子供のもの。
両目を眼帯で覆った子供が鉄骨に背中を預け、頭を下げる。
その様子を見て男が口を開いた。
「藤堂ちゃん。もしかして御睡の時間かい? なら、ここはおじさんに任せて部屋に戻っていても良いんだよ?」
「黙れ。」
ヘラヘラとした態度で男が少年に語り掛ける。
少年はそれをバッサリと斬り捨て、男を睨み付けた。
「もうそんな年じゃないんだよ。いい加減にしやがれ」
「苛立ってるね」
男の言葉を無視して少年の姿をした者はフイと顔を漁っての方向へと向ける。これ以上の会話はしたくないと存外に言われた男は肩を竦め、再び視線を周囲へと戻した。
「やれやれ。おじさん重労働苦手なんだけどなぁ」
頭を掻きながら今回の任務について思い出す。
レジスタンス本部。異能持ちのみが集まる会議に、この2人も呼ばれていた。その内容は——最近増え始めた行方不明者の続出についてだ。
現場の状況からレジスタンスはこれを100年ぶりに現れた鮮血病院が関係していると考え、鮮血病院を壊滅するためにも異能持ちの半分を動員して事に当たらせた。
その内の1人である大宮源氏と藤堂道之は、最も被害が多かった第2区の担当となっていた。
「はぁ~。もう帰りたいねぇ。このままずっと気を張り続けるのは辛いんだけどな」
「…………」
大宮の言葉に藤堂は何も返さない。会話の拒絶をハッキリと示されていた。
これ、敵が見つかっても1人で突っ込んだりしないよな?などとコミュニケーションを取ろうともしない藤堂を見て考えてしまう。
鮮血病院は常夜街には存在しない場所だ。20年前に現れた異界カジノと同じだ。突如として出現する。その出現のタイミングは常に彼方の気分次第。見つけるのも困難であり、それを追跡するのは更に困難だ。
大宮も糸を張り巡らせてはいるものの、引っ掛かるかは運次第。感知能力も優れている藤堂に力を貸して欲しいのだが、今のままでは1人で突っ込んで行きそうだった。
溜息が1つ漏れる。
本来ならば石上が来るはずだった。だが、急遽予定が変更となり、石上が代わりを頼んだのが藤堂だった。
「(箪笥の角に足の小指でもぶつけてくれないかなぁ。いや、ホントに)」
せめてコミュニケーションの取れる者と組ませてほしかったと、ここにはいない石上を呪った。
「~~~~ッ」
「ちょ、ちょっと。どうしたんですか⁉」
「ッ箪笥に、足をぶつけたッ」
「えぇ⁉ 貴方がそんな些細なことで怪我って……」
「悪かったなッ」
部屋の中で突如として大きな音を聞いた真希が後ろを振り返るとそこにいたのは足を抑えて蹲る石上がいた。
箪笥に足をぶつけると言う魔眼使いにあるまじき距離感の見逃しをした石上に真希が本気で引退をした方が良いのではと考えてしまう。
足の痛みが引いた石上が部屋の中央にある長机へと向かう。
「ねぇ、本当に大丈夫なんですよね」
「痛みはねぇ」
「そんなこと言ってる訳じゃないんですよ。魔眼使い。私、本気で引退を進めることを検討しましたよ?」
「大丈夫だっつってんだろうが。少し気が緩んでただけだ。それよりも、さっきの話を続けろ」
石上が話を切り上げる。
重要な話をしている最中だったのだ。足をぶつけた程度の話で先延ばしにしていいことではない。それを真希も分かっていたのか。直ぐに話を切り替える。
「そうですね。では、これを見て下さい」
机の上にある資料の一部を北條の方へと突き出す。
そこにあったのは矢切宗一郎が行った実験に関する日記だ。
随分と懐かしいものが出て来たと目を細めた石上が資料を手に取り、素早く目を通す。
「……何だこれ?」
思わず石上が声を上げる。
そこにあったのは意味不明な文字の羅列だ。植物の名前。地名。今日の食事に関して。まるで旅行で何を見たか。何をしたかを掻いていると言われた方がまだ納得できるものだった。
「それ、暗号ですよ」
「……あの野郎。また面倒くさいことを」
「まぁ、解読できたんですけど」
「だったら、解読したやつ見せろっての」
資料を付き返しす。
解読できたのならば、理解できないものを見せる意味が分からない。揶揄っているのかと睨み付ける。
その視線を受けて真希は鼻を鳴らした。
「別に良いじゃないですか。これ、解読したの大変だったんですよ。まずは日記の復元にその次に暗号解読。私の本職は兵士だってのに…………いつデスクワーク担当なったんですか」
「……悪かった。お前はすごいよ。だから、話を進めてくれ」
目を怪しく光らせ始めた真希に石上は視線を逸らして話の続きを施す。このまま過去を振り返えさせたら不味いと本能が言っていた。
石上の言葉に少し溜飲が下がったのか。真希が勝機を戻す。
「そうですか。認めて下さったのなら少しは気も晴れます。それで、暗号を解読して出てきたのが、異能開発の機材についてです」
「あぁ、あの出所不明の開発機材か」
思い出すのは矢切を始末した後に見つけた開発機器だ。
当初、それらは全て最初は企業から取り寄せたものだとレジスタンスは考えていた。しかし、調べても調べても矢切と企業が結びつくことはなかった。
取引の証拠を消したとかそんなものではない。矢切は何処の企業とも最初から一切関わっていなかった。
レジスタンスの捜索はそこで打ち切られた。企業との関係も考え、これ以上の疑いの目を向けるのは関係の悪化に繋がると考えたためだ。
「その出所が分かったのか?」
これまで散々分からなかった機材の出所。何処の企業があのマッドサイエンティストに力を貸したのだと目を鋭くする。
しかし、真希の口から出た言葉は鋭くなった目を見開かせるには十分のものだった。
「鮮血病院です」
「——何?」
「ですから、鮮血病院ですよ。矢切は吸血鬼と取引をして外の世界から異能開発のための機材を取り寄せていたんです」
「————」
吸血鬼と取引をした。あの、矢切宗一郎が——。その事実に石上は頭を殴られたような気分だった。
人類のため。生き残るためと吸血鬼を目の敵にしていた奴が吸血鬼の力を借りて、レジスタンスを掻き回していた。
突如行方不明になる隊員もいれば、誤情報によって死んだ隊員もいる。
あの男のせいでレジスタンスにどれだけの被害が被ったか。
「理想以外は真面なものじゃなかったか」
「……私も最初これを見てそう思いました」
「このことは、他の連中は?」
「暗号解読が終わったのはつい先程ですから、今知っているのは「増産計画」を知っている方々の中でも司令官と私、そして貴方ぐらいですよ」
「そうか」
それを聞いて石上が息を付いた。
「鮮血病院が現れるのは100年周期という考えもなくなったか。それで、俺は何をすれば良いんだ?」
「はい。取引記録には常に決まった場所で行われています。石上さんにはここを調べて欲しいんです。貴方の目なら何か分かるかもしれません。これは最高司令官の命令です」
矢切が鮮血病院と関わっていたという事実には驚いた。しかし、それはすでに過去のことだ。矢切が死んだ今、責任を問うことも出来ない。
ならば、他にやるべきことがあるからこそ呼んだのだろうと問いかけた石上に真希は最高司令官からの指示を伝える。
「了解」
手渡された地図を広げる。
常夜街全体が記された地図はレジスタンスが地道に作り上げたもの。そこに記された5つの印を確認すると素早く懐に仕舞いこむ。
「それと、もう1つ」
「……何だ?」
「第21支部の様子を見に行って欲しいのです」
「第21支部?」
真希の言葉を聞いて石上が訝し気な表情を作る。
第21支部。それは石上も無関係ではない支部だ。なんせ、朝霧に赤羽。そして結城がいる支部なのだ。
何故ここでその支部の名前が出てくるのかが分からない。その疑問を感じ取った真希が言葉を付け加える。
「別に見に行かなくて構いません。これは別に今回の事とは無関係ですし、最高司令官の指示でもありませんから」
「……そうか。分かった」
最後まで疑問に思いながらも、そう口にすると石上は部屋を出ていく。
部屋に残った真希は資料の一番下にあったものを引っ張り出し、それを手に取った。それは、常夜街で続出する行方不明者に関する資料だった。
今回の行方不明者もこれを参考に調べていた。
約1ヶ月前——丁度辻斬り事件が終わった後の頃。突如として行方不明扱いになっていた若者達が帰ってきている。だから誰もこれを問題視はしなかった。
行方不明者が帰ってくることは大変喜ばしいことだ。その点については真希も苦労が無くなるので嬉しい。
だが、第21支部が終わらせたと言われている辻斬り事件の真っ只中に行方不明になり、終わったら姿を現すのは何か事件に関係しているのではと考えてしまう。
そして、更に疑問に思うのは事件が終わってから、姿を現すまでにあった空白の時間だ。
その間に彼らと第21支部の間で何かあったのではないか。そう思ってしまったのだ。根拠も何もない。ただ、頭にふと過った不安。
だからこそ、石上には強制もしなかったし、誰にも報告はしなかった。
「ふぅ」
息を吐き、気分を入れ替える。
これ以上の思考は仕事を遮ってしまう。胸にあった不安を吐き出し、真希は次の資料に取り掛かり始めた。