罰
背中が熱い。
これまで幾度も傷を受けた。死にかけた。しかし、一撃で動けなくなったのは初めてだった。
『無事か?』
北條にルスヴンが問いかける。
ルスヴンに焦った様子はない。怒っている様子もない。ただ、静かに傍観していた。
北條が返事をしようとするが、上手く思考が纏まらない。まるで頭の中に靄が掛かったようだった。
『喋れもしないか。取り敢えずお主の状況を説明してやろう。今のお主は上半身と下半身が別れている状態だ』
上半身と下半身が別れている。そう聞いても北條はどうすることも出来ない。一大事のはずなのに頭に掛かった靄のせいで動き出すことが出来ない。
『同族食いで力を蓄えてきたが、流石にこれでは再生が間に合わん。治癒の異能があれば別だが、こんな場所にいては望めんだろうな』
やれやれと言った様子でルスヴンが肩を竦める。が、次の瞬間には冷たい声色になった。
『さて、何か言い訳でもあるか?』
北條は言い返すことなど出来ない状態だ。しかし、言葉を発せても結局は何も言えなかっただろう。
北條は自分の我儘にルスヴンを付き合わせてしまったのだ。そして、死んだ。死んでしまった。結果は簡単に予想できたのに、出しゃばって死んで、ルスヴンとの約束も果たせなくなった。
ルスヴンからしてみれば憤慨ものだろう。
『まぁ、良い。お主がどうやって育ったかはよく知っておる。譲れないことも、怒りを覚えることも理解している。だから、諦めてもいた』
それでもルスヴンは仕方がないと諦めた。
これまでの付き合いで分かっていたのだ。これまで幾度も助けを求める声にこたえようとしてきた北條。それを止めてきたのはルスヴンだ。
手遅れになった者達ならば兎も角、まだ助けられる者が目の前にいるのに北條が手を伸ばさないはずがない。
『しかし、余は死を望まん』
だが、それとこれとは別だ。
少年にも夢があったように、ルスヴンにもなしたいことがある。だから、今ここで死ぬことをルスヴンは望んでいなかった。
『だからこそ、仕置きをさせて貰う』
その言葉に北條はピクリと反応した。
これまでは北條一馬は何とか踏み止まっていた。というよりもルスヴンが踏み止まらせていた。 戦いから避けるために、時には言葉で誘導し、時には正論で制止させた。
身の丈に合わない戦場に飛び出たのは今回が初めて。そして、約束を破らせたのも初めてだ。こんなことが無いようにも、ルスヴンは仕置きを行った。
北條の体を操る。そして、千切れた下半身へと張って進むとその肉体に齧り付いた。
人間の血は吸血鬼にとってはこれ以上のない栄養が詰まっている食材だ。人が野菜や魚、肉をバランスよく食べて成長を促すように、彼らも血を啜って成長する。
人の血が吸血鬼にどう影響するか。それを顕著に示したのは結城えりだ。
研究所の中で彼女は落ちこぼれだった。
異能の発覚すら遅く、身体能力も優れてはいなかった。しかし、共食いが彼女を成長させた。
ルスヴンが行ったのはそれと同じことだ。
全身の細胞が悲鳴を上げる。1つ1つが人間の細胞を食い潰していく。これまでにない感覚に北條は恐怖を感じた。
それでも尚、声は上げられない。北條の意識が闇に落ちる。
北條一馬は眠った。ここからはルスヴンの時間が始まる。
北條一馬の体を両断したジドレーは再び氷柱の元へと向かっていた。
既に彼の頭の中には北條のことなどなく、氷柱の中に閉じ籠っている少年をどうするか。それだけだった。
逃げたことを後悔させる。隣の女の四肢を捥いで悲鳴を聞かせるか。それとも連れ帰ってずっと鎖に繋げるべきか。今までは対応が甘かったと認識させられたジドレーはお気に入り達の処遇を考え直していた。
だが、後ろから吹いてくる風がジドレーの足を止めた。
視線を後ろに向ける。すると、自分が殺したと思っていた人間が起き上がっているのを目にする。
異能持ち。
そんな言葉がジドレーの頭の中に浮かび上がった。
吸血鬼の細胞を利用して兵器になった人間。中級吸血鬼を簡単に滅することが出来る人間達。情報だけならば、ジドレーも持っていた。
しかし、大した脅威は感じなかった。
なんせ、ジドレーはこの300年間異能を使わずにレジスタンスを追い払い続けていたのだ。たかが人間1匹に臆する必要などないのである。
体を2つにしても死なないのならば、全身を細切れにしてやろう。そう考えてジドレーは再度人間に近づいた。
「久しいな。ジドレー」
懐に飛び込み、もう一度爪を振るおうとしたジドレーの耳に届いたのは人間の声。だが、随分と馴れ馴れしい口調だった。
5本の爪が氷に阻まれる。先程までとは明らかに違う硬度。異能の質が上がったことにジドレーは眉を顰めた。
初めてジドレーは声をかける。
「誰だ。貴様は——?」
その問いかけにルスヴンは興奮を隠せない様子で答えた。
「お前達の敵だ」
惜しむことなく、ルスヴンはジドレーに向かって異能を解放した。
北條が異能を展開するよりも速く、大気が、地面が——凍り付く。
「————ッ」
「流石だな」
間に合わないと判断し、腕を斬り落として凍り付くのを阻止したジドレーにルスヴンは称賛を送った。
凍り付いた地獄壺跡地を見渡し、ジドレーは人間の中にいるものを睨み付けた。
「生きていたのか」
氷結の異能。そして、こちらを知っているかのような口調。
ジドレーの頭の中に浮かび上がるのは、かつて戦場で自分と相対した存在。
ルスヴンが口角を上げ、ジドレーに向けて異能を行使した。
「フハハハハ‼ さっさとお気に入りを回収しろよ?」
「——チィッ」
今度は更に早く、広範囲が凍り付いていく。
ルスヴンが何をしようとしたのかを理解したジドレーは地面を蹴って氷柱の中に捉われている少年の元へと駆け出した。
氷柱の元に辿り着くのに時間は掛からなかった。
姿を現し、氷柱をいとも簡単に砕いたジドレーにミズキと少年が顔を強張らせる。ジドレーがそんな2人に手を伸ばそうとするが、間に出現した氷壁がそれを阻んだ。
ジドレーの視線にミズキと少年の元に向かうルスヴンの姿が映る。そして、表情を見て確信する。
——コイツは俺の物を喰らう気だと。
ミズキと少年は北條一馬の姿を見て安堵し、警戒をしていない。それが自分を害するものだと理解せず、逃げようともしていない。
それがジドレーには腹立たしかった。
俺を拒絶した癖に、逃げた癖に。そいつは受け入れるのか。そんな考えが頭の中に浮かんでくる。
足を動かそうとするが冷気がジドレーに追いつき、足を凍らせていた。簡単に破壊できるが、ワンテンポ遅れてしまう。それが分かっているのか、ルスヴンは得意げに笑っていた。
「(全て貴様の掌の上とでも言うのかッ)」
このままでは自分のお気に入りが取られてしまう。食われてしまう。
そんなのは嫌だ。許せない。他の者に取られてたまるものかとジドレーは歯をギリギリと軋ませる。
ルスヴンの挑発は続く。走る速度を抑え、ミズキと少年の元へ辿り着く時間を遅らせる。その違いが分かったのはジドレーのみだった。
「俺のもの何だぞ——」
ドロドロとしたものが言葉と一緒に出ていく。
レジスタンス。常夜街。吸血鬼の同族。ジドレーにとっては全てどうでも良いこと。
傍に自分のお気に入りを置いておく。蒐集する。それがジドレーにとっての生きがいだ。それを奪われるのは、自分の命が奪われるよりも重いことだった。
「触るなぁああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ‼」
大気を掌握する。
自らの一部とし、第3の腕を作り出して伸ばす。その腕が掴んだのは勿論少年だった。荒々しく。少年がどうなろうとも構わずに、力の限り握り締めて引き寄せる。
ミズキの隣で。
ジドレーの腕の中で。
ルスヴンと入れ替わった北條の目の前で。
——少年の体が潰された。