情報収集
カツン、カツン、とブーツがアスファルトを叩く音を響かせながら、1人の吸血鬼の男が歩を進める。
吸血鬼が歩を進める通路――そこは一言で言ってしまえば異様だった。通路であるはずなのに、そこには鉄のパイプがギッチリと地面や壁、天井までも埋め尽くしており、まるで生き物の腹の中のような景色が広がっている。
その景色に怯える様子もなく、慣れたようにパイプを踏みしめ、奥へと進む。
カツン、カツン、カツン。一定のリズムを取って響く足音をBGMにしながら、奥へと進むと、広い部屋へと出る。
狭い通路を抜ければ、そこは大きな吹き抜けの穴が開いた巨大な部屋。吸血鬼が通ってきたような小さな通路が幾つも並び、その通路からはパイプが中央に向けて伸び、下へと続いていた。
吸血鬼から見れば樹木の枝に立っているような気分になるに違いない。しかし、特に気にした様子も見せずに、吸血鬼は手すりに捕まり、空中へと身を投げ出した。
少なくともビル5階建ての高さはある場所から身を投げ出せば、人間では五体満足ではいられない。だが、吸血鬼であるならば話は別だ。
彼らにとってはこの程度、スキップと同じ。鼻歌交じりに飛び出し、軽やかに着地してしまう。
カツン、とこれまでと同じように、歩くという行為と同じように吸血鬼は地面へと着地する。そして、笑顔でパイプに縫い付けられている少女に語り掛けた。
「やぁ、僕の可愛い妹よ。気分はどうだい?」
妹――そう呼ばれたからにはこの2人は兄妹なのだろうと話だけ聞けば誰もが思うだろう。しかし、ここに第三者がいれば、首を傾げるはずだ。
何故なら、それほど2人の容姿はかけ離れていたのだ。
男の容姿は黒髪に赤目、顔の輪郭は比較的丸顔で鼻は低い。この地に住んでいた東洋人と呼ばれていた者達の顔の特徴と似ている。対して少女の方は、金髪に赤目、肌はこれまで当たったことがないのか白くシミ一つない西洋人だ。
「ふん」
妹と呼ばれた少女が、面白くなさそうに鼻を鳴らす。力のない弱者を思わせる柔肌に痛々しく食い込む錆びた鉄など気にしていない様子だが、明らかに不満そうだった。
「何が妹だ。血何て繋がってもいないだろうが」
「はははっ――これは手厳しい。でも、私達は兄妹同然だろ? 同じ屋根の下で生活しているんだから」
「ふざけんなギザ男。お前の都合で語ってんじゃないよ。それに、私の方が年上だろうが」
男の足元へと向けて少女が唾を吐き付ける。
「おやおや、レディが行うような行動じゃないぞ。少しは慎ましくしたらどうだ?」
「だったら、私の退屈を何とかしてくれ。それなら、お前の想像するような慎ましい少女とやらを少しは演じてやるよ」
何度も行われたやりとりを今日も繰り返す。そのことにうんざりしながら少女は溜息をついた。
脱出はできる。幼子だとしても吸血鬼であれば、素手で鋼鉄を引き裂くことだってできるのだ。肌に食い込む鉄のパイプなど簡単に破壊できる。例え皮膚がそれで剥がれようとも吸血鬼の回復能力ならば、直ぐに治るだろう。
だが、しない。力を奪われている訳ではない。目の前の男が怖い訳でもない。本当に怖いのはこの街の支配者。自身にここの守りを命じた張本人だ。
前任者が死ぬとこの区域を担当している吸血鬼の1人が、ここに拘束されることはあらかじめ知っていたとは言え、退屈には勝てない。
暇を潰すために辺りに散らばる下級の吸血鬼に視野をリンクしたこともあるが、映るのは塵ばかり。アスファルトばかりだ。このような軽口を叩くことで不満を吐き出してはいるが、話ができるのはこの男だけなので、暇な時間が多いのだ。
再び、大きく溜息をつく。
「溜息が多いね。老けてしまうよ?」
「退屈なんだ。これぐらいでいちいち口を挟んでくるな。それで、何の用だ?」
眉間に皺を作りながら少女が口を開く。男がここに来るのは決まって用事がある時だけだ。自身に何をさせたいのかという問いかけに男は表面上だけ笑顔を作る。
「面白い考えを思いついてね。先程の銃をぶっ放した張本人何だけど、下級の鬼達に連絡して捕まえたらここに連れてきてくれないか? ほら、操れる配下なら君の方が多いだろ?」
自分にはそれが得意ではないんだと、肩を竦め、男は少女に向かって笑みを作った。
最低限の電気しかついていない廊下は足元が見えづらく、ボルトや段ボール箱を蹴り飛ばしてしまうことがあるが、先を急ぐために何食わぬ顔で通り過ぎる。
食堂へと続く廊下の中ですれ違った男が怪訝な顔で2人を見るが、少し首を捻り、自身の持ち場へとに戻って行く。
早足に廊下を急ぐ灰色の作業服に身を包んだ2人の男女が、人目を気にして廊下にある扉の中へと消えていく。
「「……ふぅ」」
扉を固く締め、部屋の中に誰も居ないことを確認すると2人の男女――北條と結城が張り詰めた空気を解くように息を吐く。
「急がないとな。あの銃声――恐らく戦闘があったはずだ」
「…………」
「おい、どうした?」
ここまで一切口を開かずに黙り込んでいる北條に結城が尋ねる。額に皺を作り、険しい顔をして黙り込んでいた北條は、しばらくして口を開く。
「なぁ、やっぱり俺達は加賀と合流した方が良いんじゃないか?」
「ダメだ。もしかしたら私達のことも漏れているかもしれないんだ。もう時間の問題だ。素早く行動する必要がある」
加賀の身を心配する北條だが、任務を優先することを結城は伝える。
工場内に響いた1つの銃声。銃器を持っている可能性が一番高いのはレジスタンスの者だ。それが、救助対象なのか、それとも別行動をした加賀のものなのかは知らないが、戦闘が起こったのは確かだ。
「安心しろ。とは言わない。確証なんてないからな。だけど、任務に集中しろよ。こっちだって人の命が掛かってるんだ。加賀のことばかり考えていると助けれるものも助けられない」
「――――あぁ、その通りだな」
下から見上げてくる結城に頷いて肯定を示す。確かに、その通りだ。助けを待つ者がいるのだ。加賀のことも心配だが、逃げ足の速い親友を思い出す。自分とは違い、人の力のみで吸血鬼から逃げ延びたこともある奴だ。1人でも生き延びられる可能性は十分ある。
心配ではあるものの、任務へと集中し始めた北條を見て結城も意識を切り替える。今は救助対象の居場所すら分かっていないのだ。時間もどれだけあるか分からない以上、素早く動くことが重要なのだ。
「早く準備するぞ。誰かがここに入ってくることも考えられるんだ」
「了解」
短く北條が返事をすると腰を落とし、手を組む。まるで、組体操の下になる者の構えだ。その手の上に結城が脚をかけると思い切り、上に持ち上げる。
2人が一体何をしているのかというと、換気口のフィルターを外しているのだ。では、何故そんなことをしているかというと、この部屋の近くにある作業員が集まる食堂に忍び込むためである。
北條、結城が探してきた場所は常に人通りがない。もしくは少ない所だ。隠れる場所は多数あったものの、レジスタンス内で使用されている暗号メッセージも装備品もありはしなかった。もし、本当に助けて欲しいのならば、暗号ぐらいは残すはず。それがないということはそもそもそこに近づいていないと結城は判断したのだ。
ならば、一体どこにいるのか。正直言ってそれは分からない。
探そうにも残りは作業員がウロウロする場所だ。そこには監視の目もあるだろうし、潜入するにも見かけない顔があれば警戒はされてしまう。
ならば、と出てきた案が盗み聞きである。
分からないならば、工場のことは工場の者に聞けばいい。それが、2人が出した考えだった。
「情報が直ぐに見つかればいいんだがな」
「仲間がここに逃げ込んだ時も、無傷じゃなかったはずだ。傷を癒すためにここにある設備を使ったかもしれないし、仲間に気付いていなくとも薬や何やらが盗まれたことに気付いている人間がいるかもしれないだろ。日常でちょっと変わったことに、耳を傾けていけば、居場所の特定はできなくとも候補は上げられるはず――だと思うんだが」
「分かってるよ。ただ、都合の悪いことばかり起こるからな」
「…………この話題は止めよう。本当に悪いことが起こりそうだ」
「そうだな。私もそう思う」
嫌な話が出てくれば自身の心情も悪くなってしまうもの。それを実感した北條達は直ぐに話を切り上げる。前向きに――とは難しいが、自分達のできることをやるしかないと考える。
「外せたぞ」
「よし、そのまま登ってくれ」
時間は有限。少しでも時間を無駄にできないと音もなく駆け上がった2人は狭い通気口の中をドンドンと進んでいく。
徒歩と変わらない速度で匍匐前進を行う2人が、食堂に辿り着くのはそう時間はかからなかった。