表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/193

甘さ


 それは、まだ朝を告げる鐘がなる前のことだ。

 ジドレーが異変に気付いたのは目が覚めて直ぐだった。

 何時も見かける子供がいない。1人だけ足りない。動き回る足音を聞き分けて判断する。

 何かが欠ける音がした。それはジドレーにとっては我慢のならないもの。1つピース足りない。まるで千を超えるジグゾーパズルの残りワンピースのみが足りないような感覚。それがあれば後は完璧なのに——。

 誘蛾灯に誘われるように、のそりのそりと部屋から出て通路を歩く。

 すれ違う者達は皆恐れ、ジドレーに道を開けるがそれを意に介さずに歩いていく。そして、1つの部屋に辿り着く。

 そこは死体をいつも処理する場所。

 その部屋は腐臭が漂い、鼻で息をすれば吐き気を催す場所であり、この家にいる人間は誰もが好んで近づこうとは思わない場所だった。

 その部屋の扉をジドレーは躊躇なく開ける。彼にとって腐臭などは親しんだもの。戸惑うはずがなかった。

 だが、扉を開けた瞬間にジドレーを包み込んだのは腐臭などではなく、冷たい風と新鮮な空気。ジドレーが忌み嫌うものだった。

 そして、同時に開け放たれた窓から垂れ下がるロープを目にする。

 臭いはまだ付いていた。誰がここから出たのかを理解する。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼」


 凡そ人には理解できない言葉がジドレーの口から飛び出る。

 その叫びは屋敷にいた人間にも当然届いていた。偶然にもその近くにいた少女は叫ぶジドレーを目にしていた。

 彼女は1人だけ人数が足りないというのは気付いていた。ジドレーに伝えなかったのは、決して仲間意識からではない。ただ、自分がジドレーに近づくことが嫌だった。それだけである。

 そもそも彼女はここから出ようと考えていない。叫ぶジドレーを見てその思いは増々強くなった。

 気に入った物にはジドレーは手を出さない。だが、その気に入った物が自分の手から逃げてしまったら。

 辛いこともある。恐怖で泣き出しそうなこともある。だが、逃げては駄目なのだ。逃げた結果を少女は知っている。

 徹底的に恐怖で縛られていた。もう、この邸宅以外に住む場所などない。そう考える程に。


 ジドレーが床を蹴り、部屋の窓から外へと消えていく。

 怪物が動く。

 300年もの間、レジスタンスの侵攻を阻み続けた怪物が。


 ジドレーは最初から迷うことなく地獄壺跡地へと足を向けた。

 例え足跡を消しても、匂いは消せなかった。少年の匂いを辿り、ジドレーは真っ直ぐに地獄壺跡地へと向かい、邪魔する者を——自分が邪魔だと感じるもの全てを破壊した。

 人間がいれば血肉の塊に変え、壁があれば何も言わずに突っ切る。通った後の被害は甚大だった。

 ジドレーを止めようと地獄壺跡地の周辺にいたレジスタンスの部隊が動き出すが、無駄だった。

 殺気を1つ飛ばされる。ただ、それだけで彼らの動きは封じられた。否——彼らだけではない。

 常夜街のあらゆる生物が命の危機を感じた。


 それは北條とて同じこと。

 ザワザワと胸を掻きむしるような悪寒。今すぐに背中を向けて逃げ出したい。いや、逃げるべきだと叫んでいた。

 合流したミズキもそれは同じだ。


「——やぱい。何か分からないけど兎に角ヤバいッ。逃げるよ。今すぐに‼」

「あぁッ」


 遠くから聞こえる悲鳴。肌に纏わりつくような殺気。

 こんな場所で遺物回収などやっている暇ではない。そう感じた2人はすぐさま回れ右をして地下通路の入口へと走り出す。

 他の者達も同じ考えだ。先程まで争い掛けていた部隊も回れ右をして同じ方向に走り出している。

 それを見て、ミズキが舌打ちをした。


「ちょっと、こっち来ないでくれる⁉」

「うるせぇ。テメェ等こそあっち側に逃げやがれ。そんでもって囮になれ‼」

「ふざけんな‼ 馬ァ、コイツ等の手足をぶった切れッ」

「そんなのやる訳ないだろ」


 指示を無視し、北條はミズキを抱えて加速する。だが、振り切ることは後ろの男達を振り切ることは出来ない。ほんの少し、距離が空いただけだ。


「ねぇ‼ アイツ等付いて来てるんですけどぉ⁉ 経路バレたらどうすんの⁉」

「今戦っても後ろの存在に追いつかれるだけだ‼ 今は逃げることだけに集中する‼」

「——ッ。仕方ないわねッ」


 北條の言葉にミズキは経路の1つが駄目になることを覚悟する。

 その時だった。

 北條の目の前に小さな影が飛び出してくる。それを見て、思わず北條は急ブレーキをかけて停止した。


「な——」


 北條がそれと遭遇したのは殆ど偶然だった。少なくとも北條はそう思った。

 だが、そんなはずがない。なんせ北條の行動は全て飛縁魔の使い魔によって監視されていたのだ。

 彼を北條の元に誘導するのは簡単だった。


「……何で、ここに子供が」


 北條の目の前にいるのは、不安と恐怖に身を震わせ、何処で拾ったのか子狐を抱きしめた少年。

 目尻に涙を溜め、息も絶え絶えに少年が叫ぶ。


「助けてッ」


 北條にはその言葉を無視することが出来なかった。

 そして、ミズキもいたいけな子供を捨て置いて逃げることは躊躇うことが出来る程度は善人だった。

 北條達の背中を後ろから着いて来ていた男達が追い越していく。

 顔を見合し、少年を連れて行くことに同意を取った北條がミズキを抱えている方とは逆の片手で少年を抱き、走り出す。


 この街の何処かで女王が微笑んだ。

 逃げるだなんて許さない。戦わない何て選択肢は認めない。他の者の介入何てさせはしない。

 これは戦いだ。1対1。吸血鬼と人間のタイマン勝負。


 地下通路にもう少しで辿り着く3人の目の前に怪物が降って来た。

 接近が分からなかった。ルスヴンですら警告が遅れた。

 遅れた理由は唯一つ。少年を連れていたからだ。少年の姿を見て足を止めていなければ、北條達はジドレーがここに訪れる前に地下通路に入ることが出来た。少年の叫びを無視していれば、ジドレーに目を付けられることもなかった。

 これは全て、北條の甘さによるものだ。

 怪物の目が——3人を捉えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ