飛び込む情報
慌ただしく扉が開かれる。
書物を嗜んでいた部屋の主。石上恭也はその行動に苛立ちを覚えた。
ノックもせずに上司の部屋に入って来る態度ではない。それ程の内容なのだろうなと思いを込めて睨み付ける。
「何だ?」
刺すような視線を受けて部下の顔が青ざめる。
慌てていたとは言え、上司の部屋に突入してきたのだ。上司が吸血鬼と真面に戦える男であるならば、尚恐ろしい。凡人からすれば石上も怪物なのだから。
「あ、う……」
思わずその視線に言葉が出なくなる。
心臓を鷲掴みされたような感覚に陥り、肺が凍る。口から言葉は出なくなり、冷や汗が大量に噴き出た。
その態度に呆れたのは石上だ。
確かに人外とも呼ばれる存在だが、それでも本部勤務の者がこの程度で良いのかと。年々質が下がってきているようにも感じ、溜息をついた。
「入って来た部下に殺気を向けるのはどうかと思いますよ。それほど本に熱中していたのですか?」
「……お前がいるのなら、最初からお前が入ってくれば良かっただろうが」
「私は唯の通りすがりです」
部下の後ろから真希が姿を現す。
レジスタンスの最高司令官である綾部の傍を離れることなどない彼女が綾部のいない場所に姿を現すことなど珍しかった。
「珍しいな。お前が綾部司令官の傍を離れる何て」
「私も好きで離れている訳ではありません。ですが、少々気になる情報が出回ったのでその確認に。それを持って帰る途中に石上が部下を脅している様子が目に入ったので」
「……そうか。その気になる情報ってのは? コイツが俺に伝えようとしていたことと同じか?」
未だに言葉を引き出すことが出来ない状態の部下を指差し、石上は真希に尋ねる。真希は自慢の眼鏡をクイッと上げた。
「時間的に考えてそうでしょうね」
「聞かせろ」
「……私は貴方の部下ではないのですが、まぁ良いでしょう。最近の行方不明事件についてですよ」
北條が眉を顰める。
行方不明。この街では対して珍しくもないことだ。耳に入っていないことから、以前の辻斬り事件のように大きな噂にすらなっていないと石上は予想する。
「ありふれた問題だな。何故そんな情報が回って来たんだ?」
「その行方不明事件——全てに鮮血病院が関わっているとしたら?」
何故そんな小さなことに動くのかと疑問に思っていた石上も、その言葉を聞いて納得した。
鮮血病院。その言葉が出来たのは丁度100年前のことだ。
被害に遭ったのは第3区に住んでいる30代の男性。ある日、同僚と共に帰路に着いていた彼は突然として姿を消した。
いつも通りの時間帯。周囲には多くもなければ、少なくもない数の人影があり、怪しい人物などいなかった。
避けに酔っている訳でも、薬をやっている訳でもない。それなのに、男は同僚の前から地面に吸い込まれるように消えていった。
後に残ったのは、恐怖で顔を引き攣らせる同僚と男が先程までいた場所に残った血の痕のみ。
この奇々怪々な現象な現象をレジスタンスは異能によるものだと認定。その後に続けて同じような事件が起きたため、直ぐに調査を開始した。
だが、捜査も虚しくどんな吸血鬼が事件を起こしたのか手掛かりすら掴めない状況が続き1年の時が過ぎた。
1年間。何の進展もない状況が続けば捜査の打ち切りの話も出て来る。被害も10名にも満たなかっただけあって、被害を軽く見る者もいた。
そんな時に最初に被害に遭った男性が発見されたのだ。発見したのはとあるレジスタンスの支部の前。
見つかった時には男は生きてはいたが、生きているのが不思議な程の重症だった。
ガチガチと歯を鳴らし、木乃伊のように痩せ細った男。体には生々しい傷跡が残っており、何をされたのかは想像に難しくなかった。
息も絶え絶えな状況。ベッドの上で男が口に下の言葉————それが鮮血病院。
僅かな時間。僅かな犠牲。
それでも全力の捜査にも拘わらず、何一つとして手掛かりがなかったこと。わざわざ一人だけ生かし、レジスタンスの支部の前に分かりやすく男を放置するなど、敵からの挑発を受けたこの事件は記憶に大きく残っている
「鮮血病院か。懐かしいな。それが関わっているのか?」
「確証はありませんよ。工場で物資の運搬中の事故で下敷きになっていたはずの男の死体がなかったと報告があったので調べているだけです」
「そうか……だが、本当に鮮血病院だとしたら不味いな」
「そうですね。当時は何も分かりませんでしたが、鮮血病院は20年前に突如として現れた異界カジノと同じ可能性があります」
長い年月吸血鬼を調べ続けたおかげで色々と分かったこともある。だが、分かったからこそ厄介でどうしようもないだと言うことも知ってしまった。
もし、鮮血病院が本当に動き出し、前回よりも大きな被害を出そうとしているのなら。今度はどんな規模になるか。
何時、何処で、誰を狙っているか分からない神出鬼没の吸血鬼。また、面倒なことになりそうだと石上は思った。
「鮮血病院に異界カジノ。人間の真似事なのか? これ以上増えるのかないよな?」
「どうでしょうね。外に出られる虚空列車の駅も第2区の何処かにあると噂され始めていますから」
「一体誰が噂を流してるんだか」
これ以上面倒なものを増やさないでくれと暗に願うが、この街の吸血鬼を見た限り無理だろうとも思う。
あの吸血鬼は常に娯楽に飢えていた。地獄壺だって遊戯の1つだったのだ。噂を流して人を躍らすこともするだろう。
「今回の跡地のことも、嫌な予感がするんだよな」
「何か?」
「いや、何でもない。兎も角、現場を教えてくれ。俺の目で見れば何かが分かるかもしれない」
「お願いします。こちらは碌に外には出ることは出来ないので助かりますよ」
ふと、胸に過った不安を掻き消し、鮮血病院事件について子細に纏められた資料を受け取る。そして、石上は最初に入って来た部下へと視線をやった。
既に部下は口が利ける状態へと回復している。
「あ、あの——」
口を開こうとする部下。戸惑っている様子を見てどうすれば良いのか分からないのだろうと予想する。
伝えるべきことを横から取られたのだ。上司の手前勝手に退出する訳にもいかない。
殺気を飛ばしたことは悪かったと反省した石上は、それで無礼を許そうと退出を許可しようとする。
「もういいぞ。お前の報告はコイツから聞いた。通常業務に戻ってくれ」
「え、い——いえ、その」
「どうした?」
歯切れを悪くする部下。
何か伝え忘れているのかと真希に視線を送るが、肩を竦められる。すると、部下が意を決したように表情を硬くした。
「わ、私が言いたかったことは、真希様とは違い…………第1区へと繋がる門のことなのですが」
「…………」
「…………何ですか。その視線は。私だって間違えることぐらいはありますよ?」
「…………それで、門がどうした?」
真希に視線をやるとジトリとした目線が返ってくる。
自分に落ち度はないと主張するかのような態度に石上は小さく溜息をつき、部下の言葉を待つ。
門についての報告ならば、ジドレーが関連しているはず。だが、ジドレーは門の近辺にさえ近づかなければ姿を現さない吸血鬼だ。
そのジドレーが何かをしようとは思えない。何処かの馬鹿が特攻でも仕掛けたのか。そう考える石上だったが、想像はそれを容易に超えた。
「ジ、ジドレーは第1の門から離れ、地獄壺跡地周辺にいたレジスタンスの部隊と交戦。部隊を眷属にした後、地獄壺跡地へと踏み入ました‼」
「——なっ。ジドレーが動いたですって⁉」
動くはずのないジドレーが動いた。
何があったのか。何故地獄壺跡地へ向かったのか。目を見開き、驚く真希。それを目にしながら石上は尋ねる。
「綾部司令官はこれについては?」
「は、はい。ご存じです。報告すると石上様を調査に向かわせろと」
「そうか」
「私も行きます。上級吸血鬼が相手ならば少なくとも2人異能持ちが2人動員するのは鉄則です」
静かに石上が立ち上がり、真希も自分もと準備を始める。
「良いのか。総司令の所に戻る所だったんだろ?」
「こちらの案件の方が重要ですよ。そこの貴方、こちらの書類を綾部総司令の元に持って行って、私もジドレーの案件に向かったと伝えて頂戴」
「は、はいッ。承知致しました」
部下に持ってた書類を預け、真希は石上へと向き直る。その視線は他に何か意見はあるかと問いかけているようなものだった。
石上が肩を竦める。
馬鹿馬鹿しいことに時間を取ってしまった。それに対する叱責を自分に浴びせ、何も言わずに2人は駆け出した。