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『マー君鬼のかくれんぼ』Ⅸ

 覗き穴から俺はその様子を見ていた。


 強化ガラス窓の向こうに人の姿は見えない。

 ほんのわずかの音だけを立てて、ドアがスムーズに開いてゆく。


 横から顔を出したのはユサさんだった。


 ガラスじゃない部分を押さえて開けたんだろう。そのまま普通に入ってきて部屋内を見回り、人数分の盛り上がりがあるのを確認したユサさんは、俺のベッドに潜っているスバルの膨らみに「ちゃんと寝てるかーい」とイタズラっぽい小声で呼びかける。スバルは動かない。


 まだ笑ってはだめだ……こらえるんだ。


 次にスバルのベッドの盛り上がりに「おーい」と呼びかけた。そこは角度的に見えづらいが、動くわけがない。


「……よし。まあ、見逃してあげよう」


 聞えよがしに言い残して、去っていった。


 ドアが閉まるのを音と視界で確認して、やがてスバルのくつくつと押し殺した笑い声が聞こえてくる。

 そろそろ百秒が経過しようとしていた。


「ユサさん、俺をイッソーだと思ってたかな」


「どうだろな」


 念のためにさらに三十秒ほど数えてから、俺はロッカーを出た。スバルも出てくる。


「もぉおしまい?」


「うん」


 と小声でうなづき合いながら、廊下へ出ていく。


「百秒経ったからゲーム終了ー、全員集合ー」


 これを何度か繰り返しながらトイレ前まで。一応全部屋に小声で通達しながら。他室訪問してまで隠れるヤツはいないと思うが念のためだ。

 最後にホール側、廊下から屈めば見えるシバ君にも合図を送って全員が集合した。


「終わり?」


「うんまあ」


「え、これって結局だれが勝ち負け判断するの?」


 オミズの指摘ももっともだがそれは別にどうでもいいんだ。


「いいんじゃね? コックリさんみたいにありがとうございましたお帰りくださいって言えば」


 シバ君は俺の趣旨が分かっている。そういうことだ。

 ただ、ありがとうございましたお帰りくださいで通じるのかは疑問が残りそうだったので少し文言を考えた。


「えーっと、『かくれんぼ』はお互いが正々堂々やって、勝負がつきました。ひとりでも見つけられない人がいたら鬼が負け。全員が見つかっていたら鬼の勝ち。お互いの健闘を称えて、解散しまっしょう! 鬼の人はいつものよーに別の会場にいってくださーい」


 ポケットから出した三枚の賞品をヒラヒラ振りながら、そんな感じのことを言う。イエーイなどと適当でまばらな合いの手が入る。


「でも次の会場ってどこにするん? 俺たちが指定しなきゃダメダメなんだろー、『マー君』って。ダメだよー自分の行き先は自分で選ばなくちゃー」


 もっともらしいことを言うタケちゃん。

 もっとも、自分で選べなかった結果ここにいるのが俺たちでもあるんだけど。


 それは『マー君』も『アッ君』もだ。彼らは〝外〟の世界を夢見ていただろうか。


 うーん……。

 そこなんだよなぁ……どこに『飛んで』もらうべきか?


 別にどこに飛ばそうと今後俺たちの口からそれをどこにも伝えないだけで済む話なんだけど、この時の俺はヘンに生真面目を発動して「霊を飛ばしていい病棟なんてなくね?」なんてことを考えてしまっていた。


「あっ、じゃあじゃあ次の会場は『S-1』! 『マー君』が鬼!」


 咄嗟という感じで、オミズが言ってしまった。


「あーあ、『S-1』死んだなー」


 縁起でもないことを言っているタケちゃん。しかし不覚にも笑ってしまった。


「でもなんで『S-1』にしたのオミズ君?」


「え。だってさホラ、『S-1』って……な感じの人たちのところじゃん? そもそも霊とか理解できなさそうじゃない」


 シバ君にそう答えているオミズ。なるほど。

 オミズが言った『……な人たち』というのは、一番重い患者が住む特別な病棟という意味。


 先日見かけた『ヒーちゃん』などが一例だ。

 たしかにあそこの彼らは霊がきたと耳にしたとしても、それがどういうものであるか精密には認識しないかもしれない。全員がそうかは分からないが、そもそもあそこは外出も常に看護士さんがつききりなので、余計なことを伝えようとする患者は近づけないだろう。自分から近づく他病棟患者がいないのも事実だ。


 幽霊なんてないにも関わらず理解できてしまうがためにパニックを起こしてしまう患者が出るぐらいなら、『マー君』たちにはいろんな意味で情報が遮断されている場所で眠ってもらう。

 理屈には適っていた。


 だから俺も、なるほど、と思ってしまったのだった。

 オミズなりに考えての結論だったというわけだ。


 その時トイレから『ボン!』という音が響いて俺たちは固まっていた。

 顔だけ出していた小グループの子たちは一瞬で部屋に引っ込んでいた。


「……」


 人間、本当にあるはずのないものを捉えた時は、悲鳴を上げずに固唾を飲むらしい。


 その一瞬あと、大騒ぎになった。出てきていた小グループの子は「うあああっ」と悲鳴を上げて自室に逃げ込み、こっちのグループも「うお!」「うおぇあっ!」と叫んで跳んだりホール方面まで下がったりしていた。今度こそ俺も音を聞いた。


 正確には『ボン』ではなく『ゴンッ! ゴンゴトン』という、扉を強めに閉めて反動でもう何度か鳴る、という感じの音だった。こんな至近距離で聞き間違えるはずがない。


 この時俺はなにも考えずにカードをポケットに突っ込んでトイレに飛び込んでいた。今度はふざけるつもりとかではなく、本当になにも考えておらず、心境はただとにかく真面目だった。


 トイレの内部に変わった様子はなかった。

 しいて言えば全部の個室が閉じていることぐらいだ。


「次の会場は『S-1』だっつっただろ!」


 大きめの声で俺は言うが、返事もない。目で窓と鏡を往復しながら個室へ近寄り「開けるからな」と言った。

 開けた。

 そこには、なにもなかった。

 いつもの便座があるだけ。奥から順次ドアを開けていったが、なにもなかった。

 だが今度は慢心せず掃除用具入れの薄汚い上側にも手をかけて内部を覗き込んだ。

 なにもなかった。


「『S-1』だっつっただろ……聞いてろよ……タコが……」


 そこまでしてからようやく怖くなってきた俺は、こんなことをつぶやいていたと思う。

 汚れた手は洗面台で洗い流した。


「鬼の人は『S-1』にいってくださーい。『マー君』と『アッ君』、鬼の人は全員すみやかに『S-1』に移動してくださーい。人の話は聞きましょー」


 と強がりで言いながら廊下に出ると、怒った顔のユサさんがみんなに囲まれていた。


「ねぇちょっとイッソー君、静かにするって言ったじゃん。静かになってないじゃん」


 なんて言おうか迷ったがすかさずオトッチが挟まっていた。


「だからユサさんそんな場合じゃなくてヤバいって」


「うんだから聞いたよ音がしたんでしょ? だからってそんなに騒がないでください」


「騒ぐって、騒ぎますよ!」


「ユサさん怒るのは分かるけど怒ってるから分かってないんだって。ちょっと落ち着いて話聞いてくれてもいいんじゃないですか」


「ええー……?」


 シバ君、タケちゃんが半笑いと大真面目の対照的な逆ギレぎみでユサさんを囲んでいる。ユサさんは戸惑い半分、怒りと面倒くささ半分ずつ、という感じだ。

 そこでユサさんが頭をかきながらトイレに向かおうとしたので、周りが全力で止めた。


「ユサさん、やばい。いかない方がいいって」


「今はヤバい。今はヤバい。やめて」


「ええ? でもイッソー君は入ったんでしょ?」


「そうだけどやめた方がいいってば!」


 その時、もう一度音が鳴った。

 しかしトイレじゃない。そして、もっと明確な音だった。


 聞こえたのは『ゴゥーン』という重たい金属音。場所は廊下の一番奥、『6号室』の方向から。


 俺たちもユサさんも黙っていた。

 なんの音なのか、全員、なんとなく分かっていた。



 それは間違いなく、一階の非常用階段に通じる扉が開閉された音だった。



「え? ええ……?」



 ユサさんが、さすがに困惑というより非常事態を予感した顔で非常口の方を見ていた。


「ね、ユサさんも聞こえたでしょ」


 シバ君のキレぎみの声。タケちゃんも「ほらぁ」と言っている。それが、こんな状況なのにトラブルの聴取で聞く耳を持ってもらえなかったけど言い分が正しかった時の一幕のようで、俺はなんとなく笑いそうになってしまっていた。


「聞こえたけど……泥棒? でも、ええ?」


 ユサさんの困惑も分かる。

 なぜならここは閉鎖病棟。まず二階であるここの扉に施錠があり、さらに一階の外に出る扉にも施錠がある。そのどちらも職員が持つ鍵がなければ開かないのだから。


「だれかほかの人が入ってきたか出ていったのかな」


 ほかの、というのは他棟の職員という意味だろう。たしかにそっちの方が自然に思えるけど、今はもう消灯後だ。

 たとえば流血沙汰の大ゲンカが起きて隔離のための緊急移送をする時だって正面の玄関を使うのだ。前に一晩だけの隔離措置として担架の四肢拘束で送り込まれてきた現場を見たこともある。

 夜中に避難階段を使うというのは、それだけあり得ないことなのだ。


「見にいく必要あるかな……ちょっと、だれか一緒に。イッソー君とかお願いしても大丈夫そう?」


「いいですけど、ヤマモトさんに言ってからの方がいいんじゃないですか?」


「ああそうだね。そうだった。ありがと」


 さすがにユサさんも動揺していた。その足でナースステーションに戻り、次に出てきた時はヤマモトさんも一緒だった。


 ヤマモトさんは掘りの深い顔に口ひげを生やしたスーパーダンディである。愛嬌がありつつも厳しい、じゃれつき方は考えなければならない大人だ。

 出てきながらのヤマモトさんがまず俺たちを叱った。


「なによなによ君たち。ちょっとさぁ、俺は奥にいてもう少ししたら出ていこうと思ってたけど、長く騒ぎすぎなんじゃない?」


「すいません」


 素直に頭を下げる俺たち。


「それでなに、人がいるかもしれないんだって?」


「はい……その前にこの子たちもトイレで音を聞いていたらしくて、そのあとに。わたしが聞いたのは、あっちから……」


「うん? トイレに人はいたの? いたら大変だよね?」


 当然だが、俺たちは首を横に振ってヤマモトさんの質問意図を肯定する。


 念のため一応という感じでひょっこりトイレだけ覗き「うん」と言ったヤマモトさんはユサさんに的確な指示を出していく。


「それじゃあ、見にいってみようか。その前に一応玄関と一回りの施錠を確認してきて。俺は警備さんに連絡して下にきてもらうから」


「はい」


 消灯後だが、ユサさんが小走りで玄関へ向かっていく。ヤマモトさんは「ちょっとねえ、君たちは残っててくれる? ごめんね。でも静かにね」と俺たちに言い、次に各部屋から起きて顔を出し始めた子供たちに「君たちは部屋に戻ってなさい。気になるのは分かるけど、消灯後に出てきたら外出禁止になっても知らないよ」と彼らを引っ込めさせた。


 かなり理不尽な命令だが病棟患者には一番よく効く言葉を送ってヤマモトさんはナースステーションへ。


 それからしばらく、ヤマモトさんが玄関口に上がってきた警備員とアクリル板越しに会話をしたり、ユサさんが懐中電灯の電池をたしかめたりと物々しい空気になっていた。


 その間俺たちは固まって待っていたが、次第にちょっとお茶を飲みにいったりトイレにいったりベンチに座ったりと思い思いの待ち方に切り替えていた。

 玄関での応対を終えたヤマモトさんが俺たちの下に戻ってきた。


「ちょっといい? えっとねえ、今警備さんに下をぐるっと見回ってもらったんだけど、怪しい人影とかはなかったんだって。それでね、これから非常階段を開けて最終確認をするんだけど、扉を押さえていてくれる人手がほしいの。君たちは脱走とか悪いことは考えないと思うからお願いしたいんだけど、頼める?」


 どういうことかというと、俺も知らなかったのだが廊下奥のあの非常階段。

 改装工事後はセキュリティも一新して『内から開けて閉める分には大丈夫だが、外から開錠すると警報が通信で飛んでいく』という風になっていたのだそうだ。それだけ、院内の慣習として非常口を目的以外で使うことはないということなんだろう。


 ヤマモトさんは非常口を一度出たあと、落ち合った警備さんともう一度ぐるりと一回りをしてまた非常口から戻る。そのために扉を開けたまま押さえておく人員がほしかったらしい。まさか石でも挟んでおくわけにはいかないしな。


 そこは患者に任せちゃだめだろうと思われるかもしれないが、それはその通り。


 最低限の安全は確保できていたし、ヤマモトさんも横着しないというワケではないのだ。俺も『ちょっと手伝い』で時間外、普段は出入りしない扉から外に出たことは何度かある。


 俺たちは素直にうなづいておく。怒られかけた分、点数稼ぎのお手伝いだ。


「俺はよく脱走するけどね……」


 オトッチが暗くつぶやいた。


「じゃあオトッチ君はダメだな~部屋に戻ってもらわないと。ついでに外出禁止にしておこうかなあ、ねぇユサさん」


「そぉですねえ」


「ウソです今回は脱走しないですからぁ!」


「今回はって、いつでも脱走はしちゃダメなんだよ脱走はぁ~」


 ごもっともなご意見である。

 ちなみに俺は退院後に何度かこのオトッチの脱走をかくまうことになる。


 結局扉を開けておく役は俺が選ばれた。リュウさんが起きていたら間違いなく立候補していただろうに、もったいない。


 俺は外履きを持ってくるよう指示されて若干ワクワクしながら玄関へ。

 警備さんがきたこともあり、俺たちの空気はホラーからアドベンチャーパートに移っていた。


 靴を持って非常口前に到着すると『6号室』から目をこすってリュウさんが出てきていた。


「ああリュウさん、おはようございます。すいません、さっき一度起こそうとしたんですけど」


「んー、ああ、そっか。いいよ。ありがと。あと早くないけどね」


「たしかに。はは」


 不機嫌になはらなかったようだ。むしろ少しよさそうだ。

 リュウさんはこれから非常階段を開ける話を聞くとやはり立候補した。


「ヤマモトさん俺がいく! イッソー替わって!」


「いいですよ」


 俺としてはバーベキュー大会(大会とは名ばかり)の時に荷運びでこの階段は通って構造は知っているので別にゆずっても構わなかった。考えてみれば残ってみんなと様子をうかがう方が楽しそうでもあるし、彼と衝突してまでやりたいものでもない。


「ダーメだよ一度イッソー君って決めたんだから。今から靴持ってきてって言ってもリュウちゃんなんだかんだで時間かかっちゃうでしょ、お風呂場とかも今は開けてあげらんないし。リュウちゃんは上で見ててあげてよ。ほかの子たちが出てきたりしないようにさあ」


「え゛ーっ」


 ヤマモトさんもかわし方が上手かった。

 実はリュウさんも若干の潔癖症の気があって、起き抜けはじっくり手を洗ったり靴を洗ったりする習慣があった。リュウさん自身も外に出るにはそれをしないと嫌なので憮然としながら引き下がった。時間をかけたくないは半分以上が本音だったのだろうけれど。


 そういうわけでさっさと階段に入ることになった。

 開錠されたピンク色の防火扉が開いて真っ暗闇な半螺旋階段が現れた。スイッチを入れてすぐに明るくなる。二階部分の踊り場には予備の長机などが倒して重ねられていたりと、裏方ならではの雑然さがあり新鮮だ。


 この扉は、ユサさんが押さえつつ見張る。


 靴を履いた俺は先に下がるヤマモトさんに続いていく。二階から一階の道なのであっという間に到着する。

 ヤマモトさんが一階の扉(こちらは普通サイズだ)を開錠して開けると、すでに懐中電灯を持った警備の男性が待っていた。


「お疲れ様です、どうですか」


「ええ、もう少し詳しく見ましたけど異常や不審物などは特に」


 簡単なやり取りに内心でほっとする。

 ではお互い反対に一周だけしてわたしは戻りますのでと伝えて、ヤマモトさんは俺に振り返ってきた。


「じゃあちょっとの間この扉お願いね。もし万が一危険だと感じたらすぐに閉じていいから。身の安全を優先して」


「分かりました」


 ふたりがそれぞれ反対方向に歩いてゆく。

 俺の目の前にあるのはアスファルトで整備された院内歩道と、林というほどでもない樹の群れ。この道でバーベキュー大会(大会ではない)をやったものだ。


 地上には多少の街灯があるし、この入口横にも専用の灯りがあるので道は明るい。しかし上を見れば葉陰に隠された空はやはり真っ黒に近かった。

 見通しが悪いということではないので、身の危険などはなにも感じていなかった。


 ぼんやり夜風を味わっていた俺の背後から声が響いてきた。


「ヴォー」


 リュウさんである。俺が「リュウさん」と笑いながら上に声をかけると返事はなく、「ヴォーー、ヴぉ。ヴォーー、ウヴァアアアアアアアアアア」とより激しくなっていく。


 笑いながらそっちの方を見ているとほどなく「ちょっとリュウちゃん静かにしてくださーい。夜ですからー」とユサさんの声。


 それから「イッソー平気っ?」と言うリュウさんに「大丈夫っすー!」と返した。上は思ったより騒がしくなかった。すでに何人かは飽きて部屋に戻るなりしているんだろう。ユサさんが帰したのかもしれない。


 次に、今度は左手方向から「やっほー」と聞こえてきた。場所と人物はすぐに分かった。


 二階のトイレの窓。オトッチだ。

 俺は「やっほー」と返しておいた。

 続けて「こっちからは異常ないよー」。同じ場所から「こっちは任せてー」とマイヅカ君の声も。ついでに「あぅ、イッソー君、こっちは任せて」とモモの声まで聞こえて「お前はいいーんだって、あとパクんな!」と大笑いのマイヅカ君のツッコミが。モモも遠慮がちながら楽しそうな笑いが聞こえている。


「あいよー」と返しておく。別にそこまでしなくていいんだろうとは思うが、ツッコまない。お祭りはなるだけみんなで楽しまなくちゃな。


 とはいえ、くそう……楽しそうだな……。


 こういうの、なんていうんだろうか。たとえば祭りの実行役バイトとかに駆り出されて、あくせく働いてる最中に友達が楽しく遊んでいて声をかけてきたりする……そんな場面の男がいたとするなら、今の俺と近い心情なんじゃないだろうか。

 祭りのバイトに駆り出されたことなんてないけど。知らんけど。


 職員さんふたりがいないから今ごろ上は騒ぎ放題のフリーダムなのかもしれない。

 やっぱりハズレクジだったかも、と俺は思い始めていた。


 すると今度は右手方向から「やっほー」と声が聞こえてきた。右手方向だと?

 ここでなぜ俺が訝ったか。


 右手方向になにがあるのか説明しよう。

 なにもない。


 なぜならこの非常口が廊下の一番端にあることからも分かるように、建物の終端部分だからだ。

 だからこれ以上右手側にはなにもない。せいぜい壁沿いにグルリと回って患者の部屋等がある面に出るだけだ。


 しいて言うなら、廊下の終端には窓がある。

 ちょっと前に説明した『旗』の地形の棒部分の終端だ。その窓からなら声は容易に届く。


 ただし二階ではない。二階からであれば今まさに開いている扉の方から伝声管効果で聞こえてくる声の方が大きいはずだ。ユサさんが押さえている地点からその窓まで一メートルもないほどだからだ。そして、ユサさんサイド付近にいる子たちのささいな話し声も聞こえているのだから。


 なので、あるとしたら一階部分である『E-2』だった。そこの同部分の窓か、もしくは『6号室』の真下にあたる患者部屋あたりからなら多少声を大きくすれば届く。


『E-2』は子供病棟だ。実際、今聞こえてきた〝声〟もそんな感じだった。


 もう一度「やっほー」と聞こえてきた。


 俺は「やっほー」と返した。


「やっほー」


 また。


「やっほー」


 同じく、返し……。


 俺は少し怖くなった。

 一階病棟の子供が警備員の見回りなどの物々しさに起きて、好奇心でこちらの声に応じたにしては少し単調な気がした。こういう時は往々にして一緒に起きてる友達とやるものだからだ。声からは周囲の面白がるような反響が受け取れない。


 俺は少し考え、今度は自分から声を放り投げた。


「楽しめたかー? 少しはおとなしくしてろよー」


 と。

 少し遠くか、あるいは小さくした声でなのか「はーい」と聞こえてきた。よし。


 そこにヤマモトさんが戻ってきた。


「なんだよせっかく任せたのに騒いでちゃダメじゃない。いろいろ声聞こえたよー?」


 叱る口調だが顔は苦笑いだ。本来させちゃいけないことをさせているからその分で帳消しということだろう。


「なに? 上のオトッチ君たちと話してたの?」


「いえ、『E-2』の子たちが起きてたのかもしれないです」


「ええ? 俺が通った時は異常なかったけど。起きてるようならちょっと注意してくるからもうちょっと待ってね」


 と、ヤマモトさんはさっきと同じルートで右側に回っていった。

 そしてすぐに戻ってきた。


「どうでした?」


「ライト当てて中見たけど寝てるみたい。寝てるフリかもしれないけど。それ以上遠い部屋だとこっちが声聞いてるはずだからねえ」


「ですね」


「まぁ下のことは下の人がやってくれるから。戻ろうか。ありがとね」


「ウィーッス」


 このような経緯があり、この夜は終わった。


 やはり二階はそこそこのフリーダムでパラダイスになっていたようで普段は自室がほとんどの小グループの子たちもホールのソファに座っていたりと、人口比がいつもの数倍だった。

 だが戻ったヤマモトさんが割と本気めの怖いモードになって練り歩いたためにすぐに鎮静化され、廊下はほぼ普段通りの消灯後世界になるのだった。


 さすがはヤマモトさん。たぶん『E-6』ではイシイさんに並んで対患者最強の職員さんだろうな。ベテラン度ではヤマモトさんがさらに圧倒。


 まぁ、怖がって引っ込んだ患者たちも普段と違うイベントに興奮冷めやらずしばらくは自室で笑い合ったりしてるんだろうけれど。


 俺たちも、今回は協力してもらったから咎はないけど『すぎたこと』の区別がつけられないようなら次や俺たち以降の患者にも容赦できなくなるぞ、という釘をいただいて自室に納品されることになった。


 この時点で夜の十一時半。なんだかんだ零時まで起きていることもあるのにいつもよりずっと遅い気がしたのは、それだけ体験が濃密であった証だろう。


 それでも結局〝音〟の正体は分からず、うやむやになってしまったわけだ。


 音があったのはたしかな事実だったので、部屋に戻る前の別れ際、オトッチやマイヅカ君は怖さがぶり返していたみたいだった。


「結局『かくれんぼ』ってどうなったんだろ。大丈夫なのかな」


「たぶん大丈夫だと思う」


 と言っておいた。確信があるワケじゃないけでど、今ある病棟の中では一番完成度が高い『かくれんぼ』をしたはずだという自信だけはあったから。

 すべてが的外れだった……ということがないのであれば。


 だから大丈夫なはずだと。自分にも言い聞かせるように。

 少なくともウチの病棟はな。


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